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意外なプロポーズの意外な顛末
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1 意外なプロポーズの意外な顛末
金沢の夜はキリコ祭りの熱気に覆われていた。
キリコ祭りは〝キリコ〟と呼ばれる巨大な御神燈を担ぎ乱舞する祭りで七月上旬から十月上旬にかけて能登一円で行われる。能登町のあばれ祭りを皮切りに七尾市の石崎奉燈祭など各地でその土地特有のキリコ祭りが催されるのだ。
「ホントなの? 若林さん」
練り歩くキリコを横目に道下むつみが尋ねる。
三十八歳になる道下むつみは仲居頭の野崎初子を除けば〈いけ田〉の仲居の中で最年長である。背はさほど高くないが程よく肉がついて活力を感じさせる。顔も程よく整っていて若林珠里から〝道下さんは程よい美人ですね〟とお世辞とも揶揄ともつかない褒められかたをしている。
今日は金沢の老舗料亭〈いけ田〉の三年ぶりの店休日で店の従業員の日頃の働きの慰安のために女将である池田智子の発案で能登までキリコ祭りを見物に来たのだ。
店の従業員ほぼ全員が参加している。
「本当よ」
道下むつみの問いかけに若林珠里が答えた。
若林珠里は二十四歳。〈いけ田〉の仲居の中で最年少だ。丸い大きな目と、よく動く口を持っている。
「何の話だ」
男の声がした。仲居二人はギョッとして振りむいた。板長の杉山克巳だった。
杉山克巳は四十一歳になる。身長は百七十センチほどだろうか。ほどよく筋肉がつき顔は細くはないがやや長め。寡黙なせいか、どことなく暗い印象を見る者に与える。
「浅井さんが女将さんにプロポーズするんです」
「ウソだろう?」
杉山はギョッとしたような声を出す。
「本当ですよ」
若林珠里が少し顔をニヤつかせて答える。
浅井洋一は九谷焼の絵付け職人だった。
「浅井さんもキリコ祭り来てるのか……」
「あたしが教えたんです。〈いけ田〉の従業員でキリコ祭りに行くって」
珠里がペロッと舌を出す。
「浅井さんに、しつこく訊かれたんですよ。〝今度の休みに〈いけ田〉の人たちは、みんなでどこへ行くんだ〟って」
「それで教えたのか」
「教えないのも変でしょう。そのときに逆にあたしからいろいろ訊いちゃったんです。それを訊いてどうするのかって。そうしたら〝プロポーズしたいんだ〟って」
「女将に?」
「そうなんです。だから、あたしも段取りをつけてあげたんです。陰から覗きやすい場所を二人に紹介して」
「よくやったわ」
むつみが真面目な顔で言った。
「で、どこなの? 陰から覗きやすい場所って」
「そこの角を曲がったところにある神社です」
角を曲がると大通りの喧噪がスッと引いた。
中規模の神社が見える。鳥居から見える神社の境内には人影はまばらだった。杉山が足を止めた。
「いたわ」
その背後でむつみが呟く。むつみの視線の先に御神木があり、その前に向かいあって立つ男女の姿があった。
浅井洋一と池田智子である。
珠里に促されて横手に回ると垣根の隙間から二人の姿が見える。
「まさかあの浅井さんが、うちの女将にプロポーズとはね」
「身の程知らずとはこのことよ」
「し」
浅井洋一が話しだす気配を感じたのか珠里がむつみを制する。
「ぼ、僕と結婚してください!」
浅井洋一が勢いよく頭を下げる。
洋一は六十二歳になる。小柄で空豆のような輪郭をした顔立ちだ。すでに頭髪はかなり薄くなっている。
自信のなさそうなオドオドした態度が、どこか貧相な印象を与える。
和服姿の池田智子は三十歳。美しく若々しく佇まいも凛としている。
老舗料亭〈いけ田〉の女将である。
背は一六〇センチ程。顔の輪郭は卵形で肌も剥き卵のようにツルンとしている。アーモンド型のパッチリとした目は清冽な光を発する現代風の美人だが和服をきちんと着こなした姿はそれも絵になる。
言いよる男も多かったが仕事に人生を懸けてきたのか独身である。
「言っちゃった、浅井さん」
「よくプロポーズしたわね。あんな男、女将さんと釣りあうはずもないのに」
むつみが答えると二人は堪えきれずに噴きだした。少し声が大きくなる。
「し」
珠里は唇に人差し指を当てた。
「女将さんが答えます。浅井さんがフラれるところが見られますよ」
杉山も洋一と智子を見つめた。
「智子さん。僕と結婚してください」
なかなか答えない智子に業を煮やしたのか洋一がも一度言った。
「はい」
智子が答えた。
「え?」
洋一が訊き返した。
「あの」
当の洋一が智子の返事の意味を捉えきれずにいるようだ。
「はい、とは?」
「わたしでよければ結婚してください」
仲居たちは口を開けて閉じることさえ忘れている。
「からかってるんですか?」
「まさか」
智子は優しそうな笑みを浮かべている。
「わたしがプロポーズを受け入れたら変ですか?」
「変です。こんな年寄りのプロポーズを」
智子は噴きだした。
「わたしは浅井さんの優しさが好きです」
仲居たちは、まだ口を開けたままだ。
その背後で杉山が歯軋りをして智子と洋一を睨みつけていた。
金沢の夜はキリコ祭りの熱気に覆われていた。
キリコ祭りは〝キリコ〟と呼ばれる巨大な御神燈を担ぎ乱舞する祭りで七月上旬から十月上旬にかけて能登一円で行われる。能登町のあばれ祭りを皮切りに七尾市の石崎奉燈祭など各地でその土地特有のキリコ祭りが催されるのだ。
「ホントなの? 若林さん」
練り歩くキリコを横目に道下むつみが尋ねる。
三十八歳になる道下むつみは仲居頭の野崎初子を除けば〈いけ田〉の仲居の中で最年長である。背はさほど高くないが程よく肉がついて活力を感じさせる。顔も程よく整っていて若林珠里から〝道下さんは程よい美人ですね〟とお世辞とも揶揄ともつかない褒められかたをしている。
今日は金沢の老舗料亭〈いけ田〉の三年ぶりの店休日で店の従業員の日頃の働きの慰安のために女将である池田智子の発案で能登までキリコ祭りを見物に来たのだ。
店の従業員ほぼ全員が参加している。
「本当よ」
道下むつみの問いかけに若林珠里が答えた。
若林珠里は二十四歳。〈いけ田〉の仲居の中で最年少だ。丸い大きな目と、よく動く口を持っている。
「何の話だ」
男の声がした。仲居二人はギョッとして振りむいた。板長の杉山克巳だった。
杉山克巳は四十一歳になる。身長は百七十センチほどだろうか。ほどよく筋肉がつき顔は細くはないがやや長め。寡黙なせいか、どことなく暗い印象を見る者に与える。
「浅井さんが女将さんにプロポーズするんです」
「ウソだろう?」
杉山はギョッとしたような声を出す。
「本当ですよ」
若林珠里が少し顔をニヤつかせて答える。
浅井洋一は九谷焼の絵付け職人だった。
「浅井さんもキリコ祭り来てるのか……」
「あたしが教えたんです。〈いけ田〉の従業員でキリコ祭りに行くって」
珠里がペロッと舌を出す。
「浅井さんに、しつこく訊かれたんですよ。〝今度の休みに〈いけ田〉の人たちは、みんなでどこへ行くんだ〟って」
「それで教えたのか」
「教えないのも変でしょう。そのときに逆にあたしからいろいろ訊いちゃったんです。それを訊いてどうするのかって。そうしたら〝プロポーズしたいんだ〟って」
「女将に?」
「そうなんです。だから、あたしも段取りをつけてあげたんです。陰から覗きやすい場所を二人に紹介して」
「よくやったわ」
むつみが真面目な顔で言った。
「で、どこなの? 陰から覗きやすい場所って」
「そこの角を曲がったところにある神社です」
角を曲がると大通りの喧噪がスッと引いた。
中規模の神社が見える。鳥居から見える神社の境内には人影はまばらだった。杉山が足を止めた。
「いたわ」
その背後でむつみが呟く。むつみの視線の先に御神木があり、その前に向かいあって立つ男女の姿があった。
浅井洋一と池田智子である。
珠里に促されて横手に回ると垣根の隙間から二人の姿が見える。
「まさかあの浅井さんが、うちの女将にプロポーズとはね」
「身の程知らずとはこのことよ」
「し」
浅井洋一が話しだす気配を感じたのか珠里がむつみを制する。
「ぼ、僕と結婚してください!」
浅井洋一が勢いよく頭を下げる。
洋一は六十二歳になる。小柄で空豆のような輪郭をした顔立ちだ。すでに頭髪はかなり薄くなっている。
自信のなさそうなオドオドした態度が、どこか貧相な印象を与える。
和服姿の池田智子は三十歳。美しく若々しく佇まいも凛としている。
老舗料亭〈いけ田〉の女将である。
背は一六〇センチ程。顔の輪郭は卵形で肌も剥き卵のようにツルンとしている。アーモンド型のパッチリとした目は清冽な光を発する現代風の美人だが和服をきちんと着こなした姿はそれも絵になる。
言いよる男も多かったが仕事に人生を懸けてきたのか独身である。
「言っちゃった、浅井さん」
「よくプロポーズしたわね。あんな男、女将さんと釣りあうはずもないのに」
むつみが答えると二人は堪えきれずに噴きだした。少し声が大きくなる。
「し」
珠里は唇に人差し指を当てた。
「女将さんが答えます。浅井さんがフラれるところが見られますよ」
杉山も洋一と智子を見つめた。
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なかなか答えない智子に業を煮やしたのか洋一がも一度言った。
「はい」
智子が答えた。
「え?」
洋一が訊き返した。
「あの」
当の洋一が智子の返事の意味を捉えきれずにいるようだ。
「はい、とは?」
「わたしでよければ結婚してください」
仲居たちは口を開けて閉じることさえ忘れている。
「からかってるんですか?」
「まさか」
智子は優しそうな笑みを浮かべている。
「わたしがプロポーズを受け入れたら変ですか?」
「変です。こんな年寄りのプロポーズを」
智子は噴きだした。
「わたしは浅井さんの優しさが好きです」
仲居たちは、まだ口を開けたままだ。
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