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第一章 第四部 穢れた侍女
3 入浴の時間
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「いいでしょう」
セルマがそう言ってテーブルに近づき、ミーヤの対面に座って食事を始めた。
そうして後は2人とも無言で食事を終えた。
「食器は後で衛士の方が取りに来てくださるそうです」
ミーヤがそう言ってもセルマは返事をせずに黙って座っている。
そのまま特に話もせずに過ごし、また夕食に時間になって2人で黙ったまま食べ終わり、黙ったままで衛士に食器を返した。
衛士がもう一度扉に鍵をかけて出ていってしまうと、後はもう何もすることはない。
「セルマ様、お風呂に入られてはいかがですか」
ミーヤがそう声をかけた。
懲罰房には風呂がない。体を拭くように湯を桶に入れてタオルと共に差し入れてはもらったが、それだけだった。
「支度をしますね」
セルマは何も答えないがミーヤはそのまま準備をする。
シャンタル宮には温泉がひかれている。それはこの宮の主たちや侍女頭のような高位の侍女たちだけではなく、一般の侍女たちが使う湯殿にも、このような客室も、ハナのような下働きの者の湯殿にも満遍なく行き渡っている。
ミーヤはまず風呂桶をきれいに流すと温泉の流し口の板をはずした。
湯が湯気をくゆらせながらかさを増していく様子を見守っていると、気持ちもゆるむのを感じた。
「お風呂が好きですものね」
誰がとは言わない。
いつもいつもお風呂の時間を楽しみにしていたと思い出す。
宮の豪華な設えには興味がなく、絹の服には顔をしかめ、豪勢な食事には食べ切れずにもったいないから減らしてくれと言っていたのに、お風呂にだけはいつもいそいそと入っていた。
「今はお風呂に入れるところにいるのですか?」
湯加減を見るように、たまってきたお湯に入れた手をやわやわと動かしながらそう言う。
いい具合に湯がたまったので流し口の板を戻してお湯を止め、石鹸やタオルを出して入浴の準備をする。
「セルマ様、用意ができました。先にお入りください」
そう声をかけたがセルマは返事をしない。
「セルマ様、どうなさいます?」
返事をしない。
「セルマ様、どうなさるのかお返事をいただけないと困ります!」
少し強い具合でそう言うと、まさかそんな言い方をするとは思わなかったようで、セルマがびくっと動き、
「失礼でしょう!」
そう言い返してきた。
「声をかけているのに知らん顔するのとどちらが失礼でしょうか」
ミーヤが真っ直ぐセルマを見つめながらそう返す。
「キリエ殿が言っていましたよね、気にいらなければ話さなければよいと。気にいらぬので話さぬだけです」
「何がそう気にいらないのでしょうか」
「おまえのような穢れた侍女と話す言葉は持ち合わせていないということです」
「私は穢れた侍女ではありません。天に誓ってそのような行いはいたしておりません」
「どうだか」
セルマが鼻で笑う。
「セルマ様がどう思われようとそのような事実はありません。そしてキリエ様がおっしゃったように、私たち両名は同じ容疑者の立場です」
ミーヤの言葉にセルマの顔が上気する。
「おまえと一緒にしないで!」
「でも同じですよ?」
ミーヤが子どもを諭すようにそう言うと更に顔に朱を登らせる。
「誰がおまえのような者と!」
「でも一緒なのです」
ミーヤがもう一度言う。
二度目の言葉にセルマがぐっと詰まった。
そうだ、同じなのだ。
今は。
「覚えていなさい、ここから出たらわたくしとおまえの立場の違いを思い知らせてやりますから」
「ええ、ではそうなさってください。でも今は同じです。同じ立場の者が共に生活するということは、お互いに譲り合うということでもあります。先にお風呂に入られますか? それとも私が先に入っても構いませんか?」
なんなのだこの者は!
セルマは心の中で言葉を探すが、何をぶつけても同じなのだとどこかで分かったような気がした。
「……分かりました、先に入ります」
「ではどうぞ、いいお湯ですよ。石鹸とタオルも支度してありますので」
ミーヤはにっこりと笑うとセルマが浴室へ行くのを見送った。
怒りに身を任せながら入浴をしたが、数日、あの冷えた懲罰房で過ごした体に温かいお湯は染み渡るようであった。
久しぶりの風呂にセルマもさすがにホッと心身をゆるませた。
入浴後、セルマは風呂桶をきれいに洗い、使用後のタオルや石鹸もきちんと整えて出てきた。
何年ぶりだったろうか、そうして何かの後片付けをするなどは。
取次役という役職に就いてからは、自分がやったことの後片付けは全部誰かに任せていた。
自分は上から指示をする立場、そんなことは下の者がやることだといつからか思っていた。
セルマは浴室から出てくると、だまって自分のベッドに座る。
ベッドの外側、扉側の、ミーヤとは顔を合わせない方向へ。
入れ替わりにミーヤが入浴を終え、出てくるとセルマの後ろ姿に向かってこう言った。
「お風呂をきれいに洗ってくださっていてありがとうございます、おかげで心地よく入浴できました」
その声を背中で聞き、セルマはどうしようもない心地悪さを感じていた。
セルマがそう言ってテーブルに近づき、ミーヤの対面に座って食事を始めた。
そうして後は2人とも無言で食事を終えた。
「食器は後で衛士の方が取りに来てくださるそうです」
ミーヤがそう言ってもセルマは返事をせずに黙って座っている。
そのまま特に話もせずに過ごし、また夕食に時間になって2人で黙ったまま食べ終わり、黙ったままで衛士に食器を返した。
衛士がもう一度扉に鍵をかけて出ていってしまうと、後はもう何もすることはない。
「セルマ様、お風呂に入られてはいかがですか」
ミーヤがそう声をかけた。
懲罰房には風呂がない。体を拭くように湯を桶に入れてタオルと共に差し入れてはもらったが、それだけだった。
「支度をしますね」
セルマは何も答えないがミーヤはそのまま準備をする。
シャンタル宮には温泉がひかれている。それはこの宮の主たちや侍女頭のような高位の侍女たちだけではなく、一般の侍女たちが使う湯殿にも、このような客室も、ハナのような下働きの者の湯殿にも満遍なく行き渡っている。
ミーヤはまず風呂桶をきれいに流すと温泉の流し口の板をはずした。
湯が湯気をくゆらせながらかさを増していく様子を見守っていると、気持ちもゆるむのを感じた。
「お風呂が好きですものね」
誰がとは言わない。
いつもいつもお風呂の時間を楽しみにしていたと思い出す。
宮の豪華な設えには興味がなく、絹の服には顔をしかめ、豪勢な食事には食べ切れずにもったいないから減らしてくれと言っていたのに、お風呂にだけはいつもいそいそと入っていた。
「今はお風呂に入れるところにいるのですか?」
湯加減を見るように、たまってきたお湯に入れた手をやわやわと動かしながらそう言う。
いい具合に湯がたまったので流し口の板を戻してお湯を止め、石鹸やタオルを出して入浴の準備をする。
「セルマ様、用意ができました。先にお入りください」
そう声をかけたがセルマは返事をしない。
「セルマ様、どうなさいます?」
返事をしない。
「セルマ様、どうなさるのかお返事をいただけないと困ります!」
少し強い具合でそう言うと、まさかそんな言い方をするとは思わなかったようで、セルマがびくっと動き、
「失礼でしょう!」
そう言い返してきた。
「声をかけているのに知らん顔するのとどちらが失礼でしょうか」
ミーヤが真っ直ぐセルマを見つめながらそう返す。
「キリエ殿が言っていましたよね、気にいらなければ話さなければよいと。気にいらぬので話さぬだけです」
「何がそう気にいらないのでしょうか」
「おまえのような穢れた侍女と話す言葉は持ち合わせていないということです」
「私は穢れた侍女ではありません。天に誓ってそのような行いはいたしておりません」
「どうだか」
セルマが鼻で笑う。
「セルマ様がどう思われようとそのような事実はありません。そしてキリエ様がおっしゃったように、私たち両名は同じ容疑者の立場です」
ミーヤの言葉にセルマの顔が上気する。
「おまえと一緒にしないで!」
「でも同じですよ?」
ミーヤが子どもを諭すようにそう言うと更に顔に朱を登らせる。
「誰がおまえのような者と!」
「でも一緒なのです」
ミーヤがもう一度言う。
二度目の言葉にセルマがぐっと詰まった。
そうだ、同じなのだ。
今は。
「覚えていなさい、ここから出たらわたくしとおまえの立場の違いを思い知らせてやりますから」
「ええ、ではそうなさってください。でも今は同じです。同じ立場の者が共に生活するということは、お互いに譲り合うということでもあります。先にお風呂に入られますか? それとも私が先に入っても構いませんか?」
なんなのだこの者は!
セルマは心の中で言葉を探すが、何をぶつけても同じなのだとどこかで分かったような気がした。
「……分かりました、先に入ります」
「ではどうぞ、いいお湯ですよ。石鹸とタオルも支度してありますので」
ミーヤはにっこりと笑うとセルマが浴室へ行くのを見送った。
怒りに身を任せながら入浴をしたが、数日、あの冷えた懲罰房で過ごした体に温かいお湯は染み渡るようであった。
久しぶりの風呂にセルマもさすがにホッと心身をゆるませた。
入浴後、セルマは風呂桶をきれいに洗い、使用後のタオルや石鹸もきちんと整えて出てきた。
何年ぶりだったろうか、そうして何かの後片付けをするなどは。
取次役という役職に就いてからは、自分がやったことの後片付けは全部誰かに任せていた。
自分は上から指示をする立場、そんなことは下の者がやることだといつからか思っていた。
セルマは浴室から出てくると、だまって自分のベッドに座る。
ベッドの外側、扉側の、ミーヤとは顔を合わせない方向へ。
入れ替わりにミーヤが入浴を終え、出てくるとセルマの後ろ姿に向かってこう言った。
「お風呂をきれいに洗ってくださっていてありがとうございます、おかげで心地よく入浴できました」
その声を背中で聞き、セルマはどうしようもない心地悪さを感じていた。
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