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アリバイは夫婦の営み
しおりを挟む数寄屋門をくぐると樹齢百年の梅の木が出迎える。
〈いけ田〉は敷地面積百坪を誇る大きな料亭である。
どんな大人数の宴会も引き受ける百畳の大広間をメインに大小十五の客室を擁する。
御影石を配した日本庭園も客の心を和ませる。だが今日の〈いけ田〉は店全体に重苦しい空気が張りつめていた。
丁場の隣にある小部屋で従業員を前に〈いけ田〉の女将、池田智子は気丈な様子で立っていた。
いつもは獲物を狙う猫類のような目で職場に気を配っているが、その大きな目が曇っている。
今日は従業員たちに通常よりも二時間早く出勤するように連絡を取り、ほぼ全員が集まっていた。
「長谷川君が亡くなりました」
「え?」
北本龍太郎が訊き返した。
北本龍太郎は五十三歳になる板前だ。デップリと太り不貞不貞しい面構えと相まって板長に間違えられるときもある。
「ウソ……」
道下むつみが呟く。
「残念ですが本当です」
すでに智子から話を聞いている野崎初子と板長の杉山克己は沈痛な面持ちで立っている。
「どうして……」
最も若い仲居である若林珠里が口元を押さえて呟いた。
「殺されたんです」
「殺された?」
北本龍太朗が目を剥いた。
「はい。犯人はまだ判っていません」
智子は経緯を警察から聞いた通りに従業員に報告した。
「そんな……」
むつみは口を押さえた。珠里の目には、みるみる涙が溢れる。
「今日の店は……?」
「看板を下げて予約のお客様だけ承りましょう」
みな不安げに頷いた。
「その前に刑事さんがやってきます。みな知っている事を話してください」
智子が言い終わるとすぐに夫の洋一に案内されて二人の男が入ってきた。
一人は年配の長田警部補。もう一人は若い表刑事だった。
「お話を聞かせてください」
刑事二人は事件の概要を〈いけ田〉従業員たちに簡潔に説明をすると一人一人のアリバイを確認した。だが死亡推定時刻が深夜の二時頃と推定され、そのころは誰もが自宅で一人でいたのでアリバイの証明をできる従業員はいなかった。
「あなたがたは?」
表が智子と洋一に顔を向けた。
「わたしたちは……」
智子が不安げに洋一を見る。
「その時間には僕たちは布団の中にいました」
「二人とも?」
「はい。枕元の時計を見たら、ちょうど夜中の二時でした」
表が智子に視線を向ける。
「まちがいありません」
どうしてそんな時間に二人して起きていたのかという疑問は表は口に出さなかった。夫婦なら当然、夜中に二人の時間を持つことはある。その夫婦のプライバシーに立ち入ることを遠慮したのである。
刑事二人は一時間三〇分ほど事情聴取をすると引き返した。
従業員たちもそれぞれの持ち場に着き、ようやく智子は部屋を出た。
「大丈夫か?」
すかさず夫の洋一が智子に声をかける。
「大丈夫。ありがとう」
智子は洋一の手を握った。
今年結婚したばかりの二人は周囲からは不釣りあいのカップルと映った。
三十歳の智子が、どうして遙かに年上、六十二歳の洋一と結婚を決意したのか誰もが不思議がった。だが浅井洋一が以前から智子に執心し何度も言い寄っていたことは知られたことだった。
――〈いけ田〉の女将もついに根負けしたか。
洋一と同じく智子に気があった男達は落胆しながらも、あきらめた。〝智子さんは洋一の技に惚れたのかもしれない〟と噂したものだ。その技は絵付の技を指すと同時に夜の営みの技の暗喩でもあった。もちろん根拠などない、やっかみ混じりの言い草だ。
洋一は結婚を機に務めていた九谷焼の工房を辞め〈いけ田〉に入った。もっとも〈いけ田〉の経営は以前と変わらず智子が切り盛りしているので洋一は個人的に注文のあった九谷焼の絵付を続けていた。以前からたびたび出席していた九谷焼の展示会に出かけることもあった。
「でも長谷川君がどうして……」
洋一はオロオロしている。〈いけ田〉での洋一の役割は智子の夫としてのそれ以外に、あまりないのだ。
「いつまでも嘆いていても店は開かないわ。準備をします。あなたは連絡するところをリストアップして、このことを知らせてください」
「わかった」
洋一は頷くと蒼い顔で奥へ引っこんだ。
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