上 下
1 / 65
2022年  6月

起点・終点

しおりを挟む
 父が死んだ。
 
 会社の事務所の引っ越しで、たまたま休日出勤した土曜日の夕刻、作業を終えてみなでお疲れ様の食事会でも、そう言っていた解散の場で、いきなり倒れて病院へと運ばれた。
 荷物運びをしたワイシャツの袖もまくったまま、会社の人とお疲れ様を交わしながらいきなり倒れたそうだ。

 私はその日たまたま父が運ばれた病院近くに出かけていたもので、母からの電話で一番に駆けつけた。
 まだ父は救命室にいて、締め切った扉の内側で必死の救命をしてもらっているところであった。

 それからほどなく今度は母が病院に着いた。家からタクシーを飛ばしてきたのだ。
 その時もまだ父の命はかろうじてこの世に繋ぎ止められていた。

 次に来たのは隣町に住む妹だった。妹は結婚をして家から離れていたが、その日たまたま家にいた夫に子どもを預け、こちらもタクシーを飛ばしてきた。
 そして妹が到着して間もなく、私たちは医師の淡々とした死亡宣告を聞くことになった。

 遠方に住む兄だけはやっと到着したのがその夜、父が家に帰ってきてからだった。妻と子ども2人と一緒に車を飛ばして帰ってきた。

 そうして実感のないまま通夜、葬儀を済ませ、家には母と私の2人になった。
 今もまだ父は会社にでもいるような気がしている。

 大きなピースが欠けた後も生活は動いていく。
 私は3日の忌引休暇を終えた後、またいつものように仕事に出かける。
 まだ呆然としている母のそばには、最初のうちは妹が小さな子どもと一緒にいてくれてた。

 だが日が経つと、さすがに妹もいつまでも家を空けるわけにはいかず、少しずつ落ち着いた母を一人家に残し、私はバスと電車を乗り継いで仕事へ向かう日々となった。

 今朝の電車も人でいっぱいだ。
 一時は時差出勤、リモート出勤ということでかなり人が減っていたのに、このところは元に戻ってきている。

 私はドア近くの手すりにもたれ、ぼんやりと人を見ながら進む電車に身を預けていた。

 この人たちの中にも私と同じような喪失感を抱いている人がいるのかな。
 この人たちの中にも父と同じく夜にはいつもと同じように帰宅できなくなる人がいるのかな。
 この人たちの中にも目の前でいきなり誰かが倒れてそのまま命を失うという経験をした人がいるのかな。

 何を見ても、誰を見てもそんなことを考えてしまう。

 私が生まれてから先日まで、ずっと私の世界には父がいた。
 だがもう戻ってくる日は来ないのだ。

 そのことが静かに、だが深く心臓をキリキリと刺し貫いてくる。
 
 ずっとずっと昔に見た映画を思い出した。
 少し年上の少女が少し年下の少年にこんなことを言っていた。

「あなたが生まれてからずっと私がいなかった時間はないのよ」

 はっきりとは覚えていないが、そういうことを言っていた。
 確かに自分より年上の人間は、自分が生まれた時にはすでにこの世に存在している。
 うちの両親、祖父母、そして兄は私の起点とも言える生まれた瞬間を知っている、存在している。
 
 それからあの日までずっと私の世界には父が存在し続けていた。
 だがもういない。
 帰ってくることもない。

 映画の少女は病で命を落とし、少年は大人になって、それからずっと少女がいない時を過ごしていた。
 もう少女が帰ってくることはない。
 少年は少女の終点を見てしまったのだから。

 父の葬儀にいなかから祖父母、兄弟姉妹が出てきていた。
 父の起点を知っている人たちが。
 そして彼らは父の終点も見届けたのだ。
 父の人生の始まりから終わりまでを。

 長い長い時の流れの中、父という人物が存在していた数十年、その時を切り取るように知っている人たち。
 一体どういう気持ちなのだろう。
 私はまるで他人事ひとごとのように考えていた。

 ガタンガタン、電車の揺れに身を任せながら、あっちこっちに揺れる体が、まるで起点と終点を行ったり来たりしているようだ。

 親より先に死ぬのは親不孝と言われるが、その意味では父は思い切り親不孝をしたことになる。
 私はその意味では親孝行なのではあろうが、いきなりのこと、心の準備をさせなかったこと、それを思うと父は思い切り子不孝をしてくれたのかも知れない。だがそれでも、やはり親不孝をしなかった事実の方が大きいように思えた。

 人生の起点と終点、両方を見せる相手に不孝をすることになるのだな。
 なんとなくそう思った。

 人間は年の順にこの世を離れるわけではない。
 結局は孝行だの不孝だのと言ってもどうにもならないことではあるが、できれば起点を見てくれた人の終点を見守り、自分の起点を見てくれていない人に終点を見てもらうのが順当なのだろう。
 
 私の人生はまだまだ続いている。
 揺れる電車のように揺れながら、それでもやはり終点に向かって進んでいるのだ。
 その時には誰がそばにいてくれるのだろう。
 それとも誰もいないのか。
 
 駅に着くたび、誰かが降り、誰かが乗ってくる。
 人生も同じく誰かが降り、誰かが乗ってくる。
 最終電車に最後の最後まで一人乗っているとしても、それでもいつかは終点に到着するのだ。
 
 その日まで人生は続く。
 電車が終点に着くまで。
 乗っている電車が走り続ける限り。
 最後の駅に着くまでは。

 ガタンガタン、今日も私は電車の揺れに身を任せている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...