小椋夏己のア・ラ・カルト

小椋夏己

文字の大きさ
上 下
33 / 65
2022年  7月

本当の七夕

しおりを挟む
「そういや今夜は七夕か、こんな日におまえと二人でこうして過ごせるなんて、俺はなんて幸せ者なんだ」

 俺はそう言って夕夏ゆうかの肩をそっと抱、こうとしてピシャリと叩かれた。

「何言ってんの、私は一体、その七夕の夜になーんでここにいるんでしょうね?」

 いや、ごもっとも。

 俺と夕夏は同じ大学で知り合って交際を始め、今はどちらも三回生。
 夕夏は文学部、俺は法学部、その教養が同じ授業だったのが知り合ったきっかけだ。

「えっと、俺のリポートがリジェクトされて、その再提出を手伝ってもら――」
「見守る、ね。勉強してる内容が違うからお手伝いはできませーん」

 もっともだ。

「そんで今日は七夕、そして明日7月8日金曜日はどんな日? さあ、言ってごらん」
「えっと、その再提出の締め切りです」
「よね? そんじゃとっととやったんさい!」

 そう言われて俺は仕方なくもう一度ノートに向かってカチカチとレポートの制作に取り掛かる。

 俺たちの大学は夏休みの前に試験があって、大方の高校生たちと同じ7月20日頃から夏休みに入る。
 7月頭から夏休みが始まってる大学の学生はもうとっくにバカンス気分というのに、なーんでこの糞暑い中を俺はこうしてレポートなんぞ書いてなきゃいけないのか。

「それはね、もっと早くとっととやっておかなかったから、締切の前日になって徹夜しなくちゃいけなくなったから」

 ギクッ、なんで俺の考えてたことが分かったんだ。

「そんなもん、もう2年以上付き合ってんだから見てれば分かります」

 そう言って夕夏は立ち上がると冷蔵庫から冷たく冷えたコーヒーのペットボトルを持ってきた。

「はい」

 氷を入れてコップに注がれたコーヒーを差し出しながら、

「今日はカフェインレスでは意味ないから、きっちりカフェイン入った無糖だから」

 そう言う。

「サンクス」

 俺は冷たいコーヒーを眠気覚ましに飲みながら、ぼちぼちと作業を進めていった。

 が、すぐに集中力が途切れてしまう。

「なあ」
「なによ」
「ちょっと疑問なんだけど」

 俺は真面目な顔で夕夏に質問をぶつける。

「そもそも七夕って7月6日から7日に変わったその夜なのか、それとも7日から8日に変わるまでのどっちなんだろ?」
「今夜じゃないの?」
「でもさ、夜の長さとしては夕べの方が長くない? 今日だったら夕方から0時までってことで――」
「はい、どっちでもいいからとっととやる」
「分かりました……」

 また作業に戻る。

 7月7日の夜は静かに過ぎてゆき、時刻はもう少しで8日になる頃となった。

 織姫と彦星はこの夜にやっと一年ぶりに再会できて、そんでもって二人きりで……
 そんなことを考えてたら、思わず知らず夕夏の顔に俺の顔をそっと……

「はいストーップ」

 夕夏が黙って読んでたタウン誌を俺の唇にバシッと押し付けた。

「だってさ、今夜は織姫と彦星が一年ぶりにデートしてる夜なんだぜ? 少しぐらいロマンチックになってもいいだろう」
「何言ってんの」

 夕夏にビシッと言われる。

「何がロマンチックよ。元々あの二人はね、結婚した途端に仕事もほっぽらかして猿みたいにやりまくってて、それで怒った神様が引き離したんだからね。もっと理性ってのを持って自分の義務を果たしてたら普通に一緒にいられたのよ」
「え、恋人じゃないの?」
「違うわよ、夫婦よ」
「知らなかった」
「そういうのだからロマンチックも何もないっての」
「いや、だけどそのへんはぼかすとかなんとか」
「何言ってんの、古代の人は大らかだから、そういうのはっきりくっきり書くのよ。例えば古事記のイザナギ・イザナミだって、子供の作り方が分からないって困ってたらセキレイが尻尾振って教えてくれたとか、イザナミが死んだのは火の神様を産んでその時に女性の大事なところを火傷して死んだとか、それに万葉集なんてね」
「さあレポートやろーっと!」

 学問というのは残酷なものだ。
 俺はこれ以上ロマンチックな気分を壊されたくなくて現実の作業に戻ることにした。

 よく世間では女性がロマンチストだって言うけど、夕夏はそのへんちょっと欠けるというか、うん、デリカシーがない。俺の繊細なガラスの心を素足でバリバリ踏み潰すようなところがある。

 毎年七夕の頃はまだ梅雨で、雨が降って織姫と彦星が会えない時も多いってのに、今年はえらく早く梅雨明けしたせいで、せっかく二人が会えてるってのにな。それをあんな風にあっけらかんと。本当にもうちょいなんとかならんのかね。

 カチカチとキーボードを叩きながら、ちょっと冷めた心のおかげで作業がはかどること、とさみしく思う。

「あのね」
「なんだよ」

 俺は少しそっけなく夕夏に返事をした。

「七夕って本当は旧暦なんだよ」
「うん?」
「だから、今年は8月4日なんだって」
「へえ」
 
 だからどうした。

「だからね、きちんと明日レポート提出して、再々提出なんてことなしにして、その日はちゃんと時間取ってよ」
「へ?」
「その日は本当にゆっくり二人きりで、その」

 夕夏はちょっと横を向いて、

「本物の七夕をロマンチックに過ごしたいんだからね」

 そう言って頬を赤らめた。

 本当に俺の織姫は素直じゃないっての。
 俺は二人の七夕のために理性を持ってレポートを完成させてやると心に誓った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

流星の徒花

柴野日向
ライト文芸
若葉町に住む中学生の雨宮翔太は、通い詰めている食堂で転校生の榎本凛と出会った。 明るい少女に対し初めは興味を持たない翔太だったが、互いに重い運命を背負っていることを知り、次第に惹かれ合っていく。 残酷な境遇に抗いつつ懸命に咲き続ける徒花が、いつしか流星となるまでの物語。

恋と呼べなくても

Cahier
ライト文芸
高校三年の春をむかえた直(ナオ)は、男子学生にキスをされ発作をおこしてしまう。彼女を助けたのは、教育実習生の真(マコト)だった。直は、真に強い恋心を抱いて追いかけるが…… 地味で真面目な彼の本当の姿は、銀髪で冷徹な口調をふるうまるで別人だった。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

愛のゆくえ【完結】

春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした ですが、告白した私にあなたは言いました 「妹にしか思えない」 私は幼馴染みと婚約しました それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか? ☆12時30分より1時間更新 (6月1日0時30分 完結) こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね? ……違う? とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。 他社でも公開

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...