12 / 45
進め、メイドのみやげ号
しおりを挟む翌日、僕らはメイドのみやげのポロシャツを着て、黒いズボンを履き、僕は白いキャップを被った。「よし、いくぞぉ」とビーサンを履こうとする夕太郎を止めて、スニーカーを履かせた。ビーサンの介護職員はいないでしょ。
「せっちゃーん、迎えに来たよ」
夕太郎が一○二号室のドアを叩くと、間もなく高齢女性が部屋から出てきた。昨日は気がつかなかったけれど、表札には小さく達筆で山下節子と書かれている。節子さんは、背は低く一五○センチそこそこで、痩せ型、髪は薄く真っ白で、後ろで一つに結ばれている。あずきバー色のモザイク柄の七分袖とくすんだグレーのズボン、大きなマジックテープの靴を履いている。表情は険しく、少し怖くて腰が引ける。
「今日は、何をさせる気よ」
怒った口調で節子さんが聞いた。
「この可愛い理斗くんの自分探しの旅です」
夕太郎が僕を紹介する様に掌を向けると、ギロっと節子さんの視線が僕に向けられた。老いてもなお鋭い眼光が僕を圧倒する。思わず夕太郎の後ろに隠れたくなる。
「なんでアタシが、そんな事に付き合うのよ」
「旅は道連れ世は情けでしょ? このまえ早朝四時にたたき起こされたけど、文句一つ言わずに、せっちゃんちのお便所のつまりを、スポスポって直してあげたでしょ」
「……だまらっしゃい」
「さぁ、行こう。顔の良い男の子二人とデートだと思って、思う存分楽しんで」
節子の手を握った夕太郎が、彼女の顔を覗き込んで微笑んだ。節子さんは、ブツブツ文句を言いながらも、素直に歩き出した。ほんと、夕太郎って、誰にでもゼロ距離っていうか、懐に勝手に入り込むの上手いっていうか。とにかく凄い。僕は二人の後ろを感心しながら付いて行った。
僕と兄は、東京都心から少し西に行った地域に住んでいた。夕太郎のアパートほどは年期は入っていないが、少し古い。でも、ずっと共同生活をしてきた僕にとっては、満足な暮らしだった。三人が乗る介護タクシーが住んでいた地域に入ると、胸がドキドキと騒がしくなった。
そんなに大きくは変わってないけど、所どころ見たこと無いお店があったり、古いお家が無くなってたり……自分の感覚だと一週間くらいなのに、本当に十年経ってるって実感する。アパートに着いたら警察官が待ち構えていたりして。
ソワソワとキャップを被り直していると、運転席の後ろの一席に座った節子さんが「ちょっと、坊や」と声を掛けてきた。
「はい!」
「そんなに、おどおどしてたら目立ってしょうがないわよ」
節子は、姿勢正しく座り、まっすぐ前を見て視線だけを、助手席の僕に向けた。
「す、すいません。僕いつも、大事な時に失敗するタイプで……」
これまでの人生、失敗したらダメだと思うほど、失敗してきた。学校のリレーではバトンを落とし、発表の場では、頭が真っ白になった。
「面白そうね。絶対に失敗しなさいよ」
節子さんは、意地悪そうにニヤリと笑った。
「えっ……でも、そしたら二人に迷惑が」
僕は、自分が掴まれば二人も罪を問われるのではないかと心配していた。
「私とアンタ達は他人。脅されて付き合ってるだけ」
「そう、ですね。確かに」
「はーい! 俺は理斗の愛人だから、愛のためには何でもするって言うよ。同じ刑務所が良いね」
何度も手を上げる夕太郎に、ため息が出た。どこまで本気で言っている発言なんだろうか。
「馬鹿言ってないで、前見て運転しな」
「はーい」
介護タクシー、メイドのみやげは、住んでいたアパートの前に停車した。住宅街には、他の介護サービスの車も多く走っているので、不審な目を向ける者は居なかった。運転席から降りた夕太郎が、助手席の方へ回り、スライドドアを開いた。僕も車から降りて、夕太郎の後ろに立った。
「おばあちゃん、本当に此処であってる?」
夕太郎が一歩車内に踏み込んで片手を節子さんの前に差し出した。節子さんは、夕太郎の手を押しのけるように車から降りて、腰に手を当ててさすった。
「間違えるわけ無いでしょ!」
「このアパートの一階?」
「五月蠅いわね、着いて来なくて良いわよ」
節子の腰辺りに手を差し出している夕太郎が、困った顔で僕を見た。二人の演技はとても自然で自分だけが浮いていないか心配になる。
「一応ね、一応、おばあちゃんのお孫さんにご挨拶して帰らせてね、心配だからさ」
「勝手にしなさい」
怒ったように、一人で歩き出す節子さんを、僕と夕太郎が心配そうに後を追う。僕の部屋は、アパートの一○三号室だ。節子さんが次第にニコニコ顔をして、そちらへ向かった。兄の灯馬が出てきた時の為に、僕は二人から離れた手前で止まり、顔を背けた。
節子さんの指が、インターフォンを鳴らすと、聞き慣れた音が響いた。
「ひろし、ひろし。おばあちゃんが来たよ」
節子さんの言葉が終わったと同時に、玄関のドアがゆっくり開いた。
「っ!」
僕は息を呑んで、ギュッと目をつぶり、帽子を深く被った。
「どちらさまですか?」
ロングの黒髪を掻き上げて、中から女性がでてきた。三十代くらいだろうか。スポーツメーカーのTシャツに短パンを履いて、ノーメイクだが小綺麗でキリッとした美人だ。兄さんじゃ無かった。もう引っ越してしまったのだろうか。
「ひろしは?」
「部屋をお間違えでは?」
女性は、サンダルを履き、一歩前に進んだ。
「あの、すいません」
夕太郎が、節子の横に立って眉をハの字にして微笑んだ。
「こちらのおばあちゃんが、道に座り込んでて、通りかかったのでお声かけしたら、孫のお家に行くんだって言って……」
女性が夕太郎のポロシャツの、介護サービスの名前を見て「あぁ…」と納得したような声を出した。
「ここよ、ひろしは此処に住んでるのよ」
節子さんは、左右に首を動かして、部屋の中を覗き込もうとした。
「あの、此処は十年以上前から、ずっと同じ人が借りてますけど、ひろしさんではありませんよ」
女性は、胸の前に手を開いて、困ったように話した。
「……ひろし、じゃなかったかしら……たかし? りょうま? その人お名前は?」
「灯馬さんです」
女性の口から兄さんの名前が出て、僕は息を呑んだ。兄さんは、まだ此処に住んでいるけれど、僕とではなく女性と暮らしているのか。
「お母さん、どうしたの?」
部屋の奥から、子供の声がした。女性は「良いの、宿題やってて」と中に向かって声を掛けた。僕は、目の前が真っ白になりそうだった。
「おかしいわねぇ」
節子さんは、顎に手を当てて首を傾げた。
「おばあちゃん、ちょっと交番で、お巡りさんに調べて貰おうよ。ほら、一緒に行こう」
夕太郎が節子さんの腰に手を添えて、体の向きを変えさせた。そして、出てきた女性に、苦笑しながらぺこりとお辞儀をし、小さな声で「お騒がせして、すみませんでした」と背を向けると、女性も頭を下げて「いいえ、ご苦労様です」とドアを静かに閉めた。
「おばあちゃん、足下気をつけてね。もう一回車乗っていこうね」
「ひろしは、どこに行ったのかしらね」
二人の演技が続く中、僕はその場に呆然と立ち尽くした。夕太郎が心配そうに僕を見た。
「田中くーん、ごめん、先に行ってエンジン掛けておいて」
「……は、はい!」
夕太郎に声を掛けられて、気を取り直し、僕は、飛び上がって走り出した。その後、三人でアパートに戻り、節子さんと別れ、僕は這々の体で部屋に帰り付いた。
10
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺(紗子)
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
グンナイベイビー
壺の蓋政五郎
BL
高校生の丸山良太と飯山愛子は学校は違うが幼い頃から空手道場で稽古をしていた。二人は性の対象が普通ではないことに気が付いていた。良太は男を、愛子は女を求めている。ある日道場で二人は重なった。身体が入れ替われば欲を果たせると。名曲グンナイベイビーにのせてハチャメチャな人間関係で送るちょっとエッチなコメディです。
可愛い男の子が実はタチだった件について。
桜子あんこ
BL
イケメンで女にモテる男、裕也(ゆうや)と可愛くて男にモテる、凛(りん)が付き合い始め、裕也は自分が抱く側かと思っていた。
可愛いS攻め×快楽に弱い男前受け
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
僕の兄は◯◯です。
山猫
BL
容姿端麗、才色兼備で周囲に愛される兄と、両親に出来損ない扱いされ、疫病除けだと存在を消された弟。
兄の監視役兼影のお守りとして両親に無理やり決定づけられた有名男子校でも、異性同性関係なく堕としていく兄を遠目から見守って(鼻ほじりながら)いた弟に、急な転機が。
「僕の弟を知らないか?」
「はい?」
これは王道BL街道を爆走中の兄を躱しつつ、時には巻き込まれ、時にはシリアス(?)になる弟の観察ストーリーである。
文章力ゼロの思いつきで更新しまくっているので、誤字脱字多し。広い心で閲覧推奨。
ちゃんとした小説を望まれる方は辞めた方が良いかも。
ちょっとした笑い、息抜きにBLを好む方向けです!
ーーーーーーーー✂︎
この作品は以前、エブリスタで連載していたものです。エブリスタの投稿システムに慣れることが出来ず、此方に移行しました。
今後、こちらで更新再開致しますのでエブリスタで見たことあるよ!って方は、今後ともよろしくお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる