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極秘に進められる買収
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浅井洋一……結婚して池田智子の籍に入り現在は池田洋一が〈いけ田〉のライバル店ともいえる〈錦秋楼〉にやってきた。
「お呼びたてしてすみません」
千場光臣が軽く頭を下げた。
千場光臣は三十三歳。料亭〈錦秋楼〉の経営者である。
小柄だが、いつもプレスの掛かったスーツに身を包み頭髪も固めている。板前の経験はなく専門の経営者だ。
洋一は千場を見つけると頭を下げて席に近づいた。
「どうぞ」
千場は向かいの席を勧めた。丁寧な口調だが銀縁眼鏡の奥からは冷たい光が発せられている。
「この度は大変なことでしたね」
「はい」
洋一はハンカチを出して額の汗を拭いた。千場より遙かに年上の洋一だが千場が放つ冷たいオーラに圧倒されているように見受けられる。
「いま店はてんてこ舞いです」
洋一は正直に答えた。
「そのようですね。だがもう通常の営業を始められたようだ」
「始めないわけにはいきません。うちも楽な状態ではありませんから」
千場は頷いた。
「その事ですが」
千場は心持ち体を乗りだした。
「そろそろ考えを決めてもらいたいんですよ」
「と、いいますと?」
「〈いけ田〉の経営権のことです」
洋一の顔が蒼ざめた。
「奥さんはなかなか〝うん〟と言ってくれないのです」
「家内は……」
洋一は言葉を探すように、しばらく間を置いた。
「〈いけ田〉は充分、立て直せると考えています」
「それは甘い」
「でも〈いけ田〉は老舗です。代々続いた名家ですから簡単に潰すわけには」
「潰すとは言ってません」
千場はピシャリと言った。
「〈いけ田〉のやりかたはもう古い。経営も合理化しなければいけません」
「それは家内も重々、承知していると思います」
「うちが〈いけ田〉を買い取り経営を任せてもらえれば〈いけ田〉は再び盛り返すでしょう」
「〈いけ田〉の名を残してもらえるのですか?」
「もちろんです」
千場は笑みを浮かべた。
「智子さんもあなたも今まで通り働いてもらいます」
「今まで通り……」
「もちろん僕が社長になりますから、その指示には従ってもらいますが」
洋一はハンカチを握りしめている。
「どうですか?」
「ご存じのように私は入り婿です。しかも九谷焼の絵付け職人だった男です」
「しかし今は料亭のご亭主様だ」
「未だに作業着を着て絵付けをしていますよ」
「ほう。そうだったんですか。最近はこざっぱりした服装しか見ていないので絵付けはやめたものと思っていました」
「作業着は汚れたらすぐ捨てて新しいのを買うようにしています。店に汚れがついてしまったらいけませんから」
「なるほど」
「いずれにしろ僕は料亭の経営には素人なんですよ」
「しかし今では逆玉……おっと失礼」
「いいんです。本当のことですから」
洋一が池田智子と結婚すると判ったとき周囲の者たちがアッと驚いた。
「智子と結婚したといっても〈いけ田〉のことは今でもすべて智子が切り盛りしています」
「だからあなたに女将の説得をお願いしたいんですよ」
「説得、ですか」
「はい。あなたは智子さんが見込んで婿に迎えたお人だ。あなたの言うことなら智子さんも考えてくれるんじゃないかと思いましてね」
「しかし私自身、経営の合理化という考えには、どうも馴染まなくて」
「板前が死んだ今、一つの潮時だと思いますよ」
眼鏡の奥で千場の目が冷徹な光を発していた。
「お呼びたてしてすみません」
千場光臣が軽く頭を下げた。
千場光臣は三十三歳。料亭〈錦秋楼〉の経営者である。
小柄だが、いつもプレスの掛かったスーツに身を包み頭髪も固めている。板前の経験はなく専門の経営者だ。
洋一は千場を見つけると頭を下げて席に近づいた。
「どうぞ」
千場は向かいの席を勧めた。丁寧な口調だが銀縁眼鏡の奥からは冷たい光が発せられている。
「この度は大変なことでしたね」
「はい」
洋一はハンカチを出して額の汗を拭いた。千場より遙かに年上の洋一だが千場が放つ冷たいオーラに圧倒されているように見受けられる。
「いま店はてんてこ舞いです」
洋一は正直に答えた。
「そのようですね。だがもう通常の営業を始められたようだ」
「始めないわけにはいきません。うちも楽な状態ではありませんから」
千場は頷いた。
「その事ですが」
千場は心持ち体を乗りだした。
「そろそろ考えを決めてもらいたいんですよ」
「と、いいますと?」
「〈いけ田〉の経営権のことです」
洋一の顔が蒼ざめた。
「奥さんはなかなか〝うん〟と言ってくれないのです」
「家内は……」
洋一は言葉を探すように、しばらく間を置いた。
「〈いけ田〉は充分、立て直せると考えています」
「それは甘い」
「でも〈いけ田〉は老舗です。代々続いた名家ですから簡単に潰すわけには」
「潰すとは言ってません」
千場はピシャリと言った。
「〈いけ田〉のやりかたはもう古い。経営も合理化しなければいけません」
「それは家内も重々、承知していると思います」
「うちが〈いけ田〉を買い取り経営を任せてもらえれば〈いけ田〉は再び盛り返すでしょう」
「〈いけ田〉の名を残してもらえるのですか?」
「もちろんです」
千場は笑みを浮かべた。
「智子さんもあなたも今まで通り働いてもらいます」
「今まで通り……」
「もちろん僕が社長になりますから、その指示には従ってもらいますが」
洋一はハンカチを握りしめている。
「どうですか?」
「ご存じのように私は入り婿です。しかも九谷焼の絵付け職人だった男です」
「しかし今は料亭のご亭主様だ」
「未だに作業着を着て絵付けをしていますよ」
「ほう。そうだったんですか。最近はこざっぱりした服装しか見ていないので絵付けはやめたものと思っていました」
「作業着は汚れたらすぐ捨てて新しいのを買うようにしています。店に汚れがついてしまったらいけませんから」
「なるほど」
「いずれにしろ僕は料亭の経営には素人なんですよ」
「しかし今では逆玉……おっと失礼」
「いいんです。本当のことですから」
洋一が池田智子と結婚すると判ったとき周囲の者たちがアッと驚いた。
「智子と結婚したといっても〈いけ田〉のことは今でもすべて智子が切り盛りしています」
「だからあなたに女将の説得をお願いしたいんですよ」
「説得、ですか」
「はい。あなたは智子さんが見込んで婿に迎えたお人だ。あなたの言うことなら智子さんも考えてくれるんじゃないかと思いましてね」
「しかし私自身、経営の合理化という考えには、どうも馴染まなくて」
「板前が死んだ今、一つの潮時だと思いますよ」
眼鏡の奥で千場の目が冷徹な光を発していた。
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