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小説世界に転生

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「……なんで!!作者さん!なんで…こんな酷いことを…」

俺は、読んでいた小説を抱きしめて、ベッドの上で足を動かしてジタバタと暴れた。
足の下では、もちもちのイルカのぬいぐるみが潰されている。

読んでいた小説は、格好いい挿絵に目を惹かれて買った、いわゆるボーイズラブというジャンルの本だ。

今までボーイズラブ小説を読んだことが無かった為に、登場人物が男同士で惹かれ始めた辺りから、あれ?なんだか様子がおかしいぞと思ったけれど、ストーリーが面白くて読むことを止められず、男同士の夜の部分をナナメ読みをして、4巻まで読破した。

「……人類が滅亡しかけているゾンビ世界で、男同士で恋愛要素が多発するのは…別に良い。そういうジャンルだし……でも、いくら何でも……脇役への扱いが酷すぎる!」

俺が一番引っかかったのは、脇役グループの扱いだ。

主人公に密かに恋し、出会ってから必死に彼を守ってきた脇役コンビ二人のうち一人は2巻であえなく死亡、そして……何の前振りも無く、フラグ一つ無く…お気に入りのキャラのジフまで、4巻で突然殺されたのだ。

しかし、ゾンビ世界だったら、それがリアリティなのかも知れない。

でも……これは、物語だろう!

普通さぁ…フラグとして主人公への愛の告白を予告するような行動をとったり、未来について、しんみり語り出したりするでしょ!

どうして、なんで、急に殺したの!?

ジフは、ゾンビ化した仲間から主人公を守って死んだ。そんな彼に感情移入してしまい、俺は涙まで浮かべ、テッシュを引き抜いて拭っている。

「…確かにジフは、当て馬としても2番手…人気キャラでは無かった…でも……それにしても酷い……主人公ってば…ジフが死んでも大して嘆いてないし……許せない!」

小説内で主人公に文句をつけまくるジフは、読者に人気がでなかった。

容姿も王道な格好良さでは無い。シャープな輪郭な小顔で、睨んでいるような切れ長の目、常に眉間に皺がよっていて表情は厳しく、治安が悪い顔をしている。

耳より少し下まで伸びた黒髪を無造作にハーフアップしている。前髪は作っておらず、ときより乱れて顔にかかる髪が凄いセクシーだ。
3巻の戦闘シーンの挿絵は一部の腐女子に大人気だった。覗いた感想サイトで数少ないジフのファン達が盛り上がっていた。

ジフは、力が全ての世界で、戦闘能力が随一のキャラだ。
背も高く、肩幅も広い。無駄の無い鍛えられた体で、動体視力とスピードがズバ抜けており、銃の扱いもナイフの扱いも天才だ。

小説には詳細な年齢は出てこないが、30代であることが伺えた。
強面で人を近づけないオーラがあるけれど、懐に入った仲間には意外と気さくな一面もあり、仲間思いで憎めない男なんだ。ただ、好きな子に素直になれず、余計な事を言ってしまう。

「…たぶん……全然自分の気持ちを素直に口にしないで皮肉ばっかり言うから、主人公に気持ちが伝わらなかったんだよ…」

ジフは、作中で主人公に熱い視線を送っていたし、ブーブー文句言いながらも、戦闘中は常に主人公を気にしてアシストしていたのに『意外と良い人』で終わってしまった。

その要因の一つは、主人公が男にモテモテだった事もある。ジフの守るだけアプローチでは埋没してしまっていたのだ。

「主人公、どうしてジフの気持ちに気がつかないの?ジフは最高の男だよ!! 黙っていれば、格好いいし渋い! ただ……笑うとき、左口元の古傷のせいで口角上がりづらいから……皮肉っぽい笑顔になるんだよ!」

小説のメインヒーローは顔が良い。金髪碧眼の美形。
造形が完璧な西洋系の美形だ。大きな会社が大金使って作ったフルCGっぽい完璧さだった。

俺としては…鼻につくタイプだったが、女性受けは最高だった。

でも俺は、やっぱりジフ推しなんだよ。愛すべきキャラだから幸せになってほしいんだよ。

「……でも…何より謎なのが……主人公の蒼陽(そうひ)だよ……男にモテモテ」

なんで…そんなにモテるの?いわゆるハーレム状態。確かに格好いいけどさ。

主人公の蒼陽は、身長187cmの完成された美しい男で、挿絵を見ると足の長さがえげつないし、昔、恋した友人が自分を庇って行方不明という悲しい過去を持ち、恋愛に消極的になっているという設定だ。

小説の感想サイトを読んだ情報によると、主人公は所謂スパダリという種類で普段なら攻め要員らしいが、そこがこの作品の魅力で、攻め×攻めというジャンルらしい。

それ故にか、主人公の戦闘能力は非常に高い。ゾンビも危険な野生動物もカッコよく倒す。

そして意外と花が好きで、好きだった友人が死んだ日の事を思い出しては、花を眺めながら夜な夜な酒を飲む。

周りの男は、そんな主人公の影のある部分を色気に感じて惚れていた。

普通の世界ならさぞ女子にモテたであろうキャラだけど、小説はBLゾンビ世界、女性は都合良くウィルスで絶滅したから、世界の人類は滅亡が決まっている。

「それにしても、みんな主人公に惚れすぎだよね……まぁ、超絶格好いいし、主人公だからの一言だけど」

もう少しライバルが少なければ、お気に入りキャラのジフも主人公と結ばれたかもしれないのに。

「……ジフ死んで、これ後何冊続くの?…もう離脱したい…でも、まだ大好きな脇役グループの豹兒(ひょうじ)生きているし、ジフが回想でも出てくるなら……うぅぅ…やっぱり買う!!」

枕元のスマホを拾い上げて、アメゾネのページを開いた。五巻を購入しようとして衝撃を受けた。
配達予定日2日後。

「待てない!待てないよぉ」

俺は購入ボタンを押さず、リュックを背負い、駅前の大型書店へと向かった。

幸いな事に、ゾンビBL『屍街世界』の小説は、俺がラノベと間違えるくらい表紙がBLっぽく無い。

だから男子の俺がレジで購入するのに抵抗がない。だから一巻を買ってしまったわけだし。

俺は夕食時の夜の街を早足で歩いた。
配信で買えば良いのだけれど、惚れた小説は紙でも買いたい。並べて置いておきたいのだ。

逸る気持ちを抑えて、交通量の多い十字路で信号が変わるのを待った。しばらく待つと、やっと歩行者信号が青になった。

さて、渡るかという時に、右足に何かがすり寄る感覚がした。

「うぁ……犬?柴犬?」
俺のゆるっとしたズボンに、柴犬がすり寄っていた。
リードは付いていないし、近くに飼い主らしき人も見当たらない。

「きゃああああ!」
「あぶねぇな!!」

横断歩道の方で悲鳴が上がり、そちらを見ると、横断歩道の上でバイクが横転していた。

ヒソヒソと『信号無視して来て突然スリップして転倒した』とか『なんなの…』とか色々な声が聞こえてくる。

幸いな事に、転倒した男性と思われる人は、バイクから這い出てきたから無事なんだろうが……。

「……」

今、そのまま渡ってたら、俺……巻き込まれていたんじゃないか?

「ワン!」

俺の心の中の疑問に応えるように、柴犬が吠えた。
視線を、ゆっくりと足下の柴犬に移す。なんだろう……胸にザワザワするような気分が広がった。

「……有難う、君のお陰で助かったよ」

犬の頭を撫でようとして、自分の手が震えていることに気がついた。
それでも、と手を伸ばそうとしたら、柴犬は突然走り出し、着いて来いとばかりに俺を振り返った。

「ちょっと待って……」

俺は、吸い寄せられるように犬を追った。
街も、人も遠い景色のように感じながら、小さな背中を必死に追いかけると、人気の無い空き地のような場所に辿り着いた。古いビルの背面に囲まれた暗い所だった。

誰かが此方に背を向けて立っている。

あんなに走ったけれど、息も切れていない犬は、その人の前にお座りをしてジッと顔を見つめている。

「あ……あの……飼い主さんですか?俺……さっき、そのイ、ワンちゃんに助けられて……」

なぜだか体中に恐怖みたいな気持ちが渦巻いている。

目の前に立つ人は、俺より少し小さい華奢な……多分、男性だ。暗くてよく分からないけれど、淡い色の髪をしている。美容関係か、モデルとかなのかな?

「……」

相手は声を掛けても振り向いてくれない。
どうしようかと悩み、恐る恐る近づく。一歩一歩進むごとに、なぜか目が霞む。
眉をしかめて、目を細め、腕を伸ばして……相手の肩に手をのせた。

すると

ゆっくりと、相手が振り向いた。

繊細で愛らしい顔の男だった。


でも、なぜか……彼の体は血塗れで……生きているように見えなかった。

微笑んだ彼は

俺を見つめて腕を広げ

俺に飛び込んできた。

「うわあああああ!」






□□□□


「…おい……起きろ…おい!」

肩を揺さぶれる感覚がある。しかも…手では無く、硬いもので。痛いからやめて欲しい。ソレを振り払おうとする、意識の浮上と共に、瞼が開く。

「まぶしっ……」

部屋の遮光カーテンは、そんなに日光を通さないはずなのに。顔には眩しいほどの光が差している。
眩しすぎて、ごろんと体の向きを変えた。今日のベッドは何だか凄くゴツゴツしていて硬い。読んだ本をそのままにしてしまったのかな?
いくつかの疑問を抱えて瞼を開くと、大きな黒いブーツが目に入った。

「ブーツ?」

こんな黒いブーツは持っていないし、そもそもベッドの上にブーツなんて置かない。では何故?
なんだか頭がぼーっとするのは風邪でも引いたのだろうか?
何度か瞬きをして目を見開いた。
視線をブーツから上へ上へと上げていった。黒いズボンに覆われた長い足、黒いインナー、青みがかったシャツのジャケットは、胸にポケットが付いている。
30代くらいの…凶悪な顔をした男の人が俺を見下ろして立っていた。

「うわああぁ!!」

俺は飛び起きた。ベッドだったはずなのに、お尻が痛い。いくら安いベッドだったとしても、こんなに硬いはずは無い。

「こ…ここ何処!?あれ?あれ?え?」

パニックに陥りながら、周りを見回した。此処は何処だろう?
どう見ても俺の部屋じゃ無い。古びたコンクリートの床で、ちょっとしたホールくらいの広さがある。割れたガラス、ボロボロのマネキン、古布のようになって散らばった洋服、倒れた商品棚。まるで…朽ち果てた店みたいだ……アウトレットとか大型店舗の一つっぽい。

「……見ない顔だな…お前、どこの奴らだ……人か…」

俺を蹴って起こした男が、距離を取って銃を構えている。警察のドラマなどで見るくらいの大きさの拳銃だ。
男の声は低く、冷たい感じだ。

「…ひぃ……」

初めて見る拳銃に戦き、男から逃げようと思うけれど、足に力が入らずに立てない。
まさか、本物じゃ無いよね。ここは安全な日本だ、アレはきっとエアガンとかサバゲーの銃だ。
そう思うけど、怖いのは変わらない。だってソレを構えている人間が、堅気の人間に見えない。
目が…暗く、瞳に光が無い。見ていると、闇の世界に連れて行かれそうだ…。

「……答えろ……どこから来た…」

俺を睨みつけている男が拳銃を握り直した。トリガーにかかる指が動く。
心臓が震えた。

「あっ……あっ……」

コレは、きっと夢だ。リアルな夢に違いない。俺は、今、部屋で寝ているんだよ。
でも、なんでこんな夢を見ているのだろうか。

「……脱げ…噛み跡が無いか確かめる」
「……え?」

男の顔が顰められた。鋭く細い三白眼気味の目は、視線で人が殺せそうだ。
脱げってどういうこと?何を?俺…今は靴履いてないし…服?え?何?噛み跡?どういうこと?
言葉が耳には届いたけれど、頭に入って来ない。

「…さっさとしろ!撃ち殺すぞ」

男がイライラした声で俺を脅し、硬いブーツで俺の足を軽く蹴った。

「痛い!ごめんなさい!やめて!まって!脱ぐ…脱ぎます!」

訳が分からなかったけど、蹴られ、銃で脅され思考は停止し、とにかく相手の要求を呑むことにした。
ズボンに手をかけて脱ぎ落とす、あれ?俺、こんなピンクの花柄の短パンなんて持ってた?
それに…俺の生足、記憶より細いし臑毛無い…綺麗だな。

「……早くしろ…」
「…っはい!」

自分の足に疑問を抱いて止まっていた手を再び動かす。買った記憶の無い大きめの白いTシャツを脱いで、足下に捨てた。
そして自分の体を見下ろしてぎょっとした。無い…高校の時に両親と事故に遭った時の脇腹の傷が。
夢の中だからか?

「後ろも見せろ」

指示通り、くるりと向きを変えて背中を向けた。
後ろから撃たれないように、言われていないのに、つい両手を上げた。
怖くて、目がキョロキョロと泳ぐ。目に入る文字は英語と日本語なんだけど、値段の表記が、円でもドルでもセントでも無く見たことが無い。

「……いいだろう…服を着ろ」

背後に居る男が俺の足下に服を投げてよこした。ちらっと振り返ると、拳銃はジャケットの中のホルスターに仕舞われた。中にはナイフも見えた。なぜこの人は武装しているのだろう?この夢の世界の設定がよく分からない。
ただ、男は顔も首も腕にも傷があり、治安が悪そうな事は伺える。

「……いたっ…」

服を拾おうとして体の向きを変えたら、足下の砕けたコンクリートを踏んだ。
裸足だから、とても痛かった。
ズキズキする痛みの信号が……妙にリアルで気持ち悪い。これ、夢でしょ?

不安から心臓がドキドキするし、呼吸が少し息苦しい。俺は冷や汗を掻きながら短パンを履いて、Tシャツを着た。
その間、男は朽ち果てた店内の商品を漁っている。

「……」
先ほどの痛かった足を確かめ、よかった血は出ていないって思っていると、すぐ横にスニーカーが飛んできた。
「え?」
ソレを投げた男は、無言で俺を見下ろしている。
日焼けして、劣化しているけれど多分新品のスニーカー。黄色と白のモノだ。
これ…まさか履けって事だろうか? スニーカーを見て、男を見る。そしてスニーカーを手に取って男を見たら、顎をしゃくられた。やはり、履けってことだろう。

「……ありがとうございます………あれ?……おっきい…」

足を入れたら、思ったより大きい。思わず口にしてしまった。
頭上から舌打ちする音が聞こえ、男が動いた。
怖くて男の方が見られないので、履いたスニーカーを凝視する。
靴はそんなに大きくない。いつも履いているくらいの靴なのに…なぜこんなに大きいのだろうか。

「……これ以下はねぇぞ…文句言うなよ」

男に声を掛けられ、そちらを見る。すると他のスニーカーを手に持った男が戻って来た。
えっ…わざわざ、別の靴探してくれたの?
ん?この人…良い人なの? 俺の男への警戒心が一気に半分くらいになった。

「ありがとう!」

っていうか、俺……声もおかしくない?聞き慣れた自分の声では無い。普段より高い声だ。
まったく不思議な夢をみるものだ。

男から受け取ったスニーカーは、若干レディースっぽい。先ほどのものよりもシュッとしていて細身だ。流石に入らないだろ、と思ったけれど、ピッタリだった。自分の体に対する違和感が大きい。


「それで……お前はどこから来た。仲間はどこだ」

どこから来たと言われても。現実から夢の世界にやって来てますと夢の住人に話すのも変だよな。
じっと男を見上げて、悩む。
彼は目に見えて苛ついて舌打ちをしている。怖くて思わず、謝りたくなる。

「……あの……えっと」
どうしよう、良い案が思いつかない。

「この辺りのグループじゃ、見たこととねぇぞ、お前……」

グループ。裏社会っぽい響きだ。
というか、この男の人、何処かで見たことがある気がする。テレビかな?俳優っぽいよな。この溢れ出る只者じゃ無い感じ……悪役俳優さんだろうか。

「…あの……俺は何だか、見たことある気がします」

思わず口に出してしまった。
男が、コイツ何言っているんだって顔で俺を睨んでいる。まずい、怒らせちゃったかな。

「あの…俺……ん!?」

立ち上がると、3メートルくらい先にヒビの入った鏡が目に入った。恐らく試着スペースだったのだろう、周りには千切れた緑のカーテンが垂れ下がっている。

そこには、見たことない人間が映っている。
フラフラと鏡に近づくと、鏡の中の人間は、俺の動きとシンクロした。
俺が右手を挙げると、相手は左手を挙げる。俺が頭を動かすと、相手も動かす。

「……お前…何やってんだ……」

俺の背後に立っている男が、怪訝な顔をして鏡に映っている。それは先ほどから見ている、凶悪な男で……ってことは、やっぱりコレは鏡だよね。

「……これ、俺?」

俺は正面を指さして、男と鏡の中で見つめ合った。
男の眉間に皺が深く刻まれ、左の唇にある傷が引きつったように動いた。

「俺、だれ?」

俺って今、夢の中で誰かになりきっているのだろうか?
見たところ、凄く綺麗な顔をしている。
小さな卵形の顔、くっきりした二重の大きな瞳。お喋りが大好きそうな、ちょっと大きめな口は、綺麗な歯並びで、真っ白。鼻は高くも無く低くも無い、主張しない絶妙なバランス。少年?いや…二十歳くらいだろうか?若干中性的だけど、男とわかる綺麗な男子だ。思わず見とれそうになる。長めのショートカットの髪は落ち着いたラベンダーピンクで色白の顔に馴染んでいる。こんな髪の色が似合うなんて相当な顔の良さだな。

でも、この顔……何処かで見たことが有る気がするんだけど……。

「おい……」
「……」

俺、変身願望があったのだろうか?
普通の顔で平均的な体格で、外見で嫌な思いも、良い思いもした事無いから、そこまで容姿に思い入れ無いと思ってたんだけどな。
でも、どうせなら…もっと…こう、ジフみたいな格好いい男に変身させてくれればいいのに。
そう、まさに…鏡に映る、この男みたいに…。

「っ!!」

俺は、衝撃で目を見開いた。くるっと後ろを向いて、男を凝視した。
後ろに立つ男を上から下まで確認する。

「…お前、記憶がねーのか?」

あの挿絵を、実写化したら…まさに、この男の人みたいなのでは?
顔は細めで小顔。三白眼気味の、切れ長の目。鼻は高くてシュッとしている。左の唇に切り傷のような傷跡が残っていて、そのせいもあって少し皮肉屋っぽい顔に見える。
強面好きには堪らないカッコ良さだ。
アジア系のマフィアとか、殺し屋っぽい、The悪役顔だ。

いいなぁ、味がある男……憧れるわぁ…思わずポカーンと口を開けて見上げてしまう。

「……」

あぁ…俺、ジフの夢を見ているのか!
すごい、リアルだ。俺の想像力って結構凄い。ジフの汗の浮いた肌とか、耳の形とか細部に渡って完璧だ。

「……いくらなんでも、名前くらい覚えてねーのか?」

ジフが鏡を背にした俺を追い込むように覗き込んでくる。
おぉ…実写版のジフ……声もぴったりだ。落ち着いた低いバリトンボイスだけど……ちょっとかすれ感もあるのがいい。

「……おい……聞いてるのか!」

ジフの大きな手が、優しくペチペチと俺の頬を叩いた。
胸にきゅーんときた。
そして、きゅーんと来た自分に驚愕した。駄目、駄目、俺もBL小説に毒されたのかな……ジフへの憧れは、純粋な『こういう男いいなぁ』という気持ちだったはずだ。

「おい!」
「あっ!えっと……えっと…」

しばし己の世界に浸ってしまっていた。正気になって、ジフの怒った目と目が合う。
俺は、この夢で誰に成りきっているんだ?この体のキャラは?
小説『屍街世界』では出てなかった。少なくとも、俺の読んだ所までは。

「………それは?」
「はい?」

ジフの指が俺の手を指し、導かれるように見ると、右手の手首に腕輪が嵌っていた。ピンクゴールドの華奢なチェーンを二重にして捲いてあり、細長いタグが付いていて、その表面に、雑に何か刻まれている。

「……pochi」

腕輪を顔の前に翳して、文字を読んだ。
pochi……ぽち……ポチ……何で?何でポチ腕輪?

「それ……お前の名前か?」
ジフが真剣な顔で聞いた。
「いや、いや、いや!違いますよ、多分!だってポチですよ!犬じゃないですか?」
焦りで身振り手振りが大きくなり、シフが一歩離れた。
「……あぁ?犬……あの厄介な奴らか」

俺は、ここではっとした。
そうだった、この小説の世界は、今が原作の前なのか始まっているのか分からないが、ゾンビウィルスが世界に広まって、女性の殆どが亡くなり、ゾンビ化して、生きている男もゾンビに噛まれてゾンビ化し…大体20年。
もはや人類は滅亡寸前で、人類のロスタイムをゾンビと攻防中の世界だ。

ジフも普通だった世界の事など記憶が薄いのか……それとも世界が違うから、ポチ=カワイイ犬じゃないのか。

動物はゾンビ化しなかったけど、野生化してるからね、この世界。普通に狂犬病とか怖いよね。

「……それにしても…ポチ……」

この腕輪のポチには、悪意を感じる。一体なぜこんな腕輪をしているのだろうか。
同じ犬なら、シロの方が良い。

「……ポチ」

ジフに呼ばれ思わず、ワン!っていう所だった。危ない。

「はい」
「お前……本当に何も覚えて無いのか?倒れていた理由も?」

夢なのに、色々細かいな。
そう思いつつ、面倒なのでコクコクと頷いた。
だって嘘じゃない。俺のこの夢の設定が全く分からない。

「頭とか殴られた痕ありますか? 別に痛くないんですけど……」

ジフに向かって、ラベンダーピンクの淡い色の頭を下げた。下げなくても体格差で頭丸見えだけど……。

「…あー、瘤が出来てるぞ」
「本当ですか?そうなんだ……」

ジフが髪を掻き分けて他もチェックしてくれた。やっぱり……優しい。
チェックが終わって手が離れていく。ちょっと寂しい。

「……お前……行く宛は………あるはず無いか………くそ……面倒だな」

イライラした様子のジフが頭を掻く。
短い毛をハーフアップしているゴムがユルユルになっている。
思わず、ぎゅっと締めなおそうと手を出すと、叩き落とされた。

「っ!!」

痛いし、ビックリして手を抑えて離れた。

「…ごめんなさい……ゴム取れそうだったから……」
「………あぁ」
ジフは、ちょっとバツが悪そうな顔をしてそっぽを向いた。

そう!ジフ!そういう所だよ!
主人公君と恋に落ちる事が出来なかった原因は!
一線引いちゃって、遠くから見つめて、影から守ったりしてるから、積極的で話上手なヒーローに取られたんだよ!!

はっ!!

そうか!ジフがもっとスキンシップとか、おしゃべりに慣れてたら……きっとジフの恋が叶ったはずだ!だって、こんなに、いい男なのだから……。
全く、あの作者め……。

「んっ……あれ……」
「おい!どうした!」

なぜか、突然めまいが襲い、平衡感覚無くなって、体が傾いた。
すると、すかさずジフが俺を支えてくれて、何とか床との激突を免れた。

「………お前……病気なのか?」
俺の体を起こし、肩を支えたジフが言った。
「……いや……突然くらっと来て……もう大丈夫です」
ジフの腕から抜け出して、自分の足で立った。さっきのめまいが嘘のように今は何ともない。

「……記憶も曖昧だ……やはり頭を打ったせいか?」
「んー、痛くないですけど……」

そうなのだろうか?
まぁ…一晩の夢だろうし、もうそれで良いと思う。今の自分の話題には興味が持てず、ふと目を向けた店の外で何かが動いた。普段目にする街とは違い、人の気配は無く、乗り捨てられた車が歩道にあったり、ガラスが割れていたりする景色の中で、唯一動く何か。

「……あれ?誰か……」

外の遠く離れた所に人影がある。
やたらゆっくりな……老人みたいな動きの…俯いて歩く何か。

「……静かにしてろ」
「えっ……」

ジフが俺の腕を掴んで引き寄せて、物陰に隠れた。
筋肉質な胸に顔を押し付ける形なって、改めて体格差を感じた。この体……小さいし華奢だ。

「昼に出てくるような、もうすぐ朽ち果てる奴らに、無駄な弾も体力も使いたくない」

ジフが俺の頭上で小さな声で話した。髪が揺れてくすぐったい。

「……」
なぜだか、足元から冷たい感覚が登ってきた。

昼に出てくる……朽ち果てる奴ら……。

それって

この小説ってことは……


ゾンビ!!

「うあぁ!!」

無意識に体が跳ね、叫びそうなった口を手で塞がれた。ジフの手がイメージよりも大きくて、俺の口どころか、鼻まで覆っている。そして、先程よりもグッと強く抱きしめられた。


ゾンビ

ゾンビが近くに居る!

得体の知れない恐怖でガタガタと震えが止まらない。

まだリアルに想像できていない……かつて人間だったソレ。

歩く腐乱した遺体。


ゾンビ、ゾンビだ。こんなリアルな夢のゾンビなんて見たくない!!
一生脳に焼き付いてしまいそうだ。
怖すぎる。

「……んっ……」

恐怖に耐えようと思うけど、手がバカみたいに震える。

冷静になろうと、この世界のゾンビについて考えた。
ゾンビは数年で腐って動けなくなり、完全な死を迎える。ゾンビとて永遠に活動できるわけじゃないんだ。

なりたてのゾンビは、まだ思考能力があり劣化が進まないように日光を避けて夜に活動することが多い。彼らは運動能力が高く、非常に厄介で危険だ。
日中にフラフラしているのは、もうすぐ動けなくなるような、古いゾンビなのだ。
そして腐敗が進んだ分……色々、見た目が……グロい。

「……ぅ……っ…」

ジフに後ろから抱かれ口を塞がれたまま、俺たちは倒れた商品棚と壁の間で密着し、外のゾンビ遠ざかるのを待つ。

恐怖で自分の呼吸が荒くなっているのがわかる。ゾンビにバレて襲って来たらどうしよう!
怖すぎる!
静かにしたいのに叫びたい、相反する思いが渦巻き、自分を抑える為に、ジフの肘までめくられているシャツを握りしめる。
俺の耳がジフの服の中のナイフか何か、硬い物に当たっていて痛い。

これは、本当に夢なのだろうか?

苦しい呼吸も、感じる痛みも……ジフの熱と鼓動も、こんなにもリアルなのに?

ここまで鮮明で長い夢を見たことがない……。

「……おい……もう大丈夫だぞ」

身を乗り出して外の様子を覗いたジフが、俺の口から手を離して言った。
呼吸がしやすくなったはずなのに、上手く息が吸えない。

「……」

ジフが、狭いこの空間から出ようと動いた。しかし、俺が服を握りしめている事に気が付き、顰めた顔でその手を見下ろした。

「……おい」

もしも……この今の状況が……夢じゃないなら……。
俺、この『屍街世界』で一人で生きていくのか?

ゾンビウィルスが世界で流行して、ゾンビが街中に溢れた時は終わり、ゾンビも人も数を減らし、衰退するのみだけど……ゾンビと野生動物と戦いながら、一人で寂しい世界でサバイバルして生きるの?

夢なら覚めて欲しい。

もしも……夢なら……どうやって覚める?

ふと、頭に浮かんだのは……高い所から落ちるイメージだった。

「……おい……お前……どうした……」
「………」

俺の目の前でジフの大きな手が振られている。節くれ立った、荒れた手だ。タコも一杯できている。

「あの………俺……もう起きなきゃ」

握り締めていた袖を離すと、皺くちゃになっていたので、そこをピッと伸ばして、ジフを見上げた。


「……おい……」
「……ありがとうございました」

俺はニッコリと笑って頭を下げたけれど、ちゃんと微笑んでいたか自信は無い。

それにしても、夢の中のジフも、やっぱり良いやつだった。
会えて嬉しいけど、もう目覚めたい。

「じゃあ俺、行きます」
「はぁ!?」

俺は周囲をキョロキョロを見回すと、止まっているエスカレーターを見つけた。
そこへ向かって駆け出す。散らばった商品や割れたガラスが邪魔だ。

「待て!何か思い出したのか?おい!」

動かないエスカレーター上るのは、変な感じで、足が重くなった気がする。必死に駆け上がるけれど、スピードは遅い。
ジフは、俺の後をついて来てくれている。

「上に仲間がいるのか?」
後ろから話しかけられた。
「……」
俺は、答えず取り憑かれたみたいに、商業施設だったようなエスカレーターを上り続け、4階くらいの高さまで来た。
はぁはぁ、と息がきれて苦しい。汗が浮いてきた。
全く気持ち悪いくらいリアルな夢だ。
辿り着いた最上階。ガラスの柵の向こうは、一階のフロアまで吹き抜けになっている。
朽ち果てた下のお店が見える。

「……」

気のせいだろうか、白骨みたいなものまである気がする。虫もブンブン飛んでいる。フロアには鳥の糞も散見して、現実味があるのか無いのか……頭が混乱する。

「……お前……本当に大丈夫か?何か思い出したなら……お前の仲間の所まで……おい!!」

吹き抜けの柵から身を乗り出すと、下腹部から胃にかけて、ひゅっと冷たい何かが走った。
怖すぎる。いくら夢でも怖すぎる。

「乗り出すな!!どこも劣化してるぞ!お前何がしたいんだ!!」

太い腕が俺の腰に回されて、簡単に持ち上げられて、後ろに移動される。

「離して下さい!もう帰るんです!」

ジフの腕から抜け出そうともがくけれど、少しも腕は緩まない。

「……落ち着け……おい……何なんだ……混乱してるのか?くそ……暴れるな!」

ジフの大きな声が、耳に響いた。ジフから伝わってくる体温が熱い。強く拘束されてお腹が痛い。
リアルすぎる。何もかもが。

これは、現実?

「……いやだ……冗談でしょ………そんな………」
「…おい、犬…なんつったか……いいか、下ろすけど、馬鹿なことすんなよ……わかったか」

ジフが俺をそっと下ろしてくれたけれど、右の腕が痛いくらいに掴まれている。
振り払おうとしたけれど、外れない。

「兄貴!」
「っ!」

突然、大きな声がかけられて、声の方を振り向くと、そこには男性が立っていた。


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