銀色の魔法使い(黒のシャンタル外伝)<完結>

小椋夏己

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 5 井戸と番人

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 ベルはもう一杯水を飲むと、ホッと一息ついた。
 井戸水は冷たくておいしかった。

 そうして、横で白いマントの人が実に丁寧に、ゆっくりゆっくりと少しずつ兄のアランの口元を潤しているのを見ていた。安心して見ていられた。

「もういいの?」
 
 作業を繰り返しながらそう聞かれた。

「あ、あの……」

 どう返事をしようか。

「どうしたの?」

 手を止めることなくそう聞いてくる。

「あの、あの、この水」

 井戸は大抵その町や個人の所有である。
 ベルたちも安心な水を求めても得られずに、仕方なく誰のものでもない川の水や、時には濁った溜まり水で喉を潤していた。そうして、水が原因で命を落としていく者も少なくはない。

「ん、水がどうかした?」
「あ、あの、井戸……」
「井戸がどうしたの?」

 ベルの言い方が気になったのか、マントの人が手を止めてベルを見る。

「あの、水って、その、井戸は、あの、誰かが、えっと、金が、あの……」
「ああ」

 言わんとすることを理解したようだ。

「大丈夫だよ。そこの井戸はこの町の井戸で、番人にちゃんとお金を払ったからね。この海綿もそうして分けてもらったものだし、そのひしゃくもちゃんと断って借りてるから。遠慮せずに欲しかったらもっと飲んでいいんだよ」

 マントで隠れて顔は見えないが、最後には笑ったような気がした。

「ほら、そこに桶があるでしょう、それに汲んでこれる? お兄さんもちょっとずつ飲んでるからね。冷たい水を汲んできてあげて。歩けるかな?」

 そう言われてベルはゆっくりと立ち上がる。
 少し休んで、冷たい水をたくさん飲んだからか、しっかりと立ち上がれた。
 もちろん、足は棒のようになってはいるが、井戸はすぐそこだ。

「おれ、汲んできます」
「ありがとう、頼むね」

 ありがとうって……

 ベルはなんだか変な気がした。
 だって、ありがとうって言うのはこっちの方だ。
 助けてくれてるのに、なんであの人は自分に礼を言えるのだろう。

 そう思いながら井戸に近づく。

 井戸にはやはり番人がいた。
 
 見たところ足が悪いらしく、杖をそばに置いた年取った男の人だった。

 少しひるむ。
 ベルは男の人が怖いのだ。
 
 その年取った男の人はジロリ、とベルを見た。
 ベルがびくりと身を引く。

「水かい?」

 意外にも、その男の人はにっと笑い、そのせいで歯が抜けて空白ができた口の中が見えた。

「ちゃんと金もらってるからな、いいよ、いるだけ汲みな」
「あ、ありがと……」

 ベルは遠慮そうに井戸に近づき、先に木の桶が付いたロープを井戸の中に落とす。

 ちゃぷーん

 心地よい音がした。
 ロープを懸命にたぐり、桶を井戸の上まで持ち上げられた。

「どれ、貸してみな」

 番人の男がベルの手から水を蓄えた桶を受け取り、ベルが持ってきた桶の中に移してくれた。

「さ、こぼさんようにな。ここの水はうまいぞ」

 そう言ってまた隙間だらけの口の中を見せてきた。

「あ、ありがと……」

 ベルは精一杯丁寧に礼を言い、水が入った桶を兄が寝ている場所まで運んだ。

「ありがとう、そこに置いてくれる? あなたももっと飲んでいいんだよ。冷たいうちに飲んで。今日は暑いもんね」

 マントの中から優しくそう声をかけてくる。

「あ、ありがと……」

 ベルはまた礼を言う。
 一日にこんなに何回も礼を言ったことなどなかった。
 なんだかそれが不思議だった。

 マントの人は何度も何度も兄の口を湿してくれるが、兄がそれを自分から飲むことはない。
 まだ全然意識が戻らないのだ。

 ベルは不安な気持ちでマントの人が兄に水を含ませるのを見ていた。

「おい」

 いきなり背後からそう声をかけられ、ベルは飛び上がった。

「なんだあ、おい、何びびってんだよガキ」

 例の黒い髪の男、マントの人が「トーヤ」と呼んだ男である。

「話ついたぞ」

 それだけ言うと、「よっ」と掛け声をかけてまた兄を担ぎ、

「付いてこい、ガキ」
 
 そう言ってくるりと振り向き、とっとと行ってしまう。

「さ、行こうか」

 白い人にそう促され、ベルは立ち上がり、そっちに向かって歩き始めた。

「あ」

 白い人が思い出すようにそう言うと、

「悪いけど、桶とひしゃく、返してきてくれるかな? 大丈夫だよね」
「うん、分かった」

 残った水をどうしようかと考えたが、入ったまま番人の年寄りのところへ持っていく。

「おう、そのへんにまいといてくれ」

 言われるままにそうして、桶を返す。

「あ、ありがと……」
「あいよ」

 また歯が抜けた口の中を見せながら、男が桶を受け取った。

 ベルは急いで振り返り、兄を担いで進む「トーヤ」と、その後ろを付いて歩いていく白いマントの後を追った。

 兄を担いだ男は一軒の宿の前で立ち止まり、ベルが来るのを待っていた。

「おせえぞ、ガキ」

 本当に口が悪い男だ。
 ベルはムッとしたが、一応助けてくれようとしていると思い、我慢した。

「なんか不満そうな顔してやがるな」

 男はふんっ、と鼻で笑うと、

「そらここだ、入れ」

 そう言ってどしどしと宿に入り、2階へと上がっていった。

 ベルはこんな宿に入ったことがない。

 入っていいのかどうか迷っていると、

「2階に上がるよ」

 そう言ってマントの人が優しく背中を押してくれ、やっと階段を上り始めた。
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