小椋夏己のア・ラ・カルト

小椋夏己

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2022年  6月

啓太と美優

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「別れよう」

 いきなりの言葉だった。

 啓太と付き合って4年、今年29歳の私はそろそろ次の段階も想像していた頃のことだった。
 話があるとわざわざゆっくり話ができるレストランの個室に呼び出されたので、ついにその話かと思ったら、正反対の言葉を聞かされ体が固まる。

「え?」
 
 あれかな、ドッキリ?
 驚かせておいて「じゃーん」と指輪が出てくるとか、そういう演出?

 そんなライトな状況も浮かんだが、啓太の顔を見るとそうではないと分かった。

「どうして?」

 聞くが啓太は言いにくそうに口も目も閉じて黙るだけだ。

 目の前にはデザートの後のコーヒーまで飲み終わったカップと水のコップがあるのみ。

「最後のディナーだからゆっくり食べてほしかった」
 
 そうとだけ答えてまた黙る。

「私、何かした?」
「いや、特には」

 だったらどうして?

「このまま続けてても意味なくない?」
 
 意味がない。
 なんで?

「とにかく、もう俺は美優と一緒にいられない、そう思ったから別れてほしい」

 言葉も出せないままの私に啓太はそう言って一つ頭を下げると、

「じゃあ」

 先に席を立って行ってしまった。
 
 私はただ一人取り残され、テーブルの真っ白なカバーに一つ、水滴をこぼした。

 一体何が悪かったのだろうか。
 自分で言うのもなんだが、私は結構尽くしてきたと思う。

 知り合ったのは新卒で入ってきた啓太の教育係になったからだ。
 年は啓太が3つ下、最初は単に仕事を教える先輩後輩だったのが、気がつけば互いに意識するようになり、自然に恋人という仲になっていた。

 それから今日までの月日、順調にいっていたと思うのに。
 一体何が悪かったの?
 理由があるなら教えてほしい。

 どうやって家に戻ったか覚えていないが、安心できる自分だけの空間に戻って、ベッドの上に倒れ込むと、涙が枯れるまで泣き続けた。

 翌日、翌々日、そしてそのまた翌日と3連休。
 そしてその週明けからは啓太は今まで一緒に働いていた支社ではなく、本社への出向が決まっていた。
 嫌な話をしてもしばらくは顔を合わす必要もなく、そして私が泣きはらした顔でそのまま職場に出てくることもないように今日という日を選んだのだろう。
 それは果たして優しさと呼んでいいものなのかどうか。
 だが啓太の思惑通り、私は泣くだけ泣いて連休明けには何もなかったように、いつものように出社した。

 見た目だけは普通だが中身は空っぽ。
 あれから連絡を取っても啓太から返事はない。 
 どうして、どうして、そればかりを考えてなんとか普通の生活を続けていたある日、思わぬ話を耳にすることになった。

「ねえ」

 同僚で親友でもある理沙が声をかけてきた。

「啓太君、本社に新しい彼女がいるって知ってた?」

 え?
 初耳だ。

 話を聞いて、どうしてあんなことを言い出したのかすぐに理解できた。

 出向前、啓太は何度も本社へも出向いていた。
 おそらくその時に知り合って、大学を出てすぐという若い女に乗り換えたのだろう。

 なんだ、そんなつまんないありふれた理由だったのか。

 私にはなんの非もなかった。
 それが分かった途端、面白いようにストンと啓太への未練はなくなってしまった。

「あ~あ、アホらしい」
「え?」

 そう言ってクスクス笑う私を理沙が心配そうに見るけど、ありがとう、いや、さっぱりした。

 それから私は変わることにした。

 年上を意識させたくなかったから、啓太が好きなかわいいタイプに見えるようにピンクをベースに揃えていた洋服や化粧品を処分した。
 自分で言うのもなんだが、そういう服装をすると啓太より若く見えたりしてそれなりに気にはいっていたのだが、元々の自分の好みとは違う。
 キリッとしたオレンジ系で自分が好きな物に、自分に本当に似合うファッションに切り替える。

 長い髪が好きだという啓太に合わせて伸ばしていた髪も、短く短く、美容師さんが本当に切っていいのかと心配するぐらいバッサリと切った。

「うわあ、なんか宝塚の男役みたい」

 理沙がそう言って一応はほめてくれたようだ。

 そうして私が立ち直りの儀式を進めている頃、

「ねえねえ、これ見て」
 
 私と理沙が親友になるきっかけになったあるバンド、私が青い春を一途に捧げていたが今は活動休止しているバンドが10年ぶりに復活ライブをやるって!

「行くよね? 行く?」
「もちろん! でもチケット取れるかな」
「大丈夫」

 理沙はそういうのが得意なのだ。任せる。
 そうしてチケットは無事確保された。

 時が経ち、ライブの日が来た。
 私は気合を入れておしゃれして、終業時間を迎えると、理沙と一緒にお祭りに向かう。

 あれやこれや、楽しみに話をしながら階段を降り、まっすぐに会社の外へと出ようとした時、

「今いたね」

 理沙がいきなりそう言った。

「え、誰が?」
「啓太君」

 言われて立ち止まり軽く後ろを振り向くと、啓太がさっき降りてきた階段の下に立ってこちらを見ていたが、電話がかかって急いでそれに出た。

「あ、ほんと」
 
 私にはもう興味はない。
 終わってしまったことだ。

「全然気がつかなかった」
「嘘ー! まあ美優らしいっちゃ美優らしいけどね」
「うん、いこ」

 理沙と二人、青春を捧げた3人組との再会の場へ向かう。
 これは過去への回顧ではない。
 彼らと同じ、私も未来へ進むためにライブ会場へと急いだ。
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