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第7の鍵 ―秘密の部屋―
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「……それまで、ただ待っていろって言うつもり!?」
強い……強い語調だった。
思いがけない叱咤を浴びて、執事は顔を上げた。
その眼はまだ潤んでいるが、深い皺を刻んだ眉には怪訝さが浮かんでいる。
無理もない。
彼には、理解できなかったのだ。
東洋からの客人―――ひょっとすると奥様になるのかもしれないが、まだそうではない女―――が、なぜ、自分を叱りつけるのか……
彼は、職人だ。
家を守る、職人。
それ以上でも以下でもない。起業家でも、発明家でも。
ものごとの解決のためにアイディアを捻りだす、などという役割は、これまでに一度も求められて来なかった。
だが、彼女は違った。
彼女は、研究者だ。
見て、推察して、掘り起こす。
紐解くのが仕事なのだ。
こんがらがった過去や、バラバラの問題を。
彼女は、窓に駆け寄った。
庭の向こう……1時間ほど前に当主ルイが向かった方を見て、執事を振り返った。
「7番目の鍵は!?」
「は?」
「7番目の鍵よ! 鍵束の、第7の鍵! それは、どこの鍵なの!?」
「どこの鍵……」
「彼が話したのよ。鍵束は7本だと。でも金庫の鍵は別管理だし、もちろんこの館には鍵の数よりも多い部屋があるけれど、それらには鍵がかかっていないんだとも言っていたわ」
「た、確かに、さようで……」
「彼は6番目の鍵までしか使ってないの!」
「しかしながら、鍵束は旦那様がお持ちでして……」
執事の目の前に、彼女の顔が迫る。
「―――んもう! 鍵を使う場所さえわかれば、なんとかなるでしょう!? 鍵がなくったって!!」
庭師頭、大工、それに部屋係。そしてもちろん、彼女。
急いで階段を昇って行く。
執事が口にする通りに。
向かう先は、屋根裏部屋。
その昔……この館にもっと大勢の使用人たちが居た頃、小間使いの居室として使われていた一角だ。
階段の最後と思った扉―――鍵はないが、“立ち入り禁止”と刻んだ銘板が貼られている―――を開けると、それまでとは打って変わった、荒れ果てた空間が現れた。
「……あら、まぁ!」
部屋係の声が響く。
扉の向こう……さらに上へと続く階段の隅には塵や埃が垢のようにこびりつき、あちこちに蜘蛛の巣が張り巡らされている。縦横無尽に。
「驚いた……あの扉のこっち、入っちゃいけないって……こういうことだったの……」
部屋係の顔が歪んでいる。いかにも耐えられない、といった風に。
その目の前……ゆらゆらと揺れている埃まみれの蜘蛛の糸……
誰かが通った痕跡はある。
微か、だが。
ただ、長い間、ほとんど人が手を入れて来なかったことは明らかだ。
庭師頭が蜘蛛の巣を払いにかかる。
息を切らしながら、執事が口を開いた。
「……旦那様が、ここに上がることをお禁じになられたのです」
「―――どっちの?」
「は……」
「ここに上がることを禁じた旦那様は、どっちの旦那様? 7日間の旦那様?」
執事はふうふう言いながらハンカチで汗を拭っている。
しかし、彼女は詰め寄った。
年老いた人に鞭打つのは気の毒だが、あまり時間がない。
「……お熱が下がって、目覚められたルイ様に、せめてものおなぐさめとして、ここはご無事だとお伝えしましたところ……二度とその話をするな、そこに行ってもならない、と、きつくおっしゃって。その後、そのルイ様が、元のルイ様と違うと判った次第でして……つまり、どちらのルイ様か、はっきりとは……」
「……上がれますよ!」
庭師頭が得意げに叫ぶ。
階段の蜘蛛の巣は大きく取り払われ、一番上の扉が見えている。
板の隙間から漏れている光は、太陽光だろうか?
その部屋の鍵は、これまでに彼が開けた6つの部屋とは異なり、デジタル化はされていなかった。
古くからある、ごく簡単な構造だ。
大工が錠前にドライバーを差し込み、ちょっと振動を与えただけで……第7の鍵の部屋の扉は、いとも簡単に開いた。
「わ……ぁ……」
声を上げたのは、彼女だけではなかった。
扉の中は……埃こそ舞っていたが、思いがけず小綺麗に整頓されていたのだ。
ものは、多い。
大量の白いカンヴァスと画材……絵を描くのに必要な、さまざまなもの……
使い込まれているが、洗われ、種類別に纏められた筆。
大小さまざまなイーゼル、木の板……
たくさんのオイルの壜。
絵の具を納めたと思われる、大きな木箱。
隅々に絵の具の跡があるパレットも、綺麗に拭われている。
小さな脇机の上には、静物画を描く時のものだろうか……木の枝や大きな石、羊皮紙、羽ペン、止まった時計などのオブジェが置かれている。
「人物画も……描いたのかしら……」
服もあった。
モデルに着用させたものだろうか、掛け布の下のハンガーには、時代物の衣裳が少しと、靴も……数は少なかったが、きちんと手入れされ、整理されていた。
「ひょっとして……マリ・マンシーニも?」
「さようで」
執事は頷いた。目を伏せたまま。
……きっと、ここを見るのが辛いのだろう。
「ドゥルオーで落札なさるずっと以前から、旦那様は、あの絵にご執心だったのです……」
執事が言い終える前に、彼女の息が、喉の奥で短い音を立てた。
「急いで……急いで!」
カンヴァスとイーゼル、画材、そしてハンガーの上に掛けられていた布まで。
5人がかりで運ぶ。
“第7の鍵の部屋”から、中庭へ。
中庭の中央には、微かに芝生が薄くなった場所がある。
かつてそこで―――“当主ルイ”の魂が―――焼きつくされたのだ。無情にも。
布が……ハンガーを覆っていた布が、彼女の指示でその場所の上に敷かれる。
淡い緑の芝生の上に、白く四角い空間が現れた。
その中央に、彼女がイーゼル、カンヴァス、椅子を置く。
脇には、絵の具類も……とりあえず適当に並べる。
画家のアトリエのように。
黙々と道具を並べる彼女に、不意に、影が差した。
地面に映る、八角形の影。
驚いて彼女が振り向くと、庭師頭がパラソルを立てていた。
太陽を背にして。
庭に据え付ける台座のついた、巨きなパラソルだ。
その縁からは、美しいタッセルが下がっている。
「どうして……?」
パラソルなんて指示してないし、あの部屋にもなかった。
「ルイ様……ええと、“7日間の旦那様” からですね、あなたさまは日光に当たんなさるといけないのだと、よくよく言いつかっておりましたんですよ……」
強い……強い語調だった。
思いがけない叱咤を浴びて、執事は顔を上げた。
その眼はまだ潤んでいるが、深い皺を刻んだ眉には怪訝さが浮かんでいる。
無理もない。
彼には、理解できなかったのだ。
東洋からの客人―――ひょっとすると奥様になるのかもしれないが、まだそうではない女―――が、なぜ、自分を叱りつけるのか……
彼は、職人だ。
家を守る、職人。
それ以上でも以下でもない。起業家でも、発明家でも。
ものごとの解決のためにアイディアを捻りだす、などという役割は、これまでに一度も求められて来なかった。
だが、彼女は違った。
彼女は、研究者だ。
見て、推察して、掘り起こす。
紐解くのが仕事なのだ。
こんがらがった過去や、バラバラの問題を。
彼女は、窓に駆け寄った。
庭の向こう……1時間ほど前に当主ルイが向かった方を見て、執事を振り返った。
「7番目の鍵は!?」
「は?」
「7番目の鍵よ! 鍵束の、第7の鍵! それは、どこの鍵なの!?」
「どこの鍵……」
「彼が話したのよ。鍵束は7本だと。でも金庫の鍵は別管理だし、もちろんこの館には鍵の数よりも多い部屋があるけれど、それらには鍵がかかっていないんだとも言っていたわ」
「た、確かに、さようで……」
「彼は6番目の鍵までしか使ってないの!」
「しかしながら、鍵束は旦那様がお持ちでして……」
執事の目の前に、彼女の顔が迫る。
「―――んもう! 鍵を使う場所さえわかれば、なんとかなるでしょう!? 鍵がなくったって!!」
庭師頭、大工、それに部屋係。そしてもちろん、彼女。
急いで階段を昇って行く。
執事が口にする通りに。
向かう先は、屋根裏部屋。
その昔……この館にもっと大勢の使用人たちが居た頃、小間使いの居室として使われていた一角だ。
階段の最後と思った扉―――鍵はないが、“立ち入り禁止”と刻んだ銘板が貼られている―――を開けると、それまでとは打って変わった、荒れ果てた空間が現れた。
「……あら、まぁ!」
部屋係の声が響く。
扉の向こう……さらに上へと続く階段の隅には塵や埃が垢のようにこびりつき、あちこちに蜘蛛の巣が張り巡らされている。縦横無尽に。
「驚いた……あの扉のこっち、入っちゃいけないって……こういうことだったの……」
部屋係の顔が歪んでいる。いかにも耐えられない、といった風に。
その目の前……ゆらゆらと揺れている埃まみれの蜘蛛の糸……
誰かが通った痕跡はある。
微か、だが。
ただ、長い間、ほとんど人が手を入れて来なかったことは明らかだ。
庭師頭が蜘蛛の巣を払いにかかる。
息を切らしながら、執事が口を開いた。
「……旦那様が、ここに上がることをお禁じになられたのです」
「―――どっちの?」
「は……」
「ここに上がることを禁じた旦那様は、どっちの旦那様? 7日間の旦那様?」
執事はふうふう言いながらハンカチで汗を拭っている。
しかし、彼女は詰め寄った。
年老いた人に鞭打つのは気の毒だが、あまり時間がない。
「……お熱が下がって、目覚められたルイ様に、せめてものおなぐさめとして、ここはご無事だとお伝えしましたところ……二度とその話をするな、そこに行ってもならない、と、きつくおっしゃって。その後、そのルイ様が、元のルイ様と違うと判った次第でして……つまり、どちらのルイ様か、はっきりとは……」
「……上がれますよ!」
庭師頭が得意げに叫ぶ。
階段の蜘蛛の巣は大きく取り払われ、一番上の扉が見えている。
板の隙間から漏れている光は、太陽光だろうか?
その部屋の鍵は、これまでに彼が開けた6つの部屋とは異なり、デジタル化はされていなかった。
古くからある、ごく簡単な構造だ。
大工が錠前にドライバーを差し込み、ちょっと振動を与えただけで……第7の鍵の部屋の扉は、いとも簡単に開いた。
「わ……ぁ……」
声を上げたのは、彼女だけではなかった。
扉の中は……埃こそ舞っていたが、思いがけず小綺麗に整頓されていたのだ。
ものは、多い。
大量の白いカンヴァスと画材……絵を描くのに必要な、さまざまなもの……
使い込まれているが、洗われ、種類別に纏められた筆。
大小さまざまなイーゼル、木の板……
たくさんのオイルの壜。
絵の具を納めたと思われる、大きな木箱。
隅々に絵の具の跡があるパレットも、綺麗に拭われている。
小さな脇机の上には、静物画を描く時のものだろうか……木の枝や大きな石、羊皮紙、羽ペン、止まった時計などのオブジェが置かれている。
「人物画も……描いたのかしら……」
服もあった。
モデルに着用させたものだろうか、掛け布の下のハンガーには、時代物の衣裳が少しと、靴も……数は少なかったが、きちんと手入れされ、整理されていた。
「ひょっとして……マリ・マンシーニも?」
「さようで」
執事は頷いた。目を伏せたまま。
……きっと、ここを見るのが辛いのだろう。
「ドゥルオーで落札なさるずっと以前から、旦那様は、あの絵にご執心だったのです……」
執事が言い終える前に、彼女の息が、喉の奥で短い音を立てた。
「急いで……急いで!」
カンヴァスとイーゼル、画材、そしてハンガーの上に掛けられていた布まで。
5人がかりで運ぶ。
“第7の鍵の部屋”から、中庭へ。
中庭の中央には、微かに芝生が薄くなった場所がある。
かつてそこで―――“当主ルイ”の魂が―――焼きつくされたのだ。無情にも。
布が……ハンガーを覆っていた布が、彼女の指示でその場所の上に敷かれる。
淡い緑の芝生の上に、白く四角い空間が現れた。
その中央に、彼女がイーゼル、カンヴァス、椅子を置く。
脇には、絵の具類も……とりあえず適当に並べる。
画家のアトリエのように。
黙々と道具を並べる彼女に、不意に、影が差した。
地面に映る、八角形の影。
驚いて彼女が振り向くと、庭師頭がパラソルを立てていた。
太陽を背にして。
庭に据え付ける台座のついた、巨きなパラソルだ。
その縁からは、美しいタッセルが下がっている。
「どうして……?」
パラソルなんて指示してないし、あの部屋にもなかった。
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