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第三章 愛の確認

4、こんにちわ、マイセルフ

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「君を呼び出したのはね、早々に、田中の家から出る手筈がとってあるので、そのことを端的に話そうと思ってね。」

休み時間に、教材を運ぶからと、辻は櫻を呼び出したのだ。
二人の関係が怪しまれてはならないと、櫻はなるべく接触しないでいた。なのに、呼び出しということは余程のことだと思った。

「でもどうやって?」
「今日、君は百貨店をさることになる。それは辻の人間に伝えてあるから、それなりに送別されることだろう。君が辞めることを知らないで百貨店言ったら、実におかしな話になるだろう?だから、そればっかりは早く話しておかなくてはと思ってね。」
「でも、百貨店を辞めたらどうするんですか?」
「僕のスケジュールはこの通り!君が学校から百貨店に行く。仕事をしたら、仕事納めをして皆さんにさよならをする。そのあとは、いったん田中家によって、今ある荷物をまとめて、望月家に行くという流れさ。」
「え。。。本当に急ですね。」
「でも、昨日、望月の家に行くことはもう言ってあるだろう。」
「そんな突然で、望月の方々ご迷惑ではありませんか?」
「迷惑がるところにあなたをやるもんですか。まあ、望月はいなかったから、アグリくんに了承を得たけどね。それで、明日からはアグリくんの洋装店で君は丁稚してもらうということに決まったよ。前は呉服屋に丁稚していたんだろう。洋装の店も新鮮だと思うよ。」

こういう時、先生はずるいと思う。私の職業欲というものをよくわかっている。
「先生、私、昨日の夜に大体の物はまとめておきました。でも、ほとんど物も持っていないし、風呂敷、3個くらいで済みます。ただ、お借りしている「青踏」がまだ手元にあって、それも借りたまま、望月の家に持っていてよろしいでしょうか?」
「オフコース。それはユアセルフですよ。」
「ユアセルフ?」
「ご自身で決めてどうぞということです。自分のことでいう場合はマイセルフと言うますがね。あなたは、これからマイセルフの中で生きていく。なんでも自由なのです。僕とのことは秘密ですが、自由恋愛ですから、お互いペースを守っていけば滞りないでしょう。」
「マイセルフ、ユアセルフ。素敵な言葉ですね。私、マイセルフの精神で、これから頑張っていきます。」
「学業や仕事に精を出すのはいいですが、僕との時間も忘れずに。」
「もう!先生!」
先生は、冗談めいてなんでも言う。そこが悔しいのだ。

「櫻さん、そこの帝都の地図を持って、教室に戻ってください。表向きは教材の運び屋さんですからね。」
「はい。でも、先生、帝都の地図を使って何をなさるんですか?」
「それは授業までのお楽しみ。そして、今日は百貨店から田中家に行く時、あまり話せないかもしれませんからね。僕の授業で僕を堪能してください。」

本当に冗談がすぎる人だ。でも、辻の授業を楽しみに思う。他の女学生も最近は目を爛々として聞いていることがある。
まあ、それは8割は辻への恋心、嫁に行きたいという野心を持った学生の集まりだが。
辻が教えた絡繰の世の中は本当に魅力的である。もっといりたいと思う。

「さ、早く行かないと他の生徒に勘繰られますよ。」
「は、はい。すぐに。」
そう言うと、櫻はフランス語準備室から出て教室へ向かった。
そして、今日から始まる新たな世界への扉を開けることにワクワクしていた。




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