84 / 488
第二章 第一部 吹き返す風
2 広がる
しおりを挟む
リュセルスの街が封鎖されて数日が過ぎた頃から、街中には妙な噂が広がっていった。
「シャンタルは新国王様の御即位を良しとなさっておられないらしい」
まず聞かれるようになったのはその言葉だった。
「そりゃ新しい王様、おっと、皇太子様か? は若くて立派で素晴らしいお方だとは思う。思うのは思う。けどな、あのやり方はなあ」
まずは、元から無理やりな交代劇に少し疑問を持っていた者たちの間から、静かに広がっていったようだ。
「でも前国王様が今度の交代に合わせてご自分から御譲位なさったって俺は聞いたぞ」
「いや、俺の知り合いの知り合いに王宮衛士がいるんだがな、なんでもそりゃ嘘だそうだ」
「嘘?」
「ああ」
「嘘って、本当はじゃあどうなんだよ」
「いや、それがな」
言い出した男が苦々しそうに続ける。
「八年前の、ほれ、あれだよあれ」
「あれ?」
「ああ、国王と皇太子がな、ほれ」
「ああ」
言われて聞き手も思い出した。
「親子でってあれか」
「そういうこと」
あの時は、マユリアが国王の後宮に入るということで落ち着いたのだとの話だった。
「ってことは?」
「ああ、今度はぜひとも我が物にしたい。そう考えた皇太子が無理矢理に力ずくで国王と、それからマユリアに言うことを聞かせたらしいぜ」
「へえっ!」
「少なくとも王様の時にはマユリアはきちんと約束をなさったんだそうだ。そのなんだっけかな、約束しますって書類、ええとな、えと、そうだ、誓約書だ。そういうのを書いてらっしゃったんだそうだ」
「ってことは、王様の側室になります、そう約束をなさったってことだな?」
「そういうこと」
「それじゃ今度はどうなるんだ?」
「いや、それがな」
リュセルスの繁華街にある、そこそこはやっている中程度の大きさの飲み屋である。
ひそひそと話していた二人の男の話に耳をそばだてる者が増え、気がつけば二人を中心にちょっとした輪ができていた。
「なんでもそのお約束がまだ生きてるってことでな、交代の後、マユリアは前回のお約束通り国王陛下の後宮に入られるおつもりだったそうだ」
「え、そうなのか」
「ああ、マユリアは誠実なお方だからな。一度約束したことを違えはしません、そうおっしゃったそうだぜ」
「ほう、そうなのか」
「ああ何しろ女神様だからな、人を裏切ったりなどお考えにもならないんだろうよ」
「なるほどなあ」
「おい、そんじゃさ」
今まで聞き役だった第三者の男が会話に交じる。
「その約束を守るってことなら、マユリアはじゃあ、引退なさった王様の側室になられるってことか?」
「いや、だからな」
周囲がますます話にのめり込む。
「皇太子がな、今度こそは自分のそばにって、そのために無理矢理に王様から玉座を取り上げて、そして自分のところに来るようにと無理強いなさっているらしい」
「ほう!」
「いや、でもなあ、俺がマユリアでも若くて男前の息子の方を選ぶと思うがな。いくらご立派でもお父上はもうお年だ」
「そうだよな、こう言っちゃなんだが、先のことを考えたら、なあ」
「いや、それがな」
なんだなんだ、また一人の男にみんなの目と耳が集まる。
「マユリアは前国王陛下のお人柄、ご人徳、そういったところに深く感じ入って、それで親子がもめた時にも、ご自分で父親の方をお選びになられたらしいぞ」
「へえ~」
「いや、そんなことあるのかね」
「ああ。見た目だとか年齢だとかより、なんてのかな、魂か? それがご立派だとおっしゃったとか」
「なるほどねえ」
「マユリアがシャンタルであった時代、それから先代の時代な、その二十年があれほど平和であれほど繁栄したのは天が国王陛下をお認めになったがゆえだ、素晴らしい治世はそのおかげだ。そうおっしゃって父王様をお選びになったんだと」
「じゃあ、あれか、新国王陛下、あの方にはご人徳がない、そう言うのかよ」
「立派な方だよなあ」
不満そうな声がどこからか上がった。
「そんなことは言ってないだろうが。確かにあの方はご立派だ。一点の非の打ち所もない素晴らしい後継ぎだ、みなそう言ってた。そうだろ?」
「ああ、そうだそうだ」
「だからマユリアだってあの方ならなんの文句もなかろう、みなそう言ってたぞ」
「だからだな、あの方もご立派なんだよ。だがな、前国王様のように次の十年二十年、平穏かどうかはもう分からないぜ?」
「なんでだよ?」
「それはな、天に背くようなことをなさったからだよ」
「天に?」
「ああそうだ」
一人の男の言葉にみなが釘付けになる。
「いくらご立派だってだな、父王の元に行かれるとそう決めていらっしゃった女神様の、その御心を踏みにじり、誓約も反故にして、そのために、力付くで父親を隠居させちまおうなんて、そんな国王、天がどう思うよ?」
「いや、言われてみりゃ……」
「う~ん……」
「だからだな」
少し声を潜めた男の言葉を逃すまいと、みなが静かになり、少しばかり輪を狭める。
「大人しく、父王様が玉座をお譲りになるまで待ってらっしゃったらな、そりゃ立派な王様になっただろうに。それを、天に唾するようなことしちまっただけにな、あの方は自分で自分に味噌つけちまったってことだ」
ざわざわと静かな不安が波紋を広げた。
「シャンタルは新国王様の御即位を良しとなさっておられないらしい」
まず聞かれるようになったのはその言葉だった。
「そりゃ新しい王様、おっと、皇太子様か? は若くて立派で素晴らしいお方だとは思う。思うのは思う。けどな、あのやり方はなあ」
まずは、元から無理やりな交代劇に少し疑問を持っていた者たちの間から、静かに広がっていったようだ。
「でも前国王様が今度の交代に合わせてご自分から御譲位なさったって俺は聞いたぞ」
「いや、俺の知り合いの知り合いに王宮衛士がいるんだがな、なんでもそりゃ嘘だそうだ」
「嘘?」
「ああ」
「嘘って、本当はじゃあどうなんだよ」
「いや、それがな」
言い出した男が苦々しそうに続ける。
「八年前の、ほれ、あれだよあれ」
「あれ?」
「ああ、国王と皇太子がな、ほれ」
「ああ」
言われて聞き手も思い出した。
「親子でってあれか」
「そういうこと」
あの時は、マユリアが国王の後宮に入るということで落ち着いたのだとの話だった。
「ってことは?」
「ああ、今度はぜひとも我が物にしたい。そう考えた皇太子が無理矢理に力ずくで国王と、それからマユリアに言うことを聞かせたらしいぜ」
「へえっ!」
「少なくとも王様の時にはマユリアはきちんと約束をなさったんだそうだ。そのなんだっけかな、約束しますって書類、ええとな、えと、そうだ、誓約書だ。そういうのを書いてらっしゃったんだそうだ」
「ってことは、王様の側室になります、そう約束をなさったってことだな?」
「そういうこと」
「それじゃ今度はどうなるんだ?」
「いや、それがな」
リュセルスの繁華街にある、そこそこはやっている中程度の大きさの飲み屋である。
ひそひそと話していた二人の男の話に耳をそばだてる者が増え、気がつけば二人を中心にちょっとした輪ができていた。
「なんでもそのお約束がまだ生きてるってことでな、交代の後、マユリアは前回のお約束通り国王陛下の後宮に入られるおつもりだったそうだ」
「え、そうなのか」
「ああ、マユリアは誠実なお方だからな。一度約束したことを違えはしません、そうおっしゃったそうだぜ」
「ほう、そうなのか」
「ああ何しろ女神様だからな、人を裏切ったりなどお考えにもならないんだろうよ」
「なるほどなあ」
「おい、そんじゃさ」
今まで聞き役だった第三者の男が会話に交じる。
「その約束を守るってことなら、マユリアはじゃあ、引退なさった王様の側室になられるってことか?」
「いや、だからな」
周囲がますます話にのめり込む。
「皇太子がな、今度こそは自分のそばにって、そのために無理矢理に王様から玉座を取り上げて、そして自分のところに来るようにと無理強いなさっているらしい」
「ほう!」
「いや、でもなあ、俺がマユリアでも若くて男前の息子の方を選ぶと思うがな。いくらご立派でもお父上はもうお年だ」
「そうだよな、こう言っちゃなんだが、先のことを考えたら、なあ」
「いや、それがな」
なんだなんだ、また一人の男にみんなの目と耳が集まる。
「マユリアは前国王陛下のお人柄、ご人徳、そういったところに深く感じ入って、それで親子がもめた時にも、ご自分で父親の方をお選びになられたらしいぞ」
「へえ~」
「いや、そんなことあるのかね」
「ああ。見た目だとか年齢だとかより、なんてのかな、魂か? それがご立派だとおっしゃったとか」
「なるほどねえ」
「マユリアがシャンタルであった時代、それから先代の時代な、その二十年があれほど平和であれほど繁栄したのは天が国王陛下をお認めになったがゆえだ、素晴らしい治世はそのおかげだ。そうおっしゃって父王様をお選びになったんだと」
「じゃあ、あれか、新国王陛下、あの方にはご人徳がない、そう言うのかよ」
「立派な方だよなあ」
不満そうな声がどこからか上がった。
「そんなことは言ってないだろうが。確かにあの方はご立派だ。一点の非の打ち所もない素晴らしい後継ぎだ、みなそう言ってた。そうだろ?」
「ああ、そうだそうだ」
「だからマユリアだってあの方ならなんの文句もなかろう、みなそう言ってたぞ」
「だからだな、あの方もご立派なんだよ。だがな、前国王様のように次の十年二十年、平穏かどうかはもう分からないぜ?」
「なんでだよ?」
「それはな、天に背くようなことをなさったからだよ」
「天に?」
「ああそうだ」
一人の男の言葉にみなが釘付けになる。
「いくらご立派だってだな、父王の元に行かれるとそう決めていらっしゃった女神様の、その御心を踏みにじり、誓約も反故にして、そのために、力付くで父親を隠居させちまおうなんて、そんな国王、天がどう思うよ?」
「いや、言われてみりゃ……」
「う~ん……」
「だからだな」
少し声を潜めた男の言葉を逃すまいと、みなが静かになり、少しばかり輪を狭める。
「大人しく、父王様が玉座をお譲りになるまで待ってらっしゃったらな、そりゃ立派な王様になっただろうに。それを、天に唾するようなことしちまっただけにな、あの方は自分で自分に味噌つけちまったってことだ」
ざわざわと静かな不安が波紋を広げた。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ
雑木林
ファンタジー
現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。
第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。
この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。
そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。
畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。
斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。


このやってられない世界で
みなせ
ファンタジー
筋肉馬鹿にビンタをくらって、前世を思い出した。
悪役令嬢・キーラになったらしいけど、
そのフラグは初っ端に折れてしまった。
主人公のヒロインをそっちのけの、
よく分からなくなった乙女ゲームの世界で、
王子様に捕まってしまったキーラは
楽しく生き残ることができるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる