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2023年 11月

日本人的思考のせいかも

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 あるテレビ番組を見ていると、

「日本には八百万の神がいるのですべての物に命があると考える傾向がある」

 という話が出てきて、

「分かった、そのせいだ!」

 と、あることに思い至りました。

 私は物が捨てられないタイプです。その理由の一つが、おそらくそれだなとの自覚もあります。

 もちろん、何もかもを置いてるわけじゃないです。鼻かんだ紙なんてすぐ捨てるし、食材が入ってたビニールだって捨てる。ただ、なんだか分からないけどほぼゴミだなと思いつつも、かわいそうと思ってしまうものもあります。

 例えばタオル。古くなってきたら捨てますよね、それでもなんとなく捨てられないのがあります。それはどんなのかと言いますと、

「顔がついてるやつ」

 です。

 無地のは比較的捨てられるのですが、文字がつくとちょっと余分に使うようになって、顔がついてるともうだめですね。なんとなくかわいそうで、もうちょっとだけ使おうと思ってしまう傾向があります。

 おそらく、こういうのはますます「命がある」みたいに見えるから、捨てたらかわいそう度がアップしする、つまり全ての物に命が宿る認定を、知らず知らずにしてるんでしょう。

 よく言われるのは、

「自分が死んだら全部ゴミ」

 なんですが、実際に今はまだこうして生きてるもので、じゃあ生きてる間は仲間とかそんな気がしてしまうのかも。

 本当に物に埋もれてます。物のために自分がいるのか、自分のために物があるのか分からない。

 捨てる方法とかを見て、頭では納得はするんですが、最後の一線で捨てるのをストップしてしまうのが、

「全ての物に命がある」

 という、

「日本人的思考」

 なのだとしたら、私はとても日本人らしい日本人ということになりますか。

 他にも、顔はなくてもずっと使ってた物には情が移るということもあります。古くなった物に命が宿って妖怪になる、これも日本独特の思考だそうです。

 今までは、頭では分かっても心でかわいそうと思うから捨てられないんだと思ってましたが、基本的思考がそういう形だからなら、考え方をちょっと変えたらなんとかなる?

 ちょっと世界に飛び出して、

「ヘイヘイ、捨てても大丈夫、物は物、命なんてないさ」

 と、日本的じゃない思考を混ぜてもらったら捨てられるようになるのかな。

 今の世界情勢を見て、どんな大事な物でも一瞬で瓦礫になってしまうと分かっているので、結局持って逃げられるのはその身一つ、物の価値なんてほとんどないと思うと同時に、諸事情で海外から物が入ってくるのが止まる可能性があるのなら、

「もしもこれを置いてたら、いざという時に助かるんじゃないか」

 の両方を思ってしまって、やっぱり捨てる手が止まってしまいます。

 私が物を手放せるようになるためにも、世界には平和であってほしいと思いました。 
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