77 / 488
第一章 第四部 穢れた侍女
16 青い少女の話
しおりを挟む「そんな、そんな幼くして死んだ子の話、そんな縁起の悪い話を今、ここでですか」
フェイと聞いてセルマが嫌そうに言う。
「ええ、フェイは残念ながら幼くして亡くなりました。ですが、誰よりも濃い人生を精一杯生きました。そして今も私の中で、そしてトーヤや他の関わりのある人たちの中でも生きているのです」
ミーヤが優しい口調で言う。
「フェイの話をお聞きください」
セルマは返事をしなかった。
ミーヤは返事がないのが承諾の印と話し始める。
「八年前のことです。セルマ様もご存知のように、私はマユリアに指名をされ、託宣の客人である『助け手』トーヤの世話係となりました。その時に私を手伝うようにとキリエ様がお付けになったのがフェイでした」
託宣に関することはもちろん話せない。
トーヤがフェイを助けるために湖に走ったことももちろん話せない。
話せないことはたくさんある。
だが、それでも、フェイの話を聞いてもらうには一晩あっても足りないのではないか、そう思うほどいろいろな思い出があった。
「フェイは本当にトーヤに懐いたのですが、それはトーヤがフェイをかわいがったからです。フェイは家族との縁が薄く、家族がいないも同然の身の上でしたが、トーヤを父親のように慕うようになりました。きっかけが――」
そう言って思い出して少しくすっと笑う。
「リュセルスで、小さな足で歩き疲れただろうと、トーヤがいきなりフェイを抱っこして街を歩いたことがあったのですが、おそらくそれだと思います」
そしてそのことを思い出し、後にシャンタルをいきなり抱き上げたのだった。
それももちろんセルマには話せはしない。
「フェイはおとなしい子でした。キリエ様がおっしゃるには、人見知りなフェイならトーヤとあまり親しくなり過ぎないだろう、そう思ってフェイを付けたのだそうですが、予想に反してすぐにトーヤに懐き、同時にみるみる子どもらしくなっていったもので、とても驚かれたのだそうです」
「キリエ殿が?」
セルマが意外そうに聞く。
「あの人がそんなことを言ったのですか?」
「ええ、フェイが亡くなった後で、そのことでトーヤにお礼をと。そしてあまりに懐くので心配になり、トーヤはいつかいなくなる人だと言ったのだと、そのことを詫びていらっしゃいました」
「詫びをですか」
「はい」
思い出しても苦しくなる。
あの時のキリエの胸の内。
「キリエ様は、あまり親しくなると別れの時につらくなるだろう、そう思っておっしゃったそうなのですが、その自分の言葉がフェイに生きる気力を失わせたのではないか、そうもお思いになられたようです」
「信じられない……」
セルマが驚いてそう言う。
「あの人は人の心など分からぬ人です。自分のことさえ良ければそれでいいのです。そんな人間が、まさかそんなことを」
「セルマ様は勘違いをなさっていらっしゃいます」
ミーヤがきっぱりと言い切る。
「フェイは、おとなしい子ではありましたが、自分の考えというものをしっかりと持っている子でした。トーヤと知り合うまではその自分を封印していたんだと思います。それがトーヤに大事にされ、自分を表現できるようになっていったのではないかと思います。それを聞き、キリエ様は救われた、そうおっしゃっていらっしゃいました」
セルマはまだ信じられないという表情を崩せずにいた。
「そうそう、こんなことがあったんですよ」
これはフェイのことを語る上で絶対に外すことはできないエピソードだ。
「トーヤはお酒が飲めないんです、本当に一滴も。それが、カースである時うっかり、ダルと自分のカップを間違えてお酒を口にして気を失ってしまうという出来事がありました」
「そういう人間には見えませんね」
セルマは驚いていた。
セルマの中でならず者という人間は、朝夜関係なく酒を口にしては暴れ、女と見ると手を出す。気にいらぬことがあると平気で人を傷つける。そういうどうしようもない人間だった。
そしてセルマの中ではトーヤはならず者である。
「でも飲めないのです、本当に。そしてそのすぐ翌日、今度はダルがマユリアに神馬を賜ってそのお祝いの宴が催されたのですが、フェイはハラハラとトーヤを見守り、そして決心したように立ち上がるとトーヤの元に行きました」
「何をしに行ったのです」
認めたくはなかったが、セルマは少し話の先行きが気になってきた。
「フェイは、トーヤのジュースが入ったカップを取り上げると、自分の髪を縛っていた青いリボンを外して取手にくるくると巻いて目印にして、これで間違えませんよね、と」
「まあ」
その光景を頭に浮かべると、さすがにセルマも少しばかり微笑ましく思うしかない。
「それでトーヤもカースの人も大喜びして、トーヤがフェイを抱えあげて、さすがは俺の第一夫人だ、最高だと」
「第一夫人?」
「はい、トーヤはフェイをそう呼んでかわいがっていました」
なぜだろう。
セルマは不思議に思った。
今までの自分なら、あのならず者が幼い侍女見習いをそんな呼び方をしたなどと聞いたら、やはりそんな目で見ているのかと、不潔な、不愉快なと思っていただろうに、なぜだかそうは思えなかったからだ。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説


もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います
霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。
得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。
しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。
傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。
基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。
が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる