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腕にかかる手錠
しおりを挟む「松山弟、海棠夕太郎とは、どんな人物なんだ?」
「え? ど、どんなって」
桜川さんの唐突な質問に、飛び上がった。
「弱者に暴力を振る男だろう。絶対に許さない。しかも追い詰められた理斗を誑し込む男だ。殺した方が良い」
兄が怖い顔で振り返った。
「ちがう、ちがうよ! だから、これは僕が勝手に暴れて怪我しただけで、夕太郎に手を上げられた事なんてないよ。夕太郎は、ちょっといい加減な所があるけど、誰にでも好かれるようなタイプで」
頭を仰け反らせた兄さんは、ホラーのような緩慢な動きで前に向き直り、ブツブツと文句を言いだした。
「まぁ、友人の入院費用を工面するような、情に厚い男、ということは知っているが」
「……」
多分、そのお金の事で、紳一のお父さんと争ったんだよね。夕太郎から話を聞いたときは、そんなものかなと思ったけど……ちょっと引っかかる。夕太郎は紳一の為に払ったお金を、本当に回収したかったのかな?
「俺は、星野剛みたいなクズが殺されて、犯人を捜査するような事件が、一番やる気が出ない」
「ちょ……に、兄さん」
「本音を口にするな」
「この事件で、星野剛の人物像がブレブレで、納得がいかない」
「西島警視が言ってただろう、人間は改心するんだ。ごく希にな」
車が段々と駐車場に近づいて来た。二人は会話が盛り上がって、僕への注意が薄れている。
「環境や情勢で転落していくヤツもいるが、星野剛みたいなタイプは、違う。本質から問題がある」
兄が、運転席の桜川警部補に顔を向けた。車は、一時停止線を前にして、殆ど速度が出ていない。
今だ!
僕は、左手でドアを開けた。
「理斗!」
道路の脇の砂利道を走り、緩やかな傾斜になっている森林を目がけて走った。釣られている右手が邪魔だし痛い。でも、懸命に走った。
「理斗、止まれ! お前に、これ以上怪我させたくないっ」
「っ!」
兄の声が直ぐ後ろから聞こえた。
「理斗!」
僕を追い越した兄さんが、僕の前に立ちはだかった。僕は、足を止めて、数歩後ろに後退した。
「よし、確保」
いつの間にか、やって来ていた桜川警部補が、僕の左手を取った。そして、目の前で手錠が取り出された。
「え?」
「おい……桜川警部補……まさか、ソレを理斗に使うつもりじゃ無いよな?」
「松山弟は、すぐに失踪する。これで安心だろう?」
「あっ」
僕の左手と、桜川警部補の右手が手錠で繋がった。
「松山、停車した車を駐車場に。弟の反応を見る限り、海棠夕太郎は星野剛の殺害に関与してる。弟、俺を連れていけ。お前の兄貴だと、海棠夕太郎が射殺されるぞ。この国の能力者への優遇は目に余る。能力を持つ警察官に脅威があったと言えばそれで済んでしまう。被疑者死亡でこの事件はお終いだ」
「そんなわけ」
無いよね? と兄さんを見たら、兄さんは不満そうな顔で、僕らから目を逸らしていた。
「俺も行きますよ。海棠夕太郎がいたら、二人が危ない」
両手を広げ、そうでしょ? と兄が大袈裟なジェスチャーを披露した。まさか、兄さんが本当にそんな事を考えていた訳じゃ無いよね? 兄さんは昔から、品行方正で正義の人だったし。
僕は、二人の顔を交互に見た。
「殺す気なら、もう殺されているって分かってて言うな。行くぞ、松山弟」
桜川警部補が繋がれた手錠を翳した。
「は……はい」
兄の方から大きなため息が聞こえてきた。
「桜川警部補。善良な青少年を危険な目に遭わせないで下さいよ」
「……ああ、犯人を隠匿し、警官の車から逃亡した、随分とやんちゃな市民の心配は不要だ」
二人が至近距離で乾いた笑いを交わしあい、僕はいたたまれなさに胃が痛くなった。ひたすら、蚊の鳴くような小声で、ごめんなさい、と唱えた。
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