前世で犬用の徳を積んだ僕は、前世犬の人間を愛の奴隷にできるらしい。

いんげん

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プロローグ

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「良い子だね。君は本当に人懐っこい猫だね」
都内で随一とも言われる大学のキャンパス。昼食を済ませ、時間を持て余した僕は、騒がしい場所から離れ、非常階段で本を読んでいた。

そこに、時々現れる毛艶の良いクリーム色の猫が、今日もひょっこりと顔を出した。

「にゃー」
足首に体を擦りつけ、尻尾を巻き付ける様子は、とても心癒やされる。
昔から動物は大好きで、嬉しい事に動物からも好かれることが多い。

そして、なぜか、特に犬からは熱烈な好意を受ける。
公園などに顔を出せば、散歩中の犬たちが飼い主を振り払い突進してくるし、ペットショップの前を通れば、凄く必死にアピールされる。危ない所を助けられた事もある。

「撫でてもいい?そう…ありがとう」
自分から頭を近づけてきた猫の頭にそっと手をのせて、毛を撫でた。
可愛いなぁ。犬の信頼と献身の情も愛おしいけど、猫の気ままな様子も、気楽だし可愛い。

「かわいいね」
自然と表情がほころび、ニコニコとしてしまう。
猫の毛並みを楽しみながら手を動かして居ると、突然猫の毛が逆立った。

「しゃーっ」
「ごめん…しつこかった?」
突然機嫌が変わった猫は、後ろを向いて警戒心を露わにした。

「蛍…此処に居たのか。探したぞ」
猫の視線の先に現れたのは、大学で出来た友人だった。

細いシルバーのハーフリムの眼鏡を掛けた、眉目秀麗な男だ。
目元にかかるセンター分けの長め前髪は、サラサラと流れ、黒く艶めいて美しい。襟足に着かない常に整えられた襟足は彼のキッチリした性格が表れている。

周囲の女性達は彼の事を、ため息交じりに眺め、天然記念物…日本の美、まさに国宝…などと口にして鑑賞している。

「にゃー!」
そんな彼も猫には好かれないのか、先ほどまで、あんなに僕に懐いていた猫は、歯を剥き出しにして威嚇している。

「…まさか猫をなでていたのか…猫を…」
「えっ?そうだけど…」
美しい足運びで、あっという間に此方にやって来た犬飼が、僕の腕を掴んだ。
やけに険しい顔をして僕の手のひらを見つめている。眼鏡の奥の切れ長な目が怖い。長い睫毛が影を作っている。

「洗いに行こう」
「は?えっ…ちょっと…」
長くて綺麗な指は華奢に見えるが、僕の手首を掴む力は想像よりも力強い。掴まれた感触も女性とは違って、固い。

「…犬飼…」
猫は、いつの間にか居なくなっている。

僕の手を引いて歩く犬飼に、誘導され外にある水道へと連れてこられた。
とても面倒見の良い犬飼は、僕のシャツの手首のボタンを外し、袖を捲ってくれた。

「さぁ、洗うと良い」
蛇口までひねってくれ、水が流れ始めた。
「あ…あぁ…うん」
僕は、頭に盛大な疑問符を浮かべている。

清潔感の塊みたいな犬飼は、綺麗好きではあるけれど、潔癖とまでは言わないし、相手にそれを要求するタイプにも見えなかった。
まさか…犬飼は猫の毛アレルギーなのだろうか?それなら、僕の手を洗わせる行為も納得できるし、今、パンパンと僕のズボンの足下を払っているのも分からないでもない。

「…蛍は猫が好きなのか?猫が」
きちんとアイロンのかかったハンカチを差し出され、聞かれた。

「えっ…動物はみんな好きだけど…」
「…そうか…私よりも?」
「ん?」
どういう質問なのだろうか?

犬飼から借りたハンカチで手を拭きながら、正解を考える。

あっ、そうか。猫の毛アレルギーの自分と過ごすなら、猫は触るなということか。犬飼と過ごすことをやめてまで猫と過ごしたいかという質問なのだろう。

「もちろん、犬飼だよ。もう猫には触らない」
大学が無い日だけにしよう。
「……蛍」
犬飼の手に僕の手が包まれた。

心なしか顔が近い。
目の前で見ても美しい顔だな。毛穴の見当たらない艶肌、筋の通ったシュッとした鼻。
欠点が見当たらない。

「犬飼…ハンカチ…ちゃんと洗って返すから…手を…」
大切な物に触れるように、包み込まれた手が…なんだか…こそばゆい。
心臓がくすぐったい。

「いや…いい。このままが良い…匂いが有る」
僕の手からスルっとハンカチが引き抜かれ、犬飼のポケットに吸い込まれていった。

匂いがある?
あぁ、洗剤や柔軟剤は、好みがあるものだよね。

それに、犬飼のお家は漫画みたいなお金持ちで、自身も学生で有ながら実業家で、携わる事業はすべて好調のようだ。僕の家は、世間的に見ると資産家で所謂、名家というものだけど、犬飼のお家とは格が違う。

きっと、ランドリー係とかが居るに違いない。

「ありがとう」
「ああ。それより昼食は済ませたか?」
「うん、さっき学食に行ったよ」
入学して一年経ったけれど、親しい友人が犬飼だけなので一人ご飯だった。

小中高と一貫教育の学校に通っていたので、すこし緊張していた大学の入学式で、犬飼の方から話しかけて来てくれた時は、凄く嬉しかった。

確か、『私を君の友人に加えてくれないだろうか?』が第一声だった。

それから、友人は増えていない。顔見知りで、一言二言話す人は居るのだけれど。
僕は何処か他人から浮いているのだろうか、と悩んだ時もあった。
確かに、所謂今時の若者という感じは薄いと思う。服装に興味もなく、最近は犬飼がネットで購入したが少し小さかったから貰ってくれ、という事が多いので、落ち着いた服を好む犬飼の選んだものばかりだし。
髪は、もとから栗毛色だけど、何の変哲も無い耳上で整えるショートだ。学食のご婦人曰く、僕は、お育ちの良い貴公子みたいだと。
貴公子ってなんだか…古いよね。

「そうか、一緒に食事をと思ったが、仕事のせいで連絡が遅れた…すまない」
眼鏡を指で押し上げ、洗練されたシンプルな腕時計を覗き込む犬飼の姿は、大学のキャンパスには不釣り合いに思える。大人だ。

二十歳の僕より三歳年上で、海外の一流大学を出ているらしい…それなのに何故、わざわざ日本の大学に在籍しているのだろう?本人曰く、大事な目的がある…らしい。

「犬飼、ご飯まだなの?何か一緒に買いに行こうか?付き合うよ」
「それには及ばない。少しつまんだ」
犬飼の登校は運転手付きの車だから、きっと車内で何か食べたのかな?

「それじゃあ、おやつに骨食べる?」
僕はトートバッグから魚の骨のカリカリせんべいを取り出した。

「…骨…」
僕の差し出した小分けのお菓子を凝視する犬飼を見て、気がついた。
「ごめん!こんなの犬飼は食べないよね」
急に恥ずかしくなって袋を鞄にしまい込もうとすると、その手を犬飼に掴まれた。

「いや、待ってくれ。骨…頂こう…好物だ」
「ホント!美味しいよね、カリカリの骨」
あまりメジャーなお菓子じゃないから、賛同してくれる人は少ない。
嬉しくなって、ビッと袋から取り出し、綿棒くらいの長さの骨を犬飼の顔に向かって差し出した。

「……」
犬飼が骨を凝視している。綺麗な眉が寄って眉間に深い皺が刻まれる。
そして、少しの逡巡の後に、犬飼の顔が近づいてきた。
な…なんだろう…自分で差し出しておいて凄く緊張する。
犬飼のお綺麗な顔が近づいてくる。眼鏡越しの伏せられた眼…血色の良い薄い唇。

「…っ」
僕の指に、犬飼の唇が触れた。
柔らかい…。

犬飼が僕の目を見ながら、もぐもぐと咀嚼している。

ど…どうしよう凄く恥ずかしい。
鼓動がドキドキしている…なんだろう…このソワソワする気持ち。

「特別に美味しい」
犬飼の喉仏が動き骨を飲み込むと、指で口の端をさっと払い微笑んで言った。

「…えっ…あ、ああ…そんな高級なものじゃないけど…僕も気に入っているよ」
残りもあげる、と袋を押しつけて犬飼に背を向けた。

「蛍?」
「喉渇いたから!」
何だかムズムズする雰囲気に耐えられなくなって、僕は逃げ出すように歩き出した。

「あぁ、では行こう」
犬飼が斜め後ろについて共に歩き出した。

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