241 / 488
第四章 第一部 最後のシャンタル
11 マユリアの決意
しおりを挟む
「人に戻った後、わたくしが故郷へ帰るという話なのですが」
「はい」
キリエはいつもと変わらぬ顔で返事をしながら、心の中には複雑な思いを抱えていた。
代々のマユリアは「真名」を知って人に戻られた後、その日のうちに宮を出ることになっている。そのために前もってその家族、多くは両親に連絡をし、出迎えてくれるようにと宮から伝える。もちろん当代マユリアの実家にも侍女頭であるキリエ自らが手紙を出し、お迎えをお願いいたしますと伝えた。
だが、マユリアの実家からの返事はつれない物であった。
まず、王都からは遠いことが理由の一つとして上げられていた。マユリアの故郷は王都とは正反対の位置、シャンタリオの東の端の町であった。王都まで馬車を使って半月以上はかかる。その上にマユリアの母はすでに亡く、上の子たちと長年の月日を空けてマユリアを授かった父はすでに高齢で、最近は子や孫らのことすら良く分からぬ状態である。さらに兄弟姉妹も親子ほどに年齢が離れているため、それぞれに家庭や仕事もあり誰も迎えに行けるような状態ではない。戻ってくるのならば受け入れるがそれで精一杯。このような手紙が返ってきた。
これが神であられた妹を持つ家族の返事なのか、とキリエは悔しく感じた。
だが、よく考えてみると自分の身の上とて似たようなものだ。そう気がついてふっと呆れたような笑みを浮かべた。現実とはそういうものなのかも知れない。
ただ、その現実をマユリアにどうお伝えすればいいものか。そのことを考えると胸が詰まる思いがする。だがいくらその後のことが気がかりであろうとも、「侍女頭」がお仕えするのは「シャンタル」と「マユリア」であり、人に戻られたお方とはもう関わりを持つことができなくなる。それもまた現実であった。
「キリエ?」
「あ、はい」
「どうしたのですか、おまえらしくもないことです」
「いえ、失礼いたしました」
母のごとくお優しいマユリアが、自分のことよりも眼前の侍女頭を気にかけてくださった。そのことをキリエがありがたく感じてゆっくりと頭を下げる。
「お話の続きを」
「そうですか?」
マユリアはまだ心配そうな表情を崩さぬまま、続きの言葉を口にした。
「おまえがそのことで色々と気を配ってくれているだろうと思っています。ですが、お断りしてもらえませんか」
「今、なんと?」
思いもしない言葉に思わずキリエがそう聞き返した。
「わたくしは人に戻った後に故郷へは戻らず、そのままこの宮で侍女として、シャンタルと次代様にお仕えしたいと思います」
一体なぜそのようなお考えに。
突然の言葉にさすがのキリエも驚く。
もちろんさきほどの「黒のシャンタル」の託宣と関わりがあるだろうと推測はできた。だが、それは自分の家族との再会を捨てることである。今はまだどこのどのようなお方であるかも知らぬ両親とお会いしたい、以前、マユリアは確かにそうおっしゃっていた。なのにそれを捨てるとおっしゃっているのか。
「それだけのことが起きている、おまえにはそう知っていてもらいたいのです。たとえわたくしの帰郷をお待ちくださる家族に説明できず、親不孝な者と思われたとしてもその道を歩むと決めたのです」
マユリアは自分が家族から疎まれていることをご存知ではない。それを知るキリエは胸が痛んだ。マユリアは自分が故郷に帰った後、両親が喜んで出迎えてくれる、親子の時を持てると信じていらっしゃる。だが事実は、生みの母である親御様はすでにこの世にはなく、お父上はすでに老い、もしかすると神であった娘の存在すら忘れておられるかも知れない。そして兄弟姉妹は言うまでもない。ならば、それならそれで良いのではないか、そんな考えが頭をよぎる。
「キリエ?」
マユリアが黙り込んでしまったキリエを訝しむように見た。
「いえ、あまりのお覚悟に思わず……申し訳ありません」
「いいえ、それは突然このようなことを言い出したのですもの。驚かせてしまってごめんなさい」
疑うことを知らぬ純粋なお方が侍女頭の言葉に謝罪をする。
「ですがもう決めたのです。わたくしはこの先の生涯をおまえと共に当代と次代様に捧げると」
「マユリア……」
マユリアは決意を秘めた黒い瞳を侍女頭に向けた。
「ですから、お迎えには来られませんようにとおまえから伝えてください。わたくしも人に戻った後にお手紙を差し上げます。もしも王都に来られてお会いするようなことになるとどちらもつらいばかりですから」
澄み切った黒い瞳のその奥に悲しみを隠し、マユリアはそう言い切った。
「あの託宣は代々マユリアにだけ伝わる託宣。今はわたくし一人の胸にありますが、交代を済ませた後には当代もそのことをお知りなる。黒のシャンタルがお生まれになった今、そのことを当代お一人に背負わせるわけにはいきません。とても耐えられることではありません。わたくしも共に、その運命を背負い、お支えしたいのです」
マユリアのあまりの覚悟にキリエもゆっくりと頭を下げ、そのようになさると決まった。
そうして人に戻られた後、マユリアはラーラ様となり、十八年後の今日まで、お言葉の通り宮で主たちをお支えになられている。
「はい」
キリエはいつもと変わらぬ顔で返事をしながら、心の中には複雑な思いを抱えていた。
代々のマユリアは「真名」を知って人に戻られた後、その日のうちに宮を出ることになっている。そのために前もってその家族、多くは両親に連絡をし、出迎えてくれるようにと宮から伝える。もちろん当代マユリアの実家にも侍女頭であるキリエ自らが手紙を出し、お迎えをお願いいたしますと伝えた。
だが、マユリアの実家からの返事はつれない物であった。
まず、王都からは遠いことが理由の一つとして上げられていた。マユリアの故郷は王都とは正反対の位置、シャンタリオの東の端の町であった。王都まで馬車を使って半月以上はかかる。その上にマユリアの母はすでに亡く、上の子たちと長年の月日を空けてマユリアを授かった父はすでに高齢で、最近は子や孫らのことすら良く分からぬ状態である。さらに兄弟姉妹も親子ほどに年齢が離れているため、それぞれに家庭や仕事もあり誰も迎えに行けるような状態ではない。戻ってくるのならば受け入れるがそれで精一杯。このような手紙が返ってきた。
これが神であられた妹を持つ家族の返事なのか、とキリエは悔しく感じた。
だが、よく考えてみると自分の身の上とて似たようなものだ。そう気がついてふっと呆れたような笑みを浮かべた。現実とはそういうものなのかも知れない。
ただ、その現実をマユリアにどうお伝えすればいいものか。そのことを考えると胸が詰まる思いがする。だがいくらその後のことが気がかりであろうとも、「侍女頭」がお仕えするのは「シャンタル」と「マユリア」であり、人に戻られたお方とはもう関わりを持つことができなくなる。それもまた現実であった。
「キリエ?」
「あ、はい」
「どうしたのですか、おまえらしくもないことです」
「いえ、失礼いたしました」
母のごとくお優しいマユリアが、自分のことよりも眼前の侍女頭を気にかけてくださった。そのことをキリエがありがたく感じてゆっくりと頭を下げる。
「お話の続きを」
「そうですか?」
マユリアはまだ心配そうな表情を崩さぬまま、続きの言葉を口にした。
「おまえがそのことで色々と気を配ってくれているだろうと思っています。ですが、お断りしてもらえませんか」
「今、なんと?」
思いもしない言葉に思わずキリエがそう聞き返した。
「わたくしは人に戻った後に故郷へは戻らず、そのままこの宮で侍女として、シャンタルと次代様にお仕えしたいと思います」
一体なぜそのようなお考えに。
突然の言葉にさすがのキリエも驚く。
もちろんさきほどの「黒のシャンタル」の託宣と関わりがあるだろうと推測はできた。だが、それは自分の家族との再会を捨てることである。今はまだどこのどのようなお方であるかも知らぬ両親とお会いしたい、以前、マユリアは確かにそうおっしゃっていた。なのにそれを捨てるとおっしゃっているのか。
「それだけのことが起きている、おまえにはそう知っていてもらいたいのです。たとえわたくしの帰郷をお待ちくださる家族に説明できず、親不孝な者と思われたとしてもその道を歩むと決めたのです」
マユリアは自分が家族から疎まれていることをご存知ではない。それを知るキリエは胸が痛んだ。マユリアは自分が故郷に帰った後、両親が喜んで出迎えてくれる、親子の時を持てると信じていらっしゃる。だが事実は、生みの母である親御様はすでにこの世にはなく、お父上はすでに老い、もしかすると神であった娘の存在すら忘れておられるかも知れない。そして兄弟姉妹は言うまでもない。ならば、それならそれで良いのではないか、そんな考えが頭をよぎる。
「キリエ?」
マユリアが黙り込んでしまったキリエを訝しむように見た。
「いえ、あまりのお覚悟に思わず……申し訳ありません」
「いいえ、それは突然このようなことを言い出したのですもの。驚かせてしまってごめんなさい」
疑うことを知らぬ純粋なお方が侍女頭の言葉に謝罪をする。
「ですがもう決めたのです。わたくしはこの先の生涯をおまえと共に当代と次代様に捧げると」
「マユリア……」
マユリアは決意を秘めた黒い瞳を侍女頭に向けた。
「ですから、お迎えには来られませんようにとおまえから伝えてください。わたくしも人に戻った後にお手紙を差し上げます。もしも王都に来られてお会いするようなことになるとどちらもつらいばかりですから」
澄み切った黒い瞳のその奥に悲しみを隠し、マユリアはそう言い切った。
「あの託宣は代々マユリアにだけ伝わる託宣。今はわたくし一人の胸にありますが、交代を済ませた後には当代もそのことをお知りなる。黒のシャンタルがお生まれになった今、そのことを当代お一人に背負わせるわけにはいきません。とても耐えられることではありません。わたくしも共に、その運命を背負い、お支えしたいのです」
マユリアのあまりの覚悟にキリエもゆっくりと頭を下げ、そのようになさると決まった。
そうして人に戻られた後、マユリアはラーラ様となり、十八年後の今日まで、お言葉の通り宮で主たちをお支えになられている。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。


【完結】ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら
七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中!
※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります!
気付いたら異世界に転生していた主人公。
赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。
「ポーションが不味すぎる」
必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」
と考え、試行錯誤をしていく…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる