月のない夜、命は仄青く光る

日諸 畔(ひもろ ほとり)

文字の大きさ
15 / 51
第2章 記憶と相棒

第14話 後顧

しおりを挟む
 小型ながらも、荒魂は荒魂だ。その膂力は常人を遥かに超えていた。徐々に由美の足先が地面から離れる。

「あ、あああああ」

 頭皮だけで全体重を支える痛みは筆舌に尽くしがたいものだった。思考が霞み、意味のない叫び声のみが口から吐き出される。脚と腕を暴れさせるも、荒魂の腕は微動だにしない。身体を揺らした分、痛みが増すだけだった。
 ぎょろりと突き出た双眸は由美を見つめたままだ。通常の荒魂であれば、既に存在を喰われている。空中での奇襲、そして髪を掴むという人間のような行為、違和感は募るばかりだった。
 
『矢辻、奴の腕を斬れ!』

 哉太の意思を受け、必死に集中し小刀を造りだした。思考が痛みに持っていかれる。この状況ではこれが精一杯だった。

「あ! あっ!」

 荒魂の腕を斬りつけるが、長さが足りず切断することはできない。何度試したところで、傷を付けては塞がるの繰り返しだった。雲を切るような手ごたえに、由美の焦りは募る。

「だめ……斬れない!」
『刀を伸ばせ!』
「で、できない!」

 今は何らかの理由で由美を弄んでいる。ただし、荒魂には変わりない。いつか飽きれば、空いた左拳で頭を潰されるだろう。そして、父や母、妹のように喰われるのだ。
 自分のいた痕跡はなくなり、誰からも顧みられることは無くなってしまう。結衣、優子、組織の皆、紗奈子の顔が順に頭に浮かんでは消えていった。
 
「嫌、嫌だ……」

 自分の存在が消える。これまでの戦いの中、自分に関する恐怖は感じたことがなかった。これからもそのつもりだった。しかし今、恐怖に喘いでいる。
 死に対して達観した気になっているだけだった。直接的な痛みを受けてしまえば、簡単に覆ってしまう。そんな自らを嘲笑った。

『矢辻、髪を斬れ!』
「髪?」

 哉太の指示は、由美にとって想定外だった。髪を切るなどという発想は、そもそも出るはずのないものだ。だからこそ、すぐには反応できなかった。

「で、でも……」
『考えてる暇はない! 早くしろ!』

 増すばかりの痛みに、なにも考えられなくなる。頭に浮かぶのは、もう会えない初恋の相手だった。
 由美が優子に引き取られた時には、彼は後衛として代人を務めていた。賢く、優しく、強い大人に見えた。心を閉ざしていた由美の拠り所になるのは充分であった。

久兄ひさにい……」
『久兄?』
 
 組織の中でも殆どの者は久隆のことを詳しく覚えていない。せいぜいが、先代の後衛は力の使い過ぎで消えたという程度だ。由美の記憶に残っていることは、かなりの異例であった。
 彼が褒めてくれた髪は、残された最後の形あるものだった。それを切ってしまえば、自分も周りの皆と同じく忘れてしまうかもしれない。少なくとも今の由美は、死への恐怖と絆を失う恐怖を同列に比較することができなかった。

 葛藤に葛藤を重ねる由美に満足したのか、荒魂が左の拳を握った。間もなくそれが自分を貫くだろうと、おぼろげに理解できていた。
 
『矢辻どうした? 早く!』
「切れない……」
『なんでだよ!』

 由美の意識の中に、哉太の意識が更に深く入って来る。恐らく、戸惑っている理由を探すためだ。過ぎた痛みが痺れに変わってきた頃だった。思考のまとまらない由美は、それに抗うことができない。
 前回の戦いの時に自分もしたことだ。多少状況は違うが、相手を救おうとする行為に違いはない。

「助けて……」

 それは、誰に向けて何の意図で放ったのかわからない。命を救ってほしいのか、過去の想いを救ってほしいのか。それとも、その両方なのか。

『ああ、任せろ』

 きっと、色々なものを見られてしまっているだろう。家族を失った絶望も、学校での孤立も、少女だった自分のささやかな気持ちも。

『矢辻、俺に委ねてくれ』

 力強い言葉が由美の頭に響く。呼応するようにして、右腕が自らの意思を無視して動き出した。その手には、先ほど造りだした青白く輝く短刀が握られたままだ。
 どうやら、哉太の《伝》によって動かされているようだ。なぜそんなことができるのか、由美には理解ができない。ただの事実として、焦点の定まらない瞳が自分の腕を見つめている。
 
『覗き見てごめん。でも、俺を救った責任は取ってもらうよ』
「責任?」
『死なれちゃ、困るってことだよ』

 哉太の意思を受けた由美の右手が、長い黒髪を切り落とした。
 
 つま先が地面に付いた時、荒魂の拳は眼前へと迫っていた。

「ふぅっ!」

 痛みから解放された思考は、自らの状況よりも目先にある危険に反応した。研ぎ澄まされた感覚は、新たに武器を造りだしている余裕はないと直感的に判断する。
 由美は《動》の力を集中させ、頭上にあった腕を素早く顔の前へと戻した。縦に突き出した小刀が、小型荒魂の腕を一直線に斬り裂く。

「だあぁ!」

 叫びながら全力で前蹴りを繰り出す。鳩尾のあたりに由美の足がめり込み、後方へと吹き飛んだ。大きさに比例し、通常の荒魂よりも軽い感覚だ。由美は自分が涙を流していることに気が付いた。
 絶叫したまま倒れこんだ荒魂へと馬乗りになり、その胸へ小刀を突き刺す。三度目に突き立てた際、核を破壊する感触があった。
 霧散する荒魂を見下ろした後、由美は空を見上げた。後頭部がいつもより軽い。そこでようやく、過去を繋ぎ止めていた絆を失ったことを認識した。

『矢辻……』

 この夜は以降、荒魂が出現することはなかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

宍戸亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

最初から最強ぼっちの俺は英雄になります

総長ヒューガ
ファンタジー
いつも通りに一人ぼっちでゲームをしていた、そして疲れて寝ていたら、人々の驚きの声が聞こえた、目を開けてみるとそこにはゲームの世界だった、これから待ち受ける敵にも勝たないといけない、予想外の敵にも勝たないといけないぼっちはゲーム内の英雄になれるのか!

おばちゃんダイバーは浅い層で頑張ります

きむらきむこ
ファンタジー
ダンジョンができて十年。年金の足しにダンジョンに通ってます。田中優子61歳

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

異世界帰りの少年は現実世界で冒険者になる

家高菜
ファンタジー
ある日突然、異世界に勇者として召喚された平凡な中学生の小鳥遊優人。 召喚者は優人を含めた5人の勇者に魔王討伐を依頼してきて、優人たちは魔王討伐を引き受ける。 多くの人々の助けを借り4年の月日を経て魔王討伐を成し遂げた優人たちは、なんとか元の世界に帰還を果たした。 しかし優人が帰還した世界には元々は無かったはずのダンジョンと、ダンジョンを探索するのを生業とする冒険者という職業が存在していた。 何故かダンジョンを探索する冒険者を育成する『冒険者育成学園』に入学することになった優人は、新たな仲間と共に冒険に身を投じるのであった。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

処理中です...