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二人の生活
第004話
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人気のない道をあるくこと二時間。防潮林をぬけると、ようやく海が見えた。
夏まっただ中であっても、ここの海岸は非常に静かだった。聞こえるのは、波が砂浜に寄せる音と、海鳥の鳴き声だけだ。今が深夜だからと言うわけではなく、一日中、そして一年中そうだ。
わざわざ海水浴にくるような人間たちにも、ここの海岸は見放されている。詳しい理由は知らないが、なにか良くない噂が立っているのか、どこか特別なところが管理しているかのどちらかだろう。どちらにしても、プライベートな時間はひっそりと静かに暮らしたいコメットたちにとっては非常にありがたい話であった。
砂浜と防潮林を突っ切る道が繋がっているところからほど近いところに、二人が暮らしている家がある。いや、これは家というよりは小屋だ。かつては海で何かしらの仕事をしている人たちが使っていたのだろうが、二人が辿り着いたときには、もぬけのからになってからしばらく経っているようだった。初めて入った時はすさまじいほこりが小屋の中全体に被っていたのだから、だれもしばらく使っていなかったのだろう。それでも、軽く掃除さえしてしまえば、強く吹き付ける潮風を凌ぐには充分だった。
扉を開くと、小屋の中は真っ暗だった。真夜中なのだから、当然と言ってしまえば当然だ。家にはハービーがいるはずだが、この時間なら睡眠を取っていると考えるのが自然だ。
床板が軽く軋む音を立てながら、コメットは小屋の奥へと入っていく。もう使えなくなっているバスルームだけが設けられた短い廊下をぬけると、そこにはこの小屋唯一の生活スペースがある。二人分の布団が敷かれたその部屋に、ハービーの姿は無かった。丸まっている掛け布団を外してみるが、やはりそこにもハービーの姿はない。
「ハービー?」
声に出して呼んでみる。しかし、小屋の中はコメットの声以外聞こえてこない。部屋の隅には彼がいつも履いている青色のスニーカーが転がっている。裸足で出かけたというのだろうか?
「ハービー?」
今度は通信機も通して呼びかける。
「外にいるよ」
通信機を通してようやく返事が返ってきた。荷物を部屋に乱暴に放り出し、入ってきた扉から再び砂浜へと飛び出す。思わず転びそうになったのを、とっさにドアを掴むことで、なんとか持ちこたえた。
あたりを見渡してみる。コメットの視界に入るのは、人気のない海岸と、どこからやって来たのかわからないゴミと、どこまでも遠くに続いている紺色の海だけだ。いや、ちがう。よく見ると、その海の上に、なにか細いものがそそり立っている。
「ここだよ」
通信機を通してハービーの声が聞こえる。それに呼応するかのように、海から立ち上がっているそれが左右に揺れた。どうやら、ハービーの腕だったようだ。
ああ、またか。コメットは深く溜め息をついた。
「そんなとこに居たら、服がびしょびしょになるじゃない」
「だから、脱いであるよ」
確かに、月明かりに照らされたハービーの体は、一糸まとわぬ姿だった。胸と顔のみを海面に出して、穏やかな海の上にぷかぷかと浮いていた。彼が星を見上げる時のお決まりのスタイルだ。砂浜に落ちているゴミだと思っていた一群も、ハービーが脱ぎ捨てた服だった。この日は下着まできちんと脱いでいる。アンドロイドとはいえ、ヒトを正確に模倣して作られた個体が屋外で服をぬいでいるのがばれれば、当然のように補導されてしまう。人気のない寂れた海岸だとはいえ、あまり望ましい格好ではない。
「今日はなにが見えるの?」
「見てないの?」
「なにを?」
ハービーが再び手を挙げて、空を指し示す。その指先を追うように、コメットは首を上げた。そして、言葉がそれ以上出せなくなった。
空の半分を被うように伸びる、青色の尾。そして一際白く輝く本体。間違いない。彗星だ。
データの中では、何度も見た事がある。自分の名前を同じであるが故に、なんどもなんどもその写真を見た。しかし、こうして実際に見るのは初めてだ。それもそのはず。最近地球から見ることのできる彗星は、どれも肉眼で見ることが困難なほど暗い物ばかりだったからだ。今目の前に広がるこの彗星は、間違いなく天文学の歴史に残る。それほど巨大で明るい尾を持っていた。
なぜ気がつかなかったのだろうか。いや、無理もないのかもしれない。一ヶ月程度なら旅行間隔でいけるようになってしまってから、一般人の宇宙に対する興味というのは著しくなくなっていった。もはや特別なものではなくなってしまったのだ。だから、どれだけ美しい星空が広がっていたとしても、空を見上げることはない。ましてや街の明かりは、その星々をかくしてしまっている。ここ数年、そんな街で活動してる時間のほうが長いコメットにとって、空は黒い蓋としか考えられなかった。
「あんなに目立てば、もう見てると思ってたよ」
いつのまにか海から上がってきたのだろうか、彼は脱ぎ捨ててある服の側にあったタオルで、体を拭き始める。
「今日が一番綺麗に見えるはず」
「へぇ」
コメットはやっと短く声を出すことができた。
もっとこうして見ていたい。いや、毎日だって見ていたい。コメットは頭上に広がる星空に対して、初めてそういう感想を持った。。
「いつまで見られるの?」
「あと数日かな? その後はあの彗星次第だけれども、数十年後」
「また帰ってくるの?」
「周期彗星だからね。ただ、来年もあんな風に見えるとは限らないよ」
「じゃあ、一生物だね」
「そうだよ」
さっと服を着た彼が右隣に立って、一緒に空を見上げる。コメットはそっと、ハービーのふやけた左手を握る。彼の指の隙間に、自分の指をそっと入れていく。ハービーの方もそれを拒むことはぜずに、やさしく握り返した。
夏まっただ中であっても、ここの海岸は非常に静かだった。聞こえるのは、波が砂浜に寄せる音と、海鳥の鳴き声だけだ。今が深夜だからと言うわけではなく、一日中、そして一年中そうだ。
わざわざ海水浴にくるような人間たちにも、ここの海岸は見放されている。詳しい理由は知らないが、なにか良くない噂が立っているのか、どこか特別なところが管理しているかのどちらかだろう。どちらにしても、プライベートな時間はひっそりと静かに暮らしたいコメットたちにとっては非常にありがたい話であった。
砂浜と防潮林を突っ切る道が繋がっているところからほど近いところに、二人が暮らしている家がある。いや、これは家というよりは小屋だ。かつては海で何かしらの仕事をしている人たちが使っていたのだろうが、二人が辿り着いたときには、もぬけのからになってからしばらく経っているようだった。初めて入った時はすさまじいほこりが小屋の中全体に被っていたのだから、だれもしばらく使っていなかったのだろう。それでも、軽く掃除さえしてしまえば、強く吹き付ける潮風を凌ぐには充分だった。
扉を開くと、小屋の中は真っ暗だった。真夜中なのだから、当然と言ってしまえば当然だ。家にはハービーがいるはずだが、この時間なら睡眠を取っていると考えるのが自然だ。
床板が軽く軋む音を立てながら、コメットは小屋の奥へと入っていく。もう使えなくなっているバスルームだけが設けられた短い廊下をぬけると、そこにはこの小屋唯一の生活スペースがある。二人分の布団が敷かれたその部屋に、ハービーの姿は無かった。丸まっている掛け布団を外してみるが、やはりそこにもハービーの姿はない。
「ハービー?」
声に出して呼んでみる。しかし、小屋の中はコメットの声以外聞こえてこない。部屋の隅には彼がいつも履いている青色のスニーカーが転がっている。裸足で出かけたというのだろうか?
「ハービー?」
今度は通信機も通して呼びかける。
「外にいるよ」
通信機を通してようやく返事が返ってきた。荷物を部屋に乱暴に放り出し、入ってきた扉から再び砂浜へと飛び出す。思わず転びそうになったのを、とっさにドアを掴むことで、なんとか持ちこたえた。
あたりを見渡してみる。コメットの視界に入るのは、人気のない海岸と、どこからやって来たのかわからないゴミと、どこまでも遠くに続いている紺色の海だけだ。いや、ちがう。よく見ると、その海の上に、なにか細いものがそそり立っている。
「ここだよ」
通信機を通してハービーの声が聞こえる。それに呼応するかのように、海から立ち上がっているそれが左右に揺れた。どうやら、ハービーの腕だったようだ。
ああ、またか。コメットは深く溜め息をついた。
「そんなとこに居たら、服がびしょびしょになるじゃない」
「だから、脱いであるよ」
確かに、月明かりに照らされたハービーの体は、一糸まとわぬ姿だった。胸と顔のみを海面に出して、穏やかな海の上にぷかぷかと浮いていた。彼が星を見上げる時のお決まりのスタイルだ。砂浜に落ちているゴミだと思っていた一群も、ハービーが脱ぎ捨てた服だった。この日は下着まできちんと脱いでいる。アンドロイドとはいえ、ヒトを正確に模倣して作られた個体が屋外で服をぬいでいるのがばれれば、当然のように補導されてしまう。人気のない寂れた海岸だとはいえ、あまり望ましい格好ではない。
「今日はなにが見えるの?」
「見てないの?」
「なにを?」
ハービーが再び手を挙げて、空を指し示す。その指先を追うように、コメットは首を上げた。そして、言葉がそれ以上出せなくなった。
空の半分を被うように伸びる、青色の尾。そして一際白く輝く本体。間違いない。彗星だ。
データの中では、何度も見た事がある。自分の名前を同じであるが故に、なんどもなんどもその写真を見た。しかし、こうして実際に見るのは初めてだ。それもそのはず。最近地球から見ることのできる彗星は、どれも肉眼で見ることが困難なほど暗い物ばかりだったからだ。今目の前に広がるこの彗星は、間違いなく天文学の歴史に残る。それほど巨大で明るい尾を持っていた。
なぜ気がつかなかったのだろうか。いや、無理もないのかもしれない。一ヶ月程度なら旅行間隔でいけるようになってしまってから、一般人の宇宙に対する興味というのは著しくなくなっていった。もはや特別なものではなくなってしまったのだ。だから、どれだけ美しい星空が広がっていたとしても、空を見上げることはない。ましてや街の明かりは、その星々をかくしてしまっている。ここ数年、そんな街で活動してる時間のほうが長いコメットにとって、空は黒い蓋としか考えられなかった。
「あんなに目立てば、もう見てると思ってたよ」
いつのまにか海から上がってきたのだろうか、彼は脱ぎ捨ててある服の側にあったタオルで、体を拭き始める。
「今日が一番綺麗に見えるはず」
「へぇ」
コメットはやっと短く声を出すことができた。
もっとこうして見ていたい。いや、毎日だって見ていたい。コメットは頭上に広がる星空に対して、初めてそういう感想を持った。。
「いつまで見られるの?」
「あと数日かな? その後はあの彗星次第だけれども、数十年後」
「また帰ってくるの?」
「周期彗星だからね。ただ、来年もあんな風に見えるとは限らないよ」
「じゃあ、一生物だね」
「そうだよ」
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