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ヒモ男、海棠夕太郎
しおりを挟む僕らを乗せた軽トラックは、山道を下り始めた。車の時計を見ると、時刻は、八時三十分を回った所だった。対向車は一台も上ってこない。
蛙や夜行性の動物の鳴き声が聞こえる中、車内はラジオが流れていた。ニュース番組は、能力者が起こした詐欺事件について報道していた。
『相手の思考を読むことが出来る、リーディング能力を隠し、機関に登録をしていなかった、野上容疑者は、高齢の女性をターゲットに、自宅を訪れ現金をだまし取った疑いがもたれています。被害総額は合計四千万円にのぼり、能力者捜査機関は余罪についても調べています』
ニュースが終わり、違う番組が始まると、青年はラジオを止めた。
「ねぇ、何か思い出した?」
突然声を掛けられ、僕の体は目に見えてビクッと震えた。キョロキョロと視線を彷徨わせてから、恐る恐る運転席の方を向いた。
「思い出せません。今日は、アルバイトをして、誰か大事な人に会って……気がついたら、あの状態で」
「君、男の子だけど可愛いし、あのオッサンに襲われたとか?」
「まさか」
今まで、確かに顔を褒められることは何度もあったが、生い立ちのこともあり恋愛関係を求められたことはなかった。なので、男に襲われるなど、別の世界の話だ。
「じゅあ、もしかして、あれじゃね? あのオッサン実は能力者で、君は都合の悪い所を見ちゃって記憶を消されたとか?」
「そんな能力あるんですか?」
この世には、人と違う能力を持つ者が存在するのは勿論知っている。能力者と呼ばれる彼らの発生率は十万人に一人と言われている。能力者は、政府の機関に登録が義務づけられており、能力の個人的利用は法律で禁止されている。しかし能力者の殆どが、少し物を動かす事ができる、表情に出ていなくても相手の気分が理解できる、程度の能力で、日常で大きな問題は起きないというのが僕ら一般人の認識だ。また能力者が強い力を使うと、力を感知できる能力を持つ者によって、探し出され、捜査機関に逮捕されるとドラマや映画の知識で知っている。
「知らないけど、まぁ、そんな凄い能力持ってたら、あんな金に困ってそうな感じじゃないよなぁ」
青年が笑いながら、シフトレバーの前の収納スペースにある、ミルク味の飴の袋に手を突っ込んだ。
「あれ? もう無いのかよ。コンビニ寄って良い?」
彼は、飴の袋に手を入れたまま持ち上げて、手袋のようにして手を振った。
「へ?」
この人は何を言っているのだろうか。僕は驚いて目を見開いた。先ほどから感じていたけれど、余りにも普通すぎないかな。殺人事件に遭遇して、犯人らしき僕を車に乗せ、コンビニに寄る? 僕には青年の思考回路が理解できなかった。
「あっ」
「何? どうした?」
「いいえ、何でもありません」
もしかして、コンビニに着いたら店内で通報されて、警察が駆けつけてくるのかな。気づかないフリをして首を降った。
「あー、そうだ。俺、名乗ってなかった」
青年は、飴の袋を運転席の後ろの狭いスペースに投げ捨てて、つなぎのポケットを漁り、運転免許証を僕に差し出した。免許証には、ピッチリと七三分けにして瓶底の眼鏡をかけ睨み付けるような目をした男の写真が印刷されていた。
「海棠夕太郎、さん」
「そう、夕太郎って呼んで良いよ」
僕の手から免許証が取り上げられた。
「君の、名前は?」
「松山、理斗です」
「りと君ね。名前もキュート系じゃん」
「は、はぁ。そうでしょうか」
野性味があり背も高い、格好いい男に言われると馬鹿にされている気がして、僕は少しふてくされた。僕らがそんな会話を交わしているうちに、車は山道から平坦な道に移った。周囲は田んぼや、ポツポツと孤立するように立っている大型の工場、送電線が見受けられた。軽トラックは、チラホラと大型のトラックとすれ違い、広い駐車場があるコンビニに到着した。
店舗から少し離れた場所に車を停めた夕太郎が、シートベルトを外した。
「ちょっと待っててね」
そう言うと、此方を振り返る事も無く店舗へと歩いて行った。
「……」
なんだか、凄く緊張して疲れ、深いため息が出た。夕太郎の姿を探したけれど、車内からは、店内の様子は殆ど見ることが出来なかった。五分経っても夕太郎は戻ってこない。
「やっぱり、警察に?」
通報されたのだろうか。どうしよう。一緒に居た誰かの安否が気になる。それに、僕が逮捕されたら、兄に迷惑がかかる。せめて何があったのか思い出すまでは捕まりたくない。不安と緊張で高鳴る鼓動と、ソワソワする体を持て余しながら、外の様子を窺った。
この車から飛び出して……それからどうしよう。僕が頭の中で逃走のシミュレーションをしていると、駐車場に一台のパトカーが現れた。
「っ!」
僕は、息を止めて、隠れるように体を前に倒した。どうしよう! どうやって逃げたら良い⁉ パトカーが停車した方向からドアが開く音がした。男性同士の話し声が聞こえる。
足音が、こっちに近づいてくる!
あぁ……嫌だ。怖い! 来ないで。
ドンドン
助手席の窓ガラスが、荒々しくノックされた。心臓が飛び出そうだ。僕は、恐怖で体を伏せたまま耳を塞いだ。
「鍵を開けろ」
「っ!」
終わった……何もかも、お終いだ。兄さんに迷惑を掛けるのだけは嫌だったのに。探さないといけない誰かは、どうなるの? 僕は。震える手を動かして、ロックを解除すると、乱暴にドアが開いた。
「はい」
「……」
開かれたドアから現れたのは、夕太郎だった。足下にコンビニで買ったと思われる袋が置かれ、バンッとドアが閉められた。
ヘラヘラ笑いながら、運転席に乗り込んだ夕太郎が
「びっくりした? 警察かと思った? 俺もビビったわぁ、超タイムリーじゃね?」
と、笑いながら車を発進させた。頭を起こし周囲を見ると、止まったパトカーから降りた警察官二人は、後ろのタイヤを見ながら何やら話をしている。
僕を逮捕しに来たんじゃなかった。
どっと疲れを感じて、僕はシートに沈み込んだ。
「び、びっくりした」
顔を運転席に向けて、僕は夕太郎を恨みがましく見つめた。
「ごめん、ごめん。ほら、これでほっぺ冷やせば?」
夕太郎の長い腕が伸びて、買い物袋を拾い上げ、僕の太股の上に置くと、中から携帯食のゼリーを取り出した。ひんやりしたソレが、僕の右の頬に当てられた。
「つめたい」
でも、気持ち良い。
「その頬殴られたでしょ? 冷やしておいたほうが良いよ。明日、きっと腫れてる」
持って、と言われ、頬に当てられたゼリーを自分で押さえた。
「そういえば、何となく……痛い」
目の前に倒れていた遺体が衝撃的すぎて、意識が回っていなかった。ズキズキするし、口の中が少し血の味がする。
「あれじゃない? 理斗が殺したなら、きっと正当防衛ってやつじゃん?」
「そう、かな?」
「だって、理斗。虫も殺さなそうな顔してるよ。悪い事なんてしません! 周囲に愛されながら一生懸命生きてますって感じ。今まで選んだこと無いタイプ」
「……それってどういう」
「あっ、俺って十六で家出してから、男女を問わず、人に寄生して生きてるんだけど、今、丁度お世話になってたキャバ嬢に捨てられちゃってさぁ。次の人探してたんだ」
夕太郎は、綺麗な顔に満面の笑みを浮かべて僕を見つめた。
「俺って、整った顔面と、恵まれた体、人懐っこい性格じゃん? それを生かして、今までプロの恋人っていうの? ヒモっていった方が分かる? とにかく、博愛主義で女も男も抱けるし、色んな人を愛して生きて来たって感じ」
「プロの恋人……ヒモ……女も男も」
情報量が多すぎて、言葉が脳を滑って飛び出していく。
「大丈夫。俺、大事な人には暴力振るわないし、贅沢しないから。理斗でも養えるよ。今までさ、キャバ嬢とか、カミングアウトできないエリートサラリーマンとかお金持ってそうな人が多かったけどさ、あの人達さぁ、突然冷静になったりして、捨てられちゃうんだよね。理斗は俺の事捨てないでしょ? ほら、俺達もう共犯者だしさ」
運転をしていた夕太郎が、僕を振り向き、片側の口角だけを上げて微笑んだ。先ほどまでのヘラヘラとした表情と違い、闇を感じさせるような笑顔だった。
そっか、そうなんだ。僕は、少しほっとした。何を考えているのか分からない夕太郎に、ハッキリとした目的があったからだ。乾いた笑いが漏れた。
「仲良く、楽しく過ごそうね」
僕は何も答えられず、曖昧に微笑んだ。
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