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第一章 第四部 穢れた侍女
5 就寝時間
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もう少しすると夜の2つ目の鐘がなる。マユリアがお休みになられる時間だ。
同じように、大部分の侍女たちがその日の勤めを終えて入浴をしたり、短い自分だけの時間に入る合図でもある。
用を終えて部屋に戻ると、大部屋の若い侍女たちは同僚と語らうことも多い。個室にいる侍女たちも誰かの部屋を尋ねたり、故郷の家族に手紙を書いたりすることもあれば、その日のことはすべて忘れて早々に休む者もある。
そして夜の最後の鐘は遅番の侍女たちの仕事が終わる時間であり、衛士たち夜番の者たちの交代を知らせる鐘でもある。
シャンタル宮全体が眠りに入る時間だ。
一部の当番の者以外は皆眠りについているはずの時間だが、中には翌朝の寝坊を気にしながら、まだ話し足りないのかランプの火を小さく絞って小さな声で話を続けたりする者などもいる。それでも基本的には就寝中とされる時間に入っていくための鐘だ。
それまでセルマはベッドに扉の方に腰掛けて、奥にあるミーヤのベッドに背を向けるようにして座っていたが、その1つ目の鐘を合図にするように、そう言うと立ち上がり、自分のベッドの横に立ったままで話をしていたミーヤの正面に来て止まった。
「かわいそうな子」
もう一度セルマがそう言う。
「おまえも認めてしまってもいいのですよ、あの老女はもう年老いてしまい、人の上に立つ身ではなくなったと。勘違いしてほしくはないのですが、わたくしも以前はあの人を尊敬していました。侍女の鑑となる方だと。でも秘密を知った上でそうは思えなくなりました。なぜなら真実を知ってしまったからです」
言い終えると憐れむような目でミーヤを見る。
「では」
ミーヤは真っ直ぐにセルマの目を見つめながら答える。
「セルマ様がご存知だという秘密と、私が見たり聞いたり経験したことはやはり違うことのようです」
「なんですって?」
思わぬ返答が返ってきた。
「なぜなら、私はそのことでキリエ様がどれほどご立派で、お強く、そして優しい方かを知ることができたからです。そうして今まで以上に尊敬申し上げ、それまでは厳しくて怖いとばかり思っていた侍女頭という方が、どれほど素晴らしい方かをあらためて知ったからです」
セルマが目を見開き信じられぬという顔になる。
「おまえはあの『秘密』を知ってもまだそのように思えると言うのですか?」
「私はその秘密とやらを知っているとは申しておりません。私が見て聞いて、そして経験したことからと申しております」
「ではそのことを話してみなさい。おまえが何を知り何を知らぬか。そしてわたくしが知ることとどこが違ってどこが同じなのか言ってみなさい!」
「言えません」
ミーヤはきっぱりと言い切る。
「言いなさい!」
「言えません」
「なぜ言えぬのです!」
「それは、言ってはならぬことは言えぬことだからです」
セルマはその言葉を聞いて怯んだ。
『言えぬことを聞いたのなら、最後まで言わぬことです。それをなぜ話したのです?』
あの日、キリエに言われた言葉が胸を刺す。
『言えぬことをその者から聞き、そして言えぬことと知った上で、今、そうして私に話しているのですか? 言えぬこととはそのように軽いものなのですか?』
そうも言われた。
『おまえの言えないことが私の言えないことと一緒かどうかは分かりません。ですが、おまえは、私がその言えないことを知っている、そう思って知っていると言ったのでしょう』
ミーヤが言っていることはあの日キリエが言ったのと同じことだ。
そう気がついて愕然とした。
「セルマ様のおっしゃる秘密がどのようなものか私は存じません。ですが、もしも、その秘密が私が見て、聞いたことと同じであったとしても、私はやはりキリエ様を尊敬する気持ちに変わりがあるとは思えません。それほどキリエ様はご立派な侍女頭である、そう思います」
なんと曇りのない瞳をしているの。
なぜ、なぜこんな小娘、こんな穢れた侍女に私は気圧されているの。
「正しいのは……」
セルマが絞り出すように言う。
「わたくしです。わたくしこそがこの宮の、この世界のために正しい道を進むために天に選ばれた者なのです……」
その言葉のなんと空虚なことか。
セルマは自身の言葉をそう感じていることを分かっていた。
「私には何が正しいことなのか正しくないことなのかはよく分かりません」
ミーヤがセルマを見ながらゆっくりと言う。
「ですが、今なさねばならぬこと、分かっていることならございます」
一体何を言おうと言うのだこの小娘は。
セルマは揺れる足元をしっかりと踏みしめミーヤをきつく睨みつけた。
「正しいことの分からぬお前に何が分かると言うのか。言ってみなさい聞いてあげます」
片腹痛いこと。
物の善悪も分からぬ劣った存在のくせに。
「もうお休みになられた方がよろしいかと」
「え?」
「昨夜はあの水音が恐ろしくてあまり眠れていらっしゃらないのではないですか? 私はそうでした。眠りも浅く疲れております。もう休みましょう。いつもよりは少し早いですが、今はやることもございません。そういたしましょう」
ミーヤはそう言うとにっこりと笑った。
同じように、大部分の侍女たちがその日の勤めを終えて入浴をしたり、短い自分だけの時間に入る合図でもある。
用を終えて部屋に戻ると、大部屋の若い侍女たちは同僚と語らうことも多い。個室にいる侍女たちも誰かの部屋を尋ねたり、故郷の家族に手紙を書いたりすることもあれば、その日のことはすべて忘れて早々に休む者もある。
そして夜の最後の鐘は遅番の侍女たちの仕事が終わる時間であり、衛士たち夜番の者たちの交代を知らせる鐘でもある。
シャンタル宮全体が眠りに入る時間だ。
一部の当番の者以外は皆眠りについているはずの時間だが、中には翌朝の寝坊を気にしながら、まだ話し足りないのかランプの火を小さく絞って小さな声で話を続けたりする者などもいる。それでも基本的には就寝中とされる時間に入っていくための鐘だ。
それまでセルマはベッドに扉の方に腰掛けて、奥にあるミーヤのベッドに背を向けるようにして座っていたが、その1つ目の鐘を合図にするように、そう言うと立ち上がり、自分のベッドの横に立ったままで話をしていたミーヤの正面に来て止まった。
「かわいそうな子」
もう一度セルマがそう言う。
「おまえも認めてしまってもいいのですよ、あの老女はもう年老いてしまい、人の上に立つ身ではなくなったと。勘違いしてほしくはないのですが、わたくしも以前はあの人を尊敬していました。侍女の鑑となる方だと。でも秘密を知った上でそうは思えなくなりました。なぜなら真実を知ってしまったからです」
言い終えると憐れむような目でミーヤを見る。
「では」
ミーヤは真っ直ぐにセルマの目を見つめながら答える。
「セルマ様がご存知だという秘密と、私が見たり聞いたり経験したことはやはり違うことのようです」
「なんですって?」
思わぬ返答が返ってきた。
「なぜなら、私はそのことでキリエ様がどれほどご立派で、お強く、そして優しい方かを知ることができたからです。そうして今まで以上に尊敬申し上げ、それまでは厳しくて怖いとばかり思っていた侍女頭という方が、どれほど素晴らしい方かをあらためて知ったからです」
セルマが目を見開き信じられぬという顔になる。
「おまえはあの『秘密』を知ってもまだそのように思えると言うのですか?」
「私はその秘密とやらを知っているとは申しておりません。私が見て聞いて、そして経験したことからと申しております」
「ではそのことを話してみなさい。おまえが何を知り何を知らぬか。そしてわたくしが知ることとどこが違ってどこが同じなのか言ってみなさい!」
「言えません」
ミーヤはきっぱりと言い切る。
「言いなさい!」
「言えません」
「なぜ言えぬのです!」
「それは、言ってはならぬことは言えぬことだからです」
セルマはその言葉を聞いて怯んだ。
『言えぬことを聞いたのなら、最後まで言わぬことです。それをなぜ話したのです?』
あの日、キリエに言われた言葉が胸を刺す。
『言えぬことをその者から聞き、そして言えぬことと知った上で、今、そうして私に話しているのですか? 言えぬこととはそのように軽いものなのですか?』
そうも言われた。
『おまえの言えないことが私の言えないことと一緒かどうかは分かりません。ですが、おまえは、私がその言えないことを知っている、そう思って知っていると言ったのでしょう』
ミーヤが言っていることはあの日キリエが言ったのと同じことだ。
そう気がついて愕然とした。
「セルマ様のおっしゃる秘密がどのようなものか私は存じません。ですが、もしも、その秘密が私が見て、聞いたことと同じであったとしても、私はやはりキリエ様を尊敬する気持ちに変わりがあるとは思えません。それほどキリエ様はご立派な侍女頭である、そう思います」
なんと曇りのない瞳をしているの。
なぜ、なぜこんな小娘、こんな穢れた侍女に私は気圧されているの。
「正しいのは……」
セルマが絞り出すように言う。
「わたくしです。わたくしこそがこの宮の、この世界のために正しい道を進むために天に選ばれた者なのです……」
その言葉のなんと空虚なことか。
セルマは自身の言葉をそう感じていることを分かっていた。
「私には何が正しいことなのか正しくないことなのかはよく分かりません」
ミーヤがセルマを見ながらゆっくりと言う。
「ですが、今なさねばならぬこと、分かっていることならございます」
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「え?」
「昨夜はあの水音が恐ろしくてあまり眠れていらっしゃらないのではないですか? 私はそうでした。眠りも浅く疲れております。もう休みましょう。いつもよりは少し早いですが、今はやることもございません。そういたしましょう」
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