232 / 353
第三章 第二節 目覚め
2 侍女頭
しおりを挟む
キリエはミーヤには「やることを終えたら休ませてもらう」と言ったが、この時期、侍女頭にはそれこそ山のようにやることがあった。それ以外にシャンタルに心を開かせ命を助けるという重い使命、正直、休むなどと考える時間すらないに等しい。
それでも、シャンタルの部屋から下がりながら、できるだけ手順よくやるべきことを片付けていく。
これもその役目の一つ、まずは奥宮の次代様を尋ねてご様子を見る。まだ生まれたばかりの次代様、数名の乳母と共に御誕生後、交代の日まで過ごされる部屋へと足を向ける。幸いにしてお健やかで何一つ問題はなかった。今度のシャンタルもまたお美しい方である。整ったお顔を見てほっと安心し、乳母たちと侍女たちに声をかけてから部屋を出る。
そこから渡り廊下を通って産室のある離宮へ向かう。今度は親御様のご様子を伺い、産後の肥立ちもよくご健康であられるのを確認し、次代様の様子をお伝えしてから、侍女たちによろしく頼んで部屋を出る。
次は一度前の宮を通り過ぎ、客殿へ足を伸ばす。ご滞在中のお父上に今朝の次代様、親御様のご様子を伝え、ご不便がないかなどを伺い、下がる。
それからもう一度奥宮へ戻り、侍女たちに色々と伝えなければならないことを伝える。
奥宮のごく前の部分、前の宮とつながるところに侍女たちが支度を整えたり待機したりする大きな部屋がある。その他の場所に個々に待機場所や支度部屋などはあるが、ここがそのための大元の部屋にあたる。そこでそれぞれの部所の責任者、その時必要な者に諸々の伝達などを伝え指示を与える。今は交代に向けての用が大部分である。
それからこれは今回だけの、今だけのことではあるが、故あってマユリア、ラーラ様、シャンタル付き侍女のネイとタリアが少し場所を離れていることを伝える。侍女たちの間にざわめきが起こるが気に留めない。そしてその代わりにミーヤがしばらくの間シャンタル付きになることも伝える。一層のざわめきが起こるが「マユリアの勅命」と一括で黙らせ、残りの細かいことを申し伝えて伝達を終える。
他にもまだやらねばならぬことがあるが、今日はまず第一にやることがある。トーヤに黒い棺を見せなければならない。
いくら疲れていてもいくら時間がなくてもこれだけは自分でやらねばならない。自分以外にできる人間はいない。
時刻はもう昼前になっている。シャンタルの朝食に大層時間がかかったからだ。だがその分の実りはあった。ミーヤに簡単にとれる食事を持っていくように食事係に指示はしたが、自分は何も食べずに動いている。
前の宮に戻りトーヤに与えられている部屋へと足を向ける。
扉の前に立つと足が止まった。
キリエはトーヤを信じていた。
初めはどこの馬の骨とも分からぬならず者と心のどこかで忌み嫌っていた。そんな者がこの宮の中にいると思うだけで不愉快であった。
だが、監視を付け、警戒しながらも短からぬ時間を接していくうち、自分の偏見を超えて誠実な人間であると知り、自分自身も救われることとなり、気付けばそれなりに好感を抱き信頼するようになっていた。
そのトーヤにあのようなひどい言葉を吐かせてしまったこと、そのことがキリエの胸を痛める一因となっていた。
おそらくトーヤはシャンタルを助けたいと心の底では思っている。ミーヤも言っていたが自分もそう信じていた。それと同時に、やはりシャンタルが心を開かぬ時には見捨てる覚悟であるとも確信していた。その覚悟を貫くため、どれほど辛くてもあの男は目の前で沈んでいくシャンタルの棺をじっと静かに、自分も苦痛を感じながら見届けるであろうとそう確信していた。そういう人間だ。
(ある意味あの男は自分と似ている)
そう考えてキリエはため息をついた。
頑固で融通が利かぬ、こうと決めたら自分の心を壊してでも考えを貫く。
それだけに沈む棺を血の涙を流しながらもじっと見つめているだろう場面が想像できる。
(そんなことをさせてはいけない)
シャンタルの御身が一番大事だ、それは間違いない。シャンタルご自身のためにも、マユリアやラーラ様、その他の自分も含めた人間のためにも、それからこの世界のためにもお助けしなければならない。それと同時に、トーヤにそんなことをさせたくはない。そしてミーヤのささやかな願いを叶えてやりたい。
キリエは一度大きく息を吸って吐くと、いつもの侍女頭の顔に戻って扉を叩いた。
中から弱く返事があり、扉を開けて中に入る。
トーヤはまだソファの上に仰向きに寝そべったままであった。
「どうしました?」
いつもの侍女頭の顔で聞く。
聞かれたトーヤは苦笑をした。
「あんたは変わんねえなあ、何があっても……だからまあ信用できるんだが」
「ほめられているのですかね?」
ソファに近寄るが動く気配がない。
「なあ、なんかあったか?」
「え?」
「あいつだよ、シャンタル」
キリエは答えずトーヤの言葉の続きを待つ。
「ちょっと変なことがあってな、そんでこのざまだ……体に力が入らねえ。なんかあっただろ?」
トーヤは確信しているようだった。
それでも、シャンタルの部屋から下がりながら、できるだけ手順よくやるべきことを片付けていく。
これもその役目の一つ、まずは奥宮の次代様を尋ねてご様子を見る。まだ生まれたばかりの次代様、数名の乳母と共に御誕生後、交代の日まで過ごされる部屋へと足を向ける。幸いにしてお健やかで何一つ問題はなかった。今度のシャンタルもまたお美しい方である。整ったお顔を見てほっと安心し、乳母たちと侍女たちに声をかけてから部屋を出る。
そこから渡り廊下を通って産室のある離宮へ向かう。今度は親御様のご様子を伺い、産後の肥立ちもよくご健康であられるのを確認し、次代様の様子をお伝えしてから、侍女たちによろしく頼んで部屋を出る。
次は一度前の宮を通り過ぎ、客殿へ足を伸ばす。ご滞在中のお父上に今朝の次代様、親御様のご様子を伝え、ご不便がないかなどを伺い、下がる。
それからもう一度奥宮へ戻り、侍女たちに色々と伝えなければならないことを伝える。
奥宮のごく前の部分、前の宮とつながるところに侍女たちが支度を整えたり待機したりする大きな部屋がある。その他の場所に個々に待機場所や支度部屋などはあるが、ここがそのための大元の部屋にあたる。そこでそれぞれの部所の責任者、その時必要な者に諸々の伝達などを伝え指示を与える。今は交代に向けての用が大部分である。
それからこれは今回だけの、今だけのことではあるが、故あってマユリア、ラーラ様、シャンタル付き侍女のネイとタリアが少し場所を離れていることを伝える。侍女たちの間にざわめきが起こるが気に留めない。そしてその代わりにミーヤがしばらくの間シャンタル付きになることも伝える。一層のざわめきが起こるが「マユリアの勅命」と一括で黙らせ、残りの細かいことを申し伝えて伝達を終える。
他にもまだやらねばならぬことがあるが、今日はまず第一にやることがある。トーヤに黒い棺を見せなければならない。
いくら疲れていてもいくら時間がなくてもこれだけは自分でやらねばならない。自分以外にできる人間はいない。
時刻はもう昼前になっている。シャンタルの朝食に大層時間がかかったからだ。だがその分の実りはあった。ミーヤに簡単にとれる食事を持っていくように食事係に指示はしたが、自分は何も食べずに動いている。
前の宮に戻りトーヤに与えられている部屋へと足を向ける。
扉の前に立つと足が止まった。
キリエはトーヤを信じていた。
初めはどこの馬の骨とも分からぬならず者と心のどこかで忌み嫌っていた。そんな者がこの宮の中にいると思うだけで不愉快であった。
だが、監視を付け、警戒しながらも短からぬ時間を接していくうち、自分の偏見を超えて誠実な人間であると知り、自分自身も救われることとなり、気付けばそれなりに好感を抱き信頼するようになっていた。
そのトーヤにあのようなひどい言葉を吐かせてしまったこと、そのことがキリエの胸を痛める一因となっていた。
おそらくトーヤはシャンタルを助けたいと心の底では思っている。ミーヤも言っていたが自分もそう信じていた。それと同時に、やはりシャンタルが心を開かぬ時には見捨てる覚悟であるとも確信していた。その覚悟を貫くため、どれほど辛くてもあの男は目の前で沈んでいくシャンタルの棺をじっと静かに、自分も苦痛を感じながら見届けるであろうとそう確信していた。そういう人間だ。
(ある意味あの男は自分と似ている)
そう考えてキリエはため息をついた。
頑固で融通が利かぬ、こうと決めたら自分の心を壊してでも考えを貫く。
それだけに沈む棺を血の涙を流しながらもじっと見つめているだろう場面が想像できる。
(そんなことをさせてはいけない)
シャンタルの御身が一番大事だ、それは間違いない。シャンタルご自身のためにも、マユリアやラーラ様、その他の自分も含めた人間のためにも、それからこの世界のためにもお助けしなければならない。それと同時に、トーヤにそんなことをさせたくはない。そしてミーヤのささやかな願いを叶えてやりたい。
キリエは一度大きく息を吸って吐くと、いつもの侍女頭の顔に戻って扉を叩いた。
中から弱く返事があり、扉を開けて中に入る。
トーヤはまだソファの上に仰向きに寝そべったままであった。
「どうしました?」
いつもの侍女頭の顔で聞く。
聞かれたトーヤは苦笑をした。
「あんたは変わんねえなあ、何があっても……だからまあ信用できるんだが」
「ほめられているのですかね?」
ソファに近寄るが動く気配がない。
「なあ、なんかあったか?」
「え?」
「あいつだよ、シャンタル」
キリエは答えずトーヤの言葉の続きを待つ。
「ちょっと変なことがあってな、そんでこのざまだ……体に力が入らねえ。なんかあっただろ?」
トーヤは確信しているようだった。
0
お気に入りに追加
55
あなたにおすすめの小説
悲恋を気取った侯爵夫人の末路
三木谷夜宵
ファンタジー
侯爵夫人のプリシアは、貴族令嬢と騎士の悲恋を描いた有名なロマンス小説のモデルとして持て囃されていた。
順風満帆だった彼女の人生は、ある日突然に終わりを告げる。
悲恋のヒロインを気取っていた彼女が犯した過ちとは──?
カクヨムにも公開してます。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる