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兄の心 (アスカ視点)
しおりを挟む俺には、7歳年下の弟がいる。
弟と言っても、血は繋がっていない。ヒナタの母がずっと好きだった男の息子が俺で、何の気まぐれなのか父親が死んだ後、行くところのない俺を引き取ってくれた。
ヒナタは、とても可愛い子供だった。素直でいつもニコニコ笑っていた。
それは、親を失って二人で野宿する生活になっても変わらなかった。
文句一つ言わず、必死に物乞いをして、やさぐれていた俺に食べ物と温もりを運んできた。
俺より小さい子供が、俺の為に必死になって、頑張っている姿をみて…俺はなぜだかイライラした。
金持ち相手に歌ったり、泣いたり…情けない。
そんなことするくらいなら、他のストリートチルドレンのように窃盗や、悪い大人の小間使いの方が良い。
俺は、ヒナタを遠ざけようとした。冷たくあしらって、暴言も吐いた。
「お前みたいなヤツと一緒に居たくない…もう着いてくるな」
そんな事言いながら、俺はねぐらを変えなかった。
本当に離れたいならば、ヒナタが探せないような所に行けば良いのに…。
あっちに行けと、遠ざけながら…側に居続けた。
そしてある日、ヒナタが倒れた。
11歳にしては、小柄で細いヒナタ。
俺のような無骨な手で触れると壊れてしまう気がして怖かった。
今、俺は、ヒナタの死を目の前にして思い知った。
俺は今まで、ヒナタの気持ちに胡座をかいていた。温かく心地良いヒナタとの生活を享受しているだけで、俺はヒナタの為に何もしていなかった。
稼いだ金で、幾ばくかの食料を与えていたが…まだ幼く弱いヒナタには不十分だった。
もっと、気にかけていれば…。
「くそぉ!!許さない…勝手に居なくなるなんて…許さない…」
倒れたヒナタを置いて家を出た。
医者の所へ行ったか、門前払いをされ、途方に暮れた。
ストリート上がりの貧乏人なんて、どの医者も相手にしない。
俺たちのような奴らは、病気になるか、争いで怪我をして野垂れ死にするのがオチだ。
強く、ずる賢く無いと生き残ることは出来ない。
本来、ヒナタのような綺麗で脆弱な子供は……金持ちの変態に飼われ、贅沢に暮らし……いずれは捨てられる。そしてまた此処で男妾や、強い男の子愛人になるのだ。
しかし、ヒナタは、物乞いで大人に見染められ一緒においでと言われても頑なに首を振った。「兄さんと一緒に居たいから」と。
「くそ……ふざけるな……ヒナタ…今更……居なくなるのか!」
自分の無力さに苛立ちながら、当てもなく歩き、ヒナタが美味しいと言った果物を買った。
こんなモノでは、良くならないと分かっていた。
案の定、ヒナタは日に日に弱っていった。
「死ぬな…ヒナタ…頼む…死ぬな…」
どんな事でもする。
ヒナタを失わずにすむなら。
クソみたない俺の人生を、明るく照らしてくれていたヒナタ。
ヒナタの顔は、笑顔しか思い出せない。
まだ幼く劣悪な環境で育っているのに、すれる事もなく、穏やかで優しい。どこか浮世離れしている所があり、物語で知る天使とはヒナタみたいなんじゃないかと……柄にも無いことを考えた。
「逃がすな!必ず殺れ!」
裏路地に座り込んでいると、周囲が騒がしくなった。
ここでは日常茶飯事の抗争だろう。
黒服の男達に追われている中年の男が、こちらに向かって走ってくる。
もしも…コイツを捕まえたら、金になるだろうか…。
「……」
中年の男は、拳銃を持っていた。
この界隈で出回っている安物よりも、もっと質が良い。
組織にちゃんと所属している人間だ。おそらく防弾チョッキも着用している。
後ろから追いかける奴らの発砲が、周囲の壁を削る。
下手くそだな。いくら走りながらでも、もうちょとマシに撃てないのかよ…。
「どけ!!」
進行方向に立ちふさがる俺に、男が拳銃を構えた。
恐怖は無い。
銃口が定まっていない。
「っな!!」
俺は、素早く相手の懐に潜り込み、男の腕を掴むと、そのまま撃った。
「ぐああああ!!」
自分の手で、自らの足を撃ち抜く事になった男は、その場に崩れ落ちた。
肉体労働の現場で、酷い怪我をする奴らを散々見てきた。彼らも医者にかかる事など出来ず、共に働く人間が経験だけで、治療をした。俺は人間の体に興味があり、積極的にソイツらに関わった。
助けたいなんて、これっぽっちも思っていなかった。
ただ…どうなると、人は機能停止するのか、試したかった。
中年の男の、足の付け根を撃った。
怪我をすると血が止まらない場所を。
そして、相手が落とした拳銃を手にして、頭を撃ち抜いた。
「……」
追ってきた男たちが、無言でこちらを見ている。
あんなに煩かった空間が、静寂に包まれた。
「……殺ったぞ……金を払えよ」
俺は金が欲しい。
医者が振り向くくらいの金が。
「……」
「ははは!お前、面白いな」
呆然とする男たちの後ろから、明らかに格の違う男が現れた。
「……」
それが、闇社会との出会いになった。
奴らから金を貰い、ぐったりと意識の無いヒナタを抱いて病院へと走った。
肉付きの悪い、いつも冷たいヒナタの体が燃えるように熱くて、心配で堪らなかった。
「ヒナタ……もう少しだ……もう大丈夫だぞ」
医者が診てくれたとしても治るとは限らないが、俺は自分に言い聞かせるようにヒナタに声をかけた。
「すぐに良くなる…治ったら、部屋を借りて暮らそう……もっと良い暮らしをさせてやる……もっと大事にする……だから死ぬなよ!」
酷い肺炎と、栄養失調、そして元々心臓が弱いらしく…ヒナタの回復には時間が掛かった。
意識もなかなか戻らなかったある日、病室に行くと、無理して立ち上がったヒナタが、自分を置いて俺に逃げろと言い出した。
俺を心配して、危ないことをするなと…。
俺は、表現出来ない感情がこみ上げて来た。
熱くて苦しい。でも、泣きたいくらいの愛おしさだ。
今すぐ、ヒナタをこの腕に抱きしめて、自分の中に仕舞いこみたい。
そうしたら、離れないし、誰にも……神にも奪われない。
ヒナタと1つの個体になりたい。
そう強く思った。
それからの暮らしは、とても穏やかだった。
暗殺者の仕事は、俺に向いていた。
いかに完璧に相手の息の根を止めるか……虫になり狩りでもしている感覚だった。
弱肉強食のスラムで生きてきたので、罪悪感も何もない。
ヒナタが居ればそれで良い。
本当は、もっと良い暮らしも出来る。
しかし、あんなに美しく儚いヒナタを、欲深い人間共に晒す訳にはいかない。
スラムに咲いた一輪の花。
透き通るような白い肌と、華奢な体、卵形の小さな顔。赤子のように潤んで輝く瞳。髪と同じく色素の薄い睫毛がパチパチ動く様子は蝶の羽ばたきのようだ。
まるで童話の王子様か、宗教画の天使のようだ。
だから…穢れた、おかしい奴らほど、ヒナタのように透明で清らかな者に惹かれるのだ。
「ヒナタ…外に行くときは、もっと顔を隠せ……小汚い格好で行け……誰にでもヘラヘラ笑うな……」
「うん、アスカ兄さん。わかってるよ。綺麗な服着るとスリに遭いやすいし、頭悪そうに笑って舐められないようにするよ」
「……お前は何も分かってない……もう外に出るな…」
俺は、ヒナタを外に行かせたく無いが、医者が言うには、外に出て多少運動しないと良くないらしい。
だから、仕方なくスラムでも比較的治安の良い地区の市場で菓子売りなんて許している。
しかし…それも、ヒナタにとっては過酷な労働だったようだ。
ある日家に帰ると、ヒナタが血を吐いていた。
ヒナタの細い顎から滴る血に…心臓が凍った。仕事で何人殺し、血みどろになろうと何も感じ無いのだが…駄目だ。
ヒナタだけは駄目だ。
ヒナタが痛みに震え涙する。
あぁ…くそっ!!
こんな華奢なヒナタがこんなに苦しんだら…壊れてしまう。
どうしたらいい…どうしたら。
死に怯え、涙するヒナタを抱きしめると、ヒナタは安心したのか俺を見て微笑んだ。
俺に抱きしめられる事が、好きだと言った。
胸が張り裂けそうだとは、こういう気持ちなのか。
愛している。
俺はヒナタを愛している。
「……もっと仕事をよこせ」
死ぬほど稼いで、ヒナタにもっと良い治療をうけさせ、最高の環境で生活させたい。
俺は、マフィアのボスから依頼された、金になる仕事を片っ端から引き受けた。
「ヒナタ…毎日、コレを飲め」
今有る金を積んで、医者から買った粉薬をヒナタに差し出した。
小首をかしげたヒナタが、恐る恐るソレを受け取る。
「アスカ兄さん、これは何ですか?」
「お前の症状に効く薬だ」
茶色の粉は、見るからに不味そうだ。
困った。もしも飲みたくないと言われたらどうすればいい…。
「僕の症状?」
「…この間の…血の…」
「あっ…粘膜に……もう大丈夫なのに…」
「いいから飲め。必ずだ…」
「うん、ありがとう」
良かった。ヒナタが素直な良い子で。
これで少し安心した。
ヒナタの症状が落ち着いている間に、なんとかしなければ。
待っていてくれ、ヒナタ。
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