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第三章 第三部 政争の裏側
13 遂行
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「あの女はどうした」
「あの女?」
「私を迎えに来たあの女だ」
「ああ」
神官長はいかにも今思い出した、という風に軽く返事をすると、
「見事目的を遂げました」
と、良いことででもあったかのように前国王に報告をした。
「むごいことを」
前国王がつぶやくように言うが、神官長は何の反応もしない。
「止めなかったのか」
「もちろん止めました、何度も説得をいたしました」
「ならば」
「お聞きください」
神官長が前国王の言葉を止めて続ける。
「あの者がなぜあの道を選んだのかお聞きになられましたか?」
「聞いた」
前国王は思い出すのも嫌な様子で眉をしかめる。
「王宮を去った後、失意のあまりか両親も続けて亡くなったそうです。そうして一人生き残り、生きる縁を失い、話を聞いてほしいと何度も神殿に足を運んでまいりました。元々王宮におる時から時々訪ねてきておりましたから、もう神殿以外に行く場所もなかったのでしょう。周囲から誰もいなくなったと申しておりましたし」
神官長の口から語られた元王宮侍女の話は、前国王が聞いた以上に悲惨なものであった。
「私も何度も慰め、生きていればそのうち良いこともあるだろうと言ってはみましたが、もう生きる意欲もない、この先は静かに消えたいと申すだけの者に、何を言っても口先だけのこと、せめて弟がなぜあんなことになったのか、本当に弟は罪を犯していなかったのかだけでも知りたい、そう繰り返すもので、これはもう真実を告げるしかないと思い、話しました」
こともなげに話す神官長の言葉に、前国王も一瞬言葉を失ったが、何度かつばを飲み込んだ後、やっとのように口を開いた。
「それでも人を救う神官の長か、なぜもっと真剣に止めなかったのだ」
「お言葉ですが」
神官長は恭しく一礼しながらもゆるやかに反論をする。
「あの者、どのように申しておりました? 陛下のお言葉に行動を覆そうとしておりましたか?」
「それは……」
前国王の脳裏に女の最後の言葉と表情が浮かぶ。
『ここを出られたら、私に良い死に場所をお与えくださったその方に、感謝の気持ちをお伝えください』
そう言った女の顔の晴れやかな笑顔が。一点の曇りもない笑顔が。
「私も、陛下と共に戻ってきてくれることを期待しておりました。最後の最後までそのように申しました。引き返すのに遅いということはない、ぜひ戻ってきて違う道を探してほしいと」
神官長がややうつむき、つぶやくようにそう言う。
「ですが結果はそうでした。あの者は最後まで己の望みを通し、目的を遂行したのです。これ以上他の者が口を挟む余地はないでしょう。我々は認めてやらねばなりません、あの者の遺志を」
前国王はぐうぅっと小さく呻いたが、続ける言葉を思いつけなかった。
「一年前です」
神官長が言葉を続ける。
「あの者がもう自分の命を絶つ、そう申すのを止めるために弟に罪がなかったことを聞かせると、それはうれしそうに晴れやかに笑ってこう申しました。よかった、弟は人の道を外れるようなことをしてはいなかった、最後まで自慢のできる弟であったと。そしてそれが分かればもう満足だ、思い残すことはない、ありがとうございます、これで心置きなく旅立てます、そう申しました」
神官長が思い出したのか苦痛の表情になり、小さく息を吐いた。
「私はどうしてもそれを止めたくて、そしてこう申しました。このままあなたが自ら命を絶っても、それは上の方たちには届かない、道の隅で蝶が命を失い、通りがかる人に踏まれて消えていくのと同じだと。もう少しだけ待ってみるつもりはないかとある提案をし、そうしてやっとその時には思いとどまらせました」
「ある提案だと?」
「はい」
「どう言ってあの者を留めたのだ。おまえは息子が私にこのような仕打ちをすると知っていて、それで今回のことを考えたのか、あの者を使おうと思ったのか」
「そうとも言えると思います」
神官長が素直に認める。
「ご子息から此度のことを相談され、その時の幽閉先に冬の宮をお勧めしたのはこの私ですので」
「なんだと……」
「それもこれも、あの抜け道を知っていたからです」
「なんだと」
前国王が心底から驚いた顔になった。
「王宮の者も知らなかった抜け道を、おまえが知っていたと言うのか?」
「はい。あの道は、神官長だけが知る道でございます」
「なぜそんなものが」
「おそらくは、冬の宮のできた時にそうしてつないだのでしょうが、なぜ神官長にだけ伝えられているのだけは存じません」
「なぜだ……」
「神の御心、かも知りませんな」
「神だと?」
「はい」
「神がなぜそんな物を作る必要がある」
「もしかすると、この度のためかも知れません」
神官長がうっとりとしたような、神の声を聞いたような笑みを浮かべた。
前国王はその顔を見て背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「この道は正しかったのです。ですから、陛下もその正義のために我が身を準じたあの者を憐れむようなことはせず、ほめてやってください。見事に陛下を救い出し、己の道を貫いたあの者を」
前国王は今まで小心者としか思ったことがなかった神官長を、得体の知れないもののように感じ、凍りついたように動けなくなった。
「あの女?」
「私を迎えに来たあの女だ」
「ああ」
神官長はいかにも今思い出した、という風に軽く返事をすると、
「見事目的を遂げました」
と、良いことででもあったかのように前国王に報告をした。
「むごいことを」
前国王がつぶやくように言うが、神官長は何の反応もしない。
「止めなかったのか」
「もちろん止めました、何度も説得をいたしました」
「ならば」
「お聞きください」
神官長が前国王の言葉を止めて続ける。
「あの者がなぜあの道を選んだのかお聞きになられましたか?」
「聞いた」
前国王は思い出すのも嫌な様子で眉をしかめる。
「王宮を去った後、失意のあまりか両親も続けて亡くなったそうです。そうして一人生き残り、生きる縁を失い、話を聞いてほしいと何度も神殿に足を運んでまいりました。元々王宮におる時から時々訪ねてきておりましたから、もう神殿以外に行く場所もなかったのでしょう。周囲から誰もいなくなったと申しておりましたし」
神官長の口から語られた元王宮侍女の話は、前国王が聞いた以上に悲惨なものであった。
「私も何度も慰め、生きていればそのうち良いこともあるだろうと言ってはみましたが、もう生きる意欲もない、この先は静かに消えたいと申すだけの者に、何を言っても口先だけのこと、せめて弟がなぜあんなことになったのか、本当に弟は罪を犯していなかったのかだけでも知りたい、そう繰り返すもので、これはもう真実を告げるしかないと思い、話しました」
こともなげに話す神官長の言葉に、前国王も一瞬言葉を失ったが、何度かつばを飲み込んだ後、やっとのように口を開いた。
「それでも人を救う神官の長か、なぜもっと真剣に止めなかったのだ」
「お言葉ですが」
神官長は恭しく一礼しながらもゆるやかに反論をする。
「あの者、どのように申しておりました? 陛下のお言葉に行動を覆そうとしておりましたか?」
「それは……」
前国王の脳裏に女の最後の言葉と表情が浮かぶ。
『ここを出られたら、私に良い死に場所をお与えくださったその方に、感謝の気持ちをお伝えください』
そう言った女の顔の晴れやかな笑顔が。一点の曇りもない笑顔が。
「私も、陛下と共に戻ってきてくれることを期待しておりました。最後の最後までそのように申しました。引き返すのに遅いということはない、ぜひ戻ってきて違う道を探してほしいと」
神官長がややうつむき、つぶやくようにそう言う。
「ですが結果はそうでした。あの者は最後まで己の望みを通し、目的を遂行したのです。これ以上他の者が口を挟む余地はないでしょう。我々は認めてやらねばなりません、あの者の遺志を」
前国王はぐうぅっと小さく呻いたが、続ける言葉を思いつけなかった。
「一年前です」
神官長が言葉を続ける。
「あの者がもう自分の命を絶つ、そう申すのを止めるために弟に罪がなかったことを聞かせると、それはうれしそうに晴れやかに笑ってこう申しました。よかった、弟は人の道を外れるようなことをしてはいなかった、最後まで自慢のできる弟であったと。そしてそれが分かればもう満足だ、思い残すことはない、ありがとうございます、これで心置きなく旅立てます、そう申しました」
神官長が思い出したのか苦痛の表情になり、小さく息を吐いた。
「私はどうしてもそれを止めたくて、そしてこう申しました。このままあなたが自ら命を絶っても、それは上の方たちには届かない、道の隅で蝶が命を失い、通りがかる人に踏まれて消えていくのと同じだと。もう少しだけ待ってみるつもりはないかとある提案をし、そうしてやっとその時には思いとどまらせました」
「ある提案だと?」
「はい」
「どう言ってあの者を留めたのだ。おまえは息子が私にこのような仕打ちをすると知っていて、それで今回のことを考えたのか、あの者を使おうと思ったのか」
「そうとも言えると思います」
神官長が素直に認める。
「ご子息から此度のことを相談され、その時の幽閉先に冬の宮をお勧めしたのはこの私ですので」
「なんだと……」
「それもこれも、あの抜け道を知っていたからです」
「なんだと」
前国王が心底から驚いた顔になった。
「王宮の者も知らなかった抜け道を、おまえが知っていたと言うのか?」
「はい。あの道は、神官長だけが知る道でございます」
「なぜそんなものが」
「おそらくは、冬の宮のできた時にそうしてつないだのでしょうが、なぜ神官長にだけ伝えられているのだけは存じません」
「なぜだ……」
「神の御心、かも知りませんな」
「神だと?」
「はい」
「神がなぜそんな物を作る必要がある」
「もしかすると、この度のためかも知れません」
神官長がうっとりとしたような、神の声を聞いたような笑みを浮かべた。
前国王はその顔を見て背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「この道は正しかったのです。ですから、陛下もその正義のために我が身を準じたあの者を憐れむようなことはせず、ほめてやってください。見事に陛下を救い出し、己の道を貫いたあの者を」
前国王は今まで小心者としか思ったことがなかった神官長を、得体の知れないもののように感じ、凍りついたように動けなくなった。
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