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第二章 職業婦人見習い

3、自信と自由と口付けと

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櫻は百貨店で最初は書類の整理などを任されていたのだが、そろばんができるということで、経理部の補佐として配属された。
「江藤さん、女学生なのに、そろばん早いわね。もう、そろばんを見るのも嫌になっていたところだったから助かるわ。百貨店の売り上げって、桁が違うでしょ。最初はもうびっくりしちゃって、恐る恐る計算したものよ。でも、江頭さん、ささっと計算してくれるからいいわね。」

櫻はそう言われると、心底嬉しかった。自分が育ってきた境遇を恨んだをことも多いが、奉公に出たことがこのようなところで役に立つとは思わなかった。
運命というものを呪ったこともたくさんあった。しかし、今、学校も百貨店勤めも、辻とのことも、なんだか夢のようなどこか現実感を持てずにいたことも今の櫻の心境であった。

「課長、午後は江藤さんがきてくれて、経理部は本当に助かりますね。」
同僚の佐々木華が言う。
「江藤君、君は本当に女学生とは思えないくらい有能で僕たちは助かっていますよ。試用期間が長くなることを祈るばかりですね。」
課長からも褒められて、
「恐れ入ります。でも、私は百貨店の隅々もわかりませんし、ますます勉強させてください。」
不安に駆られることもある櫻は正直に課長に申し出た。


その夕方の帰り、いつも通り、辻の車に乗車をして櫻は帰り道を行く。
「いかがでしたか?今日のお仕事は?」
「同僚の方々に褒められたのは嬉しかったのですが、なんだか過大評価のような気もして、不安な気持ちにもなりました。」
「あなたに足らないのは自信、かもしれませんね。」
「自信?」
「あなたは常に虐げられて生きてきた。ある意味厳しく育てられたということです。それは人を育てることもありますし、原動力にもなります。しかし、あなたは少々厳しすぎるところで育ちすぎたのです。今だって、田中家のイエスノウを聞かずに動くことを許されてはいない。大変不自由なことです。」
「私は不自由だから、自信が持てない、ということですか?」
「ザッツライト。その通りですよ。僕だって本当の意味では不自由な世界で生きているかもしれません。しかしね、そんな中でも自由を追って生きようとすれば、自由が追いかけてくるんですよ。自由がなかったら、僕の人生には意味はありません。」
「先生は、極論をおっしゃる。。。」
櫻は辻の境遇に羨む一方で、決められたレイルに乗らなければならない彼の運命を不安に思った。
「今、僕の境遇のことを考えたでしょう?」
「え?先生は人の心が読める占い師ですか?」
そう云うと、急にギュッと強く抱きしめられた。
車はゆっくりと走っているので、密着度が高い。
「先生、ちょっと苦しい、で、す」
「僕の自由は櫻さんあなたの中にある。」
「え?」
「前にも言いましたが、あなたを縛るつもりはありません。でも、あなたと一緒にいると心の底から湧き上がるパッションが燃えて来るのですよ。」
そう辻がいうと、、接吻の嵐がやってきた。
何度、辻とこの口づけをしたのかもう数えられない。
手を繋ぎながらする、この口づけを永遠に忘れないと櫻は溶けていく脳の中で思った。

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