8 / 30
冬の始まり
しおりを挟む
気を失った…と、思ってから僅か程経って、再び目を開けた。
夢を見たような記憶もなく、間もなくして目覚めたような感覚だったのに、窓の外はもうすっかり夜が明けきっていた。
あれほど辛かった頭痛と悪寒はすっかり消え失せ、嘘のように体が軽い。
スッキリとした寝覚めで体を起こすと、節々の痛みも消え失せ、生まれ変わったかのような心地だった。
起き上がって気付いたのだが、ベッドに倒れ込む様に気を失った筈なのに、起き上がると、体はきちんと布団を被っていた。
恐らくスミスが掛けてくれたのだろう…
本当に素晴らしい薬だったのだ。
毒を盛られたのではなどと疑った、自分の醜い心根が悔やまれる。
そう思いながらふと、机に目をやると、薬の小瓶は消えていた。
私の様子を見にでも来たスミスが片付けたのだろうか。
あれはきっと大切な薬に違いない。あんなに酷い症状だったにも関わらず、こんなに早く回復するのだから。
貴重な薬を奴隷の私などに分け与えてくださって、心底感謝の気持ちでいっぱいになり、私はスミスにまず礼を言わねばならないと思い、ベッドを抜け出した。
書き物机の上に置いてあるベルを、小さく鳴らしてみた。
私は行ける場所が限られているので、用事のある時はベルを鳴らしてスミスを呼んだ。
奴隷ごとき身分で、貴族に遣える執事を、このような形で呼びつけるなど…と、初めの頃は抵抗があったが、勝手は出来ぬし、何よりこれは旦那様のご命令だ。
ベルを鳴らすと、間も無くしてスミスが来た。
いつも不思議でならないのだが、決して狭い屋敷では無いのに、よく聞こえるものだ…
ー…コン、コン …ガチャ…
「…やっと、目覚めたのですね。」
「?」
やっと?確かに陽はもう随分高い様だけれど、たった一晩の事であるのに…
そう思い私が不思議そうな顔をしていた事を悟ってか、スミスはこう続けた。
「あなたは、三日三晩眠り続けて居たのです。」
「…?!」
三日も?!
体感ではほんの一瞬の様にすら感じて居たのに、そんなに長い間眠り続けて居ただなんて…
「…申し訳ありません…」
驚きでいささか混乱して、小さく謝る
「…あの、旦那様はおいででしょうか?!
私などに貴重な薬を与えて下さり…その、感謝を申し上げねばなりません!」
せっついて言う私に、スミスは片手の平を前にたしなめた。
「いつもの部屋に食事を持って行きますから、まずは何か食べるといいでしょう。
…旦那様は本日外出されています。お戻りは夕刻になるでしょう。
お戻りになられたら、あなたが目覚めた事は伝えます。それまでは自室で大人しくしている事です。」
「…はい」
そう言うとスミスは先に降りて行った。
‘いつもの部屋’と言うのは、庭の見えるあの部屋だ。
ここで暮らす様になってから私はいつも、決まった時間に、大体日に二食の食事を、そこで取らせて貰っている。
もちろん一人だが、きちんとテーブルを与えられているし、食事だって質素ではあるものの、決して粗末では無い。
本当にありがたい事だ。
寝床を整えた後、少しして1階に降りると、いつものように既に食事が置いてあった。
温かい豆のスープと、フカフカのパンがふた切れにチーズ、カラフェには水が用意されていた。
ほんの少ししか眠っていないつもりだったけれど、実際は三日も飲まず食わずだったものだから、温かい食事を前にすると、一気に空腹感を思い出した。
私は、食事を与えて下さった神と旦那様とスミスに深く感謝をして、それをいただいた。
食事に夢中になっていた所、ふと窓の外、目の端に何やら動くものを捉えて外を見やると、ハラハラと静かに雪が降っていた。
通りで、薄ら寒い訳だ。
地面にはらりと舞い落ちる雪は、まだ積もるほどにはなく、音もなく、吸い込まれる様に消えては、土をうっすらと色濃く濡らしていく。
もうすぐこの土地は深い雪に閉ざされ、長い冬を迎える。
私がかつて旅した土地にも雪が降る事はあったので、見ること事態は初めてでは無いが。この土地は随分雪深い地域だと、ここに来る途中奴隷商の荷馬車の中で、商人が街の人間と話しているのを聞いた記憶があった。
この庭や、子供部屋から見る山並み、自室の小さな窓から見える全ての景色が、真っ白な雪に塗り替えられていくなんて、一体どんなに素敵だろう。
食事を終えて私は自室に戻った。
旦那様がお戻りになるのは夕刻…
スミスにはそれまでは自室にいる様にと言われたけれど、これと言ってすることがなかった。
絵を描こうにも、お許しが無いし、キャンバスや絵具は高価なので気軽には使えない。
仕方なく私は椅子に腰掛けて外を眺めた。
雪はしんしんと降り続いている。
先程食事中に見ていた時よりも、多く降り出した気がする。
この辺りによく生えている松の木が、この窓からも見えるのだが、木のてっぺんにふんわりと雪が積もり、まるで松が白い帽子をかぶっている様に見えた。
それにしてもよく冷える…
折角病が治ったのに、これではまた振り返してしまう。
私は両腕で自分を抱きしめる様にして腕を擦り、何か羽織ろうと、頂いた服を漁った。
スミスが持ってきた服は、ほとんど古くはあるものの、とても上等な品だった。こんな大層なものを、本当に私などが着ていいのかと、初めは恐縮したものの、着なければ捨て置かれるだけの物だと聞いて、ありがたく頂戴した物だ。
何か暖かそうな物をと探していると、私が着るには随分小さい様な、子供の物と思われるジャケットが出てきた。
驚いたのは、引っ張り出したそのジャケットが、左腕の部分だけがビリビリに破れていた事だった。
何かに引っ掛けて破いてしまったのだろうか?
それにしてもこんなに無残になるなんて、もしそうなら相当の怪我をしただろうに…
見たところそのジャケットは、あの子供部屋にあった服と同じ様な感じだった。
ー…昔男爵の屋敷で飼われていた時、軟禁状態のアトリエの窓からよく中庭を眺めていたのだが、そこにはよく庭師の男が仕事をしていて、いつも一緒に居た庭師の息子が同じ様な服を着ていたのを思い出した。
ジャケットの左袖は、袖口から肩にかけて縦に破けており、それはどう見ても、ハサミなどで切った様な跡ではなく、まるで乱暴に横に引きちぎった様なもので…
何とも不気味だった。
この洋服の持ち主は、果たして今、どうしているのか…
夢を見たような記憶もなく、間もなくして目覚めたような感覚だったのに、窓の外はもうすっかり夜が明けきっていた。
あれほど辛かった頭痛と悪寒はすっかり消え失せ、嘘のように体が軽い。
スッキリとした寝覚めで体を起こすと、節々の痛みも消え失せ、生まれ変わったかのような心地だった。
起き上がって気付いたのだが、ベッドに倒れ込む様に気を失った筈なのに、起き上がると、体はきちんと布団を被っていた。
恐らくスミスが掛けてくれたのだろう…
本当に素晴らしい薬だったのだ。
毒を盛られたのではなどと疑った、自分の醜い心根が悔やまれる。
そう思いながらふと、机に目をやると、薬の小瓶は消えていた。
私の様子を見にでも来たスミスが片付けたのだろうか。
あれはきっと大切な薬に違いない。あんなに酷い症状だったにも関わらず、こんなに早く回復するのだから。
貴重な薬を奴隷の私などに分け与えてくださって、心底感謝の気持ちでいっぱいになり、私はスミスにまず礼を言わねばならないと思い、ベッドを抜け出した。
書き物机の上に置いてあるベルを、小さく鳴らしてみた。
私は行ける場所が限られているので、用事のある時はベルを鳴らしてスミスを呼んだ。
奴隷ごとき身分で、貴族に遣える執事を、このような形で呼びつけるなど…と、初めの頃は抵抗があったが、勝手は出来ぬし、何よりこれは旦那様のご命令だ。
ベルを鳴らすと、間も無くしてスミスが来た。
いつも不思議でならないのだが、決して狭い屋敷では無いのに、よく聞こえるものだ…
ー…コン、コン …ガチャ…
「…やっと、目覚めたのですね。」
「?」
やっと?確かに陽はもう随分高い様だけれど、たった一晩の事であるのに…
そう思い私が不思議そうな顔をしていた事を悟ってか、スミスはこう続けた。
「あなたは、三日三晩眠り続けて居たのです。」
「…?!」
三日も?!
体感ではほんの一瞬の様にすら感じて居たのに、そんなに長い間眠り続けて居ただなんて…
「…申し訳ありません…」
驚きでいささか混乱して、小さく謝る
「…あの、旦那様はおいででしょうか?!
私などに貴重な薬を与えて下さり…その、感謝を申し上げねばなりません!」
せっついて言う私に、スミスは片手の平を前にたしなめた。
「いつもの部屋に食事を持って行きますから、まずは何か食べるといいでしょう。
…旦那様は本日外出されています。お戻りは夕刻になるでしょう。
お戻りになられたら、あなたが目覚めた事は伝えます。それまでは自室で大人しくしている事です。」
「…はい」
そう言うとスミスは先に降りて行った。
‘いつもの部屋’と言うのは、庭の見えるあの部屋だ。
ここで暮らす様になってから私はいつも、決まった時間に、大体日に二食の食事を、そこで取らせて貰っている。
もちろん一人だが、きちんとテーブルを与えられているし、食事だって質素ではあるものの、決して粗末では無い。
本当にありがたい事だ。
寝床を整えた後、少しして1階に降りると、いつものように既に食事が置いてあった。
温かい豆のスープと、フカフカのパンがふた切れにチーズ、カラフェには水が用意されていた。
ほんの少ししか眠っていないつもりだったけれど、実際は三日も飲まず食わずだったものだから、温かい食事を前にすると、一気に空腹感を思い出した。
私は、食事を与えて下さった神と旦那様とスミスに深く感謝をして、それをいただいた。
食事に夢中になっていた所、ふと窓の外、目の端に何やら動くものを捉えて外を見やると、ハラハラと静かに雪が降っていた。
通りで、薄ら寒い訳だ。
地面にはらりと舞い落ちる雪は、まだ積もるほどにはなく、音もなく、吸い込まれる様に消えては、土をうっすらと色濃く濡らしていく。
もうすぐこの土地は深い雪に閉ざされ、長い冬を迎える。
私がかつて旅した土地にも雪が降る事はあったので、見ること事態は初めてでは無いが。この土地は随分雪深い地域だと、ここに来る途中奴隷商の荷馬車の中で、商人が街の人間と話しているのを聞いた記憶があった。
この庭や、子供部屋から見る山並み、自室の小さな窓から見える全ての景色が、真っ白な雪に塗り替えられていくなんて、一体どんなに素敵だろう。
食事を終えて私は自室に戻った。
旦那様がお戻りになるのは夕刻…
スミスにはそれまでは自室にいる様にと言われたけれど、これと言ってすることがなかった。
絵を描こうにも、お許しが無いし、キャンバスや絵具は高価なので気軽には使えない。
仕方なく私は椅子に腰掛けて外を眺めた。
雪はしんしんと降り続いている。
先程食事中に見ていた時よりも、多く降り出した気がする。
この辺りによく生えている松の木が、この窓からも見えるのだが、木のてっぺんにふんわりと雪が積もり、まるで松が白い帽子をかぶっている様に見えた。
それにしてもよく冷える…
折角病が治ったのに、これではまた振り返してしまう。
私は両腕で自分を抱きしめる様にして腕を擦り、何か羽織ろうと、頂いた服を漁った。
スミスが持ってきた服は、ほとんど古くはあるものの、とても上等な品だった。こんな大層なものを、本当に私などが着ていいのかと、初めは恐縮したものの、着なければ捨て置かれるだけの物だと聞いて、ありがたく頂戴した物だ。
何か暖かそうな物をと探していると、私が着るには随分小さい様な、子供の物と思われるジャケットが出てきた。
驚いたのは、引っ張り出したそのジャケットが、左腕の部分だけがビリビリに破れていた事だった。
何かに引っ掛けて破いてしまったのだろうか?
それにしてもこんなに無残になるなんて、もしそうなら相当の怪我をしただろうに…
見たところそのジャケットは、あの子供部屋にあった服と同じ様な感じだった。
ー…昔男爵の屋敷で飼われていた時、軟禁状態のアトリエの窓からよく中庭を眺めていたのだが、そこにはよく庭師の男が仕事をしていて、いつも一緒に居た庭師の息子が同じ様な服を着ていたのを思い出した。
ジャケットの左袖は、袖口から肩にかけて縦に破けており、それはどう見ても、ハサミなどで切った様な跡ではなく、まるで乱暴に横に引きちぎった様なもので…
何とも不気味だった。
この洋服の持ち主は、果たして今、どうしているのか…
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【短編】How wonderful day
吉岡有隆
ミステリー
朝起きて、美味しい飯を食べて、可愛いペットと戯れる。優しい両親が居る。今日は仕事が休み。幸せな休日だ。
※この作品は犯罪描写を含みますが、犯罪を助長する物ではございません。
ピエロの嘲笑が消えない
葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美から奇妙な相談を受ける。彼女の叔母が入院している精神科診療所「クロウ・ハウス」で、不可解な現象が続いているというのだ。患者たちは一様に「ピエロを見た」と怯え、精神を病んでいく。葉羽は、彩由美と共に診療所を訪れ、調査を開始する。だが、そこは常識では計り知れない恐怖が支配する場所だった。患者たちの証言、院長の怪しい行動、そして診療所に隠された秘密。葉羽は持ち前の推理力で謎に挑むが、見えない敵は彼の想像を遥かに超える狡猾さで迫ってくる。ピエロの正体は何なのか? 診療所で何が行われているのか? そして、葉羽は愛する彩由美を守り抜き、この悪夢を終わらせることができるのか? 深層心理に潜む恐怖を暴き出す、戦慄の本格推理ホラー。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。
二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。
彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。
信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。
歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。
幻想、幻影、エンケージ。
魂魄、領域、人類の進化。
802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。
さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。
私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。
ナイフが朱に染まる
白河甚平@壺
ミステリー
毎日、電車をつかって会社とぼろアパートを行き帰りする毎日に
嫌気をさし孤独な日々を送っていたサラリーマンのスケオ。
彼は高校卒業して以来会わなかった憧れのマドンナ、藤ミネ子と再会し
彼女の美貌に惹かれ一夜を共に過ごした。
しかし、スケオは以前から会社の後輩のマコトも惹かれていた。
ミネ子とマコトの板挟みになり、葛藤をするスケオ。
ある日、居酒屋で酔っているマコトに迫られ、理性に負け唇を交わそうとした。
その時、何者かがマコトの顔面スレスレに出刃包丁が飛んできた。
一体、誰がこんな危ないことを!警察沙汰となった。
マコトを襲おうと企んでいる、プレイボーイの伊藤の仕業かと考えていたが…犯人は一体。
時々怖い表情を見せるミネ子も疑うようになった。嫉妬したミネ子の仕業かもしれないとも思った。
そう考えている内にスケオの自宅の郵便受けに脅迫状の紙がねじ込まれていた。
その紙を広げてみた。どうやらマコトは何者かに誘拐されてしまったらしい。
次から次へと起こる、色っぽい青春ミステリー。
御機嫌ようそしてさようなら ~王太子妃の選んだ最悪の結末
Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。
生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。
全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。
ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。
時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。
ゆるふわ設定の短編です。
完結済みなので予約投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる