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第三章 第一部 見えない敵

13 嫌いな人

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 ラーラ様にはセルマが深読みしたような、マユリアと図ってシャンタルをキリエの見舞いに連れていくための芝居をしたような事実はなかった。

 ただ、ラーラ様がセルマを嫌っていることは事実である。
 今まで誰かを特に嫌うということなどしたことがないラーラ様だが、自分でも不思議に思えるほどセルマに対しては好意を持てない。ただそれだけのことであった。

 ラーラ様も元はシャンタルとしてこの宮で生まれ、育ち、マユリアを経て人に戻ってシャンタル付きの侍女となり、今はシャンタルの母のような立場にある。
 元々は自分も「慈悲の女神」である。そのような感情を抱くようなことはほとんどない。
 だが、どうしてだかセルマに対しては、もはや軽蔑と言っていいほどの感情を抱くようになっていた。

 そしてその感情を自覚することで、そんな気持ちを抱かされたことに不快になり、またさらにセルマへの悪感情が高まる。その繰り返しに自分でも自分が嫌になってしまい、ついため息をつきたくなる。

(これが人になるということなのでしょうか)

 マユリアも決してセルマのことを心から信頼しているわけではない。見ていると分かる。だが、自分のように嫌ってはいないのも伝わってくる。
 そして、やんわりとラーラ様をなだめてくることもある。

 今日もそうだった。キリエの容態を聞き、ホッとして、ではシャンタルをお見舞いにお連れしたい、そう思って口にした途端、セルマの表情が変わった。

 ラーラ様にとってもキリエは特別な存在である。
 厳しくも優しい、母というよりはおそらく父のような存在なのかも知れない。その愛情の深さと、歴代のシャンタル、マユリアに己を殺して仕えてくれている姿を知る者には、本当に何者にも代え難い大事な存在なのだ。

 その大事な侍女頭に自分も会いたい、シャンタルもずっと会いたいと思っていらっしゃる。それでお見舞いに行きたいと言っただけで、なんとも言えぬ目つきを向けてきた。
 
 セルマはキリエのことも自分のことも軽蔑している、そう感じる。

 一体、何故なにゆえに、事程左様ことほどさようにそのような目を向けてくるのだろう。全く理由が分からない。
 それで向けられた視線そのままに、ラーラ様の心も素直にそのままの気持ちをセルマに向けてしまうのだ。まるで鏡に映すように。

 今までその立場ゆえ、そのような視線を向けられたことがないだけに、戸惑いからそのまま同じく嫌悪感として返してしまうようになってしまっていた。
 本当はそのような気持ちを持ちたくはないのに……

 ラーラ様はその考えを一時心の奥にしまい、昼食後、シャンタルのお支度を整えると輿の準備をするようにと侍女たちに伝えた。
 
 たちまちシャンタルの宮の中を移動する時に使う小さな輿が迎えに来て、小さなシャンタルがそれに乗ってキリエのお見舞いに向かう。
 その表情はとてもうれしそうであった。

「まあ、なんということなのでしょう。マユリアだけではなくシャンタルまで。本当にキリエは幸せ者でございます」

 キリエは寝台のソファに上体をもたせながら、幸せそうな笑みを浮かべて小さな主を見つめる。

「あのね、あまり近くへ行ってはいけないと言われているの。シャンタルはキリエのそばに行きたいのに」

 小さなシャンタルが少し悲しそうにそう言う。

「またキリエが元気になったらお会いになられるといいでしょう。今はキリエのためにも我慢なさってくださいね」
「うん」

 ラーラ様はキリエの体調不良の原因が血圧のせいではないかと聞き、それを信じていた。もしもうつるような病なら、あのセルマがキリエを隔離して誰とも会わせるはずがない、とも。
 わざわざ自分がマユリアに告げに来たのは、キリエとマユリアを2人きりにさせたくないからだろうとも推測をしていた。

 そうして、ほんの短い時間ではあるが、ラーラ様とシャンタルはキリエの顔を見て、少し言葉を交わすことで安心して戻っていった。

「また来ます。元気になってね」
「はい、きっと元気になります。またシャンタルのお世話をさせてくださいませ」
「うん、きっとね、きっと」

 なんと愛らしい。
 キリエはその姿を見て、声を聞いただけですっかり元気になった気がしていた。

 病の原因はなんらかの薬らしいと聞いた。
 言われた通り水分をたくさん取り、体を起こすのはつらいが手洗いへよく行くようにしていたら、心持ち体が楽な気がしていた。
 そこに思わぬあるじたちの見舞い、気持ちが晴れるとますます復調しているように思えた。

『本当は今すぐ治せるんだけど、それするとヤバいんで、ちょっとだけ我慢してもらえます?』 

 「中の国の侍女」はそう言っていた。
 「ヤバい」というのはおそらく、すぐにその原因を取り除くと仕掛けた相手に知ったことが分かってしまうからだろう。

(あの者たちはそのために何かの準備をしてくれているのだろう)

 その気持がとてもありがたかった。

 そして……

(おそらく、仕掛けてきたのはあの者たちであろう)

 だが……

 おそらくその背後にはまだ誰かがいる。

 キリエはトーヤと同じ結論を出していた。
 何よりこの宮のことを一番知る人間が。
  
 だが、それが誰であるのかまでは、さすがのキリエにも推測がつかなかった。
 ただその事実が恐ろしい、そう思った。
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