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第二章 第一部 吹き返す風
14 抱きしめる
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「正直なところ、侍女になれるとは思ってもいませんでした。憧れはありましたが、私のような片田舎の、特に取り柄のない者がとても選ばれるとは思わなかったもので。ですから祖父にも、きっとだめだろうけどシャンタル宮を見てくるね、そう言って気楽な気持ちで故郷を出てきました」
ミーヤはその日のことを昨日のことのように思い出す。
「それが思いもかけず選ばれたと聞き、その時はうれしいよりも、もう故郷に戻れないのだと泣きたい気持ちになりました。もう祖父にもトアンにも会えない。そう思うと今からでも断って戻れないだろうか、そうも思いました。ですが、付き添いで来てくださっている神官様が、我が村から侍女が選ばれるとはなんという名誉なことだ、そう言って大変お喜びになられているのを見て、ああ、これはもうお断りすることはできないのだ、そう気づいた時はそれはもう……」
「絶望、した?」
セルマの言葉にミーヤは少し考えたが、
「はい」
と、正直に答えた。
「でしょうね、私もそうでした」
「え、セルマ様もですか?」
ミーヤは心の底から驚いた。
「ですが、セルマ様は幼い頃からそのことを望んで、そして大変お喜びになられたと」
「ええ、それはその通りです。ですが、実際に決まってしまうとおまえと同じ、ああ、もう家族と共に暮らすことはないのだ、このままもう二度と家に帰ることはないのだ。そう理解して、今すぐ断って家族と共に帰りたい、そう思いました」
「セルマ様……」
ミーヤは当時のセルマも自分と同じであったのだと思うと、幼い小さなセルマを抱きしめてあげたいと思った。
そして、
「え?」
自分でも知らぬうちにセルマを本当に抱きしめていた。
セルマは一瞬驚いたものの、次の瞬間には自然とミーヤを抱きしめ返していた。
同じなのだ。
自分とセルマは。
自分とミーヤは。
自分たちだけではなく、この宮に侍女として上がり、一生を宮に捧げると誓った者はみな。
たとえここに来た理由が何でどうであったとしても、幼い少女がその日からもう家に帰ることなく一生をここで過ごす、その決意をしたことはみな同じなのだ。
そう思うと自然に互いを抱きしめていた。
二人はしばらくそうしていたが、やがてどちらからともなく体を離して微笑みあった。
「その時にはそれほど家族との別れがつらく、辞退したい、一緒に帰りたいと思いはしましたが、それでもやはり自分が選んだ道なのです。それも分かっていました」
「はい、私もです」
「ですから、そう定めたから、今までも、これからも私は自分の道を行くと決めているのです」
「はい、私もです」
だから、だから今だけなのだ。
この部屋を出たら、そうしたら、もう分かり合えた二人ではない、互いに幼い相手を抱きしめた二人ではなくなるのだ。
ミーヤもセルマもそれがよく分かっていた。
「本当に頑固ですね」
「え?」
「いえ」
セルマがクスクスと笑いながら言った。
「おまえは、何があろうとも自分が決めたことを曲げようとはしないでしょう?」
「あら、それはセルマ様も同じかと」
「そうでしょうか」
セルマはそう言って首を軽く曲げ、ミーヤをほんの少しだけ下から見上げた。
「頑固で言えば、きっとおまえは私より上だと思いますよ?」
「いえ、そんなこと……」
言いかけて思い出した。
『だからって、その時にあんた、自分の考えを曲げてごもっともって言うこと聞けてねえだろ? そんな性格じゃねえしな』
「どうしました?」
「いえ」
「誰かにそう言われたことを思い出しましたか?」
「え?」
「トーヤにそう言われたのですか?」
ミーヤはセルマの様子を伺うように見たが、そこには何かを探ってやろうという光はなく、素直に、面白そうにそう聞いているのが分かった。
「はい……」
「やはり」
セルマはそう言って笑う。
それからゆるませていた表情を引き締めて聞いた。
「どうしてなのです? どうして一緒に行かなかったのです?」
謁見の間で先日もセルマに聞かれた。
『本当は一緒に逃げるつもりだったのではないの? トーヤは一緒に行こうと言ったのでしょう?』
あの時はミーヤを追い詰め、ミーヤこそがキリエを害した犯人であると罪をかぶせようとしてそう言ったのだ。
だが今は違う。
そんな下心なく知りたいと思っている。
それが分かった。
「どのように尋ねられても同じお答えしかできません」
ミーヤも素直に答える。
「私はこの宮の侍女です。侍女として生きると幼いあの日に決めたのです。だから、たとえどんな理由があろうとも、あのような形で逃げるなどできませんでした。私は何もやましいことは、逃げるようなことはしておりません。トーヤは私の身を案じ、それで一緒に来るようにと言いましたが、行く理由がなかったのです」
きっぱりと答えるミーヤにセルマがもう一つの質問をした。
「一緒に行きたい、そうは思わなかったのですか?」
「それは」
ミーヤが少し考え、そして、
「思いました」
これも素直に答える。
「ですが私は侍女です。たとえそうしたいと思ってもできぬことはできぬこと。だから行きませんでした」
そう言ってミーヤは目を閉じた。
ミーヤはその日のことを昨日のことのように思い出す。
「それが思いもかけず選ばれたと聞き、その時はうれしいよりも、もう故郷に戻れないのだと泣きたい気持ちになりました。もう祖父にもトアンにも会えない。そう思うと今からでも断って戻れないだろうか、そうも思いました。ですが、付き添いで来てくださっている神官様が、我が村から侍女が選ばれるとはなんという名誉なことだ、そう言って大変お喜びになられているのを見て、ああ、これはもうお断りすることはできないのだ、そう気づいた時はそれはもう……」
「絶望、した?」
セルマの言葉にミーヤは少し考えたが、
「はい」
と、正直に答えた。
「でしょうね、私もそうでした」
「え、セルマ様もですか?」
ミーヤは心の底から驚いた。
「ですが、セルマ様は幼い頃からそのことを望んで、そして大変お喜びになられたと」
「ええ、それはその通りです。ですが、実際に決まってしまうとおまえと同じ、ああ、もう家族と共に暮らすことはないのだ、このままもう二度と家に帰ることはないのだ。そう理解して、今すぐ断って家族と共に帰りたい、そう思いました」
「セルマ様……」
ミーヤは当時のセルマも自分と同じであったのだと思うと、幼い小さなセルマを抱きしめてあげたいと思った。
そして、
「え?」
自分でも知らぬうちにセルマを本当に抱きしめていた。
セルマは一瞬驚いたものの、次の瞬間には自然とミーヤを抱きしめ返していた。
同じなのだ。
自分とセルマは。
自分とミーヤは。
自分たちだけではなく、この宮に侍女として上がり、一生を宮に捧げると誓った者はみな。
たとえここに来た理由が何でどうであったとしても、幼い少女がその日からもう家に帰ることなく一生をここで過ごす、その決意をしたことはみな同じなのだ。
そう思うと自然に互いを抱きしめていた。
二人はしばらくそうしていたが、やがてどちらからともなく体を離して微笑みあった。
「その時にはそれほど家族との別れがつらく、辞退したい、一緒に帰りたいと思いはしましたが、それでもやはり自分が選んだ道なのです。それも分かっていました」
「はい、私もです」
「ですから、そう定めたから、今までも、これからも私は自分の道を行くと決めているのです」
「はい、私もです」
だから、だから今だけなのだ。
この部屋を出たら、そうしたら、もう分かり合えた二人ではない、互いに幼い相手を抱きしめた二人ではなくなるのだ。
ミーヤもセルマもそれがよく分かっていた。
「本当に頑固ですね」
「え?」
「いえ」
セルマがクスクスと笑いながら言った。
「おまえは、何があろうとも自分が決めたことを曲げようとはしないでしょう?」
「あら、それはセルマ様も同じかと」
「そうでしょうか」
セルマはそう言って首を軽く曲げ、ミーヤをほんの少しだけ下から見上げた。
「頑固で言えば、きっとおまえは私より上だと思いますよ?」
「いえ、そんなこと……」
言いかけて思い出した。
『だからって、その時にあんた、自分の考えを曲げてごもっともって言うこと聞けてねえだろ? そんな性格じゃねえしな』
「どうしました?」
「いえ」
「誰かにそう言われたことを思い出しましたか?」
「え?」
「トーヤにそう言われたのですか?」
ミーヤはセルマの様子を伺うように見たが、そこには何かを探ってやろうという光はなく、素直に、面白そうにそう聞いているのが分かった。
「はい……」
「やはり」
セルマはそう言って笑う。
それからゆるませていた表情を引き締めて聞いた。
「どうしてなのです? どうして一緒に行かなかったのです?」
謁見の間で先日もセルマに聞かれた。
『本当は一緒に逃げるつもりだったのではないの? トーヤは一緒に行こうと言ったのでしょう?』
あの時はミーヤを追い詰め、ミーヤこそがキリエを害した犯人であると罪をかぶせようとしてそう言ったのだ。
だが今は違う。
そんな下心なく知りたいと思っている。
それが分かった。
「どのように尋ねられても同じお答えしかできません」
ミーヤも素直に答える。
「私はこの宮の侍女です。侍女として生きると幼いあの日に決めたのです。だから、たとえどんな理由があろうとも、あのような形で逃げるなどできませんでした。私は何もやましいことは、逃げるようなことはしておりません。トーヤは私の身を案じ、それで一緒に来るようにと言いましたが、行く理由がなかったのです」
きっぱりと答えるミーヤにセルマがもう一つの質問をした。
「一緒に行きたい、そうは思わなかったのですか?」
「それは」
ミーヤが少し考え、そして、
「思いました」
これも素直に答える。
「ですが私は侍女です。たとえそうしたいと思ってもできぬことはできぬこと。だから行きませんでした」
そう言ってミーヤは目を閉じた。
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