黒のシャンタル 第三話 シャンタリオの動乱

小椋夏己

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第一章 第三部 光と闇

 5 蜘蛛の糸

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「八年前、あなたが父の後宮に入ると決まった時、私がどれほど絶望したことか」

 国王はさらに続ける。

「ですが結果としてそうはならなかった。それはあのようにとても悲しい不幸な出来事があった故ではありますが、それもまた天啓であると私は思いました。あなたが父の花園の一輪の花にならず女神のままでいらっしゃる。そのことがどれほど私の光明こうみょうであったか。そして私はあなたにふさわしい立場になるためにできることは何でもやりました。できる努力は何もかも。立派な王に、女神の夫にふさわしい存在になるために」

 これは事実であった。
 元々優秀な王子であるとの評判はあったが、八年前を境にして良い意味で「人が変わった」と言われるほどになっていった。
 それまでは美貌と謳われた母、皇后によく似た美麗な面差しではあるが、どことなく線が細くて頼りない印象であった皇太子が、心身の鍛錬に励み、頼りがいのある後継者と周囲の目も変わっていった。
 王宮に籠もって貴族たちとだけ交流するのではなく、リュセルスや周囲の町や村へも家族と共に出向き、その地の民たちからも話を聞き、助けが必要な時には手を伸ばし、次第に民たちの時期国王に対する期待は高まっていった。
 それとは対照的に父王に対しては、平穏な時代が続いたこともあってそれなりに評価もあり良い王様ではあるのだが、あの花園、あの病気だけがなあ、とひっそりと薄くとも広い影のように苦笑がこぼれるようになる。

 そのため、今回のように急な強引な政権交代があったとしても、むしろ歓迎の声の方が大きく、たった数日のことですでに古い王のことは忘れ去られ、交代と共に来るべき新しい時代の期待も大きくなる。

「今回の突然の封鎖にも、ですから民が何を望むか、王として何をすべきかがすぐに分かり動くことができたのです。マユリア、これも全てあなたという女神を愛したが故、私も民を愛することができたから故です。私はあなたを愛するだけではなく心から感謝をしているのです。この気持を、どうか、どうか受け取っていただきたい。そしてあなたも私との未来を夢見ていただきたい」
「夢……」

 マユリアは国王の言葉にただ一言だけそう言って黙る。

「そう、夢です。この国の光り輝く未来のための夢を一緒に見ていただきたい」

 国王はやっと自分の言葉がマユリアの心に届いた、そう思い、本当にうれしそうな笑顔になる。

「どうか、どうかマユリア、一緒に夢を見てください。共に未来を」

 マユリアの心の中の夢は国王のそれとは違う。だが国王はそんなことを知るよしもない。やっと届いた言葉を何度も繰り返し、マユリアの心の扉を開かせようと真摯に、純粋に恋する少年のように熱く見つめる。

「分かりました……」
「では!」

 国王が承諾の言葉をもらったと思わず立ち上がる。

「いえ、違います」

 マユリアは頭上に移動した国王に視線を向けることはなく、そのままやや下を向いたまま続ける。

「わたくしが人に戻り、親元に戻りましたら、その折に両親とも相談をし、時間をいただいて考えたいと思います」
「マユリア……」

 国王の顔が明るく輝く。

「ですが」

 マユリアは国王から見えぬ顔で表情なく続ける。

「その結果、どうしても、どうしてもお受けできない、そう判断しました時には――」
「待ちます!」

 国王は思わずマユリアに触れようとして手を伸ばすが、ハッと気づいて鉄の意思で手を止めた。

 シャンタルとマユリアには男性が触れてはならない。
 その任期中にはよほどのことがない限り、侍医であろうとも触れることはできない。
 
 これほどに浮き上がった気持ちの時、ごく普通の男ならば思わず手を伸ばしてしまい、そして何もかもをだめにしてしまっていただろう。
 だが、さすがにここまで己を律し、ただひたすらマユリアとの未来だけを夢見続けてきた国王はようやっとのことでギリギリ手を止めることができた。

 マユリアにもそのことは分かったらしく、

「ありがとうございます」

 素直にその行動に礼を言う。

「いえ、もう少しでとんでもない失礼をするところでした、お許しください」

 国王はもう一度跪いて素直に謝罪する。

「どうぞお立ちください」

 マユリアの言葉にもう一度頭を下げてからゆっくりと立ち上がり、正面から美しい女神を見る。

「待ちます、いつまでもいつまでも」

 その瞳は空に輝く虹を見つけた子どものように純粋な喜びで光り輝いていた。

「マユリア、どうぞ、どうぞ天啓にお答えください」

 マユリアはその言葉には答えず、だまって国王に頭を下げ、

「どうぞ今日はもうお引取りください。まだやらねばならぬことがございます」

 そうとだけ告げる。

 国王はマユリアの真意を測るように表情を伺うが、戸惑うような、そして好意的に見ると恥ずかしそうにも見えるその顔から本当の気持ちを読み取ることはできなかった。

 だが、

「今日はゆっくりとお話できてよかったです。私の心をあなたにお伝えできました。言いたい言葉はみな伝えられました」

 満足そうにそう言うと帰っていった。

 マユリアはゆっくりとソファに移動し、まるで絹でできた蜘蛛の糸に絡められたような心地になり、

「逃れられぬということでしょうか」
 
 とつぶやいた。
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