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第六章 第四節
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キリエが感じた違和感、それはマユリアが女王の座に就くことを良しとなさっておられるところ、そしてそのためならばなんでもなさろうとしているように思えたところだった。そのことがはっきりとしてきた。
真実は分からない。だが、そうとしか見えない。キリエはそこに引っかかっている自分に気がついたのだ。
エリス様一行の正体を知り、あれほど希望を抱かれていた主が突然、その光を場合によっては斬り捨てよと己の剣に命じていた。その事実を知って初めて、違和感の正体を知ったと思った。
つまり、トーヤと先代、そしておそらくそれに力を貸すだろう仲間たち、場合によってはミーヤやリルやダルという、自分にお仕えする者たちを邪魔になるかも知れない者たち、そう判断なさっているように見えてきたからだ。
シャンタルを失うだろう事実を知った民たちのため、これから先も女神がこの国を守り続ける、そう伝えるための女王就任だとしても、なぜトーヤと先代たちを標的に定め剣先を向けねばならないのか。これまでのマユリアならそんなことは絶対になさらない。
もしかしたら、先代を湖に沈めなければならなかったように、何か事情があるのではないか。そうであってほしいとキリエは思ったが、どう考えてもマユリアにそう命じる存在が見えてこない。
「マユリアに何かをお命じになれるのはシャンタルだけ……」
唯一何かをお命じなることができる存在、当代シャンタルは託宣がお出来にならない。次代様のご誕生という、これまでのシャンタルのどなたもが唯一共通して告げた託宣すらお出来にはならなかったのだ。
それは確かな事実だった。先代がお戻りになり、次代様のご誕生を告げた。だからこそその糸は次につながった。もう絶えることが見えているか細い糸ではあるが、それでも次の代にまでそうしてかろうじてつなげることができた。
もしも先代のお戻りがなければ、今頃次代様はリュセルスの家具工房で普通の赤子として産まれ、両親の初めての子として慈しまれていたのかも知れない。次代様となることもなく、その過酷な運命を知ることもなく。
シャンタルの座を降りられたマユリアには託宣はお出来にならない。だが、その残り火のように天啓を得られることがあると伺ったことはある。先代マユリアであられるラーラ様も同じようなことをおっしゃっておられた。
代々のシャンタルはお生まれになりシャンタルを継いだ時にはまだ言葉を話すこともお出来にならない赤子である。そのため、補助としてマユリアの存在があるのだ。託宣の足りぬ部分を補助するように、マユリアに天啓として天がお伝えになられることが。
エリス様御一行を招待したお茶会の時、ミーヤがなぜ自分であったのかとマユリアに問い、マユリアがそのオレンジを天がお示しになられたと説明された。あれも天啓だ。そして託宣と天啓の通り、ミーヤは先代の心を開かせ、今につなげる働きをしてくれた。
もしかするとそのようなことがあったのかも知れない。マユリアがそのことをこちらに伝えぬとしても、それは決しておかしなことではない。全て天次第、人の身がこうしてほしいああしてほしい、そう思うことは不遜なことだ。
だからキリエは何があろうとも主の命に従わねばならない、従うしかないのだ。それがたとえどれほどつらい命令であろうとも。
そう、天啓があったのだと思うしかない。マユリアのなさることに間違いはない、そう信じるしかないのだ。たとえそのために、今はキリエが大切に思っている者たちが涙を流し、場合によっては血を流すことになったとしても、黙ってそれを見ているしかない立場なのだ。
先代が湖にお沈みになるかも知れない。そう知った時、いっそ自分が沈められた方がどれほど救われるかと思ったことを思い出す。そして今は、その者たちが命を失うぐらいなら、いっそ先の短い自分の命を差し出したい、あの時と同じようにそう思っている。
だがそれはできない。天のご指示であるのなら、自分も黙ってその運命を受け入れねばならない。それどころか主の意を汲み、その剣が務めを果たすために力を貸す。それが侍女頭としての自分の役目なのだ。
キリエは自分の胸にルギのあの剣が突き刺さっているかのような痛みを感じていた。
「いいえ、まだきっと最後の希望はあるはずです」
八年前のあの時、昇る朝陽の色をまとった侍女が最後まで希望を捨てなかったように、自分も信じるのだ。きっと道は開けるはず。
その日まで自分はとことん希望たちの敵になる。自分の道を信じて進むことこそ、きっと正しい道なのだから。
トーヤにはそのことが分かっている。何があるか分からないと。だからこそ最初から知らぬ者としてこの宮に戻り、自分が敵になることも想定して動いていたのだ。
「ええ、分かっていました、こうなる可能性があることは。こちらも心を決めてかからねば、やりがいがない、そう言ってきっとがっかりすることでしょうね」
キリエは皮肉そうに笑う黒い瞳を思い出し、あらためてそう自分に言い聞かせていた。
真実は分からない。だが、そうとしか見えない。キリエはそこに引っかかっている自分に気がついたのだ。
エリス様一行の正体を知り、あれほど希望を抱かれていた主が突然、その光を場合によっては斬り捨てよと己の剣に命じていた。その事実を知って初めて、違和感の正体を知ったと思った。
つまり、トーヤと先代、そしておそらくそれに力を貸すだろう仲間たち、場合によってはミーヤやリルやダルという、自分にお仕えする者たちを邪魔になるかも知れない者たち、そう判断なさっているように見えてきたからだ。
シャンタルを失うだろう事実を知った民たちのため、これから先も女神がこの国を守り続ける、そう伝えるための女王就任だとしても、なぜトーヤと先代たちを標的に定め剣先を向けねばならないのか。これまでのマユリアならそんなことは絶対になさらない。
もしかしたら、先代を湖に沈めなければならなかったように、何か事情があるのではないか。そうであってほしいとキリエは思ったが、どう考えてもマユリアにそう命じる存在が見えてこない。
「マユリアに何かをお命じになれるのはシャンタルだけ……」
唯一何かをお命じなることができる存在、当代シャンタルは託宣がお出来にならない。次代様のご誕生という、これまでのシャンタルのどなたもが唯一共通して告げた託宣すらお出来にはならなかったのだ。
それは確かな事実だった。先代がお戻りになり、次代様のご誕生を告げた。だからこそその糸は次につながった。もう絶えることが見えているか細い糸ではあるが、それでも次の代にまでそうしてかろうじてつなげることができた。
もしも先代のお戻りがなければ、今頃次代様はリュセルスの家具工房で普通の赤子として産まれ、両親の初めての子として慈しまれていたのかも知れない。次代様となることもなく、その過酷な運命を知ることもなく。
シャンタルの座を降りられたマユリアには託宣はお出来にならない。だが、その残り火のように天啓を得られることがあると伺ったことはある。先代マユリアであられるラーラ様も同じようなことをおっしゃっておられた。
代々のシャンタルはお生まれになりシャンタルを継いだ時にはまだ言葉を話すこともお出来にならない赤子である。そのため、補助としてマユリアの存在があるのだ。託宣の足りぬ部分を補助するように、マユリアに天啓として天がお伝えになられることが。
エリス様御一行を招待したお茶会の時、ミーヤがなぜ自分であったのかとマユリアに問い、マユリアがそのオレンジを天がお示しになられたと説明された。あれも天啓だ。そして託宣と天啓の通り、ミーヤは先代の心を開かせ、今につなげる働きをしてくれた。
もしかするとそのようなことがあったのかも知れない。マユリアがそのことをこちらに伝えぬとしても、それは決しておかしなことではない。全て天次第、人の身がこうしてほしいああしてほしい、そう思うことは不遜なことだ。
だからキリエは何があろうとも主の命に従わねばならない、従うしかないのだ。それがたとえどれほどつらい命令であろうとも。
そう、天啓があったのだと思うしかない。マユリアのなさることに間違いはない、そう信じるしかないのだ。たとえそのために、今はキリエが大切に思っている者たちが涙を流し、場合によっては血を流すことになったとしても、黙ってそれを見ているしかない立場なのだ。
先代が湖にお沈みになるかも知れない。そう知った時、いっそ自分が沈められた方がどれほど救われるかと思ったことを思い出す。そして今は、その者たちが命を失うぐらいなら、いっそ先の短い自分の命を差し出したい、あの時と同じようにそう思っている。
だがそれはできない。天のご指示であるのなら、自分も黙ってその運命を受け入れねばならない。それどころか主の意を汲み、その剣が務めを果たすために力を貸す。それが侍女頭としての自分の役目なのだ。
キリエは自分の胸にルギのあの剣が突き刺さっているかのような痛みを感じていた。
「いいえ、まだきっと最後の希望はあるはずです」
八年前のあの時、昇る朝陽の色をまとった侍女が最後まで希望を捨てなかったように、自分も信じるのだ。きっと道は開けるはず。
その日まで自分はとことん希望たちの敵になる。自分の道を信じて進むことこそ、きっと正しい道なのだから。
トーヤにはそのことが分かっている。何があるか分からないと。だからこそ最初から知らぬ者としてこの宮に戻り、自分が敵になることも想定して動いていたのだ。
「ええ、分かっていました、こうなる可能性があることは。こちらも心を決めてかからねば、やりがいがない、そう言ってきっとがっかりすることでしょうね」
キリエは皮肉そうに笑う黒い瞳を思い出し、あらためてそう自分に言い聞かせていた。
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