上 下
6 / 353
第一章 第一節 シャンタリオへ

 1 彩雲と暗雲

しおりを挟む
「もう一日も進めばシャンタリオ、『シャンタルの神域』の中心だ」

 そう聞いてトーヤはワクワクした。

 ここまで結構の道のりで、海はなぎの日ばかりではなかった。波に振り回されるような日もあれば、海は静かでも何日も雨も降らず、来る日も来る日も太陽に照らされ続け、夜になっても室内に熱気がこもり、熱気と湿度がたまらない日もあった。

 それでも、途中寄った港では船が進むたびに変わる風景に、人の服装の珍しさに、その地その地特有の料理にと、心が沸き立つもののほうが圧倒的に多く、まだ若いトーヤには置いてきた故郷のことより、目の前の船先に押し寄せる旅の行く末への期待の方が大きくなっていった。

 はるか遠くへの旅立ちを決意したのは、一番自分の面倒を見てくれていた母の妹分、ミーヤの死があったからだ。
 幼くして母を亡くし、天涯孤独の身の上となったトーヤのことを、なんとか母が命を終えたその店に置いてやってほしい、そう言って必死に頼んでくれたのがミーヤだった。

「お願いします、大事な姉さんの残した子ども、あたしが面倒見ますから、どうぞどうぞ、店の片隅で構いませんから置いてやってください」
「だがね、おまえだってまだ姉さんたちに付いて勉強してる身じゃないか、自分のことも1人でどうともできん者の言うことをねえ……」

 そう言って渋る店主に、まだ当時13になったばかりのミーヤが、

「だったら15になる前に、今から、今日からすぐ店に出してくれても構いません。だからお願いします!」

 そう言って、床に擦り付けるように頭を下げ続け、見かねたように他の女たちも、

「あたしたちも世話になった姉さんの子ども、お願いします、あたしたちも手伝いますから」
「お願いです。こんな小さな子、放り出して何かあってもお父さんも夢見が悪いでしょうよ」
「こんな小さいの1人、増えても減ってもそんなに店に負担が増えるわけじゃなし」
「あたしらのご飯、ちょっとずつ削ってやってくれてもいいですから」

 そう言って援護してくれて、

「ちゃんと責任を持って面倒を見るならば。もしも店に迷惑をかけるようならすぐにも放り出す」

 と、まるで犬の子のことでもあるようにそう言って、店主もしぶしぶ置いてくれることとなった。

 そういうわけで、かわいがってくれる女たちはたくさんいた。どの女も自分を母の息子だということで世話を焼いてくれたが、自分をまるで本当の子どものようにかわいがってくれたのが、このミーヤであった。

「あたしの名前はね、あんたと同じように姉さんがくれたんだよ。だから似てるだろ、ミーヤとトーヤ」

 くしゃっと笑いながらよくそう言っていたなあ、そう思い出す。

 そのミーヤが母と同じ病気になった。すぐに命を落とすような病ではないと分かってはいたが、日に日に弱っていくミーヤを見るのはつらかった。

 かわいがってくれた母代わりに、せめてもと手近の戦を見つけては傭兵稼ぎをしたり、あまりおおっぴらに言えない仕事をして作った金で、精のつく物をとできる限りのことはしたつもりだったが、ミーヤが元の体に戻ることはなかった。

「あまり無理しないで、危ないことしないで」

 戦場から帰るとトーヤの手をやせ細った手で握ってはそう言ったミーヤ。
 最後までトーヤの身を案じ、心配の言葉と感謝の言葉だけを残して逝ってしまったミーヤ。

 実の母の時にはあまりに幼く何もしてやることができなかった。

 母の言葉で覚えているのは、残していく息子への「ごめんね」という一言だけだった。もしも母が自分が今の年齢になるまで生きていてくれたら、ミーヤと同じように「ありがとう」と言ってくれたのかも知れない、そう思った。

 ミーヤのとむらいを済ませると、トーヤは何をしていいか分からなくなった。
 人間というものは、自分のためより誰かのために何かをする方がより有意義に感じるのかも知れない、そんなことを思ったりしていた。

 そんな頃に、「シャンタルの神域」へ行く船に乗らないかと声をかけられた。
 
 ミーヤが寝付いてからはあまり長く町から離れるような仕事は避け、長くとも一月ひとつきぐらいで様子を見に戻っていた。
 だがもうその必要はない、いつまで町を離れていてもいいのだ。何より今ここにはいたくない、そういう気持ちで行くことに決めたのだった。

 町を出る時には、そんなふさぎ込む気持ちの方が多かった。

 だが、船が進むに連れ、若い健康なトーヤの心の闇は次第に薄れ、ついでに海の上で何艘もの船を相手に暴れたこともよかったのか、東の大海を超えて「シャンタルの神域」に近づく頃には、すっかり新天地への期待の方が大きくなっていた。

「そうか、明日の今頃はもうシャンタリオか」

 船べりに手をかけて前かがみになり、「んー」と一つ伸びをしてからふと顔を上げる。
 水平線にかかる雲から、虹の足元が見えていた。
 すごく幸先さいさきのいい光景に思えた。

 だがその夜のことだ、海がいきなり牙をむいたのは。

 上も下も分からぬほど船は風と雨と波にもてあそばれ、トーヤは他の船員たちと同じくどうするもことできず、大嵐の中に放り出され、意識を失った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悲恋を気取った侯爵夫人の末路

三木谷夜宵
ファンタジー
侯爵夫人のプリシアは、貴族令嬢と騎士の悲恋を描いた有名なロマンス小説のモデルとして持て囃されていた。 順風満帆だった彼女の人生は、ある日突然に終わりを告げる。 悲恋のヒロインを気取っていた彼女が犯した過ちとは──? カクヨムにも公開してます。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...