神様のひとさじ

いんげん

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森の中

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「なぁ、俺……トイレに行く」
 バンビが声を上げ、皆が足を止めた。

「よし、じゃあ俺と土竜が待ってるぞ。ヘビたちは先に進んでくれ」

 フクロウは、怪我した腰を庇うように歩き出した土竜を、少し休ませようと提案した。
 アダムの言う通りならば、あと少しで目的地に着くはずだ。土竜も頷いて、木の根に腰を下ろした。

「分かった」
 ヘビたちが歩き出し、姿が見えなくなると、バンビが荷物を下ろして、茂みに向かった。

「お、置いて行くなよ!」
「大丈夫、大丈夫。そうだ、聞こえるように歌ってようか?」
「いらねぇよ!」
 フクロウは、走り去るバンビの背中を、微笑ましく眺めた。


「なぁ、土竜。この後、どんな悪い事を考えてるんだ?」
「何の話だ?」
「俺は、お前が大人しく外で暮らし始めるとも、砂掛けられたまま、コロニーの奴らを放っておくとも思えないんだなぁ」
 フクロウは、コロニーを牛耳っていた時の土竜を覚えている。彼は、とても楽しそうに住人を支配していた。

「考えすぎだ。俺も歳をとった。自然に囲まれ、自由に暮らしたいだけだ」
 土竜は、相変わらず静かに語り、口元だけで笑った。

「あ、そう」
「楽しそうだな」
「そんなことないさ、考えなきゃならないこと一杯だし、人手も少なくなるし、困ったよぉ」
 大袈裟に肩をすくめるフクロウを、土竜が探るように見ている。

「そうは、見えないが」
「大変だよ。まぁ……でも、楽しみもある。これから攻めてくる敵陣営に、どう対応して戦っていくか、戦闘か政治か? ワクワクする」
「お前が、此方に寝返って、俺と、外も中も支配する、そういう道はどうだ?」
「お断りだな。ヘビは敵に回したくないし、アダムは信用出来ないから関わりたくない」

「それは――」
 会話の間に、小さな叫び声が聞こえた。

 二人は、バンビの向かった方へと走り出した。


「バンビ! 大丈夫か?」
 バンビは、直ぐに見つかった。彼は、驚いた様子で立ち尽くしていたので、二人は彼の視線の先に目を向けた。

「……蛍」
 土竜が、呟くと――女が振り返った。

 女、バンビの母親が、彼らに向き合った。

「母さん!」
「おっ、おい!」
 バンビが駆け出した。死んだはずの母親に向かって腕を広げ、ついには、抱きついた。

 幻覚や、幽霊ではない。

「生きていたのか……」
 土竜も、彼女へと向かって歩きだした。

「母さん、生きてたの? どうして帰ってこなかったの? 迷子だったの?」
 バンビは、母親の胸から顔をあげて、矢継ぎ早に尋ねた。

「……」
 しかし、彼女は何も答えず、困ったようにバンビを見下ろしている。

「よく似ている別人じゃないのか? だって、獣に首を噛みつかれたと聞いてるぞ」
 フクロウが、彼女の首元を指さした。
 牧歌的なワンピースにエプロン姿の彼女は、首元が晒されているが、傷一つ無い。

「母さんだよ! 間違いないよ! ね、覚えてないの? 俺だよ、バンビだよ」

 ねぇ、母さん。とびきり優しく語りかけたバンビは、母の手を取った。
 彼女の手は、酷く荒れていて――傷口から、藁が飛び出していた。

「か……母さん? どうしたの……手に、いっぱい棘が刺さって……ねぇ、フクロウ! 診てあげてよ!」
 彼女の手が、フクロウに向けられ、目にしたフクロウは、眉を顰め、腰の銃にそっと手を添えた。

「離れなさいよ!」
 突然、響いたキボコの声に、バンビの母は、手を引き抜いて一歩下がった。

「やめろ、キボコ」
 銃を構えたキボコが、彼らの方へ足を進めた。

「心配して戻ってみれば、なんでアンタが……死んだはずだろ」
 
 キボコは、銃を下ろさない。数年ぶりに見た、憎い女だ。
 唯一、自分の地位を脅かしていた、可哀想な女。
 世界の不幸を背負ったかのような、幸の薄い顔をして、誰にでも従順に優しく接する彼女は、男達に絶大な人気だった。
 もちろん、土竜にも。

 しかし、彼女が選んだ男は、優しいだけの男で、彼はあっさり病で死んだ。

 それからも、土竜の視線は、隣に居るキボコではなく、彼女に向けられていた。
 やっと、邪魔者が消えたと思ったのに。

「やめてよ!」
 バンビが、母を庇い、目の前で腕を広げた。こんな状況であっても、彼女は心ここにあらず、動揺を見せない。

「ひとまず、落ち着け」
 土竜が、キボコに手を伸ばした。しかし、キボコは、その手を避けて、体の位置をずらし発砲した。森の中に、銃声が響き渡った。

「母さん!」
 すぐに振り返ったバンビは、言葉を失った。
 彼女の母は、右腕を撃たれ、風穴が空いていた。切り開かれた藁人形のように。血は流れていない。

「ひいいい!」
 撃ったキボコが、恐怖で尻餅をついた。

「か、母さん……」
 彼女は、痛がる様子もなく、撃たれた箇所に手をやり、穴が開いた部分を元に戻すように、抓み解している。そして、治った腕を上げて、指を鳴らした。
 すると、うなり声を上げて、茂みを掻き分け、獣が四頭現れた。

「う、うわああああ」
「バンビ!」

 叫び駆け出したバンビの声を号令に、現れた獣が走り出した。
 フクロウは、銃を取り出し、走りながら、バンビを追う獣を撃った。

「行くぞ」
 土竜がキボコを助け起こし、銃を取り上げ、向かって来た獣を撃った。

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