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第六章 第一部
20 その座にふさわしい者
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トーヤが焦りを感じ、国王やダルが苛つきを感じている時に、ゆとりの笑みを浮かべている人がいた。神官長だ。
「そうですか、街がまたそんな様子に」
「はい」
神官長は街の騒ぎが大きくなったという報告を、顔では憂えるように、だが心の中では期待を持って受けていた。
「憂えるべきことです。ですが無事に交代が終わったら街も落ち着くと思います。それまでなんとか、事件が起こらないように見守るしかないですね」
「はい」
「報告をよろしくお願いしますよ」
神官長が元憲兵であった神官をそう言って送り出した。
多分ヌオリたちの張り紙の効き目があったのだろう。
「張り紙だけでこれほど効き目があるのなら、ご本人が降臨されたら、どれほどの騒ぎになるやら」
どうやら神官長は前国王本人を引っ張り出し、何かを起こす魂胆のようだ。
「だけど、その使い時がむずかしい。貴重な持ち札を無駄にしたくはない」
神官長はソファに身を沈めると、テーブルの上にあった焼き菓子を一つ取り上げ、ポキっと2つに折って見つめながら何かを考えていた。
キリエは私室へ帰るとベッドに腰を下ろし、深いため息をついた。
リュセルスの騒ぎがマユリアの元まで届いたらしい。
「一体誰から」
奥宮の最奥、世俗からは一番遠い場所にあるはずのシャンタルとマユリアの住まう宮殿に、どうやってそんな話が入ってきたというのか。
マユリアが事の真偽を問い、嘘をつくわけにはいかなくて、キリエは確かに王都が荒れていることを認めるしかなかった。そしてその結果、マユリアはやはり国王との婚姻を受け入れなければならないと言い出されたのだ。
もう一度、もう少しだけ待ってほしいとお止めはしたが、交代の日が発表され、その時にまだ王都が荒れているならば、お受けするとおっしゃった。
「キリエ、なぜそのように止めるのです。何度も言っていますが、わたくし個人が国王陛下の妻になるわけではないのです。この先の、シャンタルを失うであろう民のために、女神が王族に加わり安心をさせる。そのためなのです」
おっしゃることは分からないではない。マユリアがこの国を、民を思ってくださる故のお申し出なのだ。それは分かっている。ただ、それは嫌だとキリエは思っていた。
嫌だと思うその第一の理由は、マユリアがお幸せにはならないだろうという思いからだ。
マユリアはもう十分この国のために尽くしてくださった。これ以上の犠牲を強いたくはない。マユリアの座を離れ、人に戻った後には、ご希望の通りにご両親と家族としてお過ごしいただきたい。そう思うからだ。
国王陛下からの求婚は、ご両親のご意見を伺ってからお返事をなさるとおっしゃっていた。あのご両親なら、マユリアの、その時は本来の名にお戻りになっていらっしゃる娘の気持ちを大切にしてくださると思う。国王の妻の親という栄誉を欲しがる方々とは思えない。マユリアと同じく、娘との家族の時を持ちたいと望んでいらっしゃるはずだ。歴代4人のシャンタルの親となられたご夫婦は、どれほど子と共に過ごしたいと願っていらっしゃるだろうか。
だが、もしも「女神マユリア」が「シャンタリオ国王」との婚姻を受け入れ、王家の一員となることを受け入れたら、その時には普通の人に戻るのは難しくなるだろう。既成事実として、国王からの求婚を断ることが難しくなるかも知れない。いや、ほぼ無理強いといっていい形で王宮に召されるはずだ。国王はどんなことをしてもマユリアを手に入れると決めている。そのために反乱を起こし、父王を隠遁させたほどなのだから。
この先、歴代のマユリアが王家に残ることで、シャンタルを失う民を安堵させる、神官長はそう主張していた。確かにマユリアが王家の一族として女神の座を降りてもこの国に残ってくださることを、民は受け入れて喜ぶだろう。「歴史上最も美しいシャンタル」と呼ばれ、事情があったとはいえ、初めて2回目の任期を全うなさろうとしていらっしゃる御方だ。
まさに稀有な存在、神官長が生きた女神でありながら王家の一員として祭り上げたいと考えるのも無理のない御方。まさにその座にふさわしい御方だとキリエにも思える。
だが、だといって、御本人が望まないのに無理やり女神であり王家の一員の座に据えるのはいかがなものか。二十八年の人生を国のために捧げ、今はただ人に戻りたいとお望みならば、それを叶えてさしあげたい、キリエはそう思っていた。
そして嫌だと思うもう一つの理由。それは、神官長の真意が分からないからだ。
「一体なぜ、そのようなことを思いついたのか。そしてどうやってそれを行動に移し、実現しようと動くことができたのか」
もしもその考えが真に神官長がこの国を思う気持ちから出たとしても、あの日和見の神官長が実現しようと動けるとはとても思えないのだ。
きっと後ろに誰かがいる。その誰かが神官長を動かし、この国を、この神域を我が物にしようとしている。キリエにはそうとしか思えなかった。
「何があろうとも、その者の思う通りにさせてはならない」
キリエは膝の上で組んだ、シワが目立つ自分の細い手を見つめながらそうつぶやいた。
「そうですか、街がまたそんな様子に」
「はい」
神官長は街の騒ぎが大きくなったという報告を、顔では憂えるように、だが心の中では期待を持って受けていた。
「憂えるべきことです。ですが無事に交代が終わったら街も落ち着くと思います。それまでなんとか、事件が起こらないように見守るしかないですね」
「はい」
「報告をよろしくお願いしますよ」
神官長が元憲兵であった神官をそう言って送り出した。
多分ヌオリたちの張り紙の効き目があったのだろう。
「張り紙だけでこれほど効き目があるのなら、ご本人が降臨されたら、どれほどの騒ぎになるやら」
どうやら神官長は前国王本人を引っ張り出し、何かを起こす魂胆のようだ。
「だけど、その使い時がむずかしい。貴重な持ち札を無駄にしたくはない」
神官長はソファに身を沈めると、テーブルの上にあった焼き菓子を一つ取り上げ、ポキっと2つに折って見つめながら何かを考えていた。
キリエは私室へ帰るとベッドに腰を下ろし、深いため息をついた。
リュセルスの騒ぎがマユリアの元まで届いたらしい。
「一体誰から」
奥宮の最奥、世俗からは一番遠い場所にあるはずのシャンタルとマユリアの住まう宮殿に、どうやってそんな話が入ってきたというのか。
マユリアが事の真偽を問い、嘘をつくわけにはいかなくて、キリエは確かに王都が荒れていることを認めるしかなかった。そしてその結果、マユリアはやはり国王との婚姻を受け入れなければならないと言い出されたのだ。
もう一度、もう少しだけ待ってほしいとお止めはしたが、交代の日が発表され、その時にまだ王都が荒れているならば、お受けするとおっしゃった。
「キリエ、なぜそのように止めるのです。何度も言っていますが、わたくし個人が国王陛下の妻になるわけではないのです。この先の、シャンタルを失うであろう民のために、女神が王族に加わり安心をさせる。そのためなのです」
おっしゃることは分からないではない。マユリアがこの国を、民を思ってくださる故のお申し出なのだ。それは分かっている。ただ、それは嫌だとキリエは思っていた。
嫌だと思うその第一の理由は、マユリアがお幸せにはならないだろうという思いからだ。
マユリアはもう十分この国のために尽くしてくださった。これ以上の犠牲を強いたくはない。マユリアの座を離れ、人に戻った後には、ご希望の通りにご両親と家族としてお過ごしいただきたい。そう思うからだ。
国王陛下からの求婚は、ご両親のご意見を伺ってからお返事をなさるとおっしゃっていた。あのご両親なら、マユリアの、その時は本来の名にお戻りになっていらっしゃる娘の気持ちを大切にしてくださると思う。国王の妻の親という栄誉を欲しがる方々とは思えない。マユリアと同じく、娘との家族の時を持ちたいと望んでいらっしゃるはずだ。歴代4人のシャンタルの親となられたご夫婦は、どれほど子と共に過ごしたいと願っていらっしゃるだろうか。
だが、もしも「女神マユリア」が「シャンタリオ国王」との婚姻を受け入れ、王家の一員となることを受け入れたら、その時には普通の人に戻るのは難しくなるだろう。既成事実として、国王からの求婚を断ることが難しくなるかも知れない。いや、ほぼ無理強いといっていい形で王宮に召されるはずだ。国王はどんなことをしてもマユリアを手に入れると決めている。そのために反乱を起こし、父王を隠遁させたほどなのだから。
この先、歴代のマユリアが王家に残ることで、シャンタルを失う民を安堵させる、神官長はそう主張していた。確かにマユリアが王家の一族として女神の座を降りてもこの国に残ってくださることを、民は受け入れて喜ぶだろう。「歴史上最も美しいシャンタル」と呼ばれ、事情があったとはいえ、初めて2回目の任期を全うなさろうとしていらっしゃる御方だ。
まさに稀有な存在、神官長が生きた女神でありながら王家の一員として祭り上げたいと考えるのも無理のない御方。まさにその座にふさわしい御方だとキリエにも思える。
だが、だといって、御本人が望まないのに無理やり女神であり王家の一員の座に据えるのはいかがなものか。二十八年の人生を国のために捧げ、今はただ人に戻りたいとお望みならば、それを叶えてさしあげたい、キリエはそう思っていた。
そして嫌だと思うもう一つの理由。それは、神官長の真意が分からないからだ。
「一体なぜ、そのようなことを思いついたのか。そしてどうやってそれを行動に移し、実現しようと動くことができたのか」
もしもその考えが真に神官長がこの国を思う気持ちから出たとしても、あの日和見の神官長が実現しようと動けるとはとても思えないのだ。
きっと後ろに誰かがいる。その誰かが神官長を動かし、この国を、この神域を我が物にしようとしている。キリエにはそうとしか思えなかった。
「何があろうとも、その者の思う通りにさせてはならない」
キリエは膝の上で組んだ、シワが目立つ自分の細い手を見つめながらそうつぶやいた。
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