黒のシャンタル 第三話 シャンタリオの動乱

小椋夏己

文字の大きさ
上 下
483 / 488
第六章 第四節

10 標的

しおりを挟む
 キリエが感じた違和感、それはマユリアが女王の座に就くことを良しとなさっておられるところ、そしてそのためならばなんでもなさろうとしているように思えたところだった。そのことがはっきりとしてきた。

 真実は分からない。だが、そうとしか見えない。キリエはそこに引っかかっている自分に気がついたのだ。

 エリス様一行の正体を知り、あれほど希望をいだかれていたあるじが突然、その光を場合によっては斬り捨てよと己の剣に命じていた。その事実を知って初めて、違和感の正体を知ったと思った。

 つまり、トーヤと先代、そしておそらくそれに力を貸すだろう仲間たち、場合によってはミーヤやリルやダルという、自分にお仕えする者たちを邪魔になるかも知れない者たち、そう判断なさっているように見えてきたからだ。

 シャンタルを失うだろう事実を知った民たちのため、これから先も女神がこの国を守り続ける、そう伝えるための女王就任だとしても、なぜトーヤと先代たちを標的に定め剣先を向けねばならないのか。これまでのマユリアならそんなことは絶対になさらない。

 もしかしたら、先代を湖に沈めなければならなかったように、何か事情があるのではないか。そうであってほしいとキリエは思ったが、どう考えてもマユリアにそう命じる存在が見えてこない。

「マユリアに何かをお命じになれるのはシャンタルだけ……」

 唯一何かをお命じなることができる存在、当代シャンタルは託宣がお出来にならない。次代様のご誕生という、これまでのシャンタルのどなたもが唯一共通して告げた託宣すらお出来にはならなかったのだ。
 それは確かな事実だった。先代がお戻りになり、次代様のご誕生を告げた。だからこそその糸は次につながった。もう絶えることが見えているか細い糸ではあるが、それでも次の代にまでそうしてかろうじてつなげることができた。
 もしも先代のお戻りがなければ、今頃次代様はリュセルスの家具工房で普通の赤子として産まれ、両親の初めての子として慈しまれていたのかも知れない。次代様となることもなく、その過酷な運命を知ることもなく。

 シャンタルの座を降りられたマユリアには託宣はお出来にならない。だが、その残り火のように天啓を得られることがあると伺ったことはある。先代マユリアであられるラーラ様も同じようなことをおっしゃっておられた。

 代々のシャンタルはお生まれになりシャンタルを継いだ時にはまだ言葉を話すこともお出来にならない赤子である。そのため、補助としてマユリアの存在があるのだ。託宣の足りぬ部分を補助するように、マユリアに天啓として天がお伝えになられることが。

 エリス様御一行を招待したお茶会の時、ミーヤがなぜ自分であったのかとマユリアに問い、マユリアがそのオレンジを天がお示しになられたと説明された。あれも天啓だ。そして託宣と天啓の通り、ミーヤは先代の心を開かせ、今につなげる働きをしてくれた。

 もしかするとそのようなことがあったのかも知れない。マユリアがそのことをこちらに伝えぬとしても、それは決しておかしなことではない。全て天次第、人の身がこうしてほしいああしてほしい、そう思うことは不遜なことだ。

 だからキリエは何があろうともあるじめいに従わねばならない、従うしかないのだ。それがたとえどれほどつらい命令であろうとも。

 そう、天啓があったのだと思うしかない。マユリアのなさることに間違いはない、そう信じるしかないのだ。たとえそのために、今はキリエが大切に思っている者たちが涙を流し、場合によっては血を流すことになったとしても、黙ってそれを見ているしかない立場なのだ。

 先代が湖にお沈みになるかも知れない。そう知った時、いっそ自分が沈められた方がどれほど救われるかと思ったことを思い出す。そして今は、その者たちが命を失うぐらいなら、いっそ先の短い自分の命を差し出したい、あの時と同じようにそう思っている。

 だがそれはできない。天のご指示であるのなら、自分も黙ってその運命を受け入れねばならない。それどころか主の意を汲み、その剣が務めを果たすために力を貸す。それが侍女頭としての自分の役目なのだ。

 キリエは自分の胸にルギのあの剣が突き刺さっているかのような痛みを感じていた。

「いいえ、まだきっと最後の希望はあるはずです」

 八年前のあの時、のぼ朝陽あさひの色をまとった侍女が最後まで希望を捨てなかったように、自分も信じるのだ。きっと道は開けるはず。

 その日まで自分はとことん希望たちの敵になる。自分の道を信じて進むことこそ、きっと正しい道なのだから。

 トーヤにはそのことが分かっている。何があるか分からないと。だからこそ最初から知らぬ者としてこの宮に戻り、自分が敵になることも想定して動いていたのだ。

「ええ、分かっていました、こうなる可能性があることは。こちらも心を決めてかからねば、やりがいがない、そう言ってきっとがっかりすることでしょうね」

 キリエは皮肉そうに笑う黒い瞳を思い出し、あらためてそう自分に言い聞かせていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました

ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

強制力がなくなった世界に残されたものは

りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った 令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達 世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか その世界を狂わせたものは

お爺様の贈り物

豆狸
ファンタジー
お爺様、素晴らしい贈り物を本当にありがとうございました。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...