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第一章 第四部 穢れた侍女
19 その日の後のこと
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キリエはミーヤとセルマの部屋から出て一度自室へ戻ると、その日の予定通りの一日を始め、いつものようにお父上の部屋も訪ねる。
「じゃあ無事だったんだな」
「はい。セルマもおりましたので詳しい事情は聞けませんでしたが、どうやらあの子が助けてくれたようです」
「そうか」
キリエの報告を聞いてトーヤもホッとした。
「それで、今日も神殿に行かれるのですか?」
「あ、ああ、一応な」
なんとなく今日はもう話をすることはないように思えたが、確認のために行ってみるつもりだ。
「けど、一度街に戻ってみようかと思ってる。あいつらも気になるしな」
「そうですか」
「そういうことってできるのか?」
「そういうこととは」
「ああ、お父上が宮と自分ちを行ったり来たり」
「それはご出産までは自由かと」
「よかった。そんじゃ明日戻るかもと思っといてくれ」
「分かりました」
トーヤが今気になっているのはあの石のことだ。
『他に共に聞く者がいるでしょう』
他に知りたいことは山ほどあるが、そのためには「共に聞く者」が揃わないとだめらしい。
それにはこの宮の中では足りないだろう。
今、この宮で自由に話ができるのはキリエだけだからだ。
だからといってキリエと二人にというのなら、連れてこいと言った気がする。
「そんじゃ、今日も一日がんばってくれ。あの穢れた侍女の問題はまあ、終わったとは思えねえが、お守りがあるうちはまだ押さえられてるように思うしな」
「それとミーヤですね」
「え?」
「セルマの表情がずいぶんと和らいでいました」
「そうか」
トーヤがふうっと優しい顔になる。
「まあ、ミーヤは心配だが、それ聞いてちょっと気が楽になった」
「そうですか」
「だけど頼むな」
何をどう頼むとは言わないがキリエは黙って頷いた。
「そちらも頼みましたよ」
「おう」
こちらも何をどう頼むとは言わず承諾する。
そしてその日の午後、またお父上の神殿詣での時間となった。
トーヤは正殿に一人入り、誰も見ていないことを確認すると御祭神に触れてみる。
思った通り反応はなかった。
「また今度ってことか」
トーヤはそう言うと黙って椅子に座って時間をつぶすことにした。
今日だけ早く出るのもおかしな話だ、神官たちに妙に思われても困る。
ただ黙って座っていると色々なことが浮かんでくる。
石の分身が見せた懲罰房の侍女たちのこと。
もうすぐそこに近づいている交代のこと。
その後のシャンタルたちのこと。
それから……
「心配することなかったみたいだな」
セルマに目をつけられ、ここに置いておけばどんな目に遭うか分からないと思った。
それは本心だ。
だが、それよりはずっと、離れたくないと思った自分の気持ちが大きかった、それを認めないわけにはいかない。
「だってな、あんたはそうやってちゃんと自分の道を生きてる、あの時言ったみたいに」
トーヤは力なくそう言う。
『私はこの宮の侍女です。私には私の生きる道があるのです。一緒には行きません』
そうなのだ。
ミーヤは自分で選んでこの道を歩いている。
交代が終わり、シャンタルたちをこの国から連れ出す時にはミーヤは連れていけない。
ミーヤにはミーヤの道がある。
八年前、マユリアたちに残酷な条件を突きつけ、そしてシャンタルの棺を聖なる湖に沈めるまでの21日間、色々なことがあった。
最初はとてもシャンタルは心を開くまいとトーヤは半ば諦めていた。
だがミーヤは諦めなかった。
そうしてとうとうあの条件を満たし、契約を成立させたのだ。
「まったくすごいやつだよな、あんたは」
トーヤが複雑な笑いを浮かべる。
最後の6日間は本当に密な日々であった。
もうすぐ別れの日が来る、そう思いながらも心置きなく共に時を過ごすことができた。
そして――
『待ってますから!』
『待っていますからね!』
そう言ったミーヤに自分はこう答えた。
『待っててくれよな!』
なんともむず痒く、そして幸せな時だった。
トーヤはその時のことを思い出すと今でも自然に頬が緩んでくる。
だが今度は……
「なんて言やあいいんだろうな」
シャンタルたちを島に送った後、アランと一緒にこちらに戻ってくるつもりではいる。
とても交代の時までに全部のことが落ち着くとは思えないからだ。
シャンタルの家族たちにできるだけのことをしてやりたいと思っている。
何ヶ月、何年かかっても当代と次代が落ち着いて暮らせる手助けをしてやる、そう決めていた。
形だけとはいえ自分には月虹兵という身分があった。月虹兵ならば宮に出入りすることはできる。
だがあんな出奔の仕方をしてしまった今、堂々と兵でございと宮に出入りできなくなった。
ダルやリルと宮の外で会うことはできるだろうが、基本、宮から出ることがない侍女のミーヤとは会えなくなってしまうかも知れない。
それでも、ダルやリルを介して互いの無事を知ることはできる。
少なくとも遠く離れた場所から思うだけしかできないよりはましだ。
そう思おうとした。
だがこの国に戻ってきた時のあの気持ち、戻っているのにそれを伝えられない、同じ場所にいるのに名乗れない。
あの時の気持ちを思い出し、トーヤは胸が詰まるようだった。
「じゃあ無事だったんだな」
「はい。セルマもおりましたので詳しい事情は聞けませんでしたが、どうやらあの子が助けてくれたようです」
「そうか」
キリエの報告を聞いてトーヤもホッとした。
「それで、今日も神殿に行かれるのですか?」
「あ、ああ、一応な」
なんとなく今日はもう話をすることはないように思えたが、確認のために行ってみるつもりだ。
「けど、一度街に戻ってみようかと思ってる。あいつらも気になるしな」
「そうですか」
「そういうことってできるのか?」
「そういうこととは」
「ああ、お父上が宮と自分ちを行ったり来たり」
「それはご出産までは自由かと」
「よかった。そんじゃ明日戻るかもと思っといてくれ」
「分かりました」
トーヤが今気になっているのはあの石のことだ。
『他に共に聞く者がいるでしょう』
他に知りたいことは山ほどあるが、そのためには「共に聞く者」が揃わないとだめらしい。
それにはこの宮の中では足りないだろう。
今、この宮で自由に話ができるのはキリエだけだからだ。
だからといってキリエと二人にというのなら、連れてこいと言った気がする。
「そんじゃ、今日も一日がんばってくれ。あの穢れた侍女の問題はまあ、終わったとは思えねえが、お守りがあるうちはまだ押さえられてるように思うしな」
「それとミーヤですね」
「え?」
「セルマの表情がずいぶんと和らいでいました」
「そうか」
トーヤがふうっと優しい顔になる。
「まあ、ミーヤは心配だが、それ聞いてちょっと気が楽になった」
「そうですか」
「だけど頼むな」
何をどう頼むとは言わないがキリエは黙って頷いた。
「そちらも頼みましたよ」
「おう」
こちらも何をどう頼むとは言わず承諾する。
そしてその日の午後、またお父上の神殿詣での時間となった。
トーヤは正殿に一人入り、誰も見ていないことを確認すると御祭神に触れてみる。
思った通り反応はなかった。
「また今度ってことか」
トーヤはそう言うと黙って椅子に座って時間をつぶすことにした。
今日だけ早く出るのもおかしな話だ、神官たちに妙に思われても困る。
ただ黙って座っていると色々なことが浮かんでくる。
石の分身が見せた懲罰房の侍女たちのこと。
もうすぐそこに近づいている交代のこと。
その後のシャンタルたちのこと。
それから……
「心配することなかったみたいだな」
セルマに目をつけられ、ここに置いておけばどんな目に遭うか分からないと思った。
それは本心だ。
だが、それよりはずっと、離れたくないと思った自分の気持ちが大きかった、それを認めないわけにはいかない。
「だってな、あんたはそうやってちゃんと自分の道を生きてる、あの時言ったみたいに」
トーヤは力なくそう言う。
『私はこの宮の侍女です。私には私の生きる道があるのです。一緒には行きません』
そうなのだ。
ミーヤは自分で選んでこの道を歩いている。
交代が終わり、シャンタルたちをこの国から連れ出す時にはミーヤは連れていけない。
ミーヤにはミーヤの道がある。
八年前、マユリアたちに残酷な条件を突きつけ、そしてシャンタルの棺を聖なる湖に沈めるまでの21日間、色々なことがあった。
最初はとてもシャンタルは心を開くまいとトーヤは半ば諦めていた。
だがミーヤは諦めなかった。
そうしてとうとうあの条件を満たし、契約を成立させたのだ。
「まったくすごいやつだよな、あんたは」
トーヤが複雑な笑いを浮かべる。
最後の6日間は本当に密な日々であった。
もうすぐ別れの日が来る、そう思いながらも心置きなく共に時を過ごすことができた。
そして――
『待ってますから!』
『待っていますからね!』
そう言ったミーヤに自分はこう答えた。
『待っててくれよな!』
なんともむず痒く、そして幸せな時だった。
トーヤはその時のことを思い出すと今でも自然に頬が緩んでくる。
だが今度は……
「なんて言やあいいんだろうな」
シャンタルたちを島に送った後、アランと一緒にこちらに戻ってくるつもりではいる。
とても交代の時までに全部のことが落ち着くとは思えないからだ。
シャンタルの家族たちにできるだけのことをしてやりたいと思っている。
何ヶ月、何年かかっても当代と次代が落ち着いて暮らせる手助けをしてやる、そう決めていた。
形だけとはいえ自分には月虹兵という身分があった。月虹兵ならば宮に出入りすることはできる。
だがあんな出奔の仕方をしてしまった今、堂々と兵でございと宮に出入りできなくなった。
ダルやリルと宮の外で会うことはできるだろうが、基本、宮から出ることがない侍女のミーヤとは会えなくなってしまうかも知れない。
それでも、ダルやリルを介して互いの無事を知ることはできる。
少なくとも遠く離れた場所から思うだけしかできないよりはましだ。
そう思おうとした。
だがこの国に戻ってきた時のあの気持ち、戻っているのにそれを伝えられない、同じ場所にいるのに名乗れない。
あの時の気持ちを思い出し、トーヤは胸が詰まるようだった。
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