上 下
392 / 488
第五章 第四部

 9 穢れの影響

しおりを挟む
 キリエはマユリアの私室へと足を運んだ。

「お具合はいかがでしょうか」
「ああ、キリエ」

 マユリアはベッドの上に上体を起こそうとするので、キリエがそれを留める。

「そのままでいらっしゃってください。無理はなさいませんように」
「いえ、もうかなりいいのです。少し起きた方が調子もいいように思います」
「さようでいらっしゃいますか」

 キリエは主に手を貸して、上体を少しでも楽にできるようにと、ソファーからもう一つクッションを持ってきてあてがった。

 マユリアはいつもは梳き流すかシニヨンに結っている髪を、三つ編みにして左の肩から垂らしていた。その豊かな自分の髪すら重そうに見える。

「ありがとう」
「いえ」
 
 マユリアはふうっと楽そうに息を吐き、

「忙しい時に迷惑をかけますね」

 と、侍女頭に謝罪の言葉を口にする。

「もったいないことを」

 キリエは丁寧に頭を下げてから上げると、

「少し、お話しさせていただいてもよろしいでしょうか」

 と、時間を取らせることに許可を求めた。

「ええ、構いませんよ。ではここに椅子をお持ちなさい」

 病の床にあるあるじが、老いた侍女頭に心をくばる。

「はい、失礼をいたします」

 キリエはテーブルのところにある椅子を一つ持ち、マユリアのベッドの横に置いて、そこに腰を降ろした。

「一体何の話でしょう、何か問題でも起きましたか?」
「いえ、伺いたいのはマユリアのお具合のことでございます」

 キリエは痩せた手を主の手に添え、心配そうな表情で続ける。

「一体、いつからどうお具合が悪かったのでございましょうか。今回のことが初めてではございませんでしょう」

 マユリアは少し考えていたが、この侍女頭にごまかしは通じないと、

「ええ」

 と、言葉少なに認める。

「一体いつから、どのようにおなりでした」
「以前から時々あったのですが、今回のようなことは初めてです」
「以前から」

 キリエはやはり、と小さく嘆息たんそくする。

「いつからでございましょう」
「おそらく、八年前から」

 そんな前から。

「どうして何もおっしゃってくださらなかったのです……」
「いえ、ずっと大したことはなかったのです」
「どのようなご症状がおありだったのですか」
「少しめまいがする、ぐらいのことでした」
「どうか、これまでにおありだったことを、全部お話しください」

 キリエにそう言われ、マユリアは思い出すようにしてぽつりぽつりと話す。

「覚えているのは、そうですね、一番最初は先代がこの宮を去られて間もなくだったと思います。わたくしが応接で一人、考え事をしていたら、ふっと気が遠くなりました。そして、少しの間意識を失っていたように思います」
「そんなことが……」

 キリエは息を呑んだ。

「意識を失うなど、大変なことではございませんか、どうしておっしゃってくださらなかったのです」
「本当に短い間のこと、おそらく一瞬に近い時間のことだったからです。多分、気が抜けて、それでふっとそんなことになったのだろう、その時はそう思っておりました」
「それが初めてということは、それからもあったのですね」
「ええ、何回か。でも、どれもほんとうに短い間で、すぐに治りました。ですから、言うほどのことはない、そう思っていたのです」
「言っていただきたかったです」

 キリエは握った主の手に力をこめる。

「ごめんなさい。ですが、十年を超えての任期、そのぐらいのことがあったとしてもおかしくはない、そう思っていたのです」

 なんとおいたわしいと、キリエは胸が苦しくなる。
 この美しい主は、ご自分が全てのけがれをその身に受ける覚悟で2回目の任期をお受けになられたのだ。それだけの覚悟をなさって先代をお見送りになり、お帰りを待たれていたのだ。

 キリエは思わず先日のミーヤの身に起こったこと、先代がミーヤのことを守ってくれたことを話したくなる。だが、まだ言ってはいけないのだと、鉄の自制心を持って己を留めた。

「マユリアのお気持ちはよく分かりました。ですが、やはり私にだけは言っていただきたかった」
「ごめんなさい」
「いえ、お気持ちはよく分かりましたので」

 キリエは主の手を握ったまま、ゆっくりと首を左右に振った。
 その様子は、主を見守る下僕しもべのそれではなく、大切な孫を見守る祖母の目、そのものであった。

 マユリアはその目を見ながら、キリエという人間は、このような目を、表情をする人間であっただろうかと考える。
 マユリアが物心ついた頃にはすでに侍女頭だったキリエ。その厳しい生き様から、皆はキリエを「鋼鉄の侍女頭」などと呼ぶが、マユリアの目には、いつも優しく、暖かく、懐深い人物と映っていた。映るだけではなく、実際にいつもそうして守ってくれていた。

 だが、その時とはまた違う目をしているとマユリアは思った。

 これまでのキリエは人として、侍女として、そして侍女頭として自分たち主を、そして侍女たちを大切にして守る存在であった。だが今はもう一歩踏み込み、その守る対象を愛しい、かわいい、そう思っているようだった。

「誰がおまえを変えたのでしょうね」
「え?」

 キリエは主の言葉の意味を測りかね、戸惑った顔になった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...