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2022年 11月
二人静・その三
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「しずかあ!」
「うわ、おばあちゃん!」
小学校3年生の静は急いでよじ登っていた柿の木から飛び降り、庭から外へと駆け出した。
「柿の木は危ないから登ったらあかん言うたやろ! 枝がさくいからすぐ折れて危ないんや!」
京都出身の祖母は、東京に住んで何十年となるの今でも京都の言葉が抜けない。
「悪さばっかりして! あぁあ! ほんまに、わざわざつけた静て名前と正反対、なんでこんな山猿に!」
「お兄ちゃんたちの影響!」
静はそう言い返すしながら、兄たちがサッカーをしている中学の校庭へと急いだ。
静の両親は共働きで、兄弟4人、ほとんど祖母に育てられたようなものだった。
静の上には兄が3人、どの兄も静とは逆に、
「男は元気が一番、木登りぐらいでけんでどうする」
と、祖母に叱咤激励されてちょっとしたやんちゃ者に育っていた。
「そやけど柿の木はあかん言うたで! こらあ、聞いてるんかあ!」
どんどん小さくなる祖母の声を背中に聞きながら、静は思いっきり走って行く。
祖母は父の母だ。
「娘ができたら静てつけたい」
子供の頃にドラマで見たとかで静御前のファンの祖母は、ずっとそう思っていたが、残念ながら生まれた子は全員男だった。その後の孫も男の子ばかり。
「子供の名前は親がつけるもんやと思てるけど、そやけど、一人ぐらいそういうチャンスがあってもええもんを」
いつもそう言って、孫の誕生を喜びながらも軽くため息をついていたそうだ。
そこへやっと生まれた唯一の女孫、
「お義母さん、名付けをお願いします」
母がそう言ってくれた時、祖母は、
「ほんまにうれしゅうて、ああ、生涯この人にはいけずしたらあかん、そうおもた」
と、京女らしい心持ちを正直に告白したそうだ。
で、肝心の静だが、
「小さい頃から男の子とけんかしては泣かす、いっつもどろどろで走り回ってる。優雅な静御前の影も形もあらへん」
「けど、静御前って白拍子で男装して踊ってたんだろ? だったらうちの静もそうそう違うとは思えないながけどなあ」
「あかんあかん!」
慰めるように言う父に、祖母は激しく首を振り、
「気品が違う、違いすぎる! ああ、誰の育て方が悪かったんや」
「って、ほとんど母さんが育ててくれたようなものじゃない」
と突っ込まれて終わる、というお約束を繰り返していたようだ。
そうして祖母に怒鳴られながら、静はスクスクと、竹のように真っ直ぐな少女から大人へと成長していった。
大学を出て留学し、外資系の商社に勤め、仕事で実績を上げ、年齢は30代へと差し掛かろうとしていたある日のこと、
「今度の日曜日いいかな」
と、久しぶりに実家に連絡を入れてきた。
約束の日、
「ハジメマシテ、ヨロシク、オネガイイタシマス」
なんと、たどたどしい日本語でそう挨拶する、世間で呼ぶところの「イケメン」を連れて戻り、
「結婚しようってことになって」
と、紹介してきたので、
「あんた、なんでそんな大事なこともっとはよ言わんの!」
と、年老いはしたが、まだまだ健在、現役な祖母の雷をいただいた。
「ひさしぶりに怒られちゃったなあ」
静はぺろりと舌を出し、うれしそうに祖母の言葉を婚約者に通訳すると、もう一度二人で顔を見合わせて笑った。
その日は祖母と両親、近くに住む次兄一家、三男の息子で実家に下宿している大学生の甥、みんなでお祝いのパーティーとなった。
「静、ちょっとええか?」
「ん、おばあちゃんどうしたの?」
祖母に手招きされ、婚約者に軽くことわってから腰を上げる。
二人で祖母の部屋である六畳の和室に入った。
「なあに、なんか内緒話? それともお説教?」
そう冗談口をたたきながら、祖母のベッドに並んで座った。
「あのな、あんたの名前、その由来を教えておきたいおもてな」
「え、おばあちゃんが好きな静御前のようになってほしいってつけたんでしょ?」
何度も聞いてきたのに今さらなにをと、目を丸くすると、
「それもあるけど、それだけとちゃうんよ」
と、祖母がシワに縁取られた両目をさらにシワだらけにした。
「一人静、二人静って知ってるか?」
「何それ?」
「花の名前や」
「花?」
「そや」
祖母が手に持った古い雑誌の写真を見せる。
「このな、白い花が一つの方、これが一人静。そんでな、こっちの花が二つの方が二人静」
「へえ、そんな花があるんだね」
「そうや」
静が二つの花を見比べてる姿を見ながら祖母が続ける。
「静言う名前はな、あんたがこの先、一人で人生を歩くにしても、誰かと二人で歩くにしても、きれいに花開きますように、そういう意味も含めてつけた名前なんや」
「そうだったの」
「時代は変わってきた。女も一人で手に職持って、そんで立派に独り立ちして生きていく時代になった。そんな時代に、どの道を進んでもきれいに花開きますように、そう思ってな」
祖母が静の手を取ってやさしくさすった。
「あんたはてっきりずっと一人静で行くもんやと思ってたら、ちゃんと相手連れてきて二人静の道も進もうとしてる。両方の道を歩ける人間に育ってくれた。おおきにな」
「おばあちゃん……」
「静は一人から二人になる。これからももっともっときれいな花咲かせてな」
祖母の深い思いを知り、静は何も言えず、黙って何度も頭を下げ続けていた。
「うわ、おばあちゃん!」
小学校3年生の静は急いでよじ登っていた柿の木から飛び降り、庭から外へと駆け出した。
「柿の木は危ないから登ったらあかん言うたやろ! 枝がさくいからすぐ折れて危ないんや!」
京都出身の祖母は、東京に住んで何十年となるの今でも京都の言葉が抜けない。
「悪さばっかりして! あぁあ! ほんまに、わざわざつけた静て名前と正反対、なんでこんな山猿に!」
「お兄ちゃんたちの影響!」
静はそう言い返すしながら、兄たちがサッカーをしている中学の校庭へと急いだ。
静の両親は共働きで、兄弟4人、ほとんど祖母に育てられたようなものだった。
静の上には兄が3人、どの兄も静とは逆に、
「男は元気が一番、木登りぐらいでけんでどうする」
と、祖母に叱咤激励されてちょっとしたやんちゃ者に育っていた。
「そやけど柿の木はあかん言うたで! こらあ、聞いてるんかあ!」
どんどん小さくなる祖母の声を背中に聞きながら、静は思いっきり走って行く。
祖母は父の母だ。
「娘ができたら静てつけたい」
子供の頃にドラマで見たとかで静御前のファンの祖母は、ずっとそう思っていたが、残念ながら生まれた子は全員男だった。その後の孫も男の子ばかり。
「子供の名前は親がつけるもんやと思てるけど、そやけど、一人ぐらいそういうチャンスがあってもええもんを」
いつもそう言って、孫の誕生を喜びながらも軽くため息をついていたそうだ。
そこへやっと生まれた唯一の女孫、
「お義母さん、名付けをお願いします」
母がそう言ってくれた時、祖母は、
「ほんまにうれしゅうて、ああ、生涯この人にはいけずしたらあかん、そうおもた」
と、京女らしい心持ちを正直に告白したそうだ。
で、肝心の静だが、
「小さい頃から男の子とけんかしては泣かす、いっつもどろどろで走り回ってる。優雅な静御前の影も形もあらへん」
「けど、静御前って白拍子で男装して踊ってたんだろ? だったらうちの静もそうそう違うとは思えないながけどなあ」
「あかんあかん!」
慰めるように言う父に、祖母は激しく首を振り、
「気品が違う、違いすぎる! ああ、誰の育て方が悪かったんや」
「って、ほとんど母さんが育ててくれたようなものじゃない」
と突っ込まれて終わる、というお約束を繰り返していたようだ。
そうして祖母に怒鳴られながら、静はスクスクと、竹のように真っ直ぐな少女から大人へと成長していった。
大学を出て留学し、外資系の商社に勤め、仕事で実績を上げ、年齢は30代へと差し掛かろうとしていたある日のこと、
「今度の日曜日いいかな」
と、久しぶりに実家に連絡を入れてきた。
約束の日、
「ハジメマシテ、ヨロシク、オネガイイタシマス」
なんと、たどたどしい日本語でそう挨拶する、世間で呼ぶところの「イケメン」を連れて戻り、
「結婚しようってことになって」
と、紹介してきたので、
「あんた、なんでそんな大事なこともっとはよ言わんの!」
と、年老いはしたが、まだまだ健在、現役な祖母の雷をいただいた。
「ひさしぶりに怒られちゃったなあ」
静はぺろりと舌を出し、うれしそうに祖母の言葉を婚約者に通訳すると、もう一度二人で顔を見合わせて笑った。
その日は祖母と両親、近くに住む次兄一家、三男の息子で実家に下宿している大学生の甥、みんなでお祝いのパーティーとなった。
「静、ちょっとええか?」
「ん、おばあちゃんどうしたの?」
祖母に手招きされ、婚約者に軽くことわってから腰を上げる。
二人で祖母の部屋である六畳の和室に入った。
「なあに、なんか内緒話? それともお説教?」
そう冗談口をたたきながら、祖母のベッドに並んで座った。
「あのな、あんたの名前、その由来を教えておきたいおもてな」
「え、おばあちゃんが好きな静御前のようになってほしいってつけたんでしょ?」
何度も聞いてきたのに今さらなにをと、目を丸くすると、
「それもあるけど、それだけとちゃうんよ」
と、祖母がシワに縁取られた両目をさらにシワだらけにした。
「一人静、二人静って知ってるか?」
「何それ?」
「花の名前や」
「花?」
「そや」
祖母が手に持った古い雑誌の写真を見せる。
「このな、白い花が一つの方、これが一人静。そんでな、こっちの花が二つの方が二人静」
「へえ、そんな花があるんだね」
「そうや」
静が二つの花を見比べてる姿を見ながら祖母が続ける。
「静言う名前はな、あんたがこの先、一人で人生を歩くにしても、誰かと二人で歩くにしても、きれいに花開きますように、そういう意味も含めてつけた名前なんや」
「そうだったの」
「時代は変わってきた。女も一人で手に職持って、そんで立派に独り立ちして生きていく時代になった。そんな時代に、どの道を進んでもきれいに花開きますように、そう思ってな」
祖母が静の手を取ってやさしくさすった。
「あんたはてっきりずっと一人静で行くもんやと思ってたら、ちゃんと相手連れてきて二人静の道も進もうとしてる。両方の道を歩ける人間に育ってくれた。おおきにな」
「おばあちゃん……」
「静は一人から二人になる。これからももっともっときれいな花咲かせてな」
祖母の深い思いを知り、静は何も言えず、黙って何度も頭を下げ続けていた。
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