我が為に生きるもの

いんげん

文字の大きさ
上 下
2 / 34

日常

しおりを挟む

朝になり身支度を終え、長い板張りの屋敷の廊下を歩く。
昨日の雨は上がったけれど、草木はまだ濡れて色が濃い。

「あさひ」
庭を見ながら歩いていると、襖が開いて声をかけられた。

ゆるくウェーブのかかった艷やかで長い髪、美しく蠱惑的な顔。すらりと長い手足、そしてはだけた着物から覗く赤い無数の情事の印。

「伊織さん。おはようございます」
七つ上の、同じ一族の伊織が襖に寄りかかり僕を見下ろす。
部屋の中には、三人の能力者が横たわって此方を見ている。

僕はなるべく何も見ないように、廊下に目を向ける。

「昨日、華たちが大勢出払って狩りしてきたのに、全然顔色良くなって無い。また煌一のだけしか吸って無いんでしょう」
顔を寄せられて、ジロジロ見られる。

数少ない同じ【蝶】で頼りになる方だけど自分とはあまりに違う優秀な人だから苦手に思ってしまう。
自然と腰が引けて後ずさる。


「あのっ……僕はそれで丁度いいので……」
「そんな事言ってるから、十七にもなってそんなに小さいし、体も弱いんだよ」
確かに僕は、背も小さく、しょっちゅう熱を出したり、倒れたりするけど‥‥。

「華の蜜を吸ってあげるのも、蝶の役目だよ。いい加減、煌一以外の華も相手にしてあげなよ」

能力者の【華】とその痣から溢れる蜜を吸って生きる【蝶】

僕と伊織さんは蝶だけど、僕は彼のような立派な蝶にはなれない。
総じて大きな体をしている華が怖い。
彼らが蝶に蜜を吸われて発情する姿は恐怖でしかない。

煌一は三つ年上の幼馴染で小さい頃から一緒に居るから大丈夫だけど‥‥。

「まったく、あさひがそんなだから、いくら優秀だからって煌一がつけあがるんだよ。蝶なら華に言うこと聞かせな」

「ごめんなさい……」
伊織さんが心配して言ってくれるのはわかるんだけど、僕は今だに、この一族に馴れない。蝶らしく生きられない。

僕はただ、死なない程度に煌一から蜜をもらって、毎日ピアノや音楽に触れられたら、それで幸せなんだ。

「まったく、いっぱい華を従えて食べれば美味しいし、便利だし、相手も喜んで良いこと尽くめなのに」

普通の人間よりも、体も頭脳も容姿も優れ、異なる能力を持つ【華】は人間社会では頂点に立つ。

しかし、彼らは【蝶】に惹かれて、蝶の為に生きる。
数の少ない蝶が、複数の華を従えてあげる

何度も聞かされて来たけれど、今だに馴染めない。

「あの、僕、そろそろ……」

「はいはい、いつも五月蝿いこといってすいませんね」
「そんな……」

伊織さんが僕の事を弟のように思って気にかけてくれているのは分かってるし有り難いのだ。

「いいよ。ほら行きな」
ヒラヒラと手を振り追い払われる。
「失礼します」
僕は頭を下げて、後にした。



中庭に出て、和国の伝統的な屋敷から、最近建てられた小さい西洋式の館へと向う。
扉を開けて、まっすぐ音楽室へ向う。

一面がガラス張りで、和国の職人が作った西洋に劣らないピアノが置いてある。

はじめは煌一が西洋から取り寄せようとしてくれたのだけど、試しに弾いたこのピアノが気に入ってしまった。
うちに来て以来、毎日のように弾いている。

まだ朝だから、開くのは鍵盤の蓋だけにして、置いておいた教本を広げ、ひたすら指の練習曲を弾く。

「今日もいい音色」

暫くして指が動くようになったら、何を弾こうかと棚の前に立った。

「あれ?また増えてる」
ずらりと並んだ楽譜が増えていた。
最近、巷で人気の曲や、取り寄せられたであろうもの‥‥。

「……煌一」
無口で誤解されやすいが、本当は細かい気遣いのできる優しい幼馴染。

昔はもう少し仲良くできていたような気もするけど‥‥大きくなってからは怒らせてばかりだ。

でもこうして、僕の喜ぶような物をそっと用意しておいてくれたり。
「嫌われてるわけでは無いのかなぁ?」
彼の事は、難しい。


この和国の華蝶一族の中でも、随一に優秀な華で、皆藤家の若き当主。

普段は何千人もの社員を抱える会社の社長。

「本当にまだ二十歳??」
僕と、三つしか違わないはずなのに‥‥。

鴨居はくぐらないと頭がぶつかるくらい大きいし。鋭い目つきが怖い。
雰囲気に僕のような子供っぽさが無い。

「はぁ……」
比べると悲しくなるからやめよう。

気分を変えて、明るい曲を弾こう。
そうだ、レコードも聞こうと思ってたんだ。

僕は今日も、この部屋で音楽に浸る。
ピアノの先生の所へ、レッスンに行けなかったのは残念だけど。
ここ数日寝込んでいた日々よりずっと楽しい。


「おい、あさひ!」
誰かに、乱暴に揺り起こされる。

「んっ……煌一?」
目の前には眉間に皺を寄せた不機嫌な幼馴染がいた。
撫で付けられた黒い髪に、上等なスーツ。
仕事から帰ってきたばかりかな?

「こんな所で寝るな。また倒れたら迷惑だ」
「……ごめん」
ピアノを弾いてから、ソファーに座ってレコードを聴いて居たら、いつの間にか眠ってしまったようだ。
部屋が夕焼け色に染まっている。

「仕事の山が片付いた。狩りに行くか?」
フルフルと首を振った。
昨日貰ったから十分だ。

「ううん。いらない」
「……お前」
だから貧相な体なんだと聞こえてきそうだ。
華と比べないでほしい。

「……行くぞ。」
煌一がドアに向かって歩き出した。
僕もそれについて行く。

可能な時は、煌一の食事に、つきあわされる。
蝶の僕は、食事は能力者の痕から出る血だけど、水分と果物くらいは口にできる。


「こんばんは、あさひさん」
食堂には煌一の秘書の白川さんが用意をして待っていた。
眼鏡の似合う切れ者の人間だ。華蝶の屋敷に出入りすることが許されている。

「こんばんは、白川さん」
「元気になられたようで良かったです。すみません、私達が不甲斐ない為に、煌一様が社に詰めていたせいで」

深々と年上の大人に頭を下げられて、恐縮してしまう。

「そんなっ!大丈夫ですから!」

今回は煌一が忙しくて、ちょっと空腹になって倒れてしまった。
大したことじゃない。
本来なら、誰か別の華から貰えばいいのだけれど。

「さっさと座れ」
先に着席した煌一に急かされ、彼の向かいに座る。








しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

黒の執愛~黒い弁護士に気を付けろ~

ひなた翠
BL
小野寺真弥31歳。 転職して三か月。恋人と同じ職場で中途採用の新人枠で働くことに……。 朝から晩まで必死に働く自分と、真逆に事務所のトップ2として悠々自適に仕事をこなす恋人の小林豊28歳。 生活のリズムも合わず……年下ワンコ攻め小林に毎晩のように求められてーー。 どうしたらいいのかと迷走する真弥をよそに、熱すぎる想いをぶつけてくる小林を拒めなくて……。 忙しい大人の甘いオフィスラブ。 フジョッシーさんの、オフィスラブのコンテスト参加作品です。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

幼馴染は僕を選ばない。

佳乃
BL
ずっと続くと思っていた〈腐れ縁〉は〈腐った縁〉だった。 僕は好きだったのに、ずっと一緒にいられると思っていたのに。 僕がいた場所は僕じゃ無い誰かの場所となり、繋がっていると思っていた縁は腐り果てて切れてしまった。 好きだった。 好きだった。 好きだった。 離れることで断ち切った縁。 気付いた時に断ち切られていた縁。 辛いのは、苦しいのは彼なのか、僕なのか…。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

処理中です...