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第六章 第四節
14 忘れぬ痛み
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「まあ、今はそのことは関係ねえからな」
「ええ、関係はないですね。そのことがあってもなくてもルギはマユリアの命があればトーヤに剣を向けるということですから」
ミーヤからは聞いたことがない厳しい口調でそんな言葉が流れたもので、トーヤが驚いてミーヤをじっと見た。
「あの時トーヤははっきりと、これは嫌がらせだとルギに言いました。どうしてそこまでしたかったのかが気になります。何か理由があったんですよね」
トーヤはミーヤの質問に口をつぐんだ。
理由は確かにあった。ルギが痛みを感じるのはマユリアに関することだけ、そう思ったからそれ以外で痛みを感じるようにあの状況を作った。マユリアに金で動かされた事実に屈辱を感じるだろう、そう思ったから。
傭兵という仕事は金で動く仕事だ。そして衛士、特にルギはその正反対の立場にいる。主に対する忠誠心だけで動く。仕事ではなく使命、生きる理由と言ってもいい。それを自分と同じ立場に引き下ろすことで痛みを味わわせたかったのだ。
忠義の心のみで動いていた衛士が、傭兵と同じ金で動かされる立場になる。これは効果があるだろうと思ったトーヤだが、思った以上にルギの気持ちに火を点けられたことを感じていた。
あの時、トーヤは決意していた。おそらく心を開かないだろう「黒のシャンタル」が湖に沈んでいくのを最後まで見届けると。
それはとても苦しい決意だった。いくら人形のようだと言っても10歳の子供が苦しんで溺れ死ぬのをじっと見つめ続ける。体中から血が吹き出しそうなほど苦しい痛みを感じながら、それでも本人が助けてくれと言わない限り見捨てると決めたのだ。
そしてもう一つの気持ち。それはフェイのことだ。あの対の棺の存在を知り、まるでフェイが「黒のシャンタル」のためだけに生まれて死んだような気がした。
フェイを助けたい、その想いだけで聖なる湖を目指して走ったあの時の自分。どれだけ望んでも叶わなかった望み。助けられなかった命。
それを「黒のシャンタル」はシャンタルとして生まれたというだけで、何の努力もなく手に入れようとしている。それがとても許せないと思った。
だから決めた。シャンタルが託宣通りに自分に助けを求めない限り、どれほど苦しくとも絶対に助けないと。
そもそもシャンタルを大事だというマユリアたちは託宣に従ってその大事なシャンタルを湖に沈めると決めたのだ。ならば自分もその託宣に従うだけだ。
それがどれほどの苦しみか。その苦しみと同じだけの痛みをマユリアたちにも与えたかった。中でも一番ルギに。
『それほど苦しいんだな、トーヤ……』
あの時、ダルはそう言って理解してくれた。それでもう十分だと思った。その気持ちはもう二度と誰にも話すまいと。
「なぜなんですか」
もう一度ミーヤにそう聞かれて、トーヤはふっと現実に戻る。
「あんたこそ、なんでそんなにその時のことにこだわるんだよ。今のこととは関係ねえだろ? あの時に俺が何もしなくても今の状態とは何も変化はないだろうし」
「そうでしょうか」
ミーヤが石像のようにつぶやく。
「人の気持ちというものはそう簡単に痛みを忘れるものでしょうか」
「どういう意味だよ」
「確かにルギは自分の気持ちは関係なく、マユリアの命ならば従うと思います。ですがルギは何も考えずに人に刃を向けられるような人間ではありません」
「そりゃまそうだろうな」
シャンタリオは平和な国だ。国内で多少のことはあっても、外の国と戦になったことがない。
建国から二千年の間戦争をしていない。これはもう奇跡だ。
「ですからもしもマユリアがルギに誰かに剣を向けるように命じたとしても、簡単に……」
ミーヤはそこで一度言葉を途切らせたが、一呼吸置いて思い切ったように続きを口にした。
「簡単に誰かの命を奪うなどできないと思うのです。己の刃で他人の体を傷つけたり命を奪う、それはそんなに簡単にできるものなのですか?」
トーヤもアランもそしてシャンタルもベルもミーヤの言葉に何も返さず、オレンジの侍女をじっと見た。
トーヤもアランも傭兵だ。ミーヤが言った通りにその刃で他人を傷つけたり命を奪う。それが仕事だ。それを分かった上でのこの質問はとても厳しいものだ。
「簡単かどうかと言われたら、ルギ隊長の場合は簡単じゃないでしょうね」
アランがそう答える。さすがにトーヤに答えさせるのは酷だと判断したからだ。
「ですが俺らのような仕事の人間からしたら、簡単に思わないとやってられないって部分もあります」
「ありがとう」
ミーヤはアランの言葉にそう言って頭を下げた。
「そう、宮の衛士であるルギには決して簡単なことじゃないと思います。だから覚悟していたとしても、実際にその相手と刃を向けあった時に、簡単にその垣根を飛び越えられないのではと思います。ですが……」
またミーヤが少し言葉を途切れさせた。
「その時の痛みを思い出したら、それが飛び越えるための最後の一押しにならないでしょうか」
そこまで聞いてトーヤたちにはやっとミーヤの気持ちを理解できた。
ミーヤが誰を想ってこんなことを言い出したのかが。
「ええ、関係はないですね。そのことがあってもなくてもルギはマユリアの命があればトーヤに剣を向けるということですから」
ミーヤからは聞いたことがない厳しい口調でそんな言葉が流れたもので、トーヤが驚いてミーヤをじっと見た。
「あの時トーヤははっきりと、これは嫌がらせだとルギに言いました。どうしてそこまでしたかったのかが気になります。何か理由があったんですよね」
トーヤはミーヤの質問に口をつぐんだ。
理由は確かにあった。ルギが痛みを感じるのはマユリアに関することだけ、そう思ったからそれ以外で痛みを感じるようにあの状況を作った。マユリアに金で動かされた事実に屈辱を感じるだろう、そう思ったから。
傭兵という仕事は金で動く仕事だ。そして衛士、特にルギはその正反対の立場にいる。主に対する忠誠心だけで動く。仕事ではなく使命、生きる理由と言ってもいい。それを自分と同じ立場に引き下ろすことで痛みを味わわせたかったのだ。
忠義の心のみで動いていた衛士が、傭兵と同じ金で動かされる立場になる。これは効果があるだろうと思ったトーヤだが、思った以上にルギの気持ちに火を点けられたことを感じていた。
あの時、トーヤは決意していた。おそらく心を開かないだろう「黒のシャンタル」が湖に沈んでいくのを最後まで見届けると。
それはとても苦しい決意だった。いくら人形のようだと言っても10歳の子供が苦しんで溺れ死ぬのをじっと見つめ続ける。体中から血が吹き出しそうなほど苦しい痛みを感じながら、それでも本人が助けてくれと言わない限り見捨てると決めたのだ。
そしてもう一つの気持ち。それはフェイのことだ。あの対の棺の存在を知り、まるでフェイが「黒のシャンタル」のためだけに生まれて死んだような気がした。
フェイを助けたい、その想いだけで聖なる湖を目指して走ったあの時の自分。どれだけ望んでも叶わなかった望み。助けられなかった命。
それを「黒のシャンタル」はシャンタルとして生まれたというだけで、何の努力もなく手に入れようとしている。それがとても許せないと思った。
だから決めた。シャンタルが託宣通りに自分に助けを求めない限り、どれほど苦しくとも絶対に助けないと。
そもそもシャンタルを大事だというマユリアたちは託宣に従ってその大事なシャンタルを湖に沈めると決めたのだ。ならば自分もその託宣に従うだけだ。
それがどれほどの苦しみか。その苦しみと同じだけの痛みをマユリアたちにも与えたかった。中でも一番ルギに。
『それほど苦しいんだな、トーヤ……』
あの時、ダルはそう言って理解してくれた。それでもう十分だと思った。その気持ちはもう二度と誰にも話すまいと。
「なぜなんですか」
もう一度ミーヤにそう聞かれて、トーヤはふっと現実に戻る。
「あんたこそ、なんでそんなにその時のことにこだわるんだよ。今のこととは関係ねえだろ? あの時に俺が何もしなくても今の状態とは何も変化はないだろうし」
「そうでしょうか」
ミーヤが石像のようにつぶやく。
「人の気持ちというものはそう簡単に痛みを忘れるものでしょうか」
「どういう意味だよ」
「確かにルギは自分の気持ちは関係なく、マユリアの命ならば従うと思います。ですがルギは何も考えずに人に刃を向けられるような人間ではありません」
「そりゃまそうだろうな」
シャンタリオは平和な国だ。国内で多少のことはあっても、外の国と戦になったことがない。
建国から二千年の間戦争をしていない。これはもう奇跡だ。
「ですからもしもマユリアがルギに誰かに剣を向けるように命じたとしても、簡単に……」
ミーヤはそこで一度言葉を途切らせたが、一呼吸置いて思い切ったように続きを口にした。
「簡単に誰かの命を奪うなどできないと思うのです。己の刃で他人の体を傷つけたり命を奪う、それはそんなに簡単にできるものなのですか?」
トーヤもアランもそしてシャンタルもベルもミーヤの言葉に何も返さず、オレンジの侍女をじっと見た。
トーヤもアランも傭兵だ。ミーヤが言った通りにその刃で他人を傷つけたり命を奪う。それが仕事だ。それを分かった上でのこの質問はとても厳しいものだ。
「簡単かどうかと言われたら、ルギ隊長の場合は簡単じゃないでしょうね」
アランがそう答える。さすがにトーヤに答えさせるのは酷だと判断したからだ。
「ですが俺らのような仕事の人間からしたら、簡単に思わないとやってられないって部分もあります」
「ありがとう」
ミーヤはアランの言葉にそう言って頭を下げた。
「そう、宮の衛士であるルギには決して簡単なことじゃないと思います。だから覚悟していたとしても、実際にその相手と刃を向けあった時に、簡単にその垣根を飛び越えられないのではと思います。ですが……」
またミーヤが少し言葉を途切れさせた。
「その時の痛みを思い出したら、それが飛び越えるための最後の一押しにならないでしょうか」
そこまで聞いてトーヤたちにはやっとミーヤの気持ちを理解できた。
ミーヤが誰を想ってこんなことを言い出したのかが。
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