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第五章 第一部
4 神官長が語ったこと
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マユリアの心の中には、闇と光が同時に生まれていた。
今、親御様の胎内で誕生の時を待っていらっしゃる次代様、その方が最後のシャンタルになるのかも知れないという絶望にも似た暗い未来。
同時に、八年前にあの試練を乗り越えた助け手と「黒のシャンタル」がきっと道を切り開いてくれるという、期待に満ちた明るい未来。
その二つの未来がマユリアの心の中に同時にある。
「ですが、信じましょう」
マユリアがひっそりとつぶやく。
「あの試練を乗り越えた力です。きっと今回もより良き道を進むために帰ってきたのです」
その言葉にキリエもすっと目を閉じ、少し頭を下げた。
「では、どうなるか分からぬ未来に不安を抱くのではなく、実際に分かっていることを話しましょう。神官長がわたくしに申したことです。それを聞いた上で、お前たちが神官長と話したこと、そこから分かったことなどを教えてください。今、知らねばならないことは、神官長が何を考えて今のように動いているのかです」
「分かりました」
「はい」
キリエとルギが主の声に答える。
「神官長は、女神マユリアと国王の婚姻をと」
キリエもルギも、やはりその話かと思ったが、マユリアは軽く頭を左右に振ってからこう続けた。
「ですがそれは、今まで言ってきたように、わたくしに国王陛下の後宮に入れという話ではないとのことでした」
キリエはどう違うのかと不審そうな顔をしたが、ルギは心の奥底で何かがドクンと動くのを感じていた。
『真の女神の国を統べる美しき女神に並び立つ者、その場所に相応ふさわしき伴侶はあなた以外ありません』
神官長はマユリアにもあの話をしたのだ、あの『美しい夢』の話を。
それを思うと心の底がかき乱されるような気がした。
あの時、ルギは神官長の言葉を「戯言」と言って退けた。
だが、神官長は同じ言葉をマユリアにも投げかけている。
神官長は本気なのだ。
今、初めてそれを受け入れた自分がいる。
神官長を「心の病」と切って捨てることで、神官長の言葉をはねつけた。そうすることで自分の心を守ったのだ。
『本当に医師に診てもらえ、そう申したのですか』
そう言ってマユリアは楽しそうに笑った。
マユリアもそう思いたいのだ。
神官長が語った夢の話を「戯言」もしくは「妄言」と受け止めたい、そう思っているからだ。
神官長はマユリアに自分のことも語ったのだろうか。その上でマユリアが神官長の話を「戯言」や「妄言」と受け止めているとしたら、それはなんとも言い難い苦痛のように思えた。
「ルギ?」
マユリアに声をかけられ、ルギは自分の考えから現実へと戻ってきた。
「どうしました?」
「いえ、なんでしょうか」
マユリアは少し心配そうに、
「いえ、なんだか少し考え込んでいるようでしたので」
と言った。
「いえ、申し訳ありません」
ルギはできるだけいつものようにと思いながら、深く礼をした。
「大丈夫ですか?」
「はい、ご心配をおかけしました」
マユリアは少しの間ルギの様子を伺っていたが、今はいつもと変わらなぬ様子と、続きを話し始めた。
「話を始めた時には、また同じ話をと少し不愉快に思いました。わたくしの意思はもう何度も話しています。わたくしは、人の身に戻った折には両親の元へ戻るつもりだと」
キリエもルギも言葉なく主の言葉を聞く。
「そう申すと、神官長は驚くような言葉を口にしました。今のままではこの国に暴動や反乱、もしくは戦が起きると」
さすがにこの言葉にキリエもルギも少し驚いた顔になる。
「ええ、わたくしも驚きました。それで何故にそのようなことになると言うのかと尋ねたところ」
マユリアが少しだけ言葉を切り、そして思い切ったように続けた。
「先代が、湖にはいらっしゃらない、そう申しました」
今度はキリエが微妙に、本当にキリエを本当によく知る者にだけ分かるぐらいの反応を見せた。
「キリエ?」
「はい」
「何か心当たりがあるのですか?」
キリエはさっきと同じように少し考える様子を見せる。
「あるのですね?」
「はい……」
認めるしかない。認めた上で、どの程度のことをどう申し上げればいいものかとキリエは考えていた。
「話せるところだけで構いません。話してください」
「はい」
キリエは少し考えたが、あのことについては話をしようと決めた。
「神官長は、八年前のあの日に、湖に戻り、あることを見たのだと申しました」
この言葉にマユリアもルギも目を見張る。
「あることとは」
「はい」
キリエがちらりとルギを見て、
「ルギとトーヤが、黒い棺を沈めるところを目撃した、そう申しました」
今度こそマユリアとルギは言葉を失った。
「それは確かなのですか?」
「そのようです」
キリエは神官長から聞いた忘れ物の話をした。
「そういえば、あの後確かに神官長が体調を崩したことがありました」
「はい」
「では、それは、あのことを見てしまい、それが原因だったということですか?」
「はい、そう申しておりました。自分は見てはいけないものを見てしまった、そのために神の怒りを買い、このまま命を失うのだと思ったと申しておりました」
マユリアもルギも黙ったままキリエの言葉を聞いている。
今、親御様の胎内で誕生の時を待っていらっしゃる次代様、その方が最後のシャンタルになるのかも知れないという絶望にも似た暗い未来。
同時に、八年前にあの試練を乗り越えた助け手と「黒のシャンタル」がきっと道を切り開いてくれるという、期待に満ちた明るい未来。
その二つの未来がマユリアの心の中に同時にある。
「ですが、信じましょう」
マユリアがひっそりとつぶやく。
「あの試練を乗り越えた力です。きっと今回もより良き道を進むために帰ってきたのです」
その言葉にキリエもすっと目を閉じ、少し頭を下げた。
「では、どうなるか分からぬ未来に不安を抱くのではなく、実際に分かっていることを話しましょう。神官長がわたくしに申したことです。それを聞いた上で、お前たちが神官長と話したこと、そこから分かったことなどを教えてください。今、知らねばならないことは、神官長が何を考えて今のように動いているのかです」
「分かりました」
「はい」
キリエとルギが主の声に答える。
「神官長は、女神マユリアと国王の婚姻をと」
キリエもルギも、やはりその話かと思ったが、マユリアは軽く頭を左右に振ってからこう続けた。
「ですがそれは、今まで言ってきたように、わたくしに国王陛下の後宮に入れという話ではないとのことでした」
キリエはどう違うのかと不審そうな顔をしたが、ルギは心の奥底で何かがドクンと動くのを感じていた。
『真の女神の国を統べる美しき女神に並び立つ者、その場所に相応ふさわしき伴侶はあなた以外ありません』
神官長はマユリアにもあの話をしたのだ、あの『美しい夢』の話を。
それを思うと心の底がかき乱されるような気がした。
あの時、ルギは神官長の言葉を「戯言」と言って退けた。
だが、神官長は同じ言葉をマユリアにも投げかけている。
神官長は本気なのだ。
今、初めてそれを受け入れた自分がいる。
神官長を「心の病」と切って捨てることで、神官長の言葉をはねつけた。そうすることで自分の心を守ったのだ。
『本当に医師に診てもらえ、そう申したのですか』
そう言ってマユリアは楽しそうに笑った。
マユリアもそう思いたいのだ。
神官長が語った夢の話を「戯言」もしくは「妄言」と受け止めたい、そう思っているからだ。
神官長はマユリアに自分のことも語ったのだろうか。その上でマユリアが神官長の話を「戯言」や「妄言」と受け止めているとしたら、それはなんとも言い難い苦痛のように思えた。
「ルギ?」
マユリアに声をかけられ、ルギは自分の考えから現実へと戻ってきた。
「どうしました?」
「いえ、なんでしょうか」
マユリアは少し心配そうに、
「いえ、なんだか少し考え込んでいるようでしたので」
と言った。
「いえ、申し訳ありません」
ルギはできるだけいつものようにと思いながら、深く礼をした。
「大丈夫ですか?」
「はい、ご心配をおかけしました」
マユリアは少しの間ルギの様子を伺っていたが、今はいつもと変わらなぬ様子と、続きを話し始めた。
「話を始めた時には、また同じ話をと少し不愉快に思いました。わたくしの意思はもう何度も話しています。わたくしは、人の身に戻った折には両親の元へ戻るつもりだと」
キリエもルギも言葉なく主の言葉を聞く。
「そう申すと、神官長は驚くような言葉を口にしました。今のままではこの国に暴動や反乱、もしくは戦が起きると」
さすがにこの言葉にキリエもルギも少し驚いた顔になる。
「ええ、わたくしも驚きました。それで何故にそのようなことになると言うのかと尋ねたところ」
マユリアが少しだけ言葉を切り、そして思い切ったように続けた。
「先代が、湖にはいらっしゃらない、そう申しました」
今度はキリエが微妙に、本当にキリエを本当によく知る者にだけ分かるぐらいの反応を見せた。
「キリエ?」
「はい」
「何か心当たりがあるのですか?」
キリエはさっきと同じように少し考える様子を見せる。
「あるのですね?」
「はい……」
認めるしかない。認めた上で、どの程度のことをどう申し上げればいいものかとキリエは考えていた。
「話せるところだけで構いません。話してください」
「はい」
キリエは少し考えたが、あのことについては話をしようと決めた。
「神官長は、八年前のあの日に、湖に戻り、あることを見たのだと申しました」
この言葉にマユリアもルギも目を見張る。
「あることとは」
「はい」
キリエがちらりとルギを見て、
「ルギとトーヤが、黒い棺を沈めるところを目撃した、そう申しました」
今度こそマユリアとルギは言葉を失った。
「それは確かなのですか?」
「そのようです」
キリエは神官長から聞いた忘れ物の話をした。
「そういえば、あの後確かに神官長が体調を崩したことがありました」
「はい」
「では、それは、あのことを見てしまい、それが原因だったということですか?」
「はい、そう申しておりました。自分は見てはいけないものを見てしまった、そのために神の怒りを買い、このまま命を失うのだと思ったと申しておりました」
マユリアもルギも黙ったままキリエの言葉を聞いている。
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