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第四章 第一部 最後のシャンタル
1 暗雲と彩雲
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「キリエ様」
「最後のシャンタル」
「え?」
ミーヤがキリエに何かを伝えようとするのを遮るように、唐突にキリエがその言葉を口にした。
「おまえも知ってしまったあの秘密、それはつまりそういう可能性があるということ、分かりますよね」
言われてミーヤが黙り込む。
そう、そうなのだ。考えないようにしていたが、今のままではそうなるかも知れないとミーヤにもよく分かっている。
「はい」
ミーヤの返事を聞きキリエは満足したように微笑んだ。
「それが分かっていればいいのです。そうならないために天はトーヤという助け手をこの国に遣わして下さった。私はそう思っています。だから、おまえはそのことだけに集中をしなさい。他のことに気を向けずともよいのです。こちらのことはこちらでいたします」
「キリエ様……」
もうこれ以上は何も言うな、何も聞くなということだとミーヤにも分かった。そして、一度そう言ってしまったからには、もうキリエは何も言うつもりもなく何も聞くつもりもないということも分かった。
ミーヤの心の中に暗雲が広がる。
本当にキリエと道を違えるのかも知れないと思った。
いや、キリエはあえて道を違えようとしているように思えた。
一体何があったというのか、あれ以上の何が。
そしてその得体の知れない不安なことにキリエは一人で立ち向かおうとしている。そうも思った。
そのことで自分にできることは何もないと言われたと思った。
だから触れるな、そう言ってきたのだ。
キリエが自分たちには触れさせない、そう決めたのだ。
ミーヤにはそうとしか思えなかった。
「おまえに一つ、頼みたいことがあるのですが」
「あ、はい、なんでしょうか」
そのまま沈黙が続くと泣き出してしまいそうになった心をキリエの声が閉じさせた。侍女頭から侍女への言葉を静かに聞く。
「おまえには色々な役目を与えていて、忙しい思いをさせていると思います。その役目の一つ、取次役セルマのことです。あの子を、セルマをよろしくお願いいたします」
ああ、こんな時までキリエは自分に敵意を向け続けるセルマのことも案じている。ミーヤの胸が熱くなる。
「おまえと一緒にいることであの子も落ち着いているように思います」
「ありがとうございます。ですが、セルマ様とは約束をしています」
「約束?」
「はい。今は、あの部屋で一緒に過ごす時は同居人として同じ立場、ですが、あの部屋を出たら敵だ、と」
キリエが表情を変えずにじっとミーヤを見る。
「今はおまえは元の侍女に戻り、セルマは未だ嫌疑のかかった身のはずですが、それはどうなっているのです」
少し、からかうような、それでいて普通の疑問のような、そんな口調にミーヤには思えた。
「あの、それは考えておりませんでした」
ミーヤが素直にそう言うと、キリエが小さく笑った。
「でしょうね、おまえらしい」
「あの、申し訳ありません」
ミーヤは頭を下げながらなんとなく気恥ずかしくなった。
「セルマのことはお願いいたします」
キリエが真剣な瞳でミーヤに言う。
「セルマが望むようにあの子を侍女頭にするわけにはいきません。ですが、できればセルマもこのまま宮で生きられるようにしてやりたいとも思っています」
「はい」
「そのためにおまえや、おまえとつながりがある者たちにも色々と動いてもらわなければならないでしょう。それはきっと容易いことではない。だからそのことに集中してもらいたい、そう言っているのです。分かりましたね」
「はい」
「私よりおまえたちの背負っていることの方がきっと遥かに重い、そう思います」
「それは……」
「おまえが私を案じてくれているのはよく分かっています。そしてあの者たちもきっと」
「はい」
「でも私を信じなさい。鋼鉄の侍女頭が、シャンタル宮の独裁者がそこまで弱いと思われるのは心外ですよ」
「キリエ様」
ミーヤは心の暗雲が少しだけ晴れたと思った。
キリエはそうではないと言ってくれたのだ、それが分かった。
道を違えるのではなく、ただそれぞれの役目がある。そう言ってくれたのだと理解した。
ミーヤたちに触れるなと言っているのは、人にはそれぞれ運命があるからだ。
よく分かっていたはずなのに、言えぬことがあり、聞けぬことがあることで混乱してしまった。
「申し訳ありません」
ミーヤはそう言って頭を下げた。
「キリエ様を信じていると言いながら取り乱してしまいました」
「いえ、私も少し突き放した言い方をしたようです」
「思い出しました、八年前のことを」
ミーヤがしっかりと頭を上げてキリエの目を見つめる。
あの時、何もかもが真っ黒な雲に隠され光が見えぬと思ったその先には、明るい光が差していた。絶望のその先は希望へと続いていた。
「そうですか」
「はい。今がいくら黒雲に包まれているように思えたとしても、その先にはきっと吉兆の虹、白い虹、月虹が輝いているはずです。私はそう信じます。きっと全てがうまくいくはずです。そのためにあの日、あの方はあの過酷な決断をなさって神としての判断をなさいました。私たちに道を示してくださいました。その道が暗黒に続いているはずがありません」
キリエはミーヤが自分と同じ判断をしてくれたことを心からうれしく感じた。
「最後のシャンタル」
「え?」
ミーヤがキリエに何かを伝えようとするのを遮るように、唐突にキリエがその言葉を口にした。
「おまえも知ってしまったあの秘密、それはつまりそういう可能性があるということ、分かりますよね」
言われてミーヤが黙り込む。
そう、そうなのだ。考えないようにしていたが、今のままではそうなるかも知れないとミーヤにもよく分かっている。
「はい」
ミーヤの返事を聞きキリエは満足したように微笑んだ。
「それが分かっていればいいのです。そうならないために天はトーヤという助け手をこの国に遣わして下さった。私はそう思っています。だから、おまえはそのことだけに集中をしなさい。他のことに気を向けずともよいのです。こちらのことはこちらでいたします」
「キリエ様……」
もうこれ以上は何も言うな、何も聞くなということだとミーヤにも分かった。そして、一度そう言ってしまったからには、もうキリエは何も言うつもりもなく何も聞くつもりもないということも分かった。
ミーヤの心の中に暗雲が広がる。
本当にキリエと道を違えるのかも知れないと思った。
いや、キリエはあえて道を違えようとしているように思えた。
一体何があったというのか、あれ以上の何が。
そしてその得体の知れない不安なことにキリエは一人で立ち向かおうとしている。そうも思った。
そのことで自分にできることは何もないと言われたと思った。
だから触れるな、そう言ってきたのだ。
キリエが自分たちには触れさせない、そう決めたのだ。
ミーヤにはそうとしか思えなかった。
「おまえに一つ、頼みたいことがあるのですが」
「あ、はい、なんでしょうか」
そのまま沈黙が続くと泣き出してしまいそうになった心をキリエの声が閉じさせた。侍女頭から侍女への言葉を静かに聞く。
「おまえには色々な役目を与えていて、忙しい思いをさせていると思います。その役目の一つ、取次役セルマのことです。あの子を、セルマをよろしくお願いいたします」
ああ、こんな時までキリエは自分に敵意を向け続けるセルマのことも案じている。ミーヤの胸が熱くなる。
「おまえと一緒にいることであの子も落ち着いているように思います」
「ありがとうございます。ですが、セルマ様とは約束をしています」
「約束?」
「はい。今は、あの部屋で一緒に過ごす時は同居人として同じ立場、ですが、あの部屋を出たら敵だ、と」
キリエが表情を変えずにじっとミーヤを見る。
「今はおまえは元の侍女に戻り、セルマは未だ嫌疑のかかった身のはずですが、それはどうなっているのです」
少し、からかうような、それでいて普通の疑問のような、そんな口調にミーヤには思えた。
「あの、それは考えておりませんでした」
ミーヤが素直にそう言うと、キリエが小さく笑った。
「でしょうね、おまえらしい」
「あの、申し訳ありません」
ミーヤは頭を下げながらなんとなく気恥ずかしくなった。
「セルマのことはお願いいたします」
キリエが真剣な瞳でミーヤに言う。
「セルマが望むようにあの子を侍女頭にするわけにはいきません。ですが、できればセルマもこのまま宮で生きられるようにしてやりたいとも思っています」
「はい」
「そのためにおまえや、おまえとつながりがある者たちにも色々と動いてもらわなければならないでしょう。それはきっと容易いことではない。だからそのことに集中してもらいたい、そう言っているのです。分かりましたね」
「はい」
「私よりおまえたちの背負っていることの方がきっと遥かに重い、そう思います」
「それは……」
「おまえが私を案じてくれているのはよく分かっています。そしてあの者たちもきっと」
「はい」
「でも私を信じなさい。鋼鉄の侍女頭が、シャンタル宮の独裁者がそこまで弱いと思われるのは心外ですよ」
「キリエ様」
ミーヤは心の暗雲が少しだけ晴れたと思った。
キリエはそうではないと言ってくれたのだ、それが分かった。
道を違えるのではなく、ただそれぞれの役目がある。そう言ってくれたのだと理解した。
ミーヤたちに触れるなと言っているのは、人にはそれぞれ運命があるからだ。
よく分かっていたはずなのに、言えぬことがあり、聞けぬことがあることで混乱してしまった。
「申し訳ありません」
ミーヤはそう言って頭を下げた。
「キリエ様を信じていると言いながら取り乱してしまいました」
「いえ、私も少し突き放した言い方をしたようです」
「思い出しました、八年前のことを」
ミーヤがしっかりと頭を上げてキリエの目を見つめる。
あの時、何もかもが真っ黒な雲に隠され光が見えぬと思ったその先には、明るい光が差していた。絶望のその先は希望へと続いていた。
「そうですか」
「はい。今がいくら黒雲に包まれているように思えたとしても、その先にはきっと吉兆の虹、白い虹、月虹が輝いているはずです。私はそう信じます。きっと全てがうまくいくはずです。そのためにあの日、あの方はあの過酷な決断をなさって神としての判断をなさいました。私たちに道を示してくださいました。その道が暗黒に続いているはずがありません」
キリエはミーヤが自分と同じ判断をしてくれたことを心からうれしく感じた。
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