7 / 65
2022年 6月
最後のもう一葉
しおりを挟む
「あの最後の1枚の葉が落ちた時、私は死ぬのよ……」
病院の一室。
窓から見える向かいの壁を伝う蔦の葉、その落葉を見ながら彼女はそう言う。
「そんな馬鹿な」
まだ若い青春の輝きにある彼女とは対照的に、こちらはもう頭上がすっかりさびしくなり、顔の色つやこそは良いが、あちこち萎びた男性であった。
二人はこの病院の中庭で出会った。
「何を描いてるんですか?」
最初に話しかけたのは彼女だった。
「ああ、あんまり暇なんでスケッチをね」
中庭のベンチに腰掛けてスケッチブックを抱えている男性は、描いた中庭の風景を見せる。
「うわあ、上手ですね」
二人の出会いはそんな感じだった。
それから色々と話をするうち、彼女が近々心臓の手術をするのだと男性は知った
「そうか、今は医療も技術も発達してるからね。あんたと同じ手術して元気になってった人を何人も見たよ」
男性は「長年の不摂生がたたった」と、本人が恥ずかしそうにとつぶやく慢性疾患の教育入院中だと話す。
「だから手術とかはないけど、まあそこそこ長引くらしい」
「そうなんですか」
そうして、性別も年齢も環境も病気も、何もかも違う二人がなんとなく仲良くなった。
「今回は検査入院だけど、一度退院して、そして、その時は手術……」
彼女はほろっと涙を流した。
「怖い、私、まだまだやりたいこともあるのに、死んでしまうことを考えたらとっても怖いの……」
声を殺して静かに泣く。
「何言ってんだ、言っただろう。わしは今まで何人もあんたと同じ手術して元気になった人を見てるってな。若い人から年寄りまで、みんなお世話になりましたあ! って元気に笑って退院していったって」
「そうなんですか?」
「ああ、だから保証する。あんたはまた元気になる。そしてなんでも叶えるんだ。勉強も、恋愛も、仕事も夢も、全部元気になったあんたのもんだよ」
「だったらいいな」
彼女は弱く、それでも男性の声に力づけられてにっこりと笑った。
検査入院を終えて退院する時、二人は連絡先を交換し、毎日のようにSNSで連絡を取り合った。
そして月日は経ち、今度こそ彼女は運命を変えるため、手術をするために病院へ戻ってきた。
「またお世話になります」
「おう、こっちこそな」
そしていよいよ明日は手術というその日、台風が病院のある地域を直撃すると天気予報が告げていた。
「毎日毎日ね、あの葉っぱが減っていくのを見てるの」
「そんなもん数えるんじゃないよ」
「ううん、私には分かるの。あの最後の葉っぱが落ちた時、私は死ぬの。手術は失敗するんだわ」
「オー・ヘンリーかよ」
男性はそう言って笑う。
そう、あの名作「最後の一葉」だ。
病気の少女のその言葉、最後の一葉を落ちさせないため、老人は嵐の中で壁に葉っぱの絵を描く。少女はその残った葉に励まされて元気になるが、葉っぱを描いた老人は冷たい風雨にさらされて肺炎になり、命を落としていたのだった。
「おじさんはそんな無茶したらいやよ?」
「そんなことしないよ。そんなことしなくても嬢ちゃんは元気になる」
そして手術の朝を迎える。
「葉っぱ、残ってる」
ストレッチャーで手術室へ向かう彼女の目に映る、ただ一枚残った葉っぱが励ましているように見えた。
手術は無事成功し、彼女はICUから個室を経て、無事に元の大部屋と戻ってきた。
「おじさん、どうしたんだろう……」
手術の朝から一度も姿を見ていない。
SNSの返事もない。
「まさか、あの葉っぱ……」
彼女の部屋から見える壁を伝う蔦の葉、
「やっぱり……」
それは描かれた葉っぱであった。
「おじさん、まさか……」
胸が苦しくなる。「最後の一葉」のようにあの葉を描いてくれたのはおじさん、そして、そして……
「ねえ、あのおじさん知りませんか」
医者も看護師も、その他のスタッフも、誰も彼もが、
「ああ、あの方は退院されました。今はほらこんな時期でしょ、だから面会にも来られないの。今までは病院内だったから比較的そういうのゆるかったから」
そう言うのだが、なんとなく何かを隠しているような、そんな気がした。
やがて彼女は術後の面会禁止期間を過ぎ、やっと外からの面会を許された。
そして……
「やあ」
「おじさん! え、どうしたの!」
ひょっこり現れた男性を見て、思わず彼女がそう言ったのは無理もない。
「ふさふさ……」
かなりさびしかったはずの男性の頭頂部は、今はグレーがかったふさふさの頭髪で覆われていた。
「いやあ、実はな」
聞いてみると、やはりあの葉っぱは男性が描いたものだった。
「しっかりカッパ着て、そんでスプレーでちゃちゃっと描いたから全然濡れもしなかった。ただなあ、一枚だけ描いた葉っぱ見てたらちょっとさびしくなってな」
それで教育入院を終えて退院した後、
「一番に行って来たんだよ」
「増毛に?」
「葉っぱが一枚でさびしいように、わしの髪だってさびしかろうと思ってな」
「よかったー!」
「あの壁にももっと仲間描いてやろうと思って、ほれ」
その手にはスプレーアートの道具がしっかりと握られている。
SNSの返事をしなかったのは「びっくりさせたかったから」だった。
それからその病院では、病の不安から最後の一葉に嘆く患者はいなくなったそうな。
めでたしめでたし。
病院の一室。
窓から見える向かいの壁を伝う蔦の葉、その落葉を見ながら彼女はそう言う。
「そんな馬鹿な」
まだ若い青春の輝きにある彼女とは対照的に、こちらはもう頭上がすっかりさびしくなり、顔の色つやこそは良いが、あちこち萎びた男性であった。
二人はこの病院の中庭で出会った。
「何を描いてるんですか?」
最初に話しかけたのは彼女だった。
「ああ、あんまり暇なんでスケッチをね」
中庭のベンチに腰掛けてスケッチブックを抱えている男性は、描いた中庭の風景を見せる。
「うわあ、上手ですね」
二人の出会いはそんな感じだった。
それから色々と話をするうち、彼女が近々心臓の手術をするのだと男性は知った
「そうか、今は医療も技術も発達してるからね。あんたと同じ手術して元気になってった人を何人も見たよ」
男性は「長年の不摂生がたたった」と、本人が恥ずかしそうにとつぶやく慢性疾患の教育入院中だと話す。
「だから手術とかはないけど、まあそこそこ長引くらしい」
「そうなんですか」
そうして、性別も年齢も環境も病気も、何もかも違う二人がなんとなく仲良くなった。
「今回は検査入院だけど、一度退院して、そして、その時は手術……」
彼女はほろっと涙を流した。
「怖い、私、まだまだやりたいこともあるのに、死んでしまうことを考えたらとっても怖いの……」
声を殺して静かに泣く。
「何言ってんだ、言っただろう。わしは今まで何人もあんたと同じ手術して元気になった人を見てるってな。若い人から年寄りまで、みんなお世話になりましたあ! って元気に笑って退院していったって」
「そうなんですか?」
「ああ、だから保証する。あんたはまた元気になる。そしてなんでも叶えるんだ。勉強も、恋愛も、仕事も夢も、全部元気になったあんたのもんだよ」
「だったらいいな」
彼女は弱く、それでも男性の声に力づけられてにっこりと笑った。
検査入院を終えて退院する時、二人は連絡先を交換し、毎日のようにSNSで連絡を取り合った。
そして月日は経ち、今度こそ彼女は運命を変えるため、手術をするために病院へ戻ってきた。
「またお世話になります」
「おう、こっちこそな」
そしていよいよ明日は手術というその日、台風が病院のある地域を直撃すると天気予報が告げていた。
「毎日毎日ね、あの葉っぱが減っていくのを見てるの」
「そんなもん数えるんじゃないよ」
「ううん、私には分かるの。あの最後の葉っぱが落ちた時、私は死ぬの。手術は失敗するんだわ」
「オー・ヘンリーかよ」
男性はそう言って笑う。
そう、あの名作「最後の一葉」だ。
病気の少女のその言葉、最後の一葉を落ちさせないため、老人は嵐の中で壁に葉っぱの絵を描く。少女はその残った葉に励まされて元気になるが、葉っぱを描いた老人は冷たい風雨にさらされて肺炎になり、命を落としていたのだった。
「おじさんはそんな無茶したらいやよ?」
「そんなことしないよ。そんなことしなくても嬢ちゃんは元気になる」
そして手術の朝を迎える。
「葉っぱ、残ってる」
ストレッチャーで手術室へ向かう彼女の目に映る、ただ一枚残った葉っぱが励ましているように見えた。
手術は無事成功し、彼女はICUから個室を経て、無事に元の大部屋と戻ってきた。
「おじさん、どうしたんだろう……」
手術の朝から一度も姿を見ていない。
SNSの返事もない。
「まさか、あの葉っぱ……」
彼女の部屋から見える壁を伝う蔦の葉、
「やっぱり……」
それは描かれた葉っぱであった。
「おじさん、まさか……」
胸が苦しくなる。「最後の一葉」のようにあの葉を描いてくれたのはおじさん、そして、そして……
「ねえ、あのおじさん知りませんか」
医者も看護師も、その他のスタッフも、誰も彼もが、
「ああ、あの方は退院されました。今はほらこんな時期でしょ、だから面会にも来られないの。今までは病院内だったから比較的そういうのゆるかったから」
そう言うのだが、なんとなく何かを隠しているような、そんな気がした。
やがて彼女は術後の面会禁止期間を過ぎ、やっと外からの面会を許された。
そして……
「やあ」
「おじさん! え、どうしたの!」
ひょっこり現れた男性を見て、思わず彼女がそう言ったのは無理もない。
「ふさふさ……」
かなりさびしかったはずの男性の頭頂部は、今はグレーがかったふさふさの頭髪で覆われていた。
「いやあ、実はな」
聞いてみると、やはりあの葉っぱは男性が描いたものだった。
「しっかりカッパ着て、そんでスプレーでちゃちゃっと描いたから全然濡れもしなかった。ただなあ、一枚だけ描いた葉っぱ見てたらちょっとさびしくなってな」
それで教育入院を終えて退院した後、
「一番に行って来たんだよ」
「増毛に?」
「葉っぱが一枚でさびしいように、わしの髪だってさびしかろうと思ってな」
「よかったー!」
「あの壁にももっと仲間描いてやろうと思って、ほれ」
その手にはスプレーアートの道具がしっかりと握られている。
SNSの返事をしなかったのは「びっくりさせたかったから」だった。
それからその病院では、病の不安から最後の一葉に嘆く患者はいなくなったそうな。
めでたしめでたし。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
皇帝陛下は身ごもった寵姫を再愛する
真木
恋愛
燐砂宮が雪景色に覆われる頃、佳南は紫貴帝の御子を身ごもった。子の未来に不安を抱く佳南だったが、皇帝の溺愛は日に日に増して……。※「燐砂宮の秘めごと」のエピローグですが、単体でも読めます。
婚約者の形見としてもらった日記帳が気持ち悪い
七辻ゆゆ
ファンタジー
好きでもないが政略として婚約していた王子が亡くなり、王妃に押し付けられるように形見の日記帳を受け取ったルアニッチェ。
その内容はルアニッチェに執着する気持ちの悪いもので、手元から離そうとするのに、何度も戻ってきてしまう。そんなとき、王子の愛人だった女性が訪ねてきて、王子の形見が欲しいと言う。
(※ストーリーはホラーですが、異世界要素があるものはカテゴリエラーになるとのことなので、ファンタジーカテゴリにしています)
サンタの村に招かれて勇気をもらうお話
Akitoです。
ライト文芸
「どうすれば友達ができるでしょうか……?」
12月23日の放課後、日直として学級日誌を書いていた山梨あかりはサンタへの切なる願いを無意識に日誌へ書きとめてしまう。
直後、チャイムの音が鳴り、我に返ったあかりは急いで日誌を書き直し日直の役目を終える。
日誌を提出して自宅へと帰ったあかりは、ベッドの上にプレゼントの箱が置かれていることに気がついて……。
◇◇◇
友達のいない寂しい学生生活を送る女子高生の山梨あかりが、クリスマスの日にサンタクロースの村に招待され、勇気を受け取る物語です。
クリスマスの暇つぶしにでもどうぞ。
小さなパン屋の恋物語
あさの紅茶
ライト文芸
住宅地にひっそりと佇む小さなパン屋さん。
毎日美味しいパンを心を込めて焼いている。
一人でお店を切り盛りしてがむしゃらに働いている、そんな毎日に何の疑問も感じていなかった。
いつもの日常。
いつものルーチンワーク。
◆小さなパン屋minamiのオーナー◆
南部琴葉(ナンブコトハ) 25
早瀬設計事務所の御曹司にして若き副社長。
自分の仕事に誇りを持ち、建築士としてもバリバリ働く。
この先もずっと仕事人間なんだろう。
別にそれで構わない。
そんな風に思っていた。
◆早瀬設計事務所 副社長◆
早瀬雄大(ハヤセユウダイ) 27
二人の出会いはたったひとつのパンだった。
**********
作中に出てきます三浦杏奈のスピンオフ【そんな恋もありかなって。】もどうぞよろしくお願い致します。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
時給900円アルバイトヒーロー
Emi 松原
ライト文芸
会社をクビになった主人公、先野 優人(36)は、必死で次の就職先を探すも良い職場が見つからなかった。
ある日家のポストに入っていた「君もヒーローにならないか!?」という胡散臭いアルバイト募集のチラシ。
優人は藁をもすがる思いで、アルバイトに応募する。
アルバイト先は「なんでも屋」だった。
どうなる、優人!
頭取さん、さいごの物語~新米編集者・羽織屋、回顧録の担当を任されました
鏡野ゆう
ライト文芸
一人前の編集者にすらなれていないのに、なぜか編集長命令で、取引銀行頭取さんの回顧録担当を押しつけられてしまいました!
※カクヨムでも公開中です※
幸せの椅子【完結】
竹比古
ライト文芸
泣き叫び、哀願し、媚び諂い……思いつくことは、何でもした。
それでも、男は、笑って、いた……。
一九八五年、華南経済圏繁栄の噂が広がり始めた中国、母親の死をきっかけに、四川省の農家から、二人の幼子が金持ちになることを夢見て、繁栄する華南経済圏の一省、福建省を目指す。二人の最終目的地は、自由の国、美国(アメリカ)であった。
一人は国龍(グオロン)、もう一人は水龍(シュイロン)、二人は、やっと八つになる幼子だ。
美国がどこにあるのか、福建省まで何千キロの道程があるのかも知らない二人は、途中に出会った男に無事、福建省まで連れて行ってもらうが、その馬車代と、体の弱い水龍の薬代に、莫大な借金を背負うことになり、福州の置屋に売られる。
だが、計算はおろか、数の数え方も知らない二人の借金が減るはずもなく、二人は客を取らされる日を前に、逃亡を決意する。
しかし、それは適うことなく潰え、二人の長い別れの日となった……。
※表紙はフリー画像を加工したものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる