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序章
婚約
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アンソワールとの食事会が始まった。
部屋の隅には配膳や警護のために控える側勤めや、武装した騎士達が控えているものの、彼女と2人きりの食事会に緊張が収まらない。
緊張の要因としては、単純な人見知りからくるものと、婚約者候補などという現代人からすれば縁遠い存在が目の前にいる、という事の2つが主である。
婚約者候補などという肩書きがなければまだマシだっただろうが、流石に変に意識してしまう。
「勇者様は本当にご立派ですわ。ご両親やご友人、そした故郷から離れ、こうして何の縁もないフューエンシュルツのために尽力してくださるのですから。この国の王女として、本当に感謝の念しかございません。」
「はは、ありがとうございます。私もこの国の皆さんには良くしていただいているので、有り難く思っていますよ。」
俺は褒められた事に気恥ずかしくて、はにかみながらそう答えた。
他愛もない会話が続いたが、出会った当初からすると、お互いの距離が多少縮まってきているような感じがした。
そして、食事会も後半へと差し掛かる。
メインディッシュとなる肉料理を食べていると、彼女は両手にあるフォークとナイフをおもむろに皿の上へと置いた。
まだ半分以上も料理が残っているのにも関わらず、食事を中断し、こちらをじっと見つめる彼女に疑問が生じ、俺も食事を取る手を止めた。
会話はおろか、食器の鳴る音も聞こえない沈黙の時間が流れる。
すると彼女は真剣な表情で、その沈黙を破った。
「勇者様、今回は夕食を共にしていただき大変ありがとう存じます。半ば強引にお父様が取り決めてしまった食事会ではございますが、私は大変楽しき時を過ごさせていただきました。」
彼女はそう話すと、背筋を伸ばし、軽く深呼吸をして間を置き、そしてまた言葉を続けた。
「勇者様は先日、私との婚約について話題に上がった際、私とはもっとお話をしてから婚約を結ぶかどうか考えたいと仰っておりましたね。このような事を聞くのは淑女として、大変に下品な事とは存じます。それでもお聞きかせくださいませ。この食事会で私と話してみて、勇者様は私の事をどう思いましたか。」
心臓がドクンと跳ね上がった。
彼女は耳まで赤く染め、上目遣いでそう尋ねてきたのだ。
俺の体も猛烈に熱くなり、自分の拍動がドクンドクンと耳に届いた。
もしこれが恋なのだと言われてしまえば、納得せざるを得ない。それ程までに体が熱い。
俺は音を立てないように、フォークとナイフを慎重に皿へと置き、ゆっくりと言葉を選びながら返答する。
「私もとても楽しい食事会だったと思います。それに、貴方が私の事をとても大切に思ってくださっている事も知れました。貴方は素晴らしい方だと思います。」
俺の言葉に満足したように微笑んだ気がしたが、それでもその真剣な表情は崩さず、彼女は言葉を続ける。
「勇者様がこれから歩む道は、容易いものではないでしょう。アウローエンの平和のため、何の縁もないこのフューエンシュルツに手を差し伸べて下さった事には、感謝の言葉もありません。そんな貴方様を王女として、いや1人の女としてお支えしたく存じます。どうか私を、貴方様のお側にいさせて下さいませ。」
そう言い終わった彼女の目は、部屋の灯りを反射して、まるで太陽に照らさる若葉のように輝いていた。
彼女は、俺の返答を祈るように待っている。
彼女の言葉はどう考えてもプロポーズのそれだ。
俺は返答に悩みあぐねる。
もちろん、彼女の俺に対する気持ちが嬉しかったのは嘘ではない。
それにこうして話してみると、外見だけでなく、その気立ての良さまで明らかになった。
ここまでくると、断る理由は見つからない。
それでも俺がすぐに答えを出せない理由があった。
それはまだこの異世界へ来て数日しか経っていない事、そして彼女と出会ってまだ2日目であるという事だ。
流石にスピードが早すぎる気がして、どこか前のめりになれずにいるのだ。
こんなに結婚への流れが速いのは、常識や国の違いであって、こちらでは一般的な速さの流れなのかもしれない。
確かに考えてみると、日本でも昔はお見合いなんていって、相手の顔を見る事さえできずに結婚したなんて話もテレビで見た事があった。
そう考えると、出会って2日で結婚が決定するなど普通の事のように感じられてくる。
それに、この状況で断れるのだろうか。
なんたって彼女はこの国の王女様なのだ。
そんな彼女がこうして真剣にプロポーズの言葉を述べたのだ。
この申し出を無碍にしたのなら、これから一緒に戦っていかなければならないフューエンシュルツでの居場所が無くなってしまう気がする。
それに結婚までの流れが速く、心がついていかないとは思っているが、彼女に落ち度は全くない。
結婚相手に考えるならば、最高の相手であるのは客観的に見てみても間違えないのだ。
俺は数秒間考えてみるが、流石にここは男として覚悟を決めなければならないシーンであるのだと納得した。
そうして俺の中で、彼女との婚約に了承する方向で考えが固まったのだ。そしてその旨を伝えるべく言葉を探る。
すると、ふいに頭の隅にあいつの名前が浮かんだことで、少し眉をひそめてしまった。
あいつの名前、黒谷千華が。
俺は黒谷にプロポーズを邪魔された事があるのだ。その時の嫌な記憶がよみがえってきてしまったのだ。
こんな異世界に来てまで、黒谷によるトラウマに毒されている自分に情けなさを感じる。
俺をじっと眺めていたアンソワールも、俺が眉をひそめ、辛そうな表情をしてる事に不安に思ったようで、彼女まで不安そうに目を細めた。
彼女を不安に思わせてしまった事に焦りと申し訳なさを感じ、安心させようと微笑みながらすぐに言葉をかけた。
「貴方にそう言っていただけるなんて、本当に嬉しいです。私が戦っている間、貴方が側で支えてくれるなんて、これ程に頼もしい事はありません。貴方の申し出を断る理由なんてありませんよ。」
彼女は俺の笑顔と、その言葉を聞いて安心したようで、両手で口元を隠しながら、「ありがとう存じます。」とそう小さく呟いた。
まさか、こんなにもあっさりとアンソワールとの婚約が決まると思っていなかったので、あまりその実感が湧いてこない。
その後、婚約決定の余韻が心地よく流れていると、
「安心できたお陰でお腹が空いてしまいました。せっかくのご馳走を残しては料理番に申し訳が立ちません。デザートもございますし、お食事を楽しみましょう。」
彼女のその言葉をきっかけに食事会は再開され、その後はお互い緊張が和らいだようで、先ほどよりもさらに話が弾み、大満足のまま食事会は終了した。
俺は部屋へ戻ると、素早く就寝の準備を済ませてもらい、ベッドで横になった。
今日はいつも以上に緊張と衝撃の連続で、灯りを消してすぐ、気絶するように寝てしまった。
俺の右腕には、抱き枕のようにスライムのピースがいるのだが、そのお陰もあって、いつも以上に疲れがとれた気がした。
そしてあっという間に明日の朝になった。
寝ぼけ眼で朝食をとり、身支度を済ませて勉強会へ赴いた。
勉強会の前半は、ギルドや騎士団、魔石採掘場について学ぶ座学を行い、後半は外へ出て魔法の訓練を行なった。
今日練習する魔法は、水を作り出す魔法と、空を飛ぶ魔法の2つだった。
昨日のような、どこか闇を感じる魔法ではなく、映画や漫画に出てくるような魔法の数々に、ワクワク感で俄然やる気が湧いてきた。
水を作り出す魔法は、魔法を解くと水は消失してしまうようで、飲み水として使用するのではなく、体や物を洗ったりする時に使う事が多いようだ。
また攻撃にも使えるようで、水を作り出した後に高速で相手へと撃ち出すようだ。
今日は水を作り出すという初歩的な部分だけ教わったのだが、実際に相手を痛めつけ、殺めるための術を教わる事になるのだから、ワクワク感のお陰で湧いていたやる気に、忌々しさや後悔を感じてしまう。
その後は空を飛ぶ魔法だ。
教えてもらった呪文である「リューゲル」と唱えながら、鳥のように空を飛ぶシーンをイメージする。
するとだんだんと足が地面から浮き、体が軽く感じた。そしてジャンプした瞬間、魔法の制御が甘かったらしく、城壁よりも高くまで飛んでしまった。
そして城壁の向こうには賑やかな城下町、広く深く広がる緑の大地、そして天高くそびえる山々が目に入った。
その美しい風景に見惚れていると、自身が宙に浮き、そして少しずつ落下していっていることに気づくのが遅れてしまった。
それらの風景がもう一度城壁に阻まれ、見えなくなってしまってからようやく、自身がゆっくりと落下している事に気がついたのだ。
「うおぉ、、」と情けない声を発しながら、必死に「飛べ」「飛べ」とイメージし、なんとなく体を上へ上へと伸びるように力を入れた。
その願いが叶ったのか、俺が落下するスピードは落ち、やがて宙で静止した。
眼下にいる教師役の先生の中には、安堵したように地面へへたりこむ者と、「おおぉぉ、すごい‼︎」と興奮気味に叫ぶ2種類の者に分かれていた。
その後は自由に空を飛び回れるようにと、高さや速度を制御する練習を行い、午前の勉強会を終えた。
そして、昼食休憩を挟むと午後の戦闘訓練となる。
本当は夕食の時間までは戦闘訓練の時間に当てられるはずだったのだが、今日は予定が変更され、2時間近く早めに訓練は終了するようだった。
そのせいでバーエンは「新しい事を教えるはずだったのに」と肩を落としていた。
早めに終わる事もあり、今までと変わらず素振りと体捌きの確認と練習を行い、戦闘訓練は早めに終了した。
練習が終わり自室へ向かうと、俺は側勤めの方達に急ぎで湯浴みさせられ、体を綺麗に清められた。
そしてフランソンやアンソワールとの食事会を行なった際に身につけていたような、豪華な衣装に着替えさせられ、フランソンとアンソワールが待つ部屋へと案内された。
俺は何について話されるのか薄々気づいており、席に着くと、背筋を正しその言葉を待った。
感謝と共に話された内容は予想の通りで、俺とアンソワールの婚約についてだった。
詳しい内容として、俺と彼女との結婚が正式に決定した事。そして現状ではフューエンシュルツの一部の派閥に属する上級貴族にしか、その事について周知していないという事実だった。
そしてその他の貴族や国に対しては、5日後に婚約の知らせを送るようだ。
そしてその知らせと同時に、約2週間後に開かれる婚約の儀開催の通知と、その招待状も送付するようだ。
俺の知らない所でキューピッチで進んでいく婚約話に度肝を抜かされながら、日時や決定事項を確認した。
婚約の儀とは、現代でいう結婚式である。
まさか、17にして結婚式を行う事になってしまうとは、人生何が起こるか分からないものである。
というか、この話し合いで初めて知った事がある。
それは俺の結婚相手、アウローエンの年齢である。
彼女の外見や言葉遣い、所作までもが洗練され、品があり、大人びていた。
そのせいもあり、年齢としては同い年か年下かと思っていた。
それに王女様なのだから、年齢など失礼で聞いてはいけないと思い、知らない部分ではあった。
そして、告げられた年齢。
なんと15歳。
今の日本であれば結婚すらできない年齢でありました。
俺はその事実に変な罪悪感とともに、冷や汗を流しながらその会談を終え、自室へ戻った。
俺は通用しない自分の常識を痛感しながら、どこか上の空で夕食を終えた。
今日は少し早めに夕食が終わり、外の景色を眺めていた。
外の景色といっても、そこから見えるのは限られた範囲、城の中だけである。
今日、空高く飛んだ事で分かったが、今俺のいる場所はこの大きな都市の中心の中心、その奥の奥であった。
いわゆる王宮という場所に当たるのだろうか、その周りには分厚く、そして高い城壁で囲まれている。
今見えている夜空だって、その城壁に区切られ、四角い形で目に映るだけなのだから。
俺は昼間に見た城下町、そしてそれよりも外に広がる広大な大地が見たくて堪らなくなってきた。
この生活に不満もないし、とても快適に過ごせている。
それでも精神的な部分だろうか、どこか窮屈で疲れてしまうのだ。
俺はこの縛りから解放されたくて、今日の昼に教えてもらった呪文「リューゲル」を唱えた。
流石に1人では怖いというか、寂しさもあって、右腕にはしっかりとスライムのピースを抱きしめている。
ピースも外に出れるのが嬉しいのか、腕の中でプルプルと跳ねていた。
俺は魔力の制御に集中しつつ、部屋の窓から一気に空へと舞い上がった。
城下町に広がる灯りは、まるでキラキラと光る小さい宝石のようで、眼下に美しく散りばめられいた。
俺はその城下町を楽しそうだと目を細めつつ飛び越えて、その向こうに広がる真っ黒な大地へと向かった。
昼間は美しく思えた新緑の大地も、今は何もかも飲み込んでしまいそうな程に黒く染まっていた。
俺はその大地を眺めながら、右腕で抱えるピースを数回撫でる。
そして、速度を落としゆっくりと城下町から離れ、深い森林が広がる広大な大地へと向かっていく。
特に変わった場所も見つからず、流石に王宮へと戻ろうかと考えていた時だった。
森林の中で小さく光る一点の灯が目に入ったのだ。
俺はそれの正体が気になって、確認するべくその灯りへと向かうかどうか思案し、お城の方は振り返った。
案外それ程離れてはおらず、もし灯りへ向かったとしても迷うという事はないだろうと確かめて、意を決してその灯りへと向かって高度を下げていく。
ゆっくりと高度を落としていくと、その灯りの周りに2体の影があるのが目に入った。
その影が人型で動いている事に気がついた。
もちろん警戒心は湧いたものの、それよりも正体を確かめたいという好奇心が勝ってしまう。
流石に夜盗や野伏であれば目も当てられない。さらに警戒しつつバレないようにゆっくりと高度を下げていった。
その2体の影のフォルムの詳細まで分かる程に近づいた頃だった。
その影は確かに人型ではあったが、人ならば表れるはずがないであろう部分に影ができている事に気がついた。
それは、主に頭部分だ。
片方の細身の影の頭部分には、まるで動く猫耳のような影が。
もう片方の太めの影の頭部分には、鋭く尖った大きなツノのような影が。
俺はすぐにそれらの影の持ち主が、勉強会で習ったような亜人や魔族のものであろうと理解できた。
人間の国であるフューエンシュルツにいる亜人と魔族なのだ。何か良からぬ理由があるに違いはないのに、俺は好奇心に負けて実物を見てみたいとさらに近づいてしまう。
そして灯りに照らされたそれぞれの体が見えた。
どちらも汚れたボロを身につけていたが、影で見えたように頭にはそれぞれ猫耳と一本の鋭いツノが生えていた。
やはり獣人や鬼は存在するのだと感心していた次の瞬間だった。
猫耳を大きく震わせた獣人がびっくりしたようにこちらは振り返り大声を上げたのだ。
「うわっ、誰!?誰かいるでしょう!?!?」
その声に反応して、もう片方の鬼のような魔族もこちらへと振り返り、2人は警戒態勢はいった。
俺は身の危険を感じ、すぐに体を翻して体を上昇させようと力を入れる。
「あそこ、あそこだよ、あそこに誰かいる。」
そう言ってこちらを指差す獣人に呼応し、鬼のような魔族は地面に転がっていた拳程の大きさの石を手にとった。
鬼はこちらを睨み、目当てをつけ、おもむろに振りかぶるのであった。
部屋の隅には配膳や警護のために控える側勤めや、武装した騎士達が控えているものの、彼女と2人きりの食事会に緊張が収まらない。
緊張の要因としては、単純な人見知りからくるものと、婚約者候補などという現代人からすれば縁遠い存在が目の前にいる、という事の2つが主である。
婚約者候補などという肩書きがなければまだマシだっただろうが、流石に変に意識してしまう。
「勇者様は本当にご立派ですわ。ご両親やご友人、そした故郷から離れ、こうして何の縁もないフューエンシュルツのために尽力してくださるのですから。この国の王女として、本当に感謝の念しかございません。」
「はは、ありがとうございます。私もこの国の皆さんには良くしていただいているので、有り難く思っていますよ。」
俺は褒められた事に気恥ずかしくて、はにかみながらそう答えた。
他愛もない会話が続いたが、出会った当初からすると、お互いの距離が多少縮まってきているような感じがした。
そして、食事会も後半へと差し掛かる。
メインディッシュとなる肉料理を食べていると、彼女は両手にあるフォークとナイフをおもむろに皿の上へと置いた。
まだ半分以上も料理が残っているのにも関わらず、食事を中断し、こちらをじっと見つめる彼女に疑問が生じ、俺も食事を取る手を止めた。
会話はおろか、食器の鳴る音も聞こえない沈黙の時間が流れる。
すると彼女は真剣な表情で、その沈黙を破った。
「勇者様、今回は夕食を共にしていただき大変ありがとう存じます。半ば強引にお父様が取り決めてしまった食事会ではございますが、私は大変楽しき時を過ごさせていただきました。」
彼女はそう話すと、背筋を伸ばし、軽く深呼吸をして間を置き、そしてまた言葉を続けた。
「勇者様は先日、私との婚約について話題に上がった際、私とはもっとお話をしてから婚約を結ぶかどうか考えたいと仰っておりましたね。このような事を聞くのは淑女として、大変に下品な事とは存じます。それでもお聞きかせくださいませ。この食事会で私と話してみて、勇者様は私の事をどう思いましたか。」
心臓がドクンと跳ね上がった。
彼女は耳まで赤く染め、上目遣いでそう尋ねてきたのだ。
俺の体も猛烈に熱くなり、自分の拍動がドクンドクンと耳に届いた。
もしこれが恋なのだと言われてしまえば、納得せざるを得ない。それ程までに体が熱い。
俺は音を立てないように、フォークとナイフを慎重に皿へと置き、ゆっくりと言葉を選びながら返答する。
「私もとても楽しい食事会だったと思います。それに、貴方が私の事をとても大切に思ってくださっている事も知れました。貴方は素晴らしい方だと思います。」
俺の言葉に満足したように微笑んだ気がしたが、それでもその真剣な表情は崩さず、彼女は言葉を続ける。
「勇者様がこれから歩む道は、容易いものではないでしょう。アウローエンの平和のため、何の縁もないこのフューエンシュルツに手を差し伸べて下さった事には、感謝の言葉もありません。そんな貴方様を王女として、いや1人の女としてお支えしたく存じます。どうか私を、貴方様のお側にいさせて下さいませ。」
そう言い終わった彼女の目は、部屋の灯りを反射して、まるで太陽に照らさる若葉のように輝いていた。
彼女は、俺の返答を祈るように待っている。
彼女の言葉はどう考えてもプロポーズのそれだ。
俺は返答に悩みあぐねる。
もちろん、彼女の俺に対する気持ちが嬉しかったのは嘘ではない。
それにこうして話してみると、外見だけでなく、その気立ての良さまで明らかになった。
ここまでくると、断る理由は見つからない。
それでも俺がすぐに答えを出せない理由があった。
それはまだこの異世界へ来て数日しか経っていない事、そして彼女と出会ってまだ2日目であるという事だ。
流石にスピードが早すぎる気がして、どこか前のめりになれずにいるのだ。
こんなに結婚への流れが速いのは、常識や国の違いであって、こちらでは一般的な速さの流れなのかもしれない。
確かに考えてみると、日本でも昔はお見合いなんていって、相手の顔を見る事さえできずに結婚したなんて話もテレビで見た事があった。
そう考えると、出会って2日で結婚が決定するなど普通の事のように感じられてくる。
それに、この状況で断れるのだろうか。
なんたって彼女はこの国の王女様なのだ。
そんな彼女がこうして真剣にプロポーズの言葉を述べたのだ。
この申し出を無碍にしたのなら、これから一緒に戦っていかなければならないフューエンシュルツでの居場所が無くなってしまう気がする。
それに結婚までの流れが速く、心がついていかないとは思っているが、彼女に落ち度は全くない。
結婚相手に考えるならば、最高の相手であるのは客観的に見てみても間違えないのだ。
俺は数秒間考えてみるが、流石にここは男として覚悟を決めなければならないシーンであるのだと納得した。
そうして俺の中で、彼女との婚約に了承する方向で考えが固まったのだ。そしてその旨を伝えるべく言葉を探る。
すると、ふいに頭の隅にあいつの名前が浮かんだことで、少し眉をひそめてしまった。
あいつの名前、黒谷千華が。
俺は黒谷にプロポーズを邪魔された事があるのだ。その時の嫌な記憶がよみがえってきてしまったのだ。
こんな異世界に来てまで、黒谷によるトラウマに毒されている自分に情けなさを感じる。
俺をじっと眺めていたアンソワールも、俺が眉をひそめ、辛そうな表情をしてる事に不安に思ったようで、彼女まで不安そうに目を細めた。
彼女を不安に思わせてしまった事に焦りと申し訳なさを感じ、安心させようと微笑みながらすぐに言葉をかけた。
「貴方にそう言っていただけるなんて、本当に嬉しいです。私が戦っている間、貴方が側で支えてくれるなんて、これ程に頼もしい事はありません。貴方の申し出を断る理由なんてありませんよ。」
彼女は俺の笑顔と、その言葉を聞いて安心したようで、両手で口元を隠しながら、「ありがとう存じます。」とそう小さく呟いた。
まさか、こんなにもあっさりとアンソワールとの婚約が決まると思っていなかったので、あまりその実感が湧いてこない。
その後、婚約決定の余韻が心地よく流れていると、
「安心できたお陰でお腹が空いてしまいました。せっかくのご馳走を残しては料理番に申し訳が立ちません。デザートもございますし、お食事を楽しみましょう。」
彼女のその言葉をきっかけに食事会は再開され、その後はお互い緊張が和らいだようで、先ほどよりもさらに話が弾み、大満足のまま食事会は終了した。
俺は部屋へ戻ると、素早く就寝の準備を済ませてもらい、ベッドで横になった。
今日はいつも以上に緊張と衝撃の連続で、灯りを消してすぐ、気絶するように寝てしまった。
俺の右腕には、抱き枕のようにスライムのピースがいるのだが、そのお陰もあって、いつも以上に疲れがとれた気がした。
そしてあっという間に明日の朝になった。
寝ぼけ眼で朝食をとり、身支度を済ませて勉強会へ赴いた。
勉強会の前半は、ギルドや騎士団、魔石採掘場について学ぶ座学を行い、後半は外へ出て魔法の訓練を行なった。
今日練習する魔法は、水を作り出す魔法と、空を飛ぶ魔法の2つだった。
昨日のような、どこか闇を感じる魔法ではなく、映画や漫画に出てくるような魔法の数々に、ワクワク感で俄然やる気が湧いてきた。
水を作り出す魔法は、魔法を解くと水は消失してしまうようで、飲み水として使用するのではなく、体や物を洗ったりする時に使う事が多いようだ。
また攻撃にも使えるようで、水を作り出した後に高速で相手へと撃ち出すようだ。
今日は水を作り出すという初歩的な部分だけ教わったのだが、実際に相手を痛めつけ、殺めるための術を教わる事になるのだから、ワクワク感のお陰で湧いていたやる気に、忌々しさや後悔を感じてしまう。
その後は空を飛ぶ魔法だ。
教えてもらった呪文である「リューゲル」と唱えながら、鳥のように空を飛ぶシーンをイメージする。
するとだんだんと足が地面から浮き、体が軽く感じた。そしてジャンプした瞬間、魔法の制御が甘かったらしく、城壁よりも高くまで飛んでしまった。
そして城壁の向こうには賑やかな城下町、広く深く広がる緑の大地、そして天高くそびえる山々が目に入った。
その美しい風景に見惚れていると、自身が宙に浮き、そして少しずつ落下していっていることに気づくのが遅れてしまった。
それらの風景がもう一度城壁に阻まれ、見えなくなってしまってからようやく、自身がゆっくりと落下している事に気がついたのだ。
「うおぉ、、」と情けない声を発しながら、必死に「飛べ」「飛べ」とイメージし、なんとなく体を上へ上へと伸びるように力を入れた。
その願いが叶ったのか、俺が落下するスピードは落ち、やがて宙で静止した。
眼下にいる教師役の先生の中には、安堵したように地面へへたりこむ者と、「おおぉぉ、すごい‼︎」と興奮気味に叫ぶ2種類の者に分かれていた。
その後は自由に空を飛び回れるようにと、高さや速度を制御する練習を行い、午前の勉強会を終えた。
そして、昼食休憩を挟むと午後の戦闘訓練となる。
本当は夕食の時間までは戦闘訓練の時間に当てられるはずだったのだが、今日は予定が変更され、2時間近く早めに訓練は終了するようだった。
そのせいでバーエンは「新しい事を教えるはずだったのに」と肩を落としていた。
早めに終わる事もあり、今までと変わらず素振りと体捌きの確認と練習を行い、戦闘訓練は早めに終了した。
練習が終わり自室へ向かうと、俺は側勤めの方達に急ぎで湯浴みさせられ、体を綺麗に清められた。
そしてフランソンやアンソワールとの食事会を行なった際に身につけていたような、豪華な衣装に着替えさせられ、フランソンとアンソワールが待つ部屋へと案内された。
俺は何について話されるのか薄々気づいており、席に着くと、背筋を正しその言葉を待った。
感謝と共に話された内容は予想の通りで、俺とアンソワールの婚約についてだった。
詳しい内容として、俺と彼女との結婚が正式に決定した事。そして現状ではフューエンシュルツの一部の派閥に属する上級貴族にしか、その事について周知していないという事実だった。
そしてその他の貴族や国に対しては、5日後に婚約の知らせを送るようだ。
そしてその知らせと同時に、約2週間後に開かれる婚約の儀開催の通知と、その招待状も送付するようだ。
俺の知らない所でキューピッチで進んでいく婚約話に度肝を抜かされながら、日時や決定事項を確認した。
婚約の儀とは、現代でいう結婚式である。
まさか、17にして結婚式を行う事になってしまうとは、人生何が起こるか分からないものである。
というか、この話し合いで初めて知った事がある。
それは俺の結婚相手、アウローエンの年齢である。
彼女の外見や言葉遣い、所作までもが洗練され、品があり、大人びていた。
そのせいもあり、年齢としては同い年か年下かと思っていた。
それに王女様なのだから、年齢など失礼で聞いてはいけないと思い、知らない部分ではあった。
そして、告げられた年齢。
なんと15歳。
今の日本であれば結婚すらできない年齢でありました。
俺はその事実に変な罪悪感とともに、冷や汗を流しながらその会談を終え、自室へ戻った。
俺は通用しない自分の常識を痛感しながら、どこか上の空で夕食を終えた。
今日は少し早めに夕食が終わり、外の景色を眺めていた。
外の景色といっても、そこから見えるのは限られた範囲、城の中だけである。
今日、空高く飛んだ事で分かったが、今俺のいる場所はこの大きな都市の中心の中心、その奥の奥であった。
いわゆる王宮という場所に当たるのだろうか、その周りには分厚く、そして高い城壁で囲まれている。
今見えている夜空だって、その城壁に区切られ、四角い形で目に映るだけなのだから。
俺は昼間に見た城下町、そしてそれよりも外に広がる広大な大地が見たくて堪らなくなってきた。
この生活に不満もないし、とても快適に過ごせている。
それでも精神的な部分だろうか、どこか窮屈で疲れてしまうのだ。
俺はこの縛りから解放されたくて、今日の昼に教えてもらった呪文「リューゲル」を唱えた。
流石に1人では怖いというか、寂しさもあって、右腕にはしっかりとスライムのピースを抱きしめている。
ピースも外に出れるのが嬉しいのか、腕の中でプルプルと跳ねていた。
俺は魔力の制御に集中しつつ、部屋の窓から一気に空へと舞い上がった。
城下町に広がる灯りは、まるでキラキラと光る小さい宝石のようで、眼下に美しく散りばめられいた。
俺はその城下町を楽しそうだと目を細めつつ飛び越えて、その向こうに広がる真っ黒な大地へと向かった。
昼間は美しく思えた新緑の大地も、今は何もかも飲み込んでしまいそうな程に黒く染まっていた。
俺はその大地を眺めながら、右腕で抱えるピースを数回撫でる。
そして、速度を落としゆっくりと城下町から離れ、深い森林が広がる広大な大地へと向かっていく。
特に変わった場所も見つからず、流石に王宮へと戻ろうかと考えていた時だった。
森林の中で小さく光る一点の灯が目に入ったのだ。
俺はそれの正体が気になって、確認するべくその灯りへと向かうかどうか思案し、お城の方は振り返った。
案外それ程離れてはおらず、もし灯りへ向かったとしても迷うという事はないだろうと確かめて、意を決してその灯りへと向かって高度を下げていく。
ゆっくりと高度を落としていくと、その灯りの周りに2体の影があるのが目に入った。
その影が人型で動いている事に気がついた。
もちろん警戒心は湧いたものの、それよりも正体を確かめたいという好奇心が勝ってしまう。
流石に夜盗や野伏であれば目も当てられない。さらに警戒しつつバレないようにゆっくりと高度を下げていった。
その2体の影のフォルムの詳細まで分かる程に近づいた頃だった。
その影は確かに人型ではあったが、人ならば表れるはずがないであろう部分に影ができている事に気がついた。
それは、主に頭部分だ。
片方の細身の影の頭部分には、まるで動く猫耳のような影が。
もう片方の太めの影の頭部分には、鋭く尖った大きなツノのような影が。
俺はすぐにそれらの影の持ち主が、勉強会で習ったような亜人や魔族のものであろうと理解できた。
人間の国であるフューエンシュルツにいる亜人と魔族なのだ。何か良からぬ理由があるに違いはないのに、俺は好奇心に負けて実物を見てみたいとさらに近づいてしまう。
そして灯りに照らされたそれぞれの体が見えた。
どちらも汚れたボロを身につけていたが、影で見えたように頭にはそれぞれ猫耳と一本の鋭いツノが生えていた。
やはり獣人や鬼は存在するのだと感心していた次の瞬間だった。
猫耳を大きく震わせた獣人がびっくりしたようにこちらは振り返り大声を上げたのだ。
「うわっ、誰!?誰かいるでしょう!?!?」
その声に反応して、もう片方の鬼のような魔族もこちらへと振り返り、2人は警戒態勢はいった。
俺は身の危険を感じ、すぐに体を翻して体を上昇させようと力を入れる。
「あそこ、あそこだよ、あそこに誰かいる。」
そう言ってこちらを指差す獣人に呼応し、鬼のような魔族は地面に転がっていた拳程の大きさの石を手にとった。
鬼はこちらを睨み、目当てをつけ、おもむろに振りかぶるのであった。
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45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
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2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
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スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
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小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
男女比1:10。男子の立場が弱い学園で美少女たちをわからせるためにヒロインと手を組んで攻略を始めてみたんだけど…チョロいんなのはどうして?
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