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2022年 7月
いわしの頭
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「教祖になろうかな」
就職活動に疲れ切った依子が妙なことを言い出した。
「何を言ってるのよ。教祖になるって、そういう勉強とかしてきてないくせに」
「いやいや、下地は十分あるよ?」
そう言えば以前、幼稚園がカトリック、小学校は公立だったけど中学・高校は仏教系、そして今、こうして一緒にいるうちの大学がやはりキリスト教系だと言ってたことがあった。
「お経から聖書から、色々と人生に取り揃えておりますわよ?」
ふざけたように言うので思わず笑った。
「でもさ、教祖になるのに多分資格とかそういうのってないと思うのよ」
「え、でもお坊さんとか牧師さんとかってそういうのあるよね?」
「そういうのはね。でも教祖の資格って聞いたことある? 教祖学校とか教祖免許とか」
言われてみれば聞いたことがない気がする。
「ね、だからそういうのってきっと言ったもん勝ちなんだと思う」
依子はずずずいと顔を突き出して続けた。
「だからやってみる、うん」
てっきり冗談だと思っていたが、それから数日後、
「よろしくお願いしま~す」
と言って差し出された名刺を見てびっくりした。
『教祖:リコ・ハートランド』
「誰これ?」
「私よ」
「もしかして『よりこ』から『りこ』?」
「そうそ」
「ハートランドは?」
「それは心の故郷って感じしない?」
なんと適当につけた名前なんだと吹き出す。
「とにかく今日から私、教祖様だから」
そう言って就職活動をやめてしまい、大学卒業後は本当に宗教団体を立ち上げてしまった。
一度その宗教団体を見学に行ったのだが、元々口達者で社交的な依子は、なんだかんだ適当なことを言って信者(驚くことにいたのだ)にありがたいお説教をたれていた。
「人はみな平等なのです、大事なのは愛、愛の大地、心の大地、人を慈しむ者は己も慈しまれ、愛されるのです」
一体何系の宗教なのかは分からないけど、依子のことをよく知る私ですら、なんとなく信じてしまいそうになった。そういう集まりって不思議な空気があるものだ。
その後は私はごく一般的に就職し、職場で出会った人と結婚し、二人目の子どもができた時に子育てに専念するために仕事を辞め、依子とは自然と距離ができていた。
そんな頃、たまたまつけたテレビのローカルバラエティ番組に、なんと、ハートランド先生がコメンテーターとして出ていたので本当に驚いた。
相変わらず嘘か本当か分からないことをまくしたてていたが、派手な髪形とそのバサバサとした物言い、たまに真剣な顔で世を憂いて見せる様が受けたようで、しばらくはちょこちょことテレビや雑誌などで見かけるようになった。
だが流行り物とはいつかは飽きられるもの。
気がつけばメディアから依子の姿は消えてしまい、その後どうしているのかを知らぬままに月日が経った。
私は気づけば六十の坂を超え、今では5人の孫のおばあちゃんになっていた。
特にこれということもない平凡な人生だったけど、それはそれで幸せな日々だったと思う。
そんなある日、高校生の孫娘の漫画雑誌をふと手に取って、そこに懐かしい名前を見つけてまた驚くことになった。
「リコ・ハートランド先生の青春相談室」
そんなコラムを連載しているらしい。
「あ、その先生ね面白いの」
「へえ」
「うちの友達もみんな楽しみに読んでるよ。おばあちゃんもなんか悩みがあったら相談してみたら?」
「いやいや、おばあちゃんはいいよ。そもそもこれ、女子高生の読む雑誌でしょ?」
「そうでもないよ、相談者には結構年寄りの人もいるから」
年寄り。
そう、孫娘から見れば私はすっかり年寄りなのだ。
そしてその年寄りと同い年のハートランド先生こと依子は、白黒のボケた写真ではっきりとは分からないが、なんだか派手な髪と衣装でいかにもらしく青春を語っていた。
「いわしの頭も信心から。あなたも彼を信じてみたらいいと思いますよ。信じて信じて、そしてもしも裏切られたら、その時はぽーんと捨てちゃえばいい。そうして次に行きなさい。人は、愛するために生きているのです。愛を生み出し続けることが生きること。だめだと思ったらとっとと次に行きなさい。新しい愛を探しなさい。それが人生です。愛の国、ハートランドから私、リコ・ハートランドがあなたを見守っていますよ」
なんとも無責任な言い方で、しかも逃げ道もちゃんと作ってある。
ただ、相談者の17歳の少女の恋がうまくいってもいかなくても、救いの道を示してはいると思う。
「なるほどねえ」
「え?」
「いや、いわしの頭も信心から」
「ね、面白いでしょ」
そうなのだ、信心する方からすればそれがたとえいわしの頭でも、本心から信じれば本物に見えてくる。
同じように、教祖様だって自分が教祖だ、人を救うのだと信じてその人生を貫けば、本当に人を救うこともできるのだろう。
少なくとも依子はこの半世紀近くの間そうして生きてきている、貫いている。
もしかしたら結構な数の人を救ってきているのかも知れない。
教祖というものもそうして磨かれて本物、かどうかは分からないけど、少なくとも本物らしくなっていくこともあるのだろう。
そういう気持ちでピンボケの写真を見直すと、なんとなくハートランド先生が神々しく見えた気もした。
就職活動に疲れ切った依子が妙なことを言い出した。
「何を言ってるのよ。教祖になるって、そういう勉強とかしてきてないくせに」
「いやいや、下地は十分あるよ?」
そう言えば以前、幼稚園がカトリック、小学校は公立だったけど中学・高校は仏教系、そして今、こうして一緒にいるうちの大学がやはりキリスト教系だと言ってたことがあった。
「お経から聖書から、色々と人生に取り揃えておりますわよ?」
ふざけたように言うので思わず笑った。
「でもさ、教祖になるのに多分資格とかそういうのってないと思うのよ」
「え、でもお坊さんとか牧師さんとかってそういうのあるよね?」
「そういうのはね。でも教祖の資格って聞いたことある? 教祖学校とか教祖免許とか」
言われてみれば聞いたことがない気がする。
「ね、だからそういうのってきっと言ったもん勝ちなんだと思う」
依子はずずずいと顔を突き出して続けた。
「だからやってみる、うん」
てっきり冗談だと思っていたが、それから数日後、
「よろしくお願いしま~す」
と言って差し出された名刺を見てびっくりした。
『教祖:リコ・ハートランド』
「誰これ?」
「私よ」
「もしかして『よりこ』から『りこ』?」
「そうそ」
「ハートランドは?」
「それは心の故郷って感じしない?」
なんと適当につけた名前なんだと吹き出す。
「とにかく今日から私、教祖様だから」
そう言って就職活動をやめてしまい、大学卒業後は本当に宗教団体を立ち上げてしまった。
一度その宗教団体を見学に行ったのだが、元々口達者で社交的な依子は、なんだかんだ適当なことを言って信者(驚くことにいたのだ)にありがたいお説教をたれていた。
「人はみな平等なのです、大事なのは愛、愛の大地、心の大地、人を慈しむ者は己も慈しまれ、愛されるのです」
一体何系の宗教なのかは分からないけど、依子のことをよく知る私ですら、なんとなく信じてしまいそうになった。そういう集まりって不思議な空気があるものだ。
その後は私はごく一般的に就職し、職場で出会った人と結婚し、二人目の子どもができた時に子育てに専念するために仕事を辞め、依子とは自然と距離ができていた。
そんな頃、たまたまつけたテレビのローカルバラエティ番組に、なんと、ハートランド先生がコメンテーターとして出ていたので本当に驚いた。
相変わらず嘘か本当か分からないことをまくしたてていたが、派手な髪形とそのバサバサとした物言い、たまに真剣な顔で世を憂いて見せる様が受けたようで、しばらくはちょこちょことテレビや雑誌などで見かけるようになった。
だが流行り物とはいつかは飽きられるもの。
気がつけばメディアから依子の姿は消えてしまい、その後どうしているのかを知らぬままに月日が経った。
私は気づけば六十の坂を超え、今では5人の孫のおばあちゃんになっていた。
特にこれということもない平凡な人生だったけど、それはそれで幸せな日々だったと思う。
そんなある日、高校生の孫娘の漫画雑誌をふと手に取って、そこに懐かしい名前を見つけてまた驚くことになった。
「リコ・ハートランド先生の青春相談室」
そんなコラムを連載しているらしい。
「あ、その先生ね面白いの」
「へえ」
「うちの友達もみんな楽しみに読んでるよ。おばあちゃんもなんか悩みがあったら相談してみたら?」
「いやいや、おばあちゃんはいいよ。そもそもこれ、女子高生の読む雑誌でしょ?」
「そうでもないよ、相談者には結構年寄りの人もいるから」
年寄り。
そう、孫娘から見れば私はすっかり年寄りなのだ。
そしてその年寄りと同い年のハートランド先生こと依子は、白黒のボケた写真ではっきりとは分からないが、なんだか派手な髪と衣装でいかにもらしく青春を語っていた。
「いわしの頭も信心から。あなたも彼を信じてみたらいいと思いますよ。信じて信じて、そしてもしも裏切られたら、その時はぽーんと捨てちゃえばいい。そうして次に行きなさい。人は、愛するために生きているのです。愛を生み出し続けることが生きること。だめだと思ったらとっとと次に行きなさい。新しい愛を探しなさい。それが人生です。愛の国、ハートランドから私、リコ・ハートランドがあなたを見守っていますよ」
なんとも無責任な言い方で、しかも逃げ道もちゃんと作ってある。
ただ、相談者の17歳の少女の恋がうまくいってもいかなくても、救いの道を示してはいると思う。
「なるほどねえ」
「え?」
「いや、いわしの頭も信心から」
「ね、面白いでしょ」
そうなのだ、信心する方からすればそれがたとえいわしの頭でも、本心から信じれば本物に見えてくる。
同じように、教祖様だって自分が教祖だ、人を救うのだと信じてその人生を貫けば、本当に人を救うこともできるのだろう。
少なくとも依子はこの半世紀近くの間そうして生きてきている、貫いている。
もしかしたら結構な数の人を救ってきているのかも知れない。
教祖というものもそうして磨かれて本物、かどうかは分からないけど、少なくとも本物らしくなっていくこともあるのだろう。
そういう気持ちでピンボケの写真を見直すと、なんとなくハートランド先生が神々しく見えた気もした。
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