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日常
しおりを挟む朝になり身支度を終え、長い板張りの屋敷の廊下を歩く。
昨日の雨は上がったけれど、草木はまだ濡れて色が濃い。
「あさひ」
庭を見ながら歩いていると、襖が開いて声をかけられた。
ゆるくウェーブのかかった艷やかで長い髪、美しく蠱惑的な顔。すらりと長い手足、そしてはだけた着物から覗く赤い無数の情事の印。
「伊織さん。おはようございます」
七つ上の、同じ一族の伊織が襖に寄りかかり僕を見下ろす。
部屋の中には、三人の能力者が横たわって此方を見ている。
僕はなるべく何も見ないように、廊下に目を向ける。
「昨日、華たちが大勢出払って狩りしてきたのに、全然顔色良くなって無い。また煌一のだけしか吸って無いんでしょう」
顔を寄せられて、ジロジロ見られる。
数少ない同じ【蝶】で頼りになる方だけど自分とはあまりに違う優秀な人だから苦手に思ってしまう。
自然と腰が引けて後ずさる。
「あのっ……僕はそれで丁度いいので……」
「そんな事言ってるから、十七にもなってそんなに小さいし、体も弱いんだよ」
確かに僕は、背も小さく、しょっちゅう熱を出したり、倒れたりするけど‥‥。
「華の蜜を吸ってあげるのも、蝶の役目だよ。いい加減、煌一以外の華も相手にしてあげなよ」
能力者の【華】とその痣から溢れる蜜を吸って生きる【蝶】
僕と伊織さんは蝶だけど、僕は彼のような立派な蝶にはなれない。
総じて大きな体をしている華が怖い。
彼らが蝶に蜜を吸われて発情する姿は恐怖でしかない。
煌一は三つ年上の幼馴染で小さい頃から一緒に居るから大丈夫だけど‥‥。
「まったく、あさひがそんなだから、いくら優秀だからって煌一がつけあがるんだよ。蝶なら華に言うこと聞かせな」
「ごめんなさい……」
伊織さんが心配して言ってくれるのはわかるんだけど、僕は今だに、この一族に馴れない。蝶らしく生きられない。
僕はただ、死なない程度に煌一から蜜をもらって、毎日ピアノや音楽に触れられたら、それで幸せなんだ。
「まったく、いっぱい華を従えて食べれば美味しいし、便利だし、相手も喜んで良いこと尽くめなのに」
普通の人間よりも、体も頭脳も容姿も優れ、異なる能力を持つ【華】は人間社会では頂点に立つ。
しかし、彼らは【蝶】に惹かれて、蝶の為に生きる。
数の少ない蝶が、複数の華を従えてあげる
何度も聞かされて来たけれど、今だに馴染めない。
「あの、僕、そろそろ……」
「はいはい、いつも五月蝿いこといってすいませんね」
「そんな……」
伊織さんが僕の事を弟のように思って気にかけてくれているのは分かってるし有り難いのだ。
「いいよ。ほら行きな」
ヒラヒラと手を振り追い払われる。
「失礼します」
僕は頭を下げて、後にした。
中庭に出て、和国の伝統的な屋敷から、最近建てられた小さい西洋式の館へと向う。
扉を開けて、まっすぐ音楽室へ向う。
一面がガラス張りで、和国の職人が作った西洋に劣らないピアノが置いてある。
はじめは煌一が西洋から取り寄せようとしてくれたのだけど、試しに弾いたこのピアノが気に入ってしまった。
うちに来て以来、毎日のように弾いている。
まだ朝だから、開くのは鍵盤の蓋だけにして、置いておいた教本を広げ、ひたすら指の練習曲を弾く。
「今日もいい音色」
暫くして指が動くようになったら、何を弾こうかと棚の前に立った。
「あれ?また増えてる」
ずらりと並んだ楽譜が増えていた。
最近、巷で人気の曲や、取り寄せられたであろうもの‥‥。
「……煌一」
無口で誤解されやすいが、本当は細かい気遣いのできる優しい幼馴染。
昔はもう少し仲良くできていたような気もするけど‥‥大きくなってからは怒らせてばかりだ。
でもこうして、僕の喜ぶような物をそっと用意しておいてくれたり。
「嫌われてるわけでは無いのかなぁ?」
彼の事は、難しい。
この和国の華蝶一族の中でも、随一に優秀な華で、皆藤家の若き当主。
普段は何千人もの社員を抱える会社の社長。
「本当にまだ二十歳??」
僕と、三つしか違わないはずなのに‥‥。
鴨居はくぐらないと頭がぶつかるくらい大きいし。鋭い目つきが怖い。
雰囲気に僕のような子供っぽさが無い。
「はぁ……」
比べると悲しくなるからやめよう。
気分を変えて、明るい曲を弾こう。
そうだ、レコードも聞こうと思ってたんだ。
僕は今日も、この部屋で音楽に浸る。
ピアノの先生の所へ、レッスンに行けなかったのは残念だけど。
ここ数日寝込んでいた日々よりずっと楽しい。
「おい、あさひ!」
誰かに、乱暴に揺り起こされる。
「んっ……煌一?」
目の前には眉間に皺を寄せた不機嫌な幼馴染がいた。
撫で付けられた黒い髪に、上等なスーツ。
仕事から帰ってきたばかりかな?
「こんな所で寝るな。また倒れたら迷惑だ」
「……ごめん」
ピアノを弾いてから、ソファーに座ってレコードを聴いて居たら、いつの間にか眠ってしまったようだ。
部屋が夕焼け色に染まっている。
「仕事の山が片付いた。狩りに行くか?」
フルフルと首を振った。
昨日貰ったから十分だ。
「ううん。いらない」
「……お前」
だから貧相な体なんだと聞こえてきそうだ。
華と比べないでほしい。
「……行くぞ。」
煌一がドアに向かって歩き出した。
僕もそれについて行く。
可能な時は、煌一の食事に、つきあわされる。
蝶の僕は、食事は能力者の痕から出る血だけど、水分と果物くらいは口にできる。
「こんばんは、あさひさん」
食堂には煌一の秘書の白川さんが用意をして待っていた。
眼鏡の似合う切れ者の人間だ。華蝶の屋敷に出入りすることが許されている。
「こんばんは、白川さん」
「元気になられたようで良かったです。すみません、私達が不甲斐ない為に、煌一様が社に詰めていたせいで」
深々と年上の大人に頭を下げられて、恐縮してしまう。
「そんなっ!大丈夫ですから!」
今回は煌一が忙しくて、ちょっと空腹になって倒れてしまった。
大したことじゃない。
本来なら、誰か別の華から貰えばいいのだけれど。
「さっさと座れ」
先に着席した煌一に急かされ、彼の向かいに座る。
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