綾町奈々子はいかにして毒島奇麗を落としたか?

奥野とびら

文字の大きさ
上 下
44 / 69
44

千場光臣

しおりを挟む

 二人は周りに目を遣り知った人間がいないことを確認すると酒を猪口に注いだ。
「決心がつきましたか?」
 千場光臣が一口、酒を飲んだ。
「それは……」
 洋一が弱々しい声で言葉を濁す。
「主が亡くなったんです。〈いけ田〉をどうするかは、もうあなたが決めていいんですよ」
「従業員たちがいます」
「あなたが主でしょう」
 洋一は苦渋の表情を浮かべている。
「僕は店のことにはほとんどタッチしていませんでした」
「あなたは〈いけ田〉の主のご亭主でしょう」
「智子の夫です。〈いけ田〉と結婚したわけではありま
せん」
「しかし奥さんが〈いけ田〉の主だ。智子さんと結婚すれば当然あなたが〈いけ田〉の主人になると普通は思う」
「〈いけ田〉には興味がないんです。僕は本当に〝池田智子〟という女性と結婚したかっただけなんです」
「だったらいいでしょう。〈いけ田〉を売ってくれても」
「それは……」
「あなたは〈いけ田〉には興味がないんでしょう?」
「ありません。でも〈いけ田〉は僕だけのものではないんです」
「従業員がいる?」
 洋一は頷いた。
「あなたでは従業員たちの面倒を見るのは無理ですよ」
 千場は遠慮なく言った。
「それは女房も判っていました」
「智子さんはどうしてあなたと結婚したんだろう」
 千場がそう言って笑った。
「僕にも判りません」
 洋一は正直に答えた。
「こんな年寄りの、どこを気に入ってくれたのか」
「あなたは智子さんを好きだった」
「もちろんです」
「それは有名だった」
 千場は酒で咽を潤す。
「それで猛アタックを開始した」
「受け入れてもらえるとは思っていませんでした」
「周りもみんなそう思っていた」
「知っていますよ」
「率直に申しあげて、あなたの情熱は空回りしていると思っていた」
 洋一はうつむいた。
「失礼ながら歳のいったあなたのどこに、そんな情熱があったのか」
「僕は九谷焼に情熱を傾けていました」
「あなたの作る九谷焼は立派な芸術作品だ」
「ありがとうございます」
 洋一は少し、うれしそうな顔を見せた。
「でも智子を見たとき、その情熱が智子に向かったんです」
「あなたはもともと情熱的な人間だった。そう言いたいんですか?」
「そうは言ってませんが」
「いや。そうだ。あなたは本当は情熱的な人間なんですよ。狂熱的と言ってもいい。あなたの作った九谷焼を見れば判る。智子さんを失った今、あなたはまた九谷焼を作るべきだ。経営は私に任せて」
 洋一は答えない。
「今はまだ何も考えられないんです」
「店はもう新しい経営者で営業を始めなければいけないんですよ」  
「判っています。でも」
「あなたには店主になってもらいましょう」
「え?」
「名前だけでいいんです。普段は以前のように九谷焼を作ってくれればいい」
「従業員たちはどうなるんです」
「うちで面倒見ますよ」
「店の名前は?」
「〈いけ田〉の名を残しましょう」
 千場はキッパリと言った。
「悪い話ではないでしょう?」
「しかし経営権が移っては、たとえ〈いけ田〉の名は残っても江戸時代から代々続いてきた〈いけ田〉は失われることになる」
「考えかた次第でしょう」
 千場は揺るぎない。
「〈いけ田〉は以前と同じように同じ名前で営業を続ける。お客さんにとってはなんら変わらない。前と同じです」
「将来的には?」
「と言いますと?」
「未来永劫〈いけ田〉の名前は残るんですか?」
「未来のことなど誰にも判りませんよ」
 千場は笑った。
「〈いけ田〉の売りあげが順調なら、そのまま〈いけ田〉で通すでしょう。でも売りあげが芳しくなかったら何らかの手を打つことも考えるかもしれない」
 洋一はうつむいた。
「あなたは経営に興味があるんですか」
 洋一は答えない。
「ないようですね」
 千場は鞄から厚みのある封筒を取りだした。
「収めてください」
「これは?」
「手付け金ですよ」
 千場は封筒をテーブルの上に置き洋一の手元まで滑らせた。
 洋一は中身を確認した。一万円札が束ねられている。
「受け取れません」
「まあ固く考えずに。この席の代金を奢った程度に考えてもらえれば」
「ここの代金はこんなにしないでしょう」
「ではお香典ということで」
「香典はもうもらいました」
「追加です」
「なんだか」
 洋一は顔をあげた。
「智子の死を望んでいたような感じですね」
 千場の顔から笑顔が消えた。
「そんな事はない」
「どうしてそんなに〈いけ田〉にこだわるんですか」
 千場は洋一を睨みつけるように見た。
「そろそろお開きにしましょうか」
 千場は無表情にそう言うと、ゆっくりと立ちあがった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

聖女の如く、永遠に囚われて

white love it
ミステリー
旧貴族、秦野家の令嬢だった幸子は、すでに百歳という年齢だったが、その外見は若き日に絶世の美女と謳われた頃と、少しも変わっていなかった。 彼女はその不老の美しさから、地元の人間達から今も魔女として恐れられながら、同時に敬われてもいた。 ある日、彼女の世話をする少年、遠山和人のもとに、同級生の島津良子が来る。 良子の実家で、不可解な事件が起こり、その真相を幸子に探ってほしいとのことだった。 実は幸子はその不老の美しさのみならず、もう一つの点で地元の人々から恐れられ、敬われていた。 ━━彼女はまぎれもなく、名探偵だった。 登場人物 遠山和人…中学三年生。ミステリー小説が好き。 遠山ゆき…中学一年生。和人の妹。 島津良子…中学三年生。和人の同級生。痩せぎみの美少女。 工藤健… 中学三年生。和人の友人にして、作家志望。 伊藤一正…フリーのプログラマー。ある事件の犯人と疑われている。 島津守… 良子の父親。 島津佐奈…良子の母親。 島津孝之…良子の祖父。守の父親。 島津香菜…良子の祖母。守の母親。 進藤凛… 家を改装した喫茶店の女店主。 桂恵…  整形外科医。伊藤一正の同級生。 秦野幸子…絶世の美女にして名探偵。百歳だが、ほとんど老化しておらず、今も若い頃の美しさを保っている。

【ママ友百合】ラテアートにハートをのせて

千鶴田ルト
恋愛
専業主婦の優菜は、娘の幼稚園の親子イベントで娘の友達と一緒にいた千春と出会う。 ちょっと変わったママ友不倫百合ほのぼのガールズラブ物語です。 ハッピーエンドになると思うのでご安心ください。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

身体だけの関係です‐原田巴について‐

みのりすい
恋愛
原田巴は高校一年生。(ボクっ子) 彼女には昔から尊敬している10歳年上の従姉がいた。 ある日巴は酒に酔ったお姉ちゃんに身体を奪われる。 その日から、仲の良かった二人の秒針は狂っていく。 毎日19時ごろ更新予定 「身体だけの関係です 三崎早月について」と同一世界観です。また、1~2話はそちらにも投稿しています。今回分けることにしましたため重複しています。ご迷惑をおかけします。 良ければそちらもお読みください。 身体だけの関係です‐三崎早月について‐ https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/500699060

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

処理中です...