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新しい風
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T/2011年5月。南諏訪高原病院・小児産婦人科外来。掛川十(23)、看護助手の制服を着てスタッフルームにやって来る。助手長の小河原輝(34)と助手の小山内琴子(19)、牧舞子(19)、若本小麦(20)がいる。
輝「では今日から一緒に助手として働いてもらいます、掛川十君です。よろしくお願いします」
十に目配せ
十「今年看護学校を卒業したばかりの掛川十と申します。数年はこちらで助手として働くこととなりました。よろしくお願いします」
十、まじまじ輝を見て目を丸くする
輝「主任の小河原輝ですどうぞ宜しくね」
十「は…はい」
助手三人侍女、十に釘付け。
3人М「かっこいい!」
舞子「掛川って…ひょっとしてですけど、カナリアホテルの会長の息子さん?」
十「あ、ええ…そうですけど。良く分かりましたね」
舞子「だってこの辺で掛川さんって言ったら…ねぇ」
十、笑う
舞子「ヤバい、かっこよすぎるししかも御曹司と来てる」
十「いや、御曹司ってほどじゃないけど…」
十、困ってどうしていいのかおどおど。
輝「さぁ、早速仕事に入ります。ほら、あなたたちも動いてください」
三人侍女「はい!」
十「はい!」
十、輝について仕事をしている。そこに医療事務の制服を着た小松紡紬(23)が受付にやって来る
紡紬「小河原さん、これお願いします」
十を見る
紡紬「あれ?十じゃん」
十「つむ!?」
紡紬「あんた…助手!?何で!?」
十「何でって言われても…」
十、困って笑いながら頭をかく。頬にえくぼが出来、八重歯が見える。
同・レストラン。医療従事者や一般来院者が食事をしている。
紡紬「なるほど。まずは看護師として働く前に他の仕事も経験したいと」
笑いながらスパゲッティーをまいて口に入れる
紡紬「あんたらしいね」
十「それよりびっくりだよ。まさかつむがここで働いていただなんて」
紡紬「あれ、あんたに言ってなかった?」
十「聞いてないよ!」
紡紬、自分の食べているカルボナーラ―の大きなベーコンを十の皿にあげながら
紡紬「それよりあんた、さいきん絹重とはどうなってんの?」
十「絹重さんと?」
紡紬「もうあんたら中3からの付き合いだろ。いい加減結婚とか考えないの?」
十「結婚かぁ…」
フルーツソーダを飲みながらため息
十「僕も絹重さんみたいな人とだったら結婚したいなぁって思ってるよ。けど」
紡紬「けど?なんだよ」
十「彼女ってあんな性格で何考えてるか分からないし、絹重さんが誇りに思ってる仕事だって取り上げたくないからなかなか言い出せなくて」
紡紬、呆れて見下すように腕を組んでふんぞり返る。
紡紬「はーはー、あんたも女々しい男だ事。本当にあの昔譲りな奥ゆかしい絹重があんたみたいな男を選んだ理由が分からん。だってあんたの魅力って顔と金とスキルくらいしかないんだもん、内面は全滅」
十「酷いなあ…」
電話
十「あ…ん?絹重さんだ」
紡紬「噂をすればか」
十、スマホを鞄からとりでして電話に出る
十「もしもし、絹重さん?」
絹重の声「十さん、はーるかね!」
十「はーるかだね。元気だった?」
絹重の声「私は元気だったわ」
口ごもった様に申し訳なさそう
絹重「十さん…ごめんなさい!」
十「え、なんだよ急に!?」
絹重の声「事情は今は言えないわ。私と別れて欲しいの」
十「え…何?何?別れる?いきなりどうしたの?」
絹重の声「じゃあね、Adjo!」
一方的に話を続けて切れる
十「おい!絹重さん!ちょっと!おい!」
電話を見る
十「切れちゃった…」
紡紬「どうしたの?絹重、なんだって?」
十「知らない。一方的に別れ突き付けられた」
紡紬「はい?」
十、電話を切って椅子に伸びた様に放心状態になる。紡紬、飲んでいたフルーツ
ソーダのストローから口を放し、十をまじまじ見つめる
十「しかも変な事言ってた。婚約指輪は返さないからとか、冥途の土産に持ったとか、空襲で死んだご夫婦とどうのこうのとかなんとか」
紡紬「冥途?空襲?一体何の事?」
十「僕が聞きたいよ!」
十、電話を何度もかけなおす
十「あぁだめだ、電話もラインももうブロックされてる」
紡紬「マジか…」
考える
紡紬「でも何で?あんた絹重と喧嘩した?」
十、もどかしく悲しそうに首を振る
十「いや、心当たり何もない」
紡紬「じゃああんたの浮気とか」
十「だからないってば!」
紡紬「だって変じゃん。ほいだってあんたらは幼稚園からの付き合いで、あんなに愛し合ってたんだら?」
十「巣の中の小鳥仲良し小鳥…」
紡紬「だら?」
十「うん…」
掛川家・台所。二人の姉と両親と十、夕食をしている。十、少しおかずやご飯をつついただけで箸をおき、立ち上がる。
十「いただきました…」
綴「十、もう食べないの?」
十「いらない…」
朝香「十の好きなシュガーケーキも焼いてあるのよ」
綴「ベイクドカスタードフルーツもあるわ」
十「今はいいや…」
綴「なんかあったの?」
十、台所を出ていこうとする。
茶和子「分かった!今夜のベーコンステーキ厚かったから見ただけで靠れて気持ち悪くなっちゃったんでしょ」
十「そんなんじゃないよ…お風呂入って来る」
肩を落としてout 他家族、心配して顔を見合わし、肩をすくめる。
同・浴室。十、浴槽につかりながら頭からシャワーをかぶっている。
十「絹重さん、急にどうしたんだろ?何かあったのかな…」
シャワーの水で思い切り顔をすすいで涙をこらえる
十「んんん…」
今度はツタキと修と勉の姿がよぎる
十「うわぁ!」
身震い
十「あぁぁ怖い怖い、桑原桑原…もう早く寝よう」
十、浴槽から出てシャワーで体を流す。
MT/「新しい風」
ーOP credit and songー
『安らかにお休みください』
ーENDー
南諏訪高原病院・小児産婦人科外来。昼間。紡紬、十に大量の医療カルテを渡す。十、あまりの量に受け取ってよろける。
紡紬「十、この資料お願い」
十「え…こんなにいっぱい?何処に?」
紡紬「旧隔離病棟の資料室よ」
輝も資料を大量に持ってin 十に書類を追加する。十、さらによろける
十「小河原さん…」
紡紬「あんたならディンディンと終わらせられるだろ。そのついでに旧産婦人科棟から持って来てほしいもんがあるんだけど」
十「旧産婦人科棟…はーい」
資料を持って非常階段に向かう。
十「じゃあ行ってきます」
輝「戻ってきたら検体お願いね」
十「はーい」
十、非常階段を下りてゆくout
同・旧隔離病棟北棟。十、資料室に書類を置いてから資料室を出る。目の前の階段を上がると旧産婦人科棟だが十は知らない。十、階段を見上げる。薄暗くて物音ひとつしない。
十「なんか不気味な場所…早く帰ろう」
十、手ぶらで非常階段からin 紡紬、げっそりとクマが出来ている十の顔をまじまじ見る。
紡紬「あんた…今気が付いたけど、その顔どうしたの?」
十「あぁ…これ?クマ酷いだろ」
目を擦る
十「最近変な夢や幻ばかり見て眠れないんだよ」
紡紬「どんな?」
同・院内レストラン。昼休憩。十と紡紬、昼食をとっている。
十「でさ…」
食べながら身震いして話しているが、突然食べるのをやめて手で口を押える
紡紬「どうした?大丈夫?」
紡紬、十の背中を擦る
十「うん…大丈夫…ありがとう」
落ち着きを取り戻して口を開く
十「それで…大量の血と腸とか脳とかの内臓が流れてくるんだ」
紡紬も目を見開いて少し体を引く。十、寝不足気味に疲れたように頭をかく。
紡紬「は!?なにそれ…気持ちの悪い夢」
十「僕、疲れているのかな?」
紡紬「看護大学の頃の解剖実習の記憶とかじゃない?」
十「うーん…でも当時すらこんな悪夢は見なかったのに」
紡紬「あんたの周りって…気持ち悪い事ばっかり起こるね。ま、私だったら楽しくて羨ましいけど?」
十「何が楽しいんだよ!」
同・スタッフルーム。十、帰りの支度をしている。そこにまだ勤務中の三人侍女in
舞子「ねぇ十君!」
十「あ、牧さん!お疲れ様です」
舞子「十君、彼女さんと別れたって本当?」
十「え…え、何で知ってるの?」
舞子「紡紬さんに聞いた。十君が離婚して落ち込んでるから口には気を付けてって」
十「ツムの奴、おしゃべりなんだから。余計なお世話だっての!」
舞子「それで?」
十、めんどくさそうに
十「本当ですよ」
舞子「だったらさ十君、私と今度食事に行かない?」
十「え…」
琴子「あー!舞子ったら抜け駆けかよ!ずるいぞ!」
小麦「てか舞子、あんたは理学療法士の塚藤さんと付き合ってんだろ!それ浮気だぞ!」
琴子「マサが泣くね」
小麦「いや、あいつは泣かないね。それより舞子があいつに殺される」
舞子「ちょっと!怖いこと言わないでよ!」
琴子、色目を使ってセクシーに十に歩み寄る。
琴子「舞子なんかより、私の方がお似合いなんじゃない?」
小麦「二人ともふざけたこと言わないで!十君にふさわしいのはこの私でしょ!」
小麦も負けじと十にアピール。琴子、小麦を小突く。
琴子「小児科の前田先生はどうするんだよ!あいつこそ泣くよ」
舞子「そうそう。前田先生ってちょっと冴えないけどいい方だし?小麦さんにお熱みたいだからさ」
小麦「やめてよ!あんな男眼中にもありません!」
琴子「そこ行くと?私は誰にも言い寄られてないし、結婚もしてないし誰とも付き合ってもいないから…真のフリーは私って事になるわね」
色っぽく十の体を触る。
琴子「ねぇ十君?十君はどんな子がタイプ?」
十、困った様にロッカーを片づける手を止めて三人を見つめている
十「あのぉ…」
三人、揉め合いを始める。十、そっとout
十「僕…もう行きますね。お疲れさまでした」
富士見駅前・リリャースパスティーリャ亭。夕方でとても混んでいる。紡紬、ビールを飲見、十はジュースをちびちびと飲んでいる。
紡紬「あれ?あんた今日はジュース?」
十「今はとてもお酒飲む気にはなれないから」
紡紬「あんたも男らしくないね。こういう時こそ飲むもんだろ!ほれ!」
十にビールをたっぷり注いだグラスを渡す
紡紬「何にも心当たりなくてもやもやするんだったらさ、直接会いに行って話聞けばいいじゃん」
十「うーん…」
紡紬「それか?私じゃなくてもっと心許せる男友達に相談してみた方がいいんじゃない?」
十「え?」
紡紬、得意げに鼻を鳴らす
紡紬「私…そういう心理的ケアにも特化した仕事についてるやつといまだに交流あるんだけど紹介する?」
十「誰?」
紡紬「あんたも会えばわかるやつで、学生時代は一番あんたと仲がよかったやつ」
十「僕と一番仲が良かった?誰だろ」
紡紬「じゃあそいつを呼ぶから諏訪のクリスマスで会えばいいよ」
十「う…うん」
考える
十М「誰だ?」
掛川家・十の寝室。十、オレンジ色の電気のついた部屋でベッドに横になってスマホをいじりながら目を大きく見開いている。
十「今日はなんだか眠れないなぁ。眠ったらどうせまたあの怖い夢見るんだろうし」
くしゃみをする
十「うわぁ…さすがになんか冷えてきた。ホットミルクでも飲もう」
十、退室。
数分後。十、ベッドに座って熱々のホットミルクを飲んでいる。
十「んー…美味しい」
ほっこり
十「僕、牛乳は大嫌いなのにスキムミルクは何故か大好き」
立ち上がって頭の上に手を置く
十「だから僕ってチビなんだよな…」
十の部屋にかかっている子供用のキリン型の身長測定計に体を当てる。身長系は165までしかない。十、メーターに合わせて立つが余裕で入れる。160センチあるかないか。十、ガックシと肩を落として身長計から出てベッドに戻る。
十「中2の頃から全然伸びてない」
十、布団にもぐる。
十「もう寝る」
南諏訪高原病院。十、部屋の環境整備をしている。
十「はぁ…冬の病院って忙しいなぁ」
紡紬「十、お疲れ」
十、ベッドメイキングを終えてひと段落。
十「やっぱりインフルとかかな?」
紡紬「そうだね…それもあるから、あんたも十分気をつけな」
十「うん」
スタッフルーム。紡紬と十、飲み物を飲みながら
紡紬「なぁ十、あんたもこのまま絹重との関係が続いてたら、彼女と行く予定だったんじゃないの?」
カレンダーを指さして指で男女のジェスチャーをする
十「一番傷ついてるとこ掘り返すなよ…」
紡紬「図星か」
十「図星か…じゃないよ」
十、うつろに紡紬を見つめる
紡紬「なによ…」
十「だったらツム、君は絹重さんのお姉さんだろ?彼女の代わりに良縁の鐘と金星の願い、付き合ってよ」
紡紬「はあ!?」
十、慌てて間違いを言い直すように
十「いや、変な意味じゃなくてさ…」
紡紬、涼し気に頭の上で手を組む。
紡紬「おあいにく様。私はもう既婚者なので不倫みたいなことはしませーん!」
十「友達としてでも?」
紡紬「ないわ」
十「何で!?」
紡紬、きっぱりと強い口調で。でも笑いながら
紡紬「独身だとしてもあんたみたいな男とはないわって事。友達としてでも無理。誤解されたくないし」
十「なんだよそれ…意地悪だな」
紡紬「意地悪で結構。私はもともとこういう女なんで」
十「ごもっともで…」
紡紬、十を小突く
十「ところで…僕に会わせてくれる人って?」
紡紬「そうだった!」
紡紬、手を鳴らす
紡紬「良縁の鐘鳴らしたいんならそいつと一緒に鳴らしな」
にやり
紡紬「まぁ…夕方をお楽しみに」
富士見町・入笠山ヒュッテ。イベントで多くの人が集まっている。紡紬と十、防寒に身を包んでロープウェイを降りる。頂上に小口千里(23)がいる。二人に気が付くと大きく手を振って駆け寄って来る。
千里「やぁ!はーるかぶり!」
十「やぁ!って…千里!?どうして!?」
千里「つむから聞いた。十君が落ち込んでるから会ってあげてくれって!」
十「そ、そうなんだ…ありがとう。で、心理関係ん仕事って聞いてるんだけど千里、何してるの?」
千里「あれ、十君って僕の仕事知らなかったっけ?」
十「知らないよ!長年会っていないんだもの」
千里「僕、今は小学校で先生やってる。幼稚園教諭と保育士、小学校教諭、一気にとっちゃったんだ」
十「わお!すごい!」
千里「十君は?確か看護師なんだよね」
十「資格はとったよ。でも残念ながらまだ病院では勤務で来てない」
千里「えぇぇぇぇぇ、何で!?」
同情するように
千里「そうだよね…就職難だからね」
十「そうじゃないよ…」
理由を話す
十「って訳」
千里「十君って凄い!偉い!尊敬!」
十「おいおい、おっこー。そこまで言うなよ」
千里「で…早速だけど、十君の悩みって?」
十「あ…うん」
もごもごと
十「絹重さんの事なんだ…」
千里、十に顔を近づけてポカーンとしたように聞く
千里「絹ちゃんの?」
十、悩みに眉をしかめながら頷く
富士見駅前・リリャースパスティーリャ亭。平成24年2月ころ。十と紡紬と千里、ホットあんみつを食べながら。店内はとても空いている夕方。
十「で…」
紡紬「私から絹重を説得して話をつけてみた」
十「何だって?」
紡紬「渋々だけどokしてくれたよ。ただ別れた理由はまだ話せないって言ってた。時が来たら…だって」
十「どうして?」
十、食べる手を止めて紡紬をまじまじ。
紡紬「そりゃ私にだってわからないけどさ」
十「なんか…会うの怖いよ」
紡紬「何言ってるんだよ。あんたが会いたいって言ったから私も協力してんのに」
十「会いたくないとは言ってないよ…」
再び食べ始めながら
十「ツムや千里の協力にも感謝してる。でもなんだか、すごく嫌な予感しかしなくてさ」
千里「嫌な予感?」
十「うん…なんか」
口をもごもごさせるが言葉を飲む
十「いや、何でもない」
紡紬「何だよ!言いかけたんなら最後まで言えよ」
十「いや、ごめん。あまりに不謹慎すぎて言えない」
紡紬「不謹慎って…」
千里「何だよそれ!」
紡紬「それで会う場所なんだけど…」
十「うん…」
平成25年春。蓼科湖。辺り一面雪景色で人は一人もいない。湖は凍り、店も開いていない。
十「ここ…蓼科湖?こんなところで?」
紡紬「絹重がここがいいって言ってたに」
十「どうして…だってここ」
湖のほとりの方から絹重が歩いてくる。淑やかで奥ゆかしく、清楚な白いブラウスに紺色のつなぎのスカートを履いて微笑んでいる。とても真冬の姿とは思えないほどの軽装。
絹重「十さん!」
大きく手を振りながらかけてくる。
絹重「こうやって3人揃うのもはーるかね」
十「絹重さん!」
絹恵、十の目の前にやってくる。絹重、紡紬と千里を見る
絹重「あら、千里さんと紡紬姉様もいらしたのね」
紡紬「落ち込んでる十のために会わせたの。今の十には腹を割って話せる親しい男友達が必要なんじゃないかって思って」
絹重「なるほど」
十、絹重の両肩をつかんでまじまじと瞳を見つめる。絹重、表情一つ変えずに涼しい笑顔で十を見つめている。
十「でも何で急に別れようだなんて言ったの?僕なんか、君を傷つけるようなことした?僕の事怒ってる?」
絹重「そんな事はないわ」
十「だったらなんで?」
絹重「ごめんなさい…」
十「理由を言ってくれよ!納得できないよ!」
絹重、十の手を放して向きを変え、湖の遠くを見つめる。
十「本当は理由があるんだろ?悩みがあるんだろ?僕だって精いっぱい支えるし、君の話も聞く。君の力になるから…もう一度考え直してくれ!」
絹重「ありがとう。でも本当に何もないの」
十、絹重の目の前に回り込み、もう一度瞳をまじまじ見つめながら絹重の両手をとって叫ぶ。
十「いやある!君の目を見ればわかるよ!お願い、本当のことを言って!」
絹重、切なそうに微笑んで湖のほとりへ歩き出す。
絹重「電話でも言ったけど、あったしても時が来たら話すわ。今はまだ無理なの。何も言えない」
十「無理って何で!」
絹重、湖のすぐほとりで足を止めてしゃがみ込み、十の方を振り向いて微笑む。
絹重「あなたとはせめて、魂の結婚が出来ればと思ったけどそれも無理みたいだから」
十「何だよ、その魂の結婚って!?」
絹重、意味深に紡紬を見る。十、その視線を見逃さずにすかさず
十「ツムは何か知ってるの?」
紡紬も涼し気に遠くを見つめて笑う
紡紬「さぁね」
十「さぁねって…」
絹重「十さん…それ以上あなたが私にひつこくするんだったら」
スマホを見せる
絹重「これ、SNSにばらまくわよ」
十「え!?それって…どうして!?」
十が入浴中に通話をしたもの。千里、びっくりして十を見る
千里「十君…君、いつの間にかAVに目覚めたの!?」
十「これのどこがAV だよ!」
咳払い
十「ってか違うんだって!お風呂に入りながら絹重さんと通話してて、その時にたまたまテレビ電話に繋がっちゃったらしいの!」
絹重クスクス
絹重「いえ、初めからテレビ通話だったわ」
十、ショックを起こした顔
絹重「だから、十さんが入浴中にカレーライスを食べていたことも、それをお風呂の中にこぼしたこともみんな知ってる」
千里「うわぁお…」
千里、惨劇の映像を見る
千里「これはまさに嘔吐と下痢…」
十「じゃないってば!」
絹重、スマホを打って十の前で送信しようとする
十「う、うわぁぁ!それだけはやめて!お願いします!もう何も聞かないから!」
絹恵、淑やかに笑う。紡紬、呆れ顔で十を見る
十「ほらぁ…ツムにも千里にも見られたじゃんか」
絹重「つむだけじゃないに」
十「え?」
麻衣「実はあの時、近くにいた私の新しい恋人も一緒に見てたわ」
十、ショックを起こしてヒステリーの叫びをあげながら頭をかきむしる
十「んがぁーっ…」
千里、ポカーンと絹重と十を交互に見る
千里「え、絹ちゃんの彼氏って?十君じゃないの?」
十「君にも話した通り、絹重さんからは別れを申し立てられたの」
千里「どうして!?」
にやり
千里「ははー…分かった!ひょっとして十君、絹ちゃんを悲しませたりしたな?浮気したとかしたな?」
十「どうしてみんなそうやって僕をいじめるかなぁ」
一文字一文字を強く発音して強調する
十「だから僕は一切浮気はしておりません!」
千里、にやにやしたまま
千里「ふーん?」
十「なんだよ」
千里「いいえ、別に何も」
十「なんかむかつく」
しばらく後。十、カップジュースを飲んで一息つく
十「それにしたってさ、やっぱり他の男と一緒にいるって聞くと何だかお腹がむかむかするんだけど」
千里「十君もやきもち焼きだね」
十「千里、これがもしお前の事だとしても、同じことが言えるか?お前だってきっと同じ気持ちになると思うよ」
十、不貞腐れてやけのみ。絹重、笑った後に真剣な顔になり、やや切なそうに微笑んで十を見る。
絹重「十さん…」
十「何だよ、急に真剣になっちゃって」
絹重、千里と十をまじまじ
絹重「千里君、あなたも聞いておいた方がよさそうね」
千里「何?」
絹重「あなた達が私に会えるのも、私があなた達に会えるのも、これが最後かもしれないなって事」
十「え?はい!?」
千里「どうして?」
絹恵、十の方を見つめる
絹重「だから最後にあなた、あなたのピアノを聞きたいの。今日はそのお願いもしたかったから」
十「最後って…渾身の別れの様な言い方するなよ」
絹重、風に吹かれながらそよ風に溶けていくように微笑む。
絹重「私の最後の願い…聞いてくれますか?私へのレクイエムに…」
十「レクイエムって…君、意味分かって言ってんのかよ」
ー挿入歌ー
『私の最期の願い』
(絹重)
Ecco l’orrido campo ove s’accoppia
Al delitto la morte!
Ecco là le colonne
La pianta è là, verdeggia al piè.
S’inoltri.
Ah! mi si aggela il core!
Sino il rumor de’ passi miei, qui tutto
M’empie di raccapriccio e di terrore!
E se perir dovessi?
Perire! Ebben, quando la sorte mia,
Il mio dover tal è, s’adempia, e sia.
Ma dall’arido stelo divulsa
Come avrò di mia mano quell’erba,
E che dentro la mente convulsa
Quell’eterea sembianza morrà,
Che ti resta, perduto l’amor
Che ti resta, mio povero cor!
Oh! chi piange, qual forza m’arretra,
M’attraversa la squallida via?
Su, coraggio e tu fatti di pietra,
Non tradirmi, dal pianto ristà:
O finisci di battere e muor,
T’annienta, mio povero cor!
Mezzanotte! Ah! che veggio?
Una testa di sotterra si leva – e sospira!
Ha negli occhi il baleno dell’ira
E m’affissa e terribile sta!
Deh! mi reggi, m’aita, o Signor,
Miserere d’un povero cor!
ー終わりー
十、笑って湖のほとりのストリートピアノにスタンバイ
十「まぁいいよ、何弾く?」
絹重、少し考える
絹重「うーん…そうねぇ…」
十「何でもいいよ」
絹重「だったらあなたと私の思い出の歌を歌って欲しい。あの日鐘の下で歌った歌」
十「分かった」
十が弾こうとすると絹重が空を見上げて目を閉じる
絹重「平和な空ねぇ…」
両手を大きく広げてはばたく真似
絹重「こんな澄み渡った綺麗な空の下で、魂は自由になって大空と大地を駆け回る」
十、鍵盤から手を放してとんでもないいう顔で絹重を見る
十「おいおいおいおい、ちょっと怖いって!縁起でもないこと言うなよ」
千里、不貞腐れて地面をける
千里「結局…大人になってからも十君がいいとこどりかよ」
絹重「千里君も私と歌って」
千里「いいよ。僕に歌える歌ならね」
十、弾き語り。麻衣と千里と紡紬も歌い出す
ー挿入歌ー
『シング』
(十・絹重)
Sing, sing a song
Sing out loud
Sing out strong
Sing of good things not bad
Sing of happy not sad
Sing, sing a song
Make it simple to last
Your whole life long
Don't worry that it's not
Good enough for anyone
Else to hear
Just sing, sing a song
La, la, la, la, la...
Sing, sing a song
Let the world sing along
Sing of love there could be
Sing for you and for me
La, la, la, la, la...
Sing, sing a song
Make it simple to last
Your whole life long
Don't worry that it's not
Good enough for anyone
Else to hear
Just sing, sing a song
{Just sing, sing a song}
Just sing, sing a song
La, la, la, la, la…
ー終わりー
帰りのバスの中。昔ながらの古いバス、乗っているのは十と紡紬と千里のみ。乗ってからしばらくの間は3人とも無言。大分下まで下って十が口を開く。
十「ねぇ…」
窓の外を見たまま
十「絹恵さんが意味深すぎてなんか怖いんだけど」
紡紬「絹重が?なんか変だった?」
十、二人の方に向き直って目を見開いて大声を出す
十「思いっきり変じゃないか!だってまるで渾身の別れのような事言うしさ、幽霊とか冥途とか言うしさ、急に変な詩は朗読し始めるしさ、縁起悪いったらない
よ」
紡紬、何がおかしいのか分からないというような無表情の顔をして肩をすくめる
十「今日は折角絹重さんと会えたのに、後味悪すぎてしょうがない」
紡紬「そうかなぁ?私は別に普通だと思うに」
十「あれが!?」
紡紬「そ。だであんまり気にしなくてもいいさ」
十「そんなものなのかな」
紡紬「そんなものなの」
千里「確かに…絹ちゃんは一風変わったところがあるもんな」
一息つく
千里「そういえば十君、助手さんの仕事はどうするの?」
紡紬「そうそう、それそれ。私もちょうどそれ聞きたかったのよ」
十「ん?」
紡紬「もうすぐちょうど契約更新だろ?」
十「そうだね」
紡紬「どうするよ?」
十「契約更新はしないよ」
バッグから履歴書を取り出す
十「今度は正看護師としてあの病院の面接を受ける」
紡紬「あんたも準備がいい事。いいんじゃない、それがあんたの決めた事なら」
十「うん…」
紡紬「ん?」
十、ぼんわり
紡紬「どうした?」
十、我に返って首を振る
十「いや、何でもない」
十、スマホを取り出してカメラフォルダーを見る。旧病棟で撮った写真が何枚か収められている
十「…?」
南諏訪高原病院。旧隔離病棟。十、スマホを構えながら歩く。
十「今日が助手としての最後の出勤日だ。もしかしたら看護師の面接に受からないかもしれない。だからどうしても今日ここを確かめたい!」
十、旧病棟の木の廊下を歩き出す
十「相変わらず薄暗くて気持ち悪いなぁ」
階段に差し掛かる。階段を上って右に行くと旧産婦人科棟、右に行くと隔離病棟とある。
十「よし…行って見よう」
十、階段を上る。
旧病棟二階。十、産婦人科棟の方に歩き出す。旧ナースステーションがあり、 病室などの木の扉が立ち並ぶ。
十「凄い…ん?」
十、足を止めて一つのドアに耳を傾ける。205という部屋のドアは少し開いており、男女や子供の歌声とピアノの音が聞こえてくる。
十「誰か…いるの?」
十、軽くドアをノックする
十「失礼します…助手の掛川です」
楽しそうな歌声が続いたまま
十「ピアノだ…」
うっとりとワクワク、リズムを取り始める
十「そうなんだ…当時は産婦人科の病棟にはピアノが置かれていて、自由に弾けたのか。いいなぁ」
リズムに乗りながらピアノを弾く真似をしながら扉を開ける
十「楽しそうだな!入りますよ!」
十、中に入る。病室の中は真っ暗で誰もいない。木のベッドとベビーベッド、右のとっつけにはブルクハルト製の大理石のアップライトピアノが置かれている。十、入ってきょろきょろ。
十「あれ…誰もいない。僕の空耳?夢?」
ピアノに近づく
十「スゲー…ブルクハルト古都だ!こんな高級ピアノが置いてあるのかよ」
十、ピアノの椅子に腰かける
十「ちょっとくらいなら…いいよね」
弾き出す
ー挿入曲ー
『夕べに/シューマン』
十の後ろに小河原勉(29)が微笑んで立つ。ベッドには優しく微笑んで曲に合わせて体をゆすり、新生児をあやす小河原カヨ(25)とその側には14歳と15歳の二人の少年が立って、リズムに合わせて揺れている。ピアノの壁に、ちら
りと微笑む勉の姿が映る。丁度曲が終わり、十はびくりとして後ろを振り向く。
十「え!?」
ー終わりー
十「今誰か…いた?」
十、元来た廊下を早足で歩いて、階段を降りながら首をかしげて小児産婦人科病棟に戻ってゆく。
十「僕の気のせい?」
一回立ち止まって再び歩き出す
十「いや…絶対に誰かいるもん」
小児産婦人科病棟。十、いつもどうりに仕事をこなしている。
舞子「あーあ…でも寂しい。今日で十君、やめちゃうんだ」
琴子「噂ではやめるっていうより、助手の仕事をやめて改めて正看護師として面接受けるって聞いたけど」
小麦「え、そうなの!?じゃあ十君は今度看護師としてここで働くかもしれないって事なんだ!」
十、産婦人科の病棟の方に食事の配膳をしている
輝「十君も随分と要領が良くなったわね」
紡紬「動きも素早くなったし…ありゃ、看護師としてでも十分やっていけるんじゃないの?」
十、205の病室に入る。若い20代半ばの婦人と生まれたばかりの赤ちゃんがいる。小河原カヨ(25)、微笑む
十「失礼します。お食事をお持ち致しました」
カヨ「ありがとう、いつも悪いわね」
十「わぁ、かわいいお子さんですね。お誕生おめでとうございます」
カヨ「ありがとう、祝っていうのよ。小河原祝」
十「祝君か…」
十、新生児の頭をなでる。新生児、十の指をつかむ
十「うわぁ…かわいい」
十、頭を下げて病室を出る。出てすぐの廊下に紡紬が不思議そうな顔で立っている。十、病室のドアを閉める
紡紬「あれ…ここって、誰かいたっけ?」
十「いるよ、いるから持って行ったんじゃないか」
紡紬「誰?」
十、本日のカルテを見ながら
十「小河原カヨさんっていう若い女性で、出産をされたばかりの…あれ?」
カルテに名前がない。205は空室になっている
十「書かれてないじゃないか!忘れられてる」
紡紬「忘れられてるってか…第一本当にいたの?」
十「How rude!」
紡紬「ご飯は?」
十「だからあるから持って行ったんだって!メニューだってちゃんと覚えてるよ!」
指折り数えだす
十「エビフライだろ?シーザーサラダだろ?わかめと油揚げのお味噌汁だろ?それに…スキムミルクにごはん」
うっとり
十「おいしそうだったなぁ…僕がお腹空いてきちゃうよ」
紡紬、胡散臭そうに十を見つつ205号室をノックして部屋に入る。
紡紬「外来事務でーす。入りますよ」
病室には誰もいない。紡紬、病室内をきょろきょろ。きれいに環境整備された清潔な部屋で人の気配はないし、食事も置かれていない
紡紬「誰もいないじゃん」
十「はぁ!?」
十、急いで部屋に入る
十「あれ…何で!?」
紡紬、胡散臭そうな目で十を見る
十「本当にいたんだもん!」
紡紬に顔を近づける
十「だって君だって近くにいたんだから見てたはずだろ!僕がお膳を持って入っていく姿」
紡紬「あぁ、見たよ。だもんで変だと思ったの」
十、いじいじと興奮して地団太を踏む
十「さっきまで本当にいたのに…祝君の頭だって僕、撫でたのに」
紡紬「祝君?」
十「うん、そこにいた方は小河原カヨさんって言うんだ。そして生まれた子供は小河原祝君」
紡紬「あんたさぁ…」
ちょっと引き気味
紡紬「いよいよ疲れが爆発して、幻や幻覚でも見えだしてるんじゃないの?それ…かなりヤバいよ」
十、更にいじいじして顔が真っ赤になって喧嘩腰
十「だからそんなんじゃないんだったら!どうして信じてくれないんだよ!」
クソっと言わんばかりに腕を振る
十「もういいよ!気分が害したから僕、もう先にお昼食べてくる!」
スタッフルーム。十、一人で黙々とお弁当を食べている。
数週間後。同病院の人事課。十、面接を受けている。外には桜が咲いている5月。
十、各棟の看護婦長と看護婦長、人事採用担当の元で、緊張気味に面接を受けている。
同病院。9月中途入社式。十、ナース服姿で目を輝かせて廊下を歩く
十М「うわぁ…」
ルンルンと辺りを見回して行き会うスタッフに元気よく挨拶をしながら歩く。同病院・4階病棟ナースステーション。25歳の十、わくわくと目を輝かせて出勤してくる。
十「あぁ!やっとこの病院に就職が決まってよかった!」
ふっと笑う
十「4階病棟の泌尿器科外来担当か。まぁいいか…」
ロッカーに荷物を入れてペットボトルのお茶を飲みながら
十「本当は小児科外来がよかったな」
十、仕事に入る。
十「おはようございます」
4階病棟ナースステーション。十、堂々と入る
十「おはようございます!今日からよろしくお願いしま…って、あれ?」
田苗・タミ恵・丸山「十!?」
十「みんな!」
丸山・田苗・タミ恵「十!」
梅乃「十君、改めてよろしくね」
十「はい!」
2階小児産婦人科病棟。多くの医療従事者が行き来している。子供や新生児の泣き声が聞こえる。
十「今日も赤ちゃんが生まれたんだ…」
微笑みながら歩く
205号室。十、ドアの開いた病室に入る。環境整備され、窓が開いた部屋には風がさわやかに吹き込んでいる。もちろん人が入っている気配はない
十「やっぱり僕の幻か夢…だったのかな」
十、寂しそうに部屋を出ようとする
十「僕、疲れてたんだ」
出入り口に赤ちゃんを抱いたカヨが微笑んで立っている
十「あ!」
カヨ「こんにちは」
十「カヨさん!」
カヨ「あれからあなたの事見ないからやめられちゃったのかしらって心配してたのよ」
十「良かった!でも…」
カヨ「あっち…」
別の部屋を指さす
カヨ「移ったのよ」
十「そうだったんだ」
十も安心したように微笑む。カヨ、十の名札をのぞき込む
カヨ「掛川十君…」
十「はい」
名札を見せながら
十「申し遅れました。改めまして僕は看護師の掛川十です。カヨさん、また今年からもよろしくお願いしますね」
カヨ「えぇ」
十「カヨさんは…いつまでこちらに?」
カヨ「さぁ…いつかしら」
遠く窓の外を見つめる
カヨ「まだ分からないわ」
カヨ、着いてきてと十に手招き
カヨ「私の部屋に夫も息子たちも来ているの。紹介するから来て下さる?」
十「えぇ、是非!」
十とカヨ、病室を出て廊下を歩いていく。
7号室。4人部屋の3番ベッド。カヨ、しまったカーテンの中に十を案内する。
カヨ「ここよ、入って」
部屋の中に勉と勲と傑がいる。勲はベビーベッドに眠る祝をあやし、傑はベッドに座ってテレビで古いアメリカドラマを見ている。勉は三人と話をして笑いながら、介護用デスクの上で茶こしを使って緑のお茶を入れている。ad
カヨ「あなた」
勉「あぁ、カヨお帰り」
十を見る
勉「そちらの男性は?」
十、勉を見て微笑んで頭を下げて自己紹介をし、名刺を渡す。
勉「看護師の掛川十さんか。妻をありがとう」
十と握手をする
勉「初めまして、僕はカヨの夫の小河原勉です。よろしくお願いしますね」
十「勉さん、こちらこそ宜しくお願いします」
カヨ「何だか私達、仲良くなれそう」
三人、笑いながら談笑。勉、十を招いて、十を近くのソファーに座らせて十にもお茶を入れて菓子と共に振舞う。子供たちもすぐに十に懐く。
蓼科湖・森の中のテラス。絹重、小口昭美(29)と共にお茶を飲んでいる。観光シーズンにも差し掛かっており、観光客でにぎわっている。
絹重「長閑でいいお天気ね」
昭美「そうだな…」
絹重「まさかここで、あなたのようなお方と出会えるだなんて思わなかったわ」
昭美「僕もだよ」
二人、ワインの入ったグラスを小さく打ち付ける
絹重「チューッス!」
昭美「チューッス!」
二人、恥じらい気味に笑ってドリンクを飲む
絹重「あなたといると、全てが忘れられる気がするわ。辛い記憶…切なく悲しい記憶」
昭美「僕もだ…」
揺れるグラスの中のワインを見つめながら
昭美「君は本当に…僕が愛したトミによく似てる」
絹重「トミさんっていうのね…あなたがお心奉げたお方は」
昭美「あぁ…」
絹重「あなただって、私が愛した十さんによく似ていらっしゃる」
昭美「十君って言うのか…君の心を奪ったやつの名は」
絹恵、淑やかに笑う
絹重「そんないい方はよして」
菊重、辺りを見渡す。観光客の中にはひときわ浮いた存在の人間がいる
絹重「私…あんな方々の様にはなりたくないわ」
それは悪霊たち。生きてる人間の写真に写り込んだり、憑依したり、体に張り付いたりしている
絹重「時がたってもこの世に残り続ければ、いつかは私もあの方々の様な悪霊になってしまうのかしら」
昭美、菊重の肩を抱く
昭美「君の様に心がきれいで奥ゆかしい淑やかな女性なら、あんな風になるなんてことはないよ。君は本当に美しい」
昭美、絹重に口づけ。絹重、真っ赤な顔をして驚いている
昭美「絹重」
絹重から顔を放して真剣に絹重を見る
昭美「しかし僕らも気をつけて生きねばならない。生きている人を怖がらせたり脅かさないようにひっそりと生きる必要があるんだ。見える人には見えるから」
絹重「えぇ…」
昭美、絹重の両手をとって熱く絹重見つめて再び絹重に口づけをしてテーブル越しに抱き締める。絹重、真っ赤になってされるままにされているが、昭美から離れる
絹重「昭美さん」
立ち上がって目をそらす
絹重「いえ、いくら私達が幽霊だからってそれはいけないわ」
昭美「どうして」
絹重「だって私は…」
切なく悲しそうに
絹重「あの人の事が忘れられないの…まだ十さんの事を愛しているのよ」
昭美「あの人って…掛川十君?」
絹重、そっと頷きながら昭美の方に向き直る
絹重「昭美さんだって、本当はそうなのでしょ。似ている私じゃなくて、今でもまだ植松トミさんの事を愛していらっしゃる。だからそれを私でごまかそうとしていらっしゃる」
絹重、思い立って決心したように
絹重「そうよ!まだ望みはあるわ!きっと何か方法があるはずよ」
昭美「何の?」
絹重「勿論、私達が十さんやトミさんに再会をする方法よ!だから一緒に考えましょ」
岩の上に腰を下ろす
絹重「私達はそのうち消えてなくなってしまうのか、それとも永遠にこの地に残されるのか、それは分からない。だからこそ、今こうやってこの地にいられる間にやりたい事をやっておかなくちゃって思うの」
風を見つめながら
絹重「私達が例え永久にここへ残されたとしても、十さんはいつしかこの世から年を取っていなくなってしまう日が来る…だからその前に。私も十さんも、あなたもトミさんも後悔しない様に」
昭美の手を取る
絹重「だから一緒にその方法を考えましょう!」
絹重、キラキラきらめいた瞳と笑顔で微笑んで昭美を見つめる。昭美も彼女の笑顔にふっと微笑んで頷く。
富士見駅前・リリャースパスティーリャ亭。十と紡紬と千里、スペイン料理を食べながら酒を飲んでいる。
紡紬「あんた入社式終わったんだね」
十「うん…まあね」
千里「十君、本当におめでとう。やっと十君がずっと夢見てた看護師になれるんだよね」
十「うん…」
十、俯いて涙を隠すように下を向く。体と声は震えている。
紡紬「十?」
十の顔を覗き込む
紡紬「どうしたの?もしかして泣いてる?」
十、慌てて涙を拭って顔をあげて笑う。十の目は泣きはらし、声は涙声。
十「いや、大丈夫だよ。僕は泣いてない」
紡紬、笑って十の背中を叩く
紡紬「ったくあんたも泣き虫だね」
十「だから泣いてないってば!」
十、お酒を一気に飲んでフーっと長い溜息をつく。
十「いよいよ僕も本当の看護師になれるんだなって、嬉しくなっちゃっただけ」
紡紬「そうか…」
十、涙笑いをして二人を見つめ、深く頭を下げる。
十「ありがとう、本当にありがとう。みんなツムや千里やみんなのお陰だよ!」
千里も十の肩を抱いて笑いながら
千里「そんな事ないよ!十君が頑張ってきたからに決まってるじゃん!頑張る十君がいたからみんな、十君の事を応援して助けたいって思ったんだもん!みんなの心を動かしたのだって十君じゃん!」
紡紬「そうだよ、何言ってんだよ!私達は何もしてないじゃん!」
十、笑いながら泣き出す。千里と紡紬も笑って十の肩を抱いて慰める
紡紬「ほらほら、もう泣くな!今日は祝いだ、飲もうぜ!」
千里「今日は僕らのおごりだからさ。十君もいっぱい食べよう」
十「うん…ありがとう」
南諏訪高原病院・小児産婦人科病棟。207号室。カヨ、赤ちゃんをあやしながら子守唄を歌っている。勉がピアノ伴奏をする。
ー挿入歌ー
『かやのき山』
(カヨ)
かやの木山のかやのみは
いつかこぼれて拾われて
やまがのおばさは囲炉裏端
そだたき しばたき 明かり付け
かやのみ かやのみ それ爆ぜた
今夜も雨だろう もう寝ようよ
お猿が鳴くだで はよお寝よ
ー終わりー
カヨ「ねぇ勉さん…」
勉「ん?」
カヨ「この間会った掛川さんっていう男性の看護師さん、覚えていらっしゃる?」
勉「うん、覚えてるよ」
カヨ「彼…眼鏡をおかけになると瀬戸内修さんにそっくりだと思わない?」
勉、ピアノの椅子から立ち上がってカヨの側に来る
勉「え、サムに?」
カヨ「えぇ。確か修さんには4人のお子さんがいらっしゃいましょ?」
勉「うん…」
カヨ「もしかしてだけど彼、修さんのお孫さんではないかしら?なんて思ったの
よ」
勉「十君が?サムの…」
眼を大きく見開いて驚く
勉「孫!?」
目を真ん丸くパチパチ瞬きばかりをする
勉「オー…ベイビー」
カヨ、笑う
カヨ「私がただそんな風に感じただけよ」
十、医療カートを押して入って来る
十「失礼します。看護師の掛川です」
勉「噂をすればだね」
カヨ「えぇ」
夫婦、微笑んで頭を下げる。中学生の二人の息子もニコニコ。
カヨ「十君、いらっしゃい。この子たちも十君の事が大好きなの。だから十君の事をずっと待っていたのよ」
十「ありがとうございます」
悪戯っぽく照れて
十「本当は僕、泌尿器科外来なんですけど…こっそり黙ってきちゃいました。今昼休憩中だもんで」
長男と次男、笑って腕を出す。
十「ん?」
勲「僕でよければ付き合うよ」
傑「注射の練習、してよ」
十、笑う
十「ありがとう。でも流石に君たちの腕を実験で傷つける事は出来ないよ」
カヨの腕の中で新生児も笑っている。5人、昼休み中ずっと談笑をしている。勉、またお茶を入れ始めて笑いながら十に振舞う。
2階病棟廊下。十が頭を下げて病室を出る。入れ違いに入ろうとする植松トミ(25)とすれ違う
トミ「あらら?見ない看護師さんね。新人さん?」
十、立ち止まって深く挨拶
十「はい。初めまして。中途入社で泌尿器科外来と4階病棟でお世話になっております、看護師の掛川十です。よろしくお願いします」
トミ「私は、この産婦人科で看護婦をしている植松トミです。よろしくね、十君」
十「はい!それでは、失礼します!」
十、腕時計を見ながら慌ててかけてゆく。トミ、色っぽいまなざしで十を見つめて投げキッス。
トミ「まぁ…いい男」
トミ、病室に入る。病室内では勉とカヨが口づけをしている。トミ、入り口付近に立ち止まったまま口をあんぐり開けて二人を見つめている。
トミ「オー…ベイビー」
二人、慌てて離れて真っ赤になって目をそらす。トミ、二人を冷やかすようにじわじわとニヤニヤしながら夫婦に近寄る。夫婦、気まずそうに顔をそらし、互いの側を離れる。
同・4階病棟ナースステーション。十、飛び込んでくるin
十「ギリギリセーフ!」
十ペットボトルの紅茶を飲んで、フーっと長い溜息をつく。
十「何とか間に合った」
タミ恵、十の近くに来て仁王立ち
タミ恵「何がギリギリセーフじゃ!このバカ野郎!」
十「た…タミ恵!?」
タミ恵「もうとっくに時間すぎてるっつーの!」
タミ恵、時計を指さす。時間は30秒遅れている
タミ恵「30秒ロス」
十にこぶしを振り上げる
十「ちょ…待て待て待て待て!」
十、逃げ腰
タミ恵「かーけーかーわーじゅーうー…てめぇ…」
十「うわっ…ヤバ!」
十、走って逃げ出す。タミ恵も追いかけて、廊下で十を捕まえる。そこに丁度カヨと勉が十の様子を見に上がって来る。十以外の誰にも家族の姿は見えない。
タミ恵「てめぇ掛川十!業務が終わったら覚えてやがれ!絶対に許さねぇ!」
十、タミ恵に首もとを掴まれて吊るされたまま
十「な…なんだよ、僕何もしてないじゃんか」
タミ恵「あんた…打つよ!蹴ったくるよ!」
タミ恵、十をさらに高く持ち上げる。十、苦しさと恥ずかしさにもがいているがタミ恵の力が強く、なかなか下に降りる事が出来ず空中でじたばたしているだけ。
十「うわぁ、苦しい!苦しいって!」
タミ恵「チっ…」
十を思いっきり床に叩き落す。十、強くしりもちをついてそのまま床に伸びてしまう。タミ恵、手を払って仕事に戻ってゆく。小河原夫妻、呆然として立ち尽くす
勉「最近の女…怖っ」
カヨ「私達の時代ではとても考えられないわね」
二人笑うが、ふと我に返って十を助け起こしに行く。
落合小学校。3年生のクラスで千里が担任をしている。瀬戸内修(29)、千里の授業を教室の片隅で懐かしそうに見つめながら微笑んでメモを取っている。
千里「という事で、三角形の面積を求めるには?みんな、どうするんだっけ?」
児童たち、元気よくはいはいと手を挙げる。千里、微笑みながら一人一人を当て
ていく。強い冬の風が入って来る
千里「うわぁ…壁に穴が開いちゃった」
隙間風が強い
千里「ちょっとみんな自習してて。僕、壁のつぎはぎするね」
千里、道具を準備して壁のつぎはぎをし出す。修、それを見てて動き出し、手伝い出す
修「先生、僕も手伝いますよ」
千里、身震い
千里「ん?」
きょろきょろ
千里「なんかいま聞こえたような…」
壁を見る。左側の壁のつぎはぎが終わってる
千里「あれ?なんかつぎはぎがされてるような気がするんだけど…気のせい?」
修を見る。修は千里以外の児童の目には見えていない。
千里「あぁ!」
修の方を見る
千里(小声で)「瀬戸内先生だ!」
修、小粋に微笑んで、千里に授業を続けてくださいと合図をする。
修「僕が後はここ、すべてやっちゃいますので」
修、鼻歌でミツバチの歌を歌いながら作業を続ける。千里、修の方を見てにっこり微笑む。
千里「じゃああとはお願いしますね先生、ありがとうございます」
修「いえいえ!」
修、小粋に踊りながら隙間張りを続ける
修「やっぱりじっとしてるより、動いてる方が僕の性に合ってますからね」
千里、修を見ながらも授業を続ける。児童のうち数名は、不思議そうに作業
をする修の姿をとらえて見つめている。
南諏訪高原病院・旧隔離病棟。二階バルコニーで網倉ツタキ(25)が立って一人で風に吹かれている。澄みきった青空が広がって、周りには樫の木と白樺の木がそびえている。下にはリンドウの花が揺れている。
ツタキ「あの日も確かこんな澄みきった空だった…」
地面を見下ろす
ツタキ「昔と変わらないんだわ…この白樺の木、リンドウの花、樫の木」
ツタキ、部屋に戻って廊下を通り、階段を降りて一回廊下に行く。木の扉の病室
がいくつか並んでいる。
ツタキ「あの日と変わらない病室…この廊下…建物…」
一つの病室に入る。
ツタキ「ここね…」
古い六角時計がかけられ、木のベッドに木の床、古い木の机といすが2つずつ置かれてる
ツタキ「この部屋もあの日のままだわ。つい昨日の事みたい…」
ベッド周りのカーテンを開けて中に入る。
ツタキ「かつて、このベッドに私の母様と、勉さんのお母様が入っていらしたのよ。そして相向かいのベッドには須山さん…」
悲しそうに笑う
ツタキ「退院することもなく、みんな亡くなってしまったんだっけ」
ベッドに座って開いた窓を見つめる。強い風が入って来る。ツタキ、しばらくボンワリと遠くを見つめている。
ツタキ「この風も、思い出も何もかも変わらずそのままなのに…変わってしまったのは私達だけ。あの空襲がなければ私達、一体あの後どうなっていたのかしらね。今頃は白髪のおばあさんとしてまだこの地で修さんと共に暮らしていたかしら」
ククっと笑って部屋を出る
ツタキ「今となってはもう…想像すらつかないわ。私の時は止まったまま…もう永遠に動かないんだもの」
部屋のドア、風によって閉まる。
ツタキ、廊下を歩きながら美しい声で歌を歌う。
ー挿入歌ー
『舟歌』
命短し恋せよ乙女
黒髪の色 あせぬまに
赤き唇 消えぬ間に
今日は再び こぬものを
ー終わりー
ツタキ、だんだん去っていき、廊下に差し込む夕日と共に消えてゆく
ーED credit and songー
『スイートアップル』
ーENDー
輝「では今日から一緒に助手として働いてもらいます、掛川十君です。よろしくお願いします」
十に目配せ
十「今年看護学校を卒業したばかりの掛川十と申します。数年はこちらで助手として働くこととなりました。よろしくお願いします」
十、まじまじ輝を見て目を丸くする
輝「主任の小河原輝ですどうぞ宜しくね」
十「は…はい」
助手三人侍女、十に釘付け。
3人М「かっこいい!」
舞子「掛川って…ひょっとしてですけど、カナリアホテルの会長の息子さん?」
十「あ、ええ…そうですけど。良く分かりましたね」
舞子「だってこの辺で掛川さんって言ったら…ねぇ」
十、笑う
舞子「ヤバい、かっこよすぎるししかも御曹司と来てる」
十「いや、御曹司ってほどじゃないけど…」
十、困ってどうしていいのかおどおど。
輝「さぁ、早速仕事に入ります。ほら、あなたたちも動いてください」
三人侍女「はい!」
十「はい!」
十、輝について仕事をしている。そこに医療事務の制服を着た小松紡紬(23)が受付にやって来る
紡紬「小河原さん、これお願いします」
十を見る
紡紬「あれ?十じゃん」
十「つむ!?」
紡紬「あんた…助手!?何で!?」
十「何でって言われても…」
十、困って笑いながら頭をかく。頬にえくぼが出来、八重歯が見える。
同・レストラン。医療従事者や一般来院者が食事をしている。
紡紬「なるほど。まずは看護師として働く前に他の仕事も経験したいと」
笑いながらスパゲッティーをまいて口に入れる
紡紬「あんたらしいね」
十「それよりびっくりだよ。まさかつむがここで働いていただなんて」
紡紬「あれ、あんたに言ってなかった?」
十「聞いてないよ!」
紡紬、自分の食べているカルボナーラ―の大きなベーコンを十の皿にあげながら
紡紬「それよりあんた、さいきん絹重とはどうなってんの?」
十「絹重さんと?」
紡紬「もうあんたら中3からの付き合いだろ。いい加減結婚とか考えないの?」
十「結婚かぁ…」
フルーツソーダを飲みながらため息
十「僕も絹重さんみたいな人とだったら結婚したいなぁって思ってるよ。けど」
紡紬「けど?なんだよ」
十「彼女ってあんな性格で何考えてるか分からないし、絹重さんが誇りに思ってる仕事だって取り上げたくないからなかなか言い出せなくて」
紡紬、呆れて見下すように腕を組んでふんぞり返る。
紡紬「はーはー、あんたも女々しい男だ事。本当にあの昔譲りな奥ゆかしい絹重があんたみたいな男を選んだ理由が分からん。だってあんたの魅力って顔と金とスキルくらいしかないんだもん、内面は全滅」
十「酷いなあ…」
電話
十「あ…ん?絹重さんだ」
紡紬「噂をすればか」
十、スマホを鞄からとりでして電話に出る
十「もしもし、絹重さん?」
絹重の声「十さん、はーるかね!」
十「はーるかだね。元気だった?」
絹重の声「私は元気だったわ」
口ごもった様に申し訳なさそう
絹重「十さん…ごめんなさい!」
十「え、なんだよ急に!?」
絹重の声「事情は今は言えないわ。私と別れて欲しいの」
十「え…何?何?別れる?いきなりどうしたの?」
絹重の声「じゃあね、Adjo!」
一方的に話を続けて切れる
十「おい!絹重さん!ちょっと!おい!」
電話を見る
十「切れちゃった…」
紡紬「どうしたの?絹重、なんだって?」
十「知らない。一方的に別れ突き付けられた」
紡紬「はい?」
十、電話を切って椅子に伸びた様に放心状態になる。紡紬、飲んでいたフルーツ
ソーダのストローから口を放し、十をまじまじ見つめる
十「しかも変な事言ってた。婚約指輪は返さないからとか、冥途の土産に持ったとか、空襲で死んだご夫婦とどうのこうのとかなんとか」
紡紬「冥途?空襲?一体何の事?」
十「僕が聞きたいよ!」
十、電話を何度もかけなおす
十「あぁだめだ、電話もラインももうブロックされてる」
紡紬「マジか…」
考える
紡紬「でも何で?あんた絹重と喧嘩した?」
十、もどかしく悲しそうに首を振る
十「いや、心当たり何もない」
紡紬「じゃああんたの浮気とか」
十「だからないってば!」
紡紬「だって変じゃん。ほいだってあんたらは幼稚園からの付き合いで、あんなに愛し合ってたんだら?」
十「巣の中の小鳥仲良し小鳥…」
紡紬「だら?」
十「うん…」
掛川家・台所。二人の姉と両親と十、夕食をしている。十、少しおかずやご飯をつついただけで箸をおき、立ち上がる。
十「いただきました…」
綴「十、もう食べないの?」
十「いらない…」
朝香「十の好きなシュガーケーキも焼いてあるのよ」
綴「ベイクドカスタードフルーツもあるわ」
十「今はいいや…」
綴「なんかあったの?」
十、台所を出ていこうとする。
茶和子「分かった!今夜のベーコンステーキ厚かったから見ただけで靠れて気持ち悪くなっちゃったんでしょ」
十「そんなんじゃないよ…お風呂入って来る」
肩を落としてout 他家族、心配して顔を見合わし、肩をすくめる。
同・浴室。十、浴槽につかりながら頭からシャワーをかぶっている。
十「絹重さん、急にどうしたんだろ?何かあったのかな…」
シャワーの水で思い切り顔をすすいで涙をこらえる
十「んんん…」
今度はツタキと修と勉の姿がよぎる
十「うわぁ!」
身震い
十「あぁぁ怖い怖い、桑原桑原…もう早く寝よう」
十、浴槽から出てシャワーで体を流す。
MT/「新しい風」
ーOP credit and songー
『安らかにお休みください』
ーENDー
南諏訪高原病院・小児産婦人科外来。昼間。紡紬、十に大量の医療カルテを渡す。十、あまりの量に受け取ってよろける。
紡紬「十、この資料お願い」
十「え…こんなにいっぱい?何処に?」
紡紬「旧隔離病棟の資料室よ」
輝も資料を大量に持ってin 十に書類を追加する。十、さらによろける
十「小河原さん…」
紡紬「あんたならディンディンと終わらせられるだろ。そのついでに旧産婦人科棟から持って来てほしいもんがあるんだけど」
十「旧産婦人科棟…はーい」
資料を持って非常階段に向かう。
十「じゃあ行ってきます」
輝「戻ってきたら検体お願いね」
十「はーい」
十、非常階段を下りてゆくout
同・旧隔離病棟北棟。十、資料室に書類を置いてから資料室を出る。目の前の階段を上がると旧産婦人科棟だが十は知らない。十、階段を見上げる。薄暗くて物音ひとつしない。
十「なんか不気味な場所…早く帰ろう」
十、手ぶらで非常階段からin 紡紬、げっそりとクマが出来ている十の顔をまじまじ見る。
紡紬「あんた…今気が付いたけど、その顔どうしたの?」
十「あぁ…これ?クマ酷いだろ」
目を擦る
十「最近変な夢や幻ばかり見て眠れないんだよ」
紡紬「どんな?」
同・院内レストラン。昼休憩。十と紡紬、昼食をとっている。
十「でさ…」
食べながら身震いして話しているが、突然食べるのをやめて手で口を押える
紡紬「どうした?大丈夫?」
紡紬、十の背中を擦る
十「うん…大丈夫…ありがとう」
落ち着きを取り戻して口を開く
十「それで…大量の血と腸とか脳とかの内臓が流れてくるんだ」
紡紬も目を見開いて少し体を引く。十、寝不足気味に疲れたように頭をかく。
紡紬「は!?なにそれ…気持ちの悪い夢」
十「僕、疲れているのかな?」
紡紬「看護大学の頃の解剖実習の記憶とかじゃない?」
十「うーん…でも当時すらこんな悪夢は見なかったのに」
紡紬「あんたの周りって…気持ち悪い事ばっかり起こるね。ま、私だったら楽しくて羨ましいけど?」
十「何が楽しいんだよ!」
同・スタッフルーム。十、帰りの支度をしている。そこにまだ勤務中の三人侍女in
舞子「ねぇ十君!」
十「あ、牧さん!お疲れ様です」
舞子「十君、彼女さんと別れたって本当?」
十「え…え、何で知ってるの?」
舞子「紡紬さんに聞いた。十君が離婚して落ち込んでるから口には気を付けてって」
十「ツムの奴、おしゃべりなんだから。余計なお世話だっての!」
舞子「それで?」
十、めんどくさそうに
十「本当ですよ」
舞子「だったらさ十君、私と今度食事に行かない?」
十「え…」
琴子「あー!舞子ったら抜け駆けかよ!ずるいぞ!」
小麦「てか舞子、あんたは理学療法士の塚藤さんと付き合ってんだろ!それ浮気だぞ!」
琴子「マサが泣くね」
小麦「いや、あいつは泣かないね。それより舞子があいつに殺される」
舞子「ちょっと!怖いこと言わないでよ!」
琴子、色目を使ってセクシーに十に歩み寄る。
琴子「舞子なんかより、私の方がお似合いなんじゃない?」
小麦「二人ともふざけたこと言わないで!十君にふさわしいのはこの私でしょ!」
小麦も負けじと十にアピール。琴子、小麦を小突く。
琴子「小児科の前田先生はどうするんだよ!あいつこそ泣くよ」
舞子「そうそう。前田先生ってちょっと冴えないけどいい方だし?小麦さんにお熱みたいだからさ」
小麦「やめてよ!あんな男眼中にもありません!」
琴子「そこ行くと?私は誰にも言い寄られてないし、結婚もしてないし誰とも付き合ってもいないから…真のフリーは私って事になるわね」
色っぽく十の体を触る。
琴子「ねぇ十君?十君はどんな子がタイプ?」
十、困った様にロッカーを片づける手を止めて三人を見つめている
十「あのぉ…」
三人、揉め合いを始める。十、そっとout
十「僕…もう行きますね。お疲れさまでした」
富士見駅前・リリャースパスティーリャ亭。夕方でとても混んでいる。紡紬、ビールを飲見、十はジュースをちびちびと飲んでいる。
紡紬「あれ?あんた今日はジュース?」
十「今はとてもお酒飲む気にはなれないから」
紡紬「あんたも男らしくないね。こういう時こそ飲むもんだろ!ほれ!」
十にビールをたっぷり注いだグラスを渡す
紡紬「何にも心当たりなくてもやもやするんだったらさ、直接会いに行って話聞けばいいじゃん」
十「うーん…」
紡紬「それか?私じゃなくてもっと心許せる男友達に相談してみた方がいいんじゃない?」
十「え?」
紡紬、得意げに鼻を鳴らす
紡紬「私…そういう心理的ケアにも特化した仕事についてるやつといまだに交流あるんだけど紹介する?」
十「誰?」
紡紬「あんたも会えばわかるやつで、学生時代は一番あんたと仲がよかったやつ」
十「僕と一番仲が良かった?誰だろ」
紡紬「じゃあそいつを呼ぶから諏訪のクリスマスで会えばいいよ」
十「う…うん」
考える
十М「誰だ?」
掛川家・十の寝室。十、オレンジ色の電気のついた部屋でベッドに横になってスマホをいじりながら目を大きく見開いている。
十「今日はなんだか眠れないなぁ。眠ったらどうせまたあの怖い夢見るんだろうし」
くしゃみをする
十「うわぁ…さすがになんか冷えてきた。ホットミルクでも飲もう」
十、退室。
数分後。十、ベッドに座って熱々のホットミルクを飲んでいる。
十「んー…美味しい」
ほっこり
十「僕、牛乳は大嫌いなのにスキムミルクは何故か大好き」
立ち上がって頭の上に手を置く
十「だから僕ってチビなんだよな…」
十の部屋にかかっている子供用のキリン型の身長測定計に体を当てる。身長系は165までしかない。十、メーターに合わせて立つが余裕で入れる。160センチあるかないか。十、ガックシと肩を落として身長計から出てベッドに戻る。
十「中2の頃から全然伸びてない」
十、布団にもぐる。
十「もう寝る」
南諏訪高原病院。十、部屋の環境整備をしている。
十「はぁ…冬の病院って忙しいなぁ」
紡紬「十、お疲れ」
十、ベッドメイキングを終えてひと段落。
十「やっぱりインフルとかかな?」
紡紬「そうだね…それもあるから、あんたも十分気をつけな」
十「うん」
スタッフルーム。紡紬と十、飲み物を飲みながら
紡紬「なぁ十、あんたもこのまま絹重との関係が続いてたら、彼女と行く予定だったんじゃないの?」
カレンダーを指さして指で男女のジェスチャーをする
十「一番傷ついてるとこ掘り返すなよ…」
紡紬「図星か」
十「図星か…じゃないよ」
十、うつろに紡紬を見つめる
紡紬「なによ…」
十「だったらツム、君は絹重さんのお姉さんだろ?彼女の代わりに良縁の鐘と金星の願い、付き合ってよ」
紡紬「はあ!?」
十、慌てて間違いを言い直すように
十「いや、変な意味じゃなくてさ…」
紡紬、涼し気に頭の上で手を組む。
紡紬「おあいにく様。私はもう既婚者なので不倫みたいなことはしませーん!」
十「友達としてでも?」
紡紬「ないわ」
十「何で!?」
紡紬、きっぱりと強い口調で。でも笑いながら
紡紬「独身だとしてもあんたみたいな男とはないわって事。友達としてでも無理。誤解されたくないし」
十「なんだよそれ…意地悪だな」
紡紬「意地悪で結構。私はもともとこういう女なんで」
十「ごもっともで…」
紡紬、十を小突く
十「ところで…僕に会わせてくれる人って?」
紡紬「そうだった!」
紡紬、手を鳴らす
紡紬「良縁の鐘鳴らしたいんならそいつと一緒に鳴らしな」
にやり
紡紬「まぁ…夕方をお楽しみに」
富士見町・入笠山ヒュッテ。イベントで多くの人が集まっている。紡紬と十、防寒に身を包んでロープウェイを降りる。頂上に小口千里(23)がいる。二人に気が付くと大きく手を振って駆け寄って来る。
千里「やぁ!はーるかぶり!」
十「やぁ!って…千里!?どうして!?」
千里「つむから聞いた。十君が落ち込んでるから会ってあげてくれって!」
十「そ、そうなんだ…ありがとう。で、心理関係ん仕事って聞いてるんだけど千里、何してるの?」
千里「あれ、十君って僕の仕事知らなかったっけ?」
十「知らないよ!長年会っていないんだもの」
千里「僕、今は小学校で先生やってる。幼稚園教諭と保育士、小学校教諭、一気にとっちゃったんだ」
十「わお!すごい!」
千里「十君は?確か看護師なんだよね」
十「資格はとったよ。でも残念ながらまだ病院では勤務で来てない」
千里「えぇぇぇぇぇ、何で!?」
同情するように
千里「そうだよね…就職難だからね」
十「そうじゃないよ…」
理由を話す
十「って訳」
千里「十君って凄い!偉い!尊敬!」
十「おいおい、おっこー。そこまで言うなよ」
千里「で…早速だけど、十君の悩みって?」
十「あ…うん」
もごもごと
十「絹重さんの事なんだ…」
千里、十に顔を近づけてポカーンとしたように聞く
千里「絹ちゃんの?」
十、悩みに眉をしかめながら頷く
富士見駅前・リリャースパスティーリャ亭。平成24年2月ころ。十と紡紬と千里、ホットあんみつを食べながら。店内はとても空いている夕方。
十「で…」
紡紬「私から絹重を説得して話をつけてみた」
十「何だって?」
紡紬「渋々だけどokしてくれたよ。ただ別れた理由はまだ話せないって言ってた。時が来たら…だって」
十「どうして?」
十、食べる手を止めて紡紬をまじまじ。
紡紬「そりゃ私にだってわからないけどさ」
十「なんか…会うの怖いよ」
紡紬「何言ってるんだよ。あんたが会いたいって言ったから私も協力してんのに」
十「会いたくないとは言ってないよ…」
再び食べ始めながら
十「ツムや千里の協力にも感謝してる。でもなんだか、すごく嫌な予感しかしなくてさ」
千里「嫌な予感?」
十「うん…なんか」
口をもごもごさせるが言葉を飲む
十「いや、何でもない」
紡紬「何だよ!言いかけたんなら最後まで言えよ」
十「いや、ごめん。あまりに不謹慎すぎて言えない」
紡紬「不謹慎って…」
千里「何だよそれ!」
紡紬「それで会う場所なんだけど…」
十「うん…」
平成25年春。蓼科湖。辺り一面雪景色で人は一人もいない。湖は凍り、店も開いていない。
十「ここ…蓼科湖?こんなところで?」
紡紬「絹重がここがいいって言ってたに」
十「どうして…だってここ」
湖のほとりの方から絹重が歩いてくる。淑やかで奥ゆかしく、清楚な白いブラウスに紺色のつなぎのスカートを履いて微笑んでいる。とても真冬の姿とは思えないほどの軽装。
絹重「十さん!」
大きく手を振りながらかけてくる。
絹重「こうやって3人揃うのもはーるかね」
十「絹重さん!」
絹恵、十の目の前にやってくる。絹重、紡紬と千里を見る
絹重「あら、千里さんと紡紬姉様もいらしたのね」
紡紬「落ち込んでる十のために会わせたの。今の十には腹を割って話せる親しい男友達が必要なんじゃないかって思って」
絹重「なるほど」
十、絹重の両肩をつかんでまじまじと瞳を見つめる。絹重、表情一つ変えずに涼しい笑顔で十を見つめている。
十「でも何で急に別れようだなんて言ったの?僕なんか、君を傷つけるようなことした?僕の事怒ってる?」
絹重「そんな事はないわ」
十「だったらなんで?」
絹重「ごめんなさい…」
十「理由を言ってくれよ!納得できないよ!」
絹重、十の手を放して向きを変え、湖の遠くを見つめる。
十「本当は理由があるんだろ?悩みがあるんだろ?僕だって精いっぱい支えるし、君の話も聞く。君の力になるから…もう一度考え直してくれ!」
絹重「ありがとう。でも本当に何もないの」
十、絹重の目の前に回り込み、もう一度瞳をまじまじ見つめながら絹重の両手をとって叫ぶ。
十「いやある!君の目を見ればわかるよ!お願い、本当のことを言って!」
絹重、切なそうに微笑んで湖のほとりへ歩き出す。
絹重「電話でも言ったけど、あったしても時が来たら話すわ。今はまだ無理なの。何も言えない」
十「無理って何で!」
絹重、湖のすぐほとりで足を止めてしゃがみ込み、十の方を振り向いて微笑む。
絹重「あなたとはせめて、魂の結婚が出来ればと思ったけどそれも無理みたいだから」
十「何だよ、その魂の結婚って!?」
絹重、意味深に紡紬を見る。十、その視線を見逃さずにすかさず
十「ツムは何か知ってるの?」
紡紬も涼し気に遠くを見つめて笑う
紡紬「さぁね」
十「さぁねって…」
絹重「十さん…それ以上あなたが私にひつこくするんだったら」
スマホを見せる
絹重「これ、SNSにばらまくわよ」
十「え!?それって…どうして!?」
十が入浴中に通話をしたもの。千里、びっくりして十を見る
千里「十君…君、いつの間にかAVに目覚めたの!?」
十「これのどこがAV だよ!」
咳払い
十「ってか違うんだって!お風呂に入りながら絹重さんと通話してて、その時にたまたまテレビ電話に繋がっちゃったらしいの!」
絹重クスクス
絹重「いえ、初めからテレビ通話だったわ」
十、ショックを起こした顔
絹重「だから、十さんが入浴中にカレーライスを食べていたことも、それをお風呂の中にこぼしたこともみんな知ってる」
千里「うわぁお…」
千里、惨劇の映像を見る
千里「これはまさに嘔吐と下痢…」
十「じゃないってば!」
絹重、スマホを打って十の前で送信しようとする
十「う、うわぁぁ!それだけはやめて!お願いします!もう何も聞かないから!」
絹恵、淑やかに笑う。紡紬、呆れ顔で十を見る
十「ほらぁ…ツムにも千里にも見られたじゃんか」
絹重「つむだけじゃないに」
十「え?」
麻衣「実はあの時、近くにいた私の新しい恋人も一緒に見てたわ」
十、ショックを起こしてヒステリーの叫びをあげながら頭をかきむしる
十「んがぁーっ…」
千里、ポカーンと絹重と十を交互に見る
千里「え、絹ちゃんの彼氏って?十君じゃないの?」
十「君にも話した通り、絹重さんからは別れを申し立てられたの」
千里「どうして!?」
にやり
千里「ははー…分かった!ひょっとして十君、絹ちゃんを悲しませたりしたな?浮気したとかしたな?」
十「どうしてみんなそうやって僕をいじめるかなぁ」
一文字一文字を強く発音して強調する
十「だから僕は一切浮気はしておりません!」
千里、にやにやしたまま
千里「ふーん?」
十「なんだよ」
千里「いいえ、別に何も」
十「なんかむかつく」
しばらく後。十、カップジュースを飲んで一息つく
十「それにしたってさ、やっぱり他の男と一緒にいるって聞くと何だかお腹がむかむかするんだけど」
千里「十君もやきもち焼きだね」
十「千里、これがもしお前の事だとしても、同じことが言えるか?お前だってきっと同じ気持ちになると思うよ」
十、不貞腐れてやけのみ。絹重、笑った後に真剣な顔になり、やや切なそうに微笑んで十を見る。
絹重「十さん…」
十「何だよ、急に真剣になっちゃって」
絹重、千里と十をまじまじ
絹重「千里君、あなたも聞いておいた方がよさそうね」
千里「何?」
絹重「あなた達が私に会えるのも、私があなた達に会えるのも、これが最後かもしれないなって事」
十「え?はい!?」
千里「どうして?」
絹恵、十の方を見つめる
絹重「だから最後にあなた、あなたのピアノを聞きたいの。今日はそのお願いもしたかったから」
十「最後って…渾身の別れの様な言い方するなよ」
絹重、風に吹かれながらそよ風に溶けていくように微笑む。
絹重「私の最後の願い…聞いてくれますか?私へのレクイエムに…」
十「レクイエムって…君、意味分かって言ってんのかよ」
ー挿入歌ー
『私の最期の願い』
(絹重)
Ecco l’orrido campo ove s’accoppia
Al delitto la morte!
Ecco là le colonne
La pianta è là, verdeggia al piè.
S’inoltri.
Ah! mi si aggela il core!
Sino il rumor de’ passi miei, qui tutto
M’empie di raccapriccio e di terrore!
E se perir dovessi?
Perire! Ebben, quando la sorte mia,
Il mio dover tal è, s’adempia, e sia.
Ma dall’arido stelo divulsa
Come avrò di mia mano quell’erba,
E che dentro la mente convulsa
Quell’eterea sembianza morrà,
Che ti resta, perduto l’amor
Che ti resta, mio povero cor!
Oh! chi piange, qual forza m’arretra,
M’attraversa la squallida via?
Su, coraggio e tu fatti di pietra,
Non tradirmi, dal pianto ristà:
O finisci di battere e muor,
T’annienta, mio povero cor!
Mezzanotte! Ah! che veggio?
Una testa di sotterra si leva – e sospira!
Ha negli occhi il baleno dell’ira
E m’affissa e terribile sta!
Deh! mi reggi, m’aita, o Signor,
Miserere d’un povero cor!
ー終わりー
十、笑って湖のほとりのストリートピアノにスタンバイ
十「まぁいいよ、何弾く?」
絹重、少し考える
絹重「うーん…そうねぇ…」
十「何でもいいよ」
絹重「だったらあなたと私の思い出の歌を歌って欲しい。あの日鐘の下で歌った歌」
十「分かった」
十が弾こうとすると絹重が空を見上げて目を閉じる
絹重「平和な空ねぇ…」
両手を大きく広げてはばたく真似
絹重「こんな澄み渡った綺麗な空の下で、魂は自由になって大空と大地を駆け回る」
十、鍵盤から手を放してとんでもないいう顔で絹重を見る
十「おいおいおいおい、ちょっと怖いって!縁起でもないこと言うなよ」
千里、不貞腐れて地面をける
千里「結局…大人になってからも十君がいいとこどりかよ」
絹重「千里君も私と歌って」
千里「いいよ。僕に歌える歌ならね」
十、弾き語り。麻衣と千里と紡紬も歌い出す
ー挿入歌ー
『シング』
(十・絹重)
Sing, sing a song
Sing out loud
Sing out strong
Sing of good things not bad
Sing of happy not sad
Sing, sing a song
Make it simple to last
Your whole life long
Don't worry that it's not
Good enough for anyone
Else to hear
Just sing, sing a song
La, la, la, la, la...
Sing, sing a song
Let the world sing along
Sing of love there could be
Sing for you and for me
La, la, la, la, la...
Sing, sing a song
Make it simple to last
Your whole life long
Don't worry that it's not
Good enough for anyone
Else to hear
Just sing, sing a song
{Just sing, sing a song}
Just sing, sing a song
La, la, la, la, la…
ー終わりー
帰りのバスの中。昔ながらの古いバス、乗っているのは十と紡紬と千里のみ。乗ってからしばらくの間は3人とも無言。大分下まで下って十が口を開く。
十「ねぇ…」
窓の外を見たまま
十「絹恵さんが意味深すぎてなんか怖いんだけど」
紡紬「絹重が?なんか変だった?」
十、二人の方に向き直って目を見開いて大声を出す
十「思いっきり変じゃないか!だってまるで渾身の別れのような事言うしさ、幽霊とか冥途とか言うしさ、急に変な詩は朗読し始めるしさ、縁起悪いったらない
よ」
紡紬、何がおかしいのか分からないというような無表情の顔をして肩をすくめる
十「今日は折角絹重さんと会えたのに、後味悪すぎてしょうがない」
紡紬「そうかなぁ?私は別に普通だと思うに」
十「あれが!?」
紡紬「そ。だであんまり気にしなくてもいいさ」
十「そんなものなのかな」
紡紬「そんなものなの」
千里「確かに…絹ちゃんは一風変わったところがあるもんな」
一息つく
千里「そういえば十君、助手さんの仕事はどうするの?」
紡紬「そうそう、それそれ。私もちょうどそれ聞きたかったのよ」
十「ん?」
紡紬「もうすぐちょうど契約更新だろ?」
十「そうだね」
紡紬「どうするよ?」
十「契約更新はしないよ」
バッグから履歴書を取り出す
十「今度は正看護師としてあの病院の面接を受ける」
紡紬「あんたも準備がいい事。いいんじゃない、それがあんたの決めた事なら」
十「うん…」
紡紬「ん?」
十、ぼんわり
紡紬「どうした?」
十、我に返って首を振る
十「いや、何でもない」
十、スマホを取り出してカメラフォルダーを見る。旧病棟で撮った写真が何枚か収められている
十「…?」
南諏訪高原病院。旧隔離病棟。十、スマホを構えながら歩く。
十「今日が助手としての最後の出勤日だ。もしかしたら看護師の面接に受からないかもしれない。だからどうしても今日ここを確かめたい!」
十、旧病棟の木の廊下を歩き出す
十「相変わらず薄暗くて気持ち悪いなぁ」
階段に差し掛かる。階段を上って右に行くと旧産婦人科棟、右に行くと隔離病棟とある。
十「よし…行って見よう」
十、階段を上る。
旧病棟二階。十、産婦人科棟の方に歩き出す。旧ナースステーションがあり、 病室などの木の扉が立ち並ぶ。
十「凄い…ん?」
十、足を止めて一つのドアに耳を傾ける。205という部屋のドアは少し開いており、男女や子供の歌声とピアノの音が聞こえてくる。
十「誰か…いるの?」
十、軽くドアをノックする
十「失礼します…助手の掛川です」
楽しそうな歌声が続いたまま
十「ピアノだ…」
うっとりとワクワク、リズムを取り始める
十「そうなんだ…当時は産婦人科の病棟にはピアノが置かれていて、自由に弾けたのか。いいなぁ」
リズムに乗りながらピアノを弾く真似をしながら扉を開ける
十「楽しそうだな!入りますよ!」
十、中に入る。病室の中は真っ暗で誰もいない。木のベッドとベビーベッド、右のとっつけにはブルクハルト製の大理石のアップライトピアノが置かれている。十、入ってきょろきょろ。
十「あれ…誰もいない。僕の空耳?夢?」
ピアノに近づく
十「スゲー…ブルクハルト古都だ!こんな高級ピアノが置いてあるのかよ」
十、ピアノの椅子に腰かける
十「ちょっとくらいなら…いいよね」
弾き出す
ー挿入曲ー
『夕べに/シューマン』
十の後ろに小河原勉(29)が微笑んで立つ。ベッドには優しく微笑んで曲に合わせて体をゆすり、新生児をあやす小河原カヨ(25)とその側には14歳と15歳の二人の少年が立って、リズムに合わせて揺れている。ピアノの壁に、ちら
りと微笑む勉の姿が映る。丁度曲が終わり、十はびくりとして後ろを振り向く。
十「え!?」
ー終わりー
十「今誰か…いた?」
十、元来た廊下を早足で歩いて、階段を降りながら首をかしげて小児産婦人科病棟に戻ってゆく。
十「僕の気のせい?」
一回立ち止まって再び歩き出す
十「いや…絶対に誰かいるもん」
小児産婦人科病棟。十、いつもどうりに仕事をこなしている。
舞子「あーあ…でも寂しい。今日で十君、やめちゃうんだ」
琴子「噂ではやめるっていうより、助手の仕事をやめて改めて正看護師として面接受けるって聞いたけど」
小麦「え、そうなの!?じゃあ十君は今度看護師としてここで働くかもしれないって事なんだ!」
十、産婦人科の病棟の方に食事の配膳をしている
輝「十君も随分と要領が良くなったわね」
紡紬「動きも素早くなったし…ありゃ、看護師としてでも十分やっていけるんじゃないの?」
十、205の病室に入る。若い20代半ばの婦人と生まれたばかりの赤ちゃんがいる。小河原カヨ(25)、微笑む
十「失礼します。お食事をお持ち致しました」
カヨ「ありがとう、いつも悪いわね」
十「わぁ、かわいいお子さんですね。お誕生おめでとうございます」
カヨ「ありがとう、祝っていうのよ。小河原祝」
十「祝君か…」
十、新生児の頭をなでる。新生児、十の指をつかむ
十「うわぁ…かわいい」
十、頭を下げて病室を出る。出てすぐの廊下に紡紬が不思議そうな顔で立っている。十、病室のドアを閉める
紡紬「あれ…ここって、誰かいたっけ?」
十「いるよ、いるから持って行ったんじゃないか」
紡紬「誰?」
十、本日のカルテを見ながら
十「小河原カヨさんっていう若い女性で、出産をされたばかりの…あれ?」
カルテに名前がない。205は空室になっている
十「書かれてないじゃないか!忘れられてる」
紡紬「忘れられてるってか…第一本当にいたの?」
十「How rude!」
紡紬「ご飯は?」
十「だからあるから持って行ったんだって!メニューだってちゃんと覚えてるよ!」
指折り数えだす
十「エビフライだろ?シーザーサラダだろ?わかめと油揚げのお味噌汁だろ?それに…スキムミルクにごはん」
うっとり
十「おいしそうだったなぁ…僕がお腹空いてきちゃうよ」
紡紬、胡散臭そうに十を見つつ205号室をノックして部屋に入る。
紡紬「外来事務でーす。入りますよ」
病室には誰もいない。紡紬、病室内をきょろきょろ。きれいに環境整備された清潔な部屋で人の気配はないし、食事も置かれていない
紡紬「誰もいないじゃん」
十「はぁ!?」
十、急いで部屋に入る
十「あれ…何で!?」
紡紬、胡散臭そうな目で十を見る
十「本当にいたんだもん!」
紡紬に顔を近づける
十「だって君だって近くにいたんだから見てたはずだろ!僕がお膳を持って入っていく姿」
紡紬「あぁ、見たよ。だもんで変だと思ったの」
十、いじいじと興奮して地団太を踏む
十「さっきまで本当にいたのに…祝君の頭だって僕、撫でたのに」
紡紬「祝君?」
十「うん、そこにいた方は小河原カヨさんって言うんだ。そして生まれた子供は小河原祝君」
紡紬「あんたさぁ…」
ちょっと引き気味
紡紬「いよいよ疲れが爆発して、幻や幻覚でも見えだしてるんじゃないの?それ…かなりヤバいよ」
十、更にいじいじして顔が真っ赤になって喧嘩腰
十「だからそんなんじゃないんだったら!どうして信じてくれないんだよ!」
クソっと言わんばかりに腕を振る
十「もういいよ!気分が害したから僕、もう先にお昼食べてくる!」
スタッフルーム。十、一人で黙々とお弁当を食べている。
数週間後。同病院の人事課。十、面接を受けている。外には桜が咲いている5月。
十、各棟の看護婦長と看護婦長、人事採用担当の元で、緊張気味に面接を受けている。
同病院。9月中途入社式。十、ナース服姿で目を輝かせて廊下を歩く
十М「うわぁ…」
ルンルンと辺りを見回して行き会うスタッフに元気よく挨拶をしながら歩く。同病院・4階病棟ナースステーション。25歳の十、わくわくと目を輝かせて出勤してくる。
十「あぁ!やっとこの病院に就職が決まってよかった!」
ふっと笑う
十「4階病棟の泌尿器科外来担当か。まぁいいか…」
ロッカーに荷物を入れてペットボトルのお茶を飲みながら
十「本当は小児科外来がよかったな」
十、仕事に入る。
十「おはようございます」
4階病棟ナースステーション。十、堂々と入る
十「おはようございます!今日からよろしくお願いしま…って、あれ?」
田苗・タミ恵・丸山「十!?」
十「みんな!」
丸山・田苗・タミ恵「十!」
梅乃「十君、改めてよろしくね」
十「はい!」
2階小児産婦人科病棟。多くの医療従事者が行き来している。子供や新生児の泣き声が聞こえる。
十「今日も赤ちゃんが生まれたんだ…」
微笑みながら歩く
205号室。十、ドアの開いた病室に入る。環境整備され、窓が開いた部屋には風がさわやかに吹き込んでいる。もちろん人が入っている気配はない
十「やっぱり僕の幻か夢…だったのかな」
十、寂しそうに部屋を出ようとする
十「僕、疲れてたんだ」
出入り口に赤ちゃんを抱いたカヨが微笑んで立っている
十「あ!」
カヨ「こんにちは」
十「カヨさん!」
カヨ「あれからあなたの事見ないからやめられちゃったのかしらって心配してたのよ」
十「良かった!でも…」
カヨ「あっち…」
別の部屋を指さす
カヨ「移ったのよ」
十「そうだったんだ」
十も安心したように微笑む。カヨ、十の名札をのぞき込む
カヨ「掛川十君…」
十「はい」
名札を見せながら
十「申し遅れました。改めまして僕は看護師の掛川十です。カヨさん、また今年からもよろしくお願いしますね」
カヨ「えぇ」
十「カヨさんは…いつまでこちらに?」
カヨ「さぁ…いつかしら」
遠く窓の外を見つめる
カヨ「まだ分からないわ」
カヨ、着いてきてと十に手招き
カヨ「私の部屋に夫も息子たちも来ているの。紹介するから来て下さる?」
十「えぇ、是非!」
十とカヨ、病室を出て廊下を歩いていく。
7号室。4人部屋の3番ベッド。カヨ、しまったカーテンの中に十を案内する。
カヨ「ここよ、入って」
部屋の中に勉と勲と傑がいる。勲はベビーベッドに眠る祝をあやし、傑はベッドに座ってテレビで古いアメリカドラマを見ている。勉は三人と話をして笑いながら、介護用デスクの上で茶こしを使って緑のお茶を入れている。ad
カヨ「あなた」
勉「あぁ、カヨお帰り」
十を見る
勉「そちらの男性は?」
十、勉を見て微笑んで頭を下げて自己紹介をし、名刺を渡す。
勉「看護師の掛川十さんか。妻をありがとう」
十と握手をする
勉「初めまして、僕はカヨの夫の小河原勉です。よろしくお願いしますね」
十「勉さん、こちらこそ宜しくお願いします」
カヨ「何だか私達、仲良くなれそう」
三人、笑いながら談笑。勉、十を招いて、十を近くのソファーに座らせて十にもお茶を入れて菓子と共に振舞う。子供たちもすぐに十に懐く。
蓼科湖・森の中のテラス。絹重、小口昭美(29)と共にお茶を飲んでいる。観光シーズンにも差し掛かっており、観光客でにぎわっている。
絹重「長閑でいいお天気ね」
昭美「そうだな…」
絹重「まさかここで、あなたのようなお方と出会えるだなんて思わなかったわ」
昭美「僕もだよ」
二人、ワインの入ったグラスを小さく打ち付ける
絹重「チューッス!」
昭美「チューッス!」
二人、恥じらい気味に笑ってドリンクを飲む
絹重「あなたといると、全てが忘れられる気がするわ。辛い記憶…切なく悲しい記憶」
昭美「僕もだ…」
揺れるグラスの中のワインを見つめながら
昭美「君は本当に…僕が愛したトミによく似てる」
絹重「トミさんっていうのね…あなたがお心奉げたお方は」
昭美「あぁ…」
絹重「あなただって、私が愛した十さんによく似ていらっしゃる」
昭美「十君って言うのか…君の心を奪ったやつの名は」
絹恵、淑やかに笑う
絹重「そんないい方はよして」
菊重、辺りを見渡す。観光客の中にはひときわ浮いた存在の人間がいる
絹重「私…あんな方々の様にはなりたくないわ」
それは悪霊たち。生きてる人間の写真に写り込んだり、憑依したり、体に張り付いたりしている
絹重「時がたってもこの世に残り続ければ、いつかは私もあの方々の様な悪霊になってしまうのかしら」
昭美、菊重の肩を抱く
昭美「君の様に心がきれいで奥ゆかしい淑やかな女性なら、あんな風になるなんてことはないよ。君は本当に美しい」
昭美、絹重に口づけ。絹重、真っ赤な顔をして驚いている
昭美「絹重」
絹重から顔を放して真剣に絹重を見る
昭美「しかし僕らも気をつけて生きねばならない。生きている人を怖がらせたり脅かさないようにひっそりと生きる必要があるんだ。見える人には見えるから」
絹重「えぇ…」
昭美、絹重の両手をとって熱く絹重見つめて再び絹重に口づけをしてテーブル越しに抱き締める。絹重、真っ赤になってされるままにされているが、昭美から離れる
絹重「昭美さん」
立ち上がって目をそらす
絹重「いえ、いくら私達が幽霊だからってそれはいけないわ」
昭美「どうして」
絹重「だって私は…」
切なく悲しそうに
絹重「あの人の事が忘れられないの…まだ十さんの事を愛しているのよ」
昭美「あの人って…掛川十君?」
絹重、そっと頷きながら昭美の方に向き直る
絹重「昭美さんだって、本当はそうなのでしょ。似ている私じゃなくて、今でもまだ植松トミさんの事を愛していらっしゃる。だからそれを私でごまかそうとしていらっしゃる」
絹重、思い立って決心したように
絹重「そうよ!まだ望みはあるわ!きっと何か方法があるはずよ」
昭美「何の?」
絹重「勿論、私達が十さんやトミさんに再会をする方法よ!だから一緒に考えましょ」
岩の上に腰を下ろす
絹重「私達はそのうち消えてなくなってしまうのか、それとも永遠にこの地に残されるのか、それは分からない。だからこそ、今こうやってこの地にいられる間にやりたい事をやっておかなくちゃって思うの」
風を見つめながら
絹重「私達が例え永久にここへ残されたとしても、十さんはいつしかこの世から年を取っていなくなってしまう日が来る…だからその前に。私も十さんも、あなたもトミさんも後悔しない様に」
昭美の手を取る
絹重「だから一緒にその方法を考えましょう!」
絹重、キラキラきらめいた瞳と笑顔で微笑んで昭美を見つめる。昭美も彼女の笑顔にふっと微笑んで頷く。
富士見駅前・リリャースパスティーリャ亭。十と紡紬と千里、スペイン料理を食べながら酒を飲んでいる。
紡紬「あんた入社式終わったんだね」
十「うん…まあね」
千里「十君、本当におめでとう。やっと十君がずっと夢見てた看護師になれるんだよね」
十「うん…」
十、俯いて涙を隠すように下を向く。体と声は震えている。
紡紬「十?」
十の顔を覗き込む
紡紬「どうしたの?もしかして泣いてる?」
十、慌てて涙を拭って顔をあげて笑う。十の目は泣きはらし、声は涙声。
十「いや、大丈夫だよ。僕は泣いてない」
紡紬、笑って十の背中を叩く
紡紬「ったくあんたも泣き虫だね」
十「だから泣いてないってば!」
十、お酒を一気に飲んでフーっと長い溜息をつく。
十「いよいよ僕も本当の看護師になれるんだなって、嬉しくなっちゃっただけ」
紡紬「そうか…」
十、涙笑いをして二人を見つめ、深く頭を下げる。
十「ありがとう、本当にありがとう。みんなツムや千里やみんなのお陰だよ!」
千里も十の肩を抱いて笑いながら
千里「そんな事ないよ!十君が頑張ってきたからに決まってるじゃん!頑張る十君がいたからみんな、十君の事を応援して助けたいって思ったんだもん!みんなの心を動かしたのだって十君じゃん!」
紡紬「そうだよ、何言ってんだよ!私達は何もしてないじゃん!」
十、笑いながら泣き出す。千里と紡紬も笑って十の肩を抱いて慰める
紡紬「ほらほら、もう泣くな!今日は祝いだ、飲もうぜ!」
千里「今日は僕らのおごりだからさ。十君もいっぱい食べよう」
十「うん…ありがとう」
南諏訪高原病院・小児産婦人科病棟。207号室。カヨ、赤ちゃんをあやしながら子守唄を歌っている。勉がピアノ伴奏をする。
ー挿入歌ー
『かやのき山』
(カヨ)
かやの木山のかやのみは
いつかこぼれて拾われて
やまがのおばさは囲炉裏端
そだたき しばたき 明かり付け
かやのみ かやのみ それ爆ぜた
今夜も雨だろう もう寝ようよ
お猿が鳴くだで はよお寝よ
ー終わりー
カヨ「ねぇ勉さん…」
勉「ん?」
カヨ「この間会った掛川さんっていう男性の看護師さん、覚えていらっしゃる?」
勉「うん、覚えてるよ」
カヨ「彼…眼鏡をおかけになると瀬戸内修さんにそっくりだと思わない?」
勉、ピアノの椅子から立ち上がってカヨの側に来る
勉「え、サムに?」
カヨ「えぇ。確か修さんには4人のお子さんがいらっしゃいましょ?」
勉「うん…」
カヨ「もしかしてだけど彼、修さんのお孫さんではないかしら?なんて思ったの
よ」
勉「十君が?サムの…」
眼を大きく見開いて驚く
勉「孫!?」
目を真ん丸くパチパチ瞬きばかりをする
勉「オー…ベイビー」
カヨ、笑う
カヨ「私がただそんな風に感じただけよ」
十、医療カートを押して入って来る
十「失礼します。看護師の掛川です」
勉「噂をすればだね」
カヨ「えぇ」
夫婦、微笑んで頭を下げる。中学生の二人の息子もニコニコ。
カヨ「十君、いらっしゃい。この子たちも十君の事が大好きなの。だから十君の事をずっと待っていたのよ」
十「ありがとうございます」
悪戯っぽく照れて
十「本当は僕、泌尿器科外来なんですけど…こっそり黙ってきちゃいました。今昼休憩中だもんで」
長男と次男、笑って腕を出す。
十「ん?」
勲「僕でよければ付き合うよ」
傑「注射の練習、してよ」
十、笑う
十「ありがとう。でも流石に君たちの腕を実験で傷つける事は出来ないよ」
カヨの腕の中で新生児も笑っている。5人、昼休み中ずっと談笑をしている。勉、またお茶を入れ始めて笑いながら十に振舞う。
2階病棟廊下。十が頭を下げて病室を出る。入れ違いに入ろうとする植松トミ(25)とすれ違う
トミ「あらら?見ない看護師さんね。新人さん?」
十、立ち止まって深く挨拶
十「はい。初めまして。中途入社で泌尿器科外来と4階病棟でお世話になっております、看護師の掛川十です。よろしくお願いします」
トミ「私は、この産婦人科で看護婦をしている植松トミです。よろしくね、十君」
十「はい!それでは、失礼します!」
十、腕時計を見ながら慌ててかけてゆく。トミ、色っぽいまなざしで十を見つめて投げキッス。
トミ「まぁ…いい男」
トミ、病室に入る。病室内では勉とカヨが口づけをしている。トミ、入り口付近に立ち止まったまま口をあんぐり開けて二人を見つめている。
トミ「オー…ベイビー」
二人、慌てて離れて真っ赤になって目をそらす。トミ、二人を冷やかすようにじわじわとニヤニヤしながら夫婦に近寄る。夫婦、気まずそうに顔をそらし、互いの側を離れる。
同・4階病棟ナースステーション。十、飛び込んでくるin
十「ギリギリセーフ!」
十ペットボトルの紅茶を飲んで、フーっと長い溜息をつく。
十「何とか間に合った」
タミ恵、十の近くに来て仁王立ち
タミ恵「何がギリギリセーフじゃ!このバカ野郎!」
十「た…タミ恵!?」
タミ恵「もうとっくに時間すぎてるっつーの!」
タミ恵、時計を指さす。時間は30秒遅れている
タミ恵「30秒ロス」
十にこぶしを振り上げる
十「ちょ…待て待て待て待て!」
十、逃げ腰
タミ恵「かーけーかーわーじゅーうー…てめぇ…」
十「うわっ…ヤバ!」
十、走って逃げ出す。タミ恵も追いかけて、廊下で十を捕まえる。そこに丁度カヨと勉が十の様子を見に上がって来る。十以外の誰にも家族の姿は見えない。
タミ恵「てめぇ掛川十!業務が終わったら覚えてやがれ!絶対に許さねぇ!」
十、タミ恵に首もとを掴まれて吊るされたまま
十「な…なんだよ、僕何もしてないじゃんか」
タミ恵「あんた…打つよ!蹴ったくるよ!」
タミ恵、十をさらに高く持ち上げる。十、苦しさと恥ずかしさにもがいているがタミ恵の力が強く、なかなか下に降りる事が出来ず空中でじたばたしているだけ。
十「うわぁ、苦しい!苦しいって!」
タミ恵「チっ…」
十を思いっきり床に叩き落す。十、強くしりもちをついてそのまま床に伸びてしまう。タミ恵、手を払って仕事に戻ってゆく。小河原夫妻、呆然として立ち尽くす
勉「最近の女…怖っ」
カヨ「私達の時代ではとても考えられないわね」
二人笑うが、ふと我に返って十を助け起こしに行く。
落合小学校。3年生のクラスで千里が担任をしている。瀬戸内修(29)、千里の授業を教室の片隅で懐かしそうに見つめながら微笑んでメモを取っている。
千里「という事で、三角形の面積を求めるには?みんな、どうするんだっけ?」
児童たち、元気よくはいはいと手を挙げる。千里、微笑みながら一人一人を当て
ていく。強い冬の風が入って来る
千里「うわぁ…壁に穴が開いちゃった」
隙間風が強い
千里「ちょっとみんな自習してて。僕、壁のつぎはぎするね」
千里、道具を準備して壁のつぎはぎをし出す。修、それを見てて動き出し、手伝い出す
修「先生、僕も手伝いますよ」
千里、身震い
千里「ん?」
きょろきょろ
千里「なんかいま聞こえたような…」
壁を見る。左側の壁のつぎはぎが終わってる
千里「あれ?なんかつぎはぎがされてるような気がするんだけど…気のせい?」
修を見る。修は千里以外の児童の目には見えていない。
千里「あぁ!」
修の方を見る
千里(小声で)「瀬戸内先生だ!」
修、小粋に微笑んで、千里に授業を続けてくださいと合図をする。
修「僕が後はここ、すべてやっちゃいますので」
修、鼻歌でミツバチの歌を歌いながら作業を続ける。千里、修の方を見てにっこり微笑む。
千里「じゃああとはお願いしますね先生、ありがとうございます」
修「いえいえ!」
修、小粋に踊りながら隙間張りを続ける
修「やっぱりじっとしてるより、動いてる方が僕の性に合ってますからね」
千里、修を見ながらも授業を続ける。児童のうち数名は、不思議そうに作業
をする修の姿をとらえて見つめている。
南諏訪高原病院・旧隔離病棟。二階バルコニーで網倉ツタキ(25)が立って一人で風に吹かれている。澄みきった青空が広がって、周りには樫の木と白樺の木がそびえている。下にはリンドウの花が揺れている。
ツタキ「あの日も確かこんな澄みきった空だった…」
地面を見下ろす
ツタキ「昔と変わらないんだわ…この白樺の木、リンドウの花、樫の木」
ツタキ、部屋に戻って廊下を通り、階段を降りて一回廊下に行く。木の扉の病室
がいくつか並んでいる。
ツタキ「あの日と変わらない病室…この廊下…建物…」
一つの病室に入る。
ツタキ「ここね…」
古い六角時計がかけられ、木のベッドに木の床、古い木の机といすが2つずつ置かれてる
ツタキ「この部屋もあの日のままだわ。つい昨日の事みたい…」
ベッド周りのカーテンを開けて中に入る。
ツタキ「かつて、このベッドに私の母様と、勉さんのお母様が入っていらしたのよ。そして相向かいのベッドには須山さん…」
悲しそうに笑う
ツタキ「退院することもなく、みんな亡くなってしまったんだっけ」
ベッドに座って開いた窓を見つめる。強い風が入って来る。ツタキ、しばらくボンワリと遠くを見つめている。
ツタキ「この風も、思い出も何もかも変わらずそのままなのに…変わってしまったのは私達だけ。あの空襲がなければ私達、一体あの後どうなっていたのかしらね。今頃は白髪のおばあさんとしてまだこの地で修さんと共に暮らしていたかしら」
ククっと笑って部屋を出る
ツタキ「今となってはもう…想像すらつかないわ。私の時は止まったまま…もう永遠に動かないんだもの」
部屋のドア、風によって閉まる。
ツタキ、廊下を歩きながら美しい声で歌を歌う。
ー挿入歌ー
『舟歌』
命短し恋せよ乙女
黒髪の色 あせぬまに
赤き唇 消えぬ間に
今日は再び こぬものを
ー終わりー
ツタキ、だんだん去っていき、廊下に差し込む夕日と共に消えてゆく
ーED credit and songー
『スイートアップル』
ーENDー
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