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第三章 第一節 神から人へ
16 御手
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「とにかく少しでも早くシャンタルにご自分で外を見て、聞いていただかなければ。それからでなくてはトーヤを呼ぶこともできません」
「はい」
そのためにはどうすればいいのかは分からない。
ただ、今はマユリアとラーラ様から切り離されて音のない暗闇の中にいるシャンタル、キリエとミーヤが触れる手だけがこの世界との接点になっているらしいことだけは分かる。
「できるだけ触れて安心していただいて、ご自分で動いていただく、ということではどうでしょうか」
「そうですね。おまえと私の手をまず覚えていただいて、少しずつでも心を開いていただきましょう」
「はい」
時間的にそろそろ侍女が朝食を持ってくる時間である。
シャンタルを食事用のテーブルに座らせ、準備をして待っていると三十代ぐらいの年齢の侍女が2人、ワゴンに乗せた食事を持って現われた。
「失礼いたします。朝食をお持ちしました」
そう言って頭を下げて上げ、ミーヤを見て怪訝な顔をする。
侍女頭のキリエは世話係のネイとタリアと代わって時々シャンタルの食卓の世話をすることがある。だが、その隣にいる見たことがない見るからに若く、まだ誓いも立てていなければシャンタルへのお目見えすら済んでいないぐらいの「若輩者」がなぜそこにいるのか、そう思っているのだ。
「ミーヤです。しばらくシャンタルのおそば付きをいたします。覚えておいて下さい」
キリエがそう言うのにミーヤが急いで頭を下げ、
「ミーヤでございます、よろしくお願いいたします」
そう言うが、2人は顔を見合わせて困ったような表情になる。
「マユリアの勅命です」
そう言われて2人ははっとしたように頭を下げ、
「承知いたしました、よろしくお願いいたします」
と挨拶をし、ワゴンを置いて下がっていった。
朝食をシャンタルの前に並べる。子ども1人の朝食には有り余るほどの質と量である。
そう言えば客殿にいる頃、トーヤがあまりに豪華過ぎて困っていたとミーヤは思い出すが、その何倍も豪勢だ。
「さあ、どれから召し上がりましょうか」
キリエがそう声をかけるがもちろん返事はない。
「そうですね、スープからお口を湿しましょうか」
そう言って銀の匙でスープをすくい、シャンタルの口元まで運ぶ。
匙が口に触れると、いつものことなのか自然に口を開け、スープを飲み込む。
キリエが何回かそうして繰り返す。
ミーヤはなんだか親鳥がヒナに餌を運んでいるようだと思った。
「あの、キリエ様……」
「なんです?」
「いつもそうして召し上がっていらっしゃるんでしょうか」
「ええ、そうですが、どうしました?」
ミーヤが言いにくそうに言う。
「ご自分で召し上がっていただいた方がよくはないでしょうか……」
ミーヤにそう言われ、キリエが手を止める。
「おまえの申す通りです……」
シャンタルは目、耳、口だけではなく、手まで他人のものを借りぬと食事もできていなかったのかと今更ながら自分がやっていたことに気付いて愕然とする。
「言われるまで気が付いていませんでした、その通りです……」
今やることはシャンタル自らが動けるようにすること、それなのにまだ御手を取り上げるような真似をしていた、それに気付いていなかった自分をキリエは恥じた。
シャンタルはその御手をかざすことで人々に慈悲を与える。
今までその手は自分のために働いたことがない、一度も。
それは女神としては大変徳の高い尊い行いではあるが、人としてみるとどう考えればいいものか……
「何からお始めいただければいいものか……」
キリエは戸惑った。「食事を摂る」という行為、自分は特に意識することなくやっている行為を教える、それがいかに難しいのかをあらためて知った気がする。
ミーヤも実際にどうすればと考えるとすぐにこれということが浮かばない。
「とにかく、何か御手に触れていただいてご自分で召し上がっていただけそうなものを何か……」
そう言ってミーヤがふとグラスに入ったジュースに目を留める。
「これでしたら両手で持っていただいて、そして飲んでいただけるかも知れませんが……」
美しい模様の入った薄手のグラス。ガラスは高価で庶民の手の届くものではない。そのガラスにさらに細かな彫刻のような模様が入っている。
「ガラスは割れやすいので危ないでしょうか?何かカップのような物の方が?」
尋ねるとキリエが何かを思い出したように侍女部屋へ行き、取っ手の付いたカップを1つ手に持って戻ってきた。
「侍女用のカップは失礼かも知れませんが事情が事情です。どうぞこれを」
ジュースを移し右手に取っ手を、そして左手にカップの本体を持たせる。
シャンタルは反応なく黙ってカップを持ってじっとしている。
「失礼いたします……」
ミーヤがそう言ってカップを持った手に自分の手を添え、シャンタルの口元へ移動させた。
柑橘系のジュースのいい香りがしている。きっとシャンタルの鼻腔にも届いているはずだ。
シャンタルの手をそっと傾ける。ジュースがゆるやかに口元に届いた。
香りからそれが何か分かったからだろうか、シャンタルがわずかに口を開きゴクリとジュースを飲み込んだ。
「はい」
そのためにはどうすればいいのかは分からない。
ただ、今はマユリアとラーラ様から切り離されて音のない暗闇の中にいるシャンタル、キリエとミーヤが触れる手だけがこの世界との接点になっているらしいことだけは分かる。
「できるだけ触れて安心していただいて、ご自分で動いていただく、ということではどうでしょうか」
「そうですね。おまえと私の手をまず覚えていただいて、少しずつでも心を開いていただきましょう」
「はい」
時間的にそろそろ侍女が朝食を持ってくる時間である。
シャンタルを食事用のテーブルに座らせ、準備をして待っていると三十代ぐらいの年齢の侍女が2人、ワゴンに乗せた食事を持って現われた。
「失礼いたします。朝食をお持ちしました」
そう言って頭を下げて上げ、ミーヤを見て怪訝な顔をする。
侍女頭のキリエは世話係のネイとタリアと代わって時々シャンタルの食卓の世話をすることがある。だが、その隣にいる見たことがない見るからに若く、まだ誓いも立てていなければシャンタルへのお目見えすら済んでいないぐらいの「若輩者」がなぜそこにいるのか、そう思っているのだ。
「ミーヤです。しばらくシャンタルのおそば付きをいたします。覚えておいて下さい」
キリエがそう言うのにミーヤが急いで頭を下げ、
「ミーヤでございます、よろしくお願いいたします」
そう言うが、2人は顔を見合わせて困ったような表情になる。
「マユリアの勅命です」
そう言われて2人ははっとしたように頭を下げ、
「承知いたしました、よろしくお願いいたします」
と挨拶をし、ワゴンを置いて下がっていった。
朝食をシャンタルの前に並べる。子ども1人の朝食には有り余るほどの質と量である。
そう言えば客殿にいる頃、トーヤがあまりに豪華過ぎて困っていたとミーヤは思い出すが、その何倍も豪勢だ。
「さあ、どれから召し上がりましょうか」
キリエがそう声をかけるがもちろん返事はない。
「そうですね、スープからお口を湿しましょうか」
そう言って銀の匙でスープをすくい、シャンタルの口元まで運ぶ。
匙が口に触れると、いつものことなのか自然に口を開け、スープを飲み込む。
キリエが何回かそうして繰り返す。
ミーヤはなんだか親鳥がヒナに餌を運んでいるようだと思った。
「あの、キリエ様……」
「なんです?」
「いつもそうして召し上がっていらっしゃるんでしょうか」
「ええ、そうですが、どうしました?」
ミーヤが言いにくそうに言う。
「ご自分で召し上がっていただいた方がよくはないでしょうか……」
ミーヤにそう言われ、キリエが手を止める。
「おまえの申す通りです……」
シャンタルは目、耳、口だけではなく、手まで他人のものを借りぬと食事もできていなかったのかと今更ながら自分がやっていたことに気付いて愕然とする。
「言われるまで気が付いていませんでした、その通りです……」
今やることはシャンタル自らが動けるようにすること、それなのにまだ御手を取り上げるような真似をしていた、それに気付いていなかった自分をキリエは恥じた。
シャンタルはその御手をかざすことで人々に慈悲を与える。
今までその手は自分のために働いたことがない、一度も。
それは女神としては大変徳の高い尊い行いではあるが、人としてみるとどう考えればいいものか……
「何からお始めいただければいいものか……」
キリエは戸惑った。「食事を摂る」という行為、自分は特に意識することなくやっている行為を教える、それがいかに難しいのかをあらためて知った気がする。
ミーヤも実際にどうすればと考えるとすぐにこれということが浮かばない。
「とにかく、何か御手に触れていただいてご自分で召し上がっていただけそうなものを何か……」
そう言ってミーヤがふとグラスに入ったジュースに目を留める。
「これでしたら両手で持っていただいて、そして飲んでいただけるかも知れませんが……」
美しい模様の入った薄手のグラス。ガラスは高価で庶民の手の届くものではない。そのガラスにさらに細かな彫刻のような模様が入っている。
「ガラスは割れやすいので危ないでしょうか?何かカップのような物の方が?」
尋ねるとキリエが何かを思い出したように侍女部屋へ行き、取っ手の付いたカップを1つ手に持って戻ってきた。
「侍女用のカップは失礼かも知れませんが事情が事情です。どうぞこれを」
ジュースを移し右手に取っ手を、そして左手にカップの本体を持たせる。
シャンタルは反応なく黙ってカップを持ってじっとしている。
「失礼いたします……」
ミーヤがそう言ってカップを持った手に自分の手を添え、シャンタルの口元へ移動させた。
柑橘系のジュースのいい香りがしている。きっとシャンタルの鼻腔にも届いているはずだ。
シャンタルの手をそっと傾ける。ジュースがゆるやかに口元に届いた。
香りからそれが何か分かったからだろうか、シャンタルがわずかに口を開きゴクリとジュースを飲み込んだ。
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