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第五章 第三部
17 涙の意味、侍女頭の思い
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キリエはミーヤが静かに涙を流す様子を黙って見ていた。
ミーヤはそのまま静かに涙を流し続け、キリエもそれを静かに見守る。
新しく来たお茶がすっかり冷めた頃、ようやくミーヤは涙を拭き、キリエはその様子を静かに見る。
「申し訳ありません」
ミーヤがそう言って頭を下げ、ゆっくりと上げると、鋼鉄の侍女頭は微笑んではいないのに優しい表情で目の前の侍女を見ていた。その優しい顔が悲しげになり、そしてこんな言葉を口にした。
「許してください」
「え?」
ミーヤはキリエの口から出た言葉に驚く。
「あれで精一杯でした」
ヌオリたちへの対応について言っているらしい。
「シャンタル宮に三十年以上に渡って君臨する鋼鉄の侍女頭、そう言われている私の、あれができる精一杯だったのです。許してください」
ミーヤにはキリエが言わんとすることがよく理解できた。
この国ではシャンタルがその頂点にあり、それをマユリアが支えている。このお二人は神、特別な存在だ。人の頂点は王、そして王族、貴族がその人の頂点にあられる方を支えている。その方たちは絶対の存在だ、なまじの者では逆らうことなどできない。宮の中では最高権力者の侍女頭であっても、シャンタルかマユリアの命がなければ、ただの一侍女でしかない。
今回はヌオリたちがミーヤを卑しい職務の者と思い込んで不埒な行動に出たが、もしもそうではなく、普通に目をつけてそのようなふるまいに出たとしても、そのような方たちが相手では抗議もできない場合もある。ヌオリたちはその特別な相手、高貴な立場の者であった。
ただ、そのような立場の方たちは、自尊心高く、何よりも家の対面を重んじていらっしゃる。そのようなふるまい、家の恥になるようなことをなさることはほぼない。時折、そのような家の方でもどうしようもないようなお方が生まれてくることはあるが、そのような方には気をつけるようにとの注意が届くし、その一族の方たちが責任を持ってその方の身柄を管理しているので、間違いが起きることはほぼない。もしもそんなことがあったとしたら、その家、その一族は破滅だからだ。
ヌオリたちは勘違いから宮にもそのような存在がいるのだと思い込み、興味本位でミーヤに手出しをしようとした。だが、もしも事がなった後に勘違いであったと分かったとしても、そのような方が相手では、あちらがその気にならない限り、罰することも、何かを求めることもできない。
「無事で良かった」
キリエの心の奥からの言葉だった。
キリエはミーヤの涙の意味を、自分は本当には分かってやることはできないだろうと思っていた。
もちろん、そのように思われたことに対する屈辱、もう少しで辱められるところであったという恐怖、それらのことは理解できる。
だが、ミーヤにあるのはそれだけではない、他の者には到底計り知れない重いものをミーヤは背負ってしまった。そしてそのために、心の奥深くに大事にしまっておかなければならないことができてしまった。
八年前、ミーヤが自分に打ち明けた本心。そして自分がミーヤに語った自分の身の上。
あの極限の中、もちろんシャンタルをお助けしたいとの気持ちが一番大きかった。だが、それと同時に自分はミーヤの本当にささやかな望み、それを叶えてやるためにもご自分を取り戻してほしいと眠るシャンタルに願った。
『会って、何年かに一度だけでいい、顔を見て、言葉を交わす、それだけでいいんです』
それ以上のことは望めなかった。なぜならミーヤは侍女だからだ。その侍女であるミーヤが望んだ最大の望み、それがトーヤと残りの人生の中で何度か顔を見て、言葉を交わすこと、それであった。そしてその望みを失わないために、今もなお、これからも先もなお、ずっと侍女であろうとしている。
なんと純粋なのだといじらしくも思い、なんと頑固なのだとため息をつきたくもなる。ミーヤはまだ誓いを立ててはいない、今ならばまだ、違う道を選び直すこともできるというのに、どうしても今歩いている道を行くと決めている。
それは、そこまで強く誓っているからなのだろうとキリエは思った。それほどにミーヤのトーヤに対する思いが深いのだろうとも思った。
それだけに、トーヤとのつながりを穢れた関係に貶められ、その深い深い思いを踏みにじられたようで、悔しいとか悲しいではとても言い表わせないほどに傷ついたに違いない。そのための涙だったに違いない。
だが、自分がしてやれることはあれだけだった。決して自分たちの誤ちを認めず、決して頭を下げることなどしない高貴な方に、ミーヤに対して神に等しい礼を取らせること、それができる精一杯だった。マユリアがミーヤを勅命なさった事実を告げ、最上級の礼をさせて謝罪をさせることが。
それは決して本心から反省をし、ミーヤに対して謝罪をしたものではない。マユリアの権威を借りて頭を下げさせたに過ぎない。だがそれでも、自分はあの方たちにこの健気な侍女に対して謝罪をしてほしかったのだ。それがたとえ形だけであったとしても。
ミーヤはそのまま静かに涙を流し続け、キリエもそれを静かに見守る。
新しく来たお茶がすっかり冷めた頃、ようやくミーヤは涙を拭き、キリエはその様子を静かに見る。
「申し訳ありません」
ミーヤがそう言って頭を下げ、ゆっくりと上げると、鋼鉄の侍女頭は微笑んではいないのに優しい表情で目の前の侍女を見ていた。その優しい顔が悲しげになり、そしてこんな言葉を口にした。
「許してください」
「え?」
ミーヤはキリエの口から出た言葉に驚く。
「あれで精一杯でした」
ヌオリたちへの対応について言っているらしい。
「シャンタル宮に三十年以上に渡って君臨する鋼鉄の侍女頭、そう言われている私の、あれができる精一杯だったのです。許してください」
ミーヤにはキリエが言わんとすることがよく理解できた。
この国ではシャンタルがその頂点にあり、それをマユリアが支えている。このお二人は神、特別な存在だ。人の頂点は王、そして王族、貴族がその人の頂点にあられる方を支えている。その方たちは絶対の存在だ、なまじの者では逆らうことなどできない。宮の中では最高権力者の侍女頭であっても、シャンタルかマユリアの命がなければ、ただの一侍女でしかない。
今回はヌオリたちがミーヤを卑しい職務の者と思い込んで不埒な行動に出たが、もしもそうではなく、普通に目をつけてそのようなふるまいに出たとしても、そのような方たちが相手では抗議もできない場合もある。ヌオリたちはその特別な相手、高貴な立場の者であった。
ただ、そのような立場の方たちは、自尊心高く、何よりも家の対面を重んじていらっしゃる。そのようなふるまい、家の恥になるようなことをなさることはほぼない。時折、そのような家の方でもどうしようもないようなお方が生まれてくることはあるが、そのような方には気をつけるようにとの注意が届くし、その一族の方たちが責任を持ってその方の身柄を管理しているので、間違いが起きることはほぼない。もしもそんなことがあったとしたら、その家、その一族は破滅だからだ。
ヌオリたちは勘違いから宮にもそのような存在がいるのだと思い込み、興味本位でミーヤに手出しをしようとした。だが、もしも事がなった後に勘違いであったと分かったとしても、そのような方が相手では、あちらがその気にならない限り、罰することも、何かを求めることもできない。
「無事で良かった」
キリエの心の奥からの言葉だった。
キリエはミーヤの涙の意味を、自分は本当には分かってやることはできないだろうと思っていた。
もちろん、そのように思われたことに対する屈辱、もう少しで辱められるところであったという恐怖、それらのことは理解できる。
だが、ミーヤにあるのはそれだけではない、他の者には到底計り知れない重いものをミーヤは背負ってしまった。そしてそのために、心の奥深くに大事にしまっておかなければならないことができてしまった。
八年前、ミーヤが自分に打ち明けた本心。そして自分がミーヤに語った自分の身の上。
あの極限の中、もちろんシャンタルをお助けしたいとの気持ちが一番大きかった。だが、それと同時に自分はミーヤの本当にささやかな望み、それを叶えてやるためにもご自分を取り戻してほしいと眠るシャンタルに願った。
『会って、何年かに一度だけでいい、顔を見て、言葉を交わす、それだけでいいんです』
それ以上のことは望めなかった。なぜならミーヤは侍女だからだ。その侍女であるミーヤが望んだ最大の望み、それがトーヤと残りの人生の中で何度か顔を見て、言葉を交わすこと、それであった。そしてその望みを失わないために、今もなお、これからも先もなお、ずっと侍女であろうとしている。
なんと純粋なのだといじらしくも思い、なんと頑固なのだとため息をつきたくもなる。ミーヤはまだ誓いを立ててはいない、今ならばまだ、違う道を選び直すこともできるというのに、どうしても今歩いている道を行くと決めている。
それは、そこまで強く誓っているからなのだろうとキリエは思った。それほどにミーヤのトーヤに対する思いが深いのだろうとも思った。
それだけに、トーヤとのつながりを穢れた関係に貶められ、その深い深い思いを踏みにじられたようで、悔しいとか悲しいではとても言い表わせないほどに傷ついたに違いない。そのための涙だったに違いない。
だが、自分がしてやれることはあれだけだった。決して自分たちの誤ちを認めず、決して頭を下げることなどしない高貴な方に、ミーヤに対して神に等しい礼を取らせること、それができる精一杯だった。マユリアがミーヤを勅命なさった事実を告げ、最上級の礼をさせて謝罪をさせることが。
それは決して本心から反省をし、ミーヤに対して謝罪をしたものではない。マユリアの権威を借りて頭を下げさせたに過ぎない。だがそれでも、自分はあの方たちにこの健気な侍女に対して謝罪をしてほしかったのだ。それがたとえ形だけであったとしても。
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