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第五章 第一部
20 誓いを守る
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次代様のご誕生で、宮の中はホッと一安心の空気が流れた。
ほぼ十年毎に繰り返される行事だ。この二千年の間、何も問題は起きなかった。なので誰も何かがあると本気で心配はしていなかったはずだ。
だが、今回は少しばかり事情が違う。何しろ、八年前のご誕生の約一月後、交代を控えた先代シャンタルが突然亡くなるという衝撃的な出来事があったばかりだ。
「今度は何もありませんように」
これが皆の心の中にある。
慌ただしさの中にもやや落ち着きを取り戻した宮の中で、ミーヤは落ち着かない気持ちのまま、廊下を急いでいた。
もうすぐ交代がある。つまり、トーヤたちが役目を果たす日が近いということだ。
その日のことを思うとミーヤは息が詰まるように感じた。
もちろん、その計画がうまくいくかどうかは心配だ。今の状態から、どうやって先代「黒のシャンタル」をこの宮へ入れて、当代とマユリアの交代の間に割り込ませるのか。その計画がうまくいったとして、その後でどうやって宮から逃げだすのか。その時にマユリアをどうして一緒にお連れするのか。お二人を連れてどこへどうやって逃げるのか。
トーヤから聞いている計画もあれば、自分が知らない計画もあるはずだ。そもそも、一体自分は今、何をどう動けばいいのか。
八年前、うまく湖からシャンタルを助けてトーヤが国を出た時は、遠く離れるさびしさはあったが、きっと戻ってきて、そして、あの時と同じようにマユリアもキリエ様もルギも、ラーラ様も、みんなが温かく先代の帰還を迎え入れ、その日を穏やかに迎えられるものだとばかり思っていた。こんなに状況が変わってしまうとは思いもしなかった。
あまりにも何もかもが違う。それを一番感じるのがこれからの時間だ。
ミーヤは今日の仕事を全部終えると、セルマが待つ客室へと戻った。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
ミーヤがこの部屋でセルマと一緒に暮らすようになって、もう一月以上が経つ。今ではまるで友人同士のように気持ちを許し合っている部分もできた。
「封鎖が明けて、宮も慌ただしそうね」
「そうですね」
ミーヤが風呂から上がって髪を乾かしていると、それまで座って本を読んでいたセルマがそう話しかけてきた。
「この生活ももう後一月ほどになるのね」
ミーヤはセルマの言葉にタオルで髪を押さえていた手を止めて、そちらを見る。
「そうでしょう?」
そうだ、そういうことになる。
「あなたとここで暮らすのは楽しかった」
セルマが本から顔を上げ、ミーヤを見た。
その表情は穏やかで、「取締役」として宮の権力者然としていた時の権高さは全く見られない。
「だけど、わたくしは戻らなければなりません、この世界の未来のために」
ミーヤは黙ったままセルマを見る。
この方はおそらくあの「秘密」をご存知なのだろう。
この度ご誕生になられた次代様が最後のシャンタルであろうという秘密を。
「そうなのでしょうか……」
ミーヤは素直に今の気持ちを口にする。
「あなたはどうするのです?」
「え?」
「交代の後、トーヤと共に行かないのですか?」
「え?」
思わぬことを聞かれ、ミーヤは戸惑う。
「そもそも、どうしてトーヤは戻ってきたのです。あなたを連れて行くためではなかったの?」
それは違う。
ミーヤはそのことをよく知っている。
トーヤがこの国に戻ってきたのは、八年前の約束があったからだ。
そこまでがトーヤの「仕事」だからだ。
「いえ、それは……」
「違うのですか?」
「はい、違うと思います」
ミーヤが正直にそう答えると、セルマは意外だという顔をした。
「あの封鎖の日、トーヤはあなたを連れていこうとした。それが、たとえわたくしが、いえ……」
言いかけてセルマは一度言葉を止め、言い直す。
「私があなたにひどい扱いをするだろう、そう思ったからだとしても、実際に連れて行こうとしましたよね?」
「はい」
本当のことだ、ミーヤは素直にそう答える。
「本当に正直ですね」
自分がひどい扱いをすると言ったことをすんなりと認めたミーヤに、セルマは愉快そうにそう言って笑う。
「すみません」
「いえ、いいんです。本当のことですしね」
セルマが楽しそうにそう言うのに、ミーヤは申し訳無さそうに身を縮めた。
「だけどあなたは行かなかった。どうして一緒に行かないの? 本当は行きたいのでしょう?」
「いいえ」
ミーヤがあまりにきっぱりと答えるので、今度はセルマが目を丸くする。
「どうして?」
「私には私の道があるからです」
ミーヤはトーヤへ向けたのと同じ言葉を口にする。
「私は幼いあの日、その道を自分で選びました。この宮でシャンタルに仕え、一生を捧げると。それは、セルマ様も一緒ではないのですか?」
セルマはミーヤをじっと見て、
「そうですね」
と、答えた。
「以前にもある方に言われたことがあります。人には出会いがある、それによって違う道を選ぶことになったとしても、それもまたシャンタルの思し召しだと。ですが、私には違う道は選べません。この道を違えない、その誓いを守っているから今の自分がある。そう思えるからです」
もしも誓いを破ったら、自分の中の小さな望みすら叶わなくなるようにミーヤには思えていた。
ほぼ十年毎に繰り返される行事だ。この二千年の間、何も問題は起きなかった。なので誰も何かがあると本気で心配はしていなかったはずだ。
だが、今回は少しばかり事情が違う。何しろ、八年前のご誕生の約一月後、交代を控えた先代シャンタルが突然亡くなるという衝撃的な出来事があったばかりだ。
「今度は何もありませんように」
これが皆の心の中にある。
慌ただしさの中にもやや落ち着きを取り戻した宮の中で、ミーヤは落ち着かない気持ちのまま、廊下を急いでいた。
もうすぐ交代がある。つまり、トーヤたちが役目を果たす日が近いということだ。
その日のことを思うとミーヤは息が詰まるように感じた。
もちろん、その計画がうまくいくかどうかは心配だ。今の状態から、どうやって先代「黒のシャンタル」をこの宮へ入れて、当代とマユリアの交代の間に割り込ませるのか。その計画がうまくいったとして、その後でどうやって宮から逃げだすのか。その時にマユリアをどうして一緒にお連れするのか。お二人を連れてどこへどうやって逃げるのか。
トーヤから聞いている計画もあれば、自分が知らない計画もあるはずだ。そもそも、一体自分は今、何をどう動けばいいのか。
八年前、うまく湖からシャンタルを助けてトーヤが国を出た時は、遠く離れるさびしさはあったが、きっと戻ってきて、そして、あの時と同じようにマユリアもキリエ様もルギも、ラーラ様も、みんなが温かく先代の帰還を迎え入れ、その日を穏やかに迎えられるものだとばかり思っていた。こんなに状況が変わってしまうとは思いもしなかった。
あまりにも何もかもが違う。それを一番感じるのがこれからの時間だ。
ミーヤは今日の仕事を全部終えると、セルマが待つ客室へと戻った。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
ミーヤがこの部屋でセルマと一緒に暮らすようになって、もう一月以上が経つ。今ではまるで友人同士のように気持ちを許し合っている部分もできた。
「封鎖が明けて、宮も慌ただしそうね」
「そうですね」
ミーヤが風呂から上がって髪を乾かしていると、それまで座って本を読んでいたセルマがそう話しかけてきた。
「この生活ももう後一月ほどになるのね」
ミーヤはセルマの言葉にタオルで髪を押さえていた手を止めて、そちらを見る。
「そうでしょう?」
そうだ、そういうことになる。
「あなたとここで暮らすのは楽しかった」
セルマが本から顔を上げ、ミーヤを見た。
その表情は穏やかで、「取締役」として宮の権力者然としていた時の権高さは全く見られない。
「だけど、わたくしは戻らなければなりません、この世界の未来のために」
ミーヤは黙ったままセルマを見る。
この方はおそらくあの「秘密」をご存知なのだろう。
この度ご誕生になられた次代様が最後のシャンタルであろうという秘密を。
「そうなのでしょうか……」
ミーヤは素直に今の気持ちを口にする。
「あなたはどうするのです?」
「え?」
「交代の後、トーヤと共に行かないのですか?」
「え?」
思わぬことを聞かれ、ミーヤは戸惑う。
「そもそも、どうしてトーヤは戻ってきたのです。あなたを連れて行くためではなかったの?」
それは違う。
ミーヤはそのことをよく知っている。
トーヤがこの国に戻ってきたのは、八年前の約束があったからだ。
そこまでがトーヤの「仕事」だからだ。
「いえ、それは……」
「違うのですか?」
「はい、違うと思います」
ミーヤが正直にそう答えると、セルマは意外だという顔をした。
「あの封鎖の日、トーヤはあなたを連れていこうとした。それが、たとえわたくしが、いえ……」
言いかけてセルマは一度言葉を止め、言い直す。
「私があなたにひどい扱いをするだろう、そう思ったからだとしても、実際に連れて行こうとしましたよね?」
「はい」
本当のことだ、ミーヤは素直にそう答える。
「本当に正直ですね」
自分がひどい扱いをすると言ったことをすんなりと認めたミーヤに、セルマは愉快そうにそう言って笑う。
「すみません」
「いえ、いいんです。本当のことですしね」
セルマが楽しそうにそう言うのに、ミーヤは申し訳無さそうに身を縮めた。
「だけどあなたは行かなかった。どうして一緒に行かないの? 本当は行きたいのでしょう?」
「いいえ」
ミーヤがあまりにきっぱりと答えるので、今度はセルマが目を丸くする。
「どうして?」
「私には私の道があるからです」
ミーヤはトーヤへ向けたのと同じ言葉を口にする。
「私は幼いあの日、その道を自分で選びました。この宮でシャンタルに仕え、一生を捧げると。それは、セルマ様も一緒ではないのですか?」
セルマはミーヤをじっと見て、
「そうですね」
と、答えた。
「以前にもある方に言われたことがあります。人には出会いがある、それによって違う道を選ぶことになったとしても、それもまたシャンタルの思し召しだと。ですが、私には違う道は選べません。この道を違えない、その誓いを守っているから今の自分がある。そう思えるからです」
もしも誓いを破ったら、自分の中の小さな望みすら叶わなくなるようにミーヤには思えていた。
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