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第四章 第二部
19 鬼籍簿を辿る
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神官長はその時のことをじっくりと思い出す。
「いえ、まさか、そんなはずが……」
少女はそう言って戸惑うばかり。
「どうしたんだ?」
その後ろからそう声をかけてきたのは、少女と同じ年頃と思しき少年、トーヤが出会った「お父様」、家具職人のラデルの若き日の姿であった。
戸惑いながらもその少年と話をし、この若い夫婦が驚く意味を知り、神官長もまた驚くこととなった。
「昨日、結婚式を挙げたばかりなんです」
少年が戸惑いながらそう言い、少女が恥ずかしそうに俯く。
つまりはそういうことなのだ。昨日夫婦になったばかりの13歳の少年と少女、今日からやっと夫婦としての第一日を始めようというその朝に次代様の託宣を告げに神官と衛士が訪ねてきたのだ、驚くのも無理のないことだ。
だが託宣は託宣、従わねばならない。
さらに、いつもなら吉日を選んでお迎えに来るのが慣例だが、今回はこのように託宣があった。
「明日の朝一番にお迎えを」
託宣があったのは深夜、そのため宮では一晩中大わらわでお迎えの準備を整えたのだ。
「託宣です、どうぞこちらへ」
戸惑う神官長をよそめに衛士長ヴァクトがそう宣言し、若い二人に準備を促した。
そうして親御様とお父上を宮へとお迎えしたものの、迎える宮側も戸惑うしかない。
「おめでとうございます、ようこそお越しくださいました。これから次代様ご誕生、そして交代の日まで心を尽くしてお仕えさせていただきます」
そんな空気の中、ただ一人侍女頭のキリエだけが淡々と、何の問題もないように若い夫婦を迎えた。
侍女頭のその宣言により、結ばれたばかりの若い夫婦はその時から離宮と客殿の部屋に引き裂かれ、顔を見ることも叶わず、侍女たちを通して互いの様子を知ることができるだけの状態に置かれた。
そして二月が過ぎる頃、ようやく親御様の懐妊が事実であると認められた。
「あの時は驚いた……」
それはそうだろう。あの状態で次代様が親御様の胎内におられると知ることができた者はこの世のどこにも存在しなかった。
「ただ一人、シャンタルを除いては」
その後、月満ちて無事に次代様、今のマユリアが誕生し、交代を済ませたその日に親御様は王都にある自宅へと戻られた。
そして十年の月日が経ち、また新しい時代様の託宣があった。その時にはすでにその座にあった神官長に宮から報告があり、その名を聞いて驚くことになる。
神官長はその名を覚えていた。それは当然だろう、あのように驚くような託宣、そしてそれが事実であったと知った時の驚愕、ある種の恐怖すら覚えたあの時のことを忘れるはずなどない。
神官長はお迎えの神官を選任すると、急いで資料室へと向かった。
「資料室」
そこは歴代シャンタルについての資料が残されている場所だ。
宮では元シャンタルが亡くなりその知らせが届くと、その段階でその方に関する全ての資料は廃棄される。残るのはその方の肖像画ただ1枚だけだ。
だが神殿ではその資料を残してある。廃棄はしない。それには理由がある。
それは、宮と神殿ではその役割が違うからだ。
シャンタル宮は生きた女神シャンタルとその侍女の女神マユリアのためにある。この世にあられる女神の身の回りの世話をし、その託宣を聞くための宮殿、それがシャンタル宮だ。生きた女神のために生きた侍女たちが宮を整え、生き神がつつがなく任期を務めて人に戻るまでのお世話をし、また新しい女神を迎え入れて次の任期までお守りする。その繰り返しを二千年の間続けてきた。
一方神殿は、その祭事一式を執り行うための施設であり、全国のシャンタル神殿の総本山として地方の神殿からの相談事に乗ったり、神官の派遣を行うのが主な役割である。そのために神官は厳しい修行をし、神殿とそこに集う民たちのために祈りを捧げ、国の安泰を願う。それが神殿である。
そしてもう一つの役割はこの世を去った魂が安らかであるように祈りを捧げることだ。
この世に生まれた人はいつかはこの世を去る、人の肉体を脱ぎ捨て魂の国に帰るのだ。その魂を平穏たれと祈ること、それも神殿の役割である。
もしも人の肉体を離れた魂が荒ぶれば、この世に災いをもたらすこともある。そのためにも永遠に安らかなれと祈りを捧げ続けるのだ。
そのために神殿には人に戻った後に人として亡くなったシャンタルの名を連ねた鬼籍簿がある。そこにはかつてシャンタルであった者の出自が記されている。それを辿ればその代のシャンタルがどこで生まれたか、その両親が誰であったかが分かるのだ。神であった者の魂が永遠に安らかであるために祈り続けるために残された記録だ。
十八年前、前回と同じ親御様から次代様がご誕生になると知り、神官長はその鬼籍簿を詳しく調べた。それまでにそのような例があったかどうかを。二千年、調べられる限りの記録を調べた。古くなり色褪せ、文字を判読するのが難しいものも多くあったが、調べられるだけのことは調べた。だが、そんな前例はなかった。同じ親御様からシャンタルが誕生したという記録は。
前例になかったからといってありえないことではない。神官長は何度もそう自分に言い聞かせながら、ひっそりと不安を封印し続けた。
「いえ、まさか、そんなはずが……」
少女はそう言って戸惑うばかり。
「どうしたんだ?」
その後ろからそう声をかけてきたのは、少女と同じ年頃と思しき少年、トーヤが出会った「お父様」、家具職人のラデルの若き日の姿であった。
戸惑いながらもその少年と話をし、この若い夫婦が驚く意味を知り、神官長もまた驚くこととなった。
「昨日、結婚式を挙げたばかりなんです」
少年が戸惑いながらそう言い、少女が恥ずかしそうに俯く。
つまりはそういうことなのだ。昨日夫婦になったばかりの13歳の少年と少女、今日からやっと夫婦としての第一日を始めようというその朝に次代様の託宣を告げに神官と衛士が訪ねてきたのだ、驚くのも無理のないことだ。
だが託宣は託宣、従わねばならない。
さらに、いつもなら吉日を選んでお迎えに来るのが慣例だが、今回はこのように託宣があった。
「明日の朝一番にお迎えを」
託宣があったのは深夜、そのため宮では一晩中大わらわでお迎えの準備を整えたのだ。
「託宣です、どうぞこちらへ」
戸惑う神官長をよそめに衛士長ヴァクトがそう宣言し、若い二人に準備を促した。
そうして親御様とお父上を宮へとお迎えしたものの、迎える宮側も戸惑うしかない。
「おめでとうございます、ようこそお越しくださいました。これから次代様ご誕生、そして交代の日まで心を尽くしてお仕えさせていただきます」
そんな空気の中、ただ一人侍女頭のキリエだけが淡々と、何の問題もないように若い夫婦を迎えた。
侍女頭のその宣言により、結ばれたばかりの若い夫婦はその時から離宮と客殿の部屋に引き裂かれ、顔を見ることも叶わず、侍女たちを通して互いの様子を知ることができるだけの状態に置かれた。
そして二月が過ぎる頃、ようやく親御様の懐妊が事実であると認められた。
「あの時は驚いた……」
それはそうだろう。あの状態で次代様が親御様の胎内におられると知ることができた者はこの世のどこにも存在しなかった。
「ただ一人、シャンタルを除いては」
その後、月満ちて無事に次代様、今のマユリアが誕生し、交代を済ませたその日に親御様は王都にある自宅へと戻られた。
そして十年の月日が経ち、また新しい時代様の託宣があった。その時にはすでにその座にあった神官長に宮から報告があり、その名を聞いて驚くことになる。
神官長はその名を覚えていた。それは当然だろう、あのように驚くような託宣、そしてそれが事実であったと知った時の驚愕、ある種の恐怖すら覚えたあの時のことを忘れるはずなどない。
神官長はお迎えの神官を選任すると、急いで資料室へと向かった。
「資料室」
そこは歴代シャンタルについての資料が残されている場所だ。
宮では元シャンタルが亡くなりその知らせが届くと、その段階でその方に関する全ての資料は廃棄される。残るのはその方の肖像画ただ1枚だけだ。
だが神殿ではその資料を残してある。廃棄はしない。それには理由がある。
それは、宮と神殿ではその役割が違うからだ。
シャンタル宮は生きた女神シャンタルとその侍女の女神マユリアのためにある。この世にあられる女神の身の回りの世話をし、その託宣を聞くための宮殿、それがシャンタル宮だ。生きた女神のために生きた侍女たちが宮を整え、生き神がつつがなく任期を務めて人に戻るまでのお世話をし、また新しい女神を迎え入れて次の任期までお守りする。その繰り返しを二千年の間続けてきた。
一方神殿は、その祭事一式を執り行うための施設であり、全国のシャンタル神殿の総本山として地方の神殿からの相談事に乗ったり、神官の派遣を行うのが主な役割である。そのために神官は厳しい修行をし、神殿とそこに集う民たちのために祈りを捧げ、国の安泰を願う。それが神殿である。
そしてもう一つの役割はこの世を去った魂が安らかであるように祈りを捧げることだ。
この世に生まれた人はいつかはこの世を去る、人の肉体を脱ぎ捨て魂の国に帰るのだ。その魂を平穏たれと祈ること、それも神殿の役割である。
もしも人の肉体を離れた魂が荒ぶれば、この世に災いをもたらすこともある。そのためにも永遠に安らかなれと祈りを捧げ続けるのだ。
そのために神殿には人に戻った後に人として亡くなったシャンタルの名を連ねた鬼籍簿がある。そこにはかつてシャンタルであった者の出自が記されている。それを辿ればその代のシャンタルがどこで生まれたか、その両親が誰であったかが分かるのだ。神であった者の魂が永遠に安らかであるために祈り続けるために残された記録だ。
十八年前、前回と同じ親御様から次代様がご誕生になると知り、神官長はその鬼籍簿を詳しく調べた。それまでにそのような例があったかどうかを。二千年、調べられる限りの記録を調べた。古くなり色褪せ、文字を判読するのが難しいものも多くあったが、調べられるだけのことは調べた。だが、そんな前例はなかった。同じ親御様からシャンタルが誕生したという記録は。
前例になかったからといってありえないことではない。神官長は何度もそう自分に言い聞かせながら、ひっそりと不安を封印し続けた。
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